~ ⅴ,ピンポンパンポーン ~
目覚めは最悪だった。
蒸し暑さに汗ばみ、喉はからからで熱射のビームがカーテンの隙間から私を狙い撃ちしていた。
時間は13時を過ぎたところ――起こされなかったということは、お母さんは昨日帰って来なかったんだ。
のろのろと新しい部屋着に着替え、洗濯物を抱えて降りる。まだ、一階の方が涼しい。まあ、この家で一番涼しいのはフナだろう。
少しでもそれにあやかろうと、階段を降りて目の前の水槽を覗く。人の気も知らないで、今日ものんびり泳いでいるんだろうと思ったら、フナは紅色の口を水面でパクパクさせていた。
「お父さんも帰って来なかったんだ……」
フナは、ボコボコと出来た泡にやけくそ気味に次から次へと向かって行く。だけど、疲れたのか水槽にぶつかったら潜ってしまった。
私は、洗濯物を置き、餌袋を手にし、不貞腐れて深く沈んだフナを呼んだ。一粒、一粒、落として。
「…………ピンポンパンポーン、迷子のお知らせです。迷子のお知らせです。山路フナちゃん、推定二歳が泣いています。おませな口紅、白と黒と赤のドレスを着て、『あたちを忘れないでー!』と泣いています――、迷子のお知らせでした。ピンポンパンポ〜ン」
……残りの餌をパクつく口へ全部落としてやった。
ビクッと一瞬だけ逃げたフナを尻目に脱衣所へ行く。ひしめき合った住宅街の一画の家の中というのは、どうにも薄暗い。あんなにも空は晴れ渡っているのに、一歩踏み出すごとに空気がジメッとし、重くなる。
きっと、ジャングルもそうに違いない。
夢の中でスターとリンリが出会ったのも森の中だった。
木々のあちら側には怒声を上げる数多の敵兵士――だからスターは爪先で…ううん、踵から。そしてゆっくりと側面を体重移動し、小指で踏ん張り、残りの指へ神経を行き渡らせた。
木の壁を背に、洗濯物の銃を握って、慎重に慎重に――「見つかるっ!」というところでリンリが腕を引っ張り、洗濯機の前に身を潜める。
「……洗剤はあそこよ、柔軟剤は、そうそれ! 気をつけて……汲み取りホースは音を立てずにお風呂へ入れるの、そうしたら――っ」
いいところで、チャイムが鳴った。
スターの憑依とリンリの気配が消えた。けれど、今度は私として戦う番が来たのだ。彼女達は試している。私がどれだけ出来るのか、最後がどうなるかを……
玄関までそっと戻る。抜き足差し足忍び足、水槽の音だけの世界を進む。
そうして、ヒタリと素足で降りて、駆け上がる急な冷たさを我慢しながら、スターのごとくスコープを覗いた。今度は間違ったりしない。決して間違ってはいけないのだと誓った先には、見知らぬ若い男が立っていた。
男は腕を伸ばし、チャイムをねっとりと鳴らした。
歳は、親戚のおばちゃんが大手企業に受かったと自慢する息子の吉成君よりも少し上に見えた。顎には整えられた髭がある。同じクラスの茂村あつみが「そういう男は性欲が強いの」とわかった風な口で自慢していた。
でも、男が新卒社員ぐらいの年齢でも、男性ホルモンが多いのかもしれなくても、チャイムを諦めて戸を叩き出しても知らないものは知らない。
後退り、「いるんだろ!」という叫びに「誰もいません」と唱えるしか出来なかった。
男は暫くして諦めて去った。
私は、震える手を胸に抱えてその場に蹲る。小さく小さく、小さく小さく、膝とおでこが元から一つだったように鼓動が鎮まるのを待った。
「ピンポンパンポーン……迷子のお知らせです。山路アスカちゃん、十四歳が、泣いています」
:イラスト:
長岡更紗さん主催の企画にて、[星影さきさん]よりいただきました。ありがとうございます!




