~ ⅲ,未熟 ~
どこもかしこも人だらけ。濡れた身体を乾かそうと思い思いに動く。お店に入って、地下鉄乗り場へ、バッグからハンカチ――いや、ここは格好よく“ハンケチ”でいこう。
そのハンケチを取り出して大して濡れてもいないのに腕を拭くのは、さっきのおばさんだった。
「やぁ〜ねぇ」
それしか言わない。そのちっとも嫌がっていない顔で言うのが、おばさんの流儀なのかもしれない。そして、私は、自分の流儀もまだ心得ていなかった未熟ものなのだ。「……喉、渇いたぁ」と、尖った気分も忘れて呆気なくファーストフードのお店へとふらりと入るのだから。
冷蔵庫みたいに冷えた空気が、ぞわぞわと這い上がる。壁の新作ハンバーガーの隣には嘘つきな節電中が掲げられ、私も仕方なく騙されて列に並んだ。
ふと、後ろが気になり見れば、ひとりのアウトサイダーと目が合った。
「所詮、そんなもんか」
心で指を差されたと思った。彼らには甘ったれた奴はお見通しなのだ。
私は、急に恥ずかしくなって前へ向き直り、言い訳を考えた。
飛び交う店員の掛け声、休みなく働くサーバー。トレーに投げ出されたポテトの四肢が無残にも床に落ち、店員が頭を下げる。その後ろでは、卸され、固められた肉塊が永遠の如く焼かれている――
サバトだ。ここは、魔女の集会所だった!
あの肉を焼く店員の無表情さ。顔を上げた店員の親密さ。客の男はご機嫌に自分のスマフォをかざした。きっと、逃げられない。「ご入会しませんか?」の声に頷いているもの、男もこれで秘密の儀式へ通される。
にこやかな店員の後ろでは、喜びの舞を踊るかのように肉が投入されて行く。ドンドコドンドコ…ドンドコドンドコ。私の脳内で響き出す怪しげな音色。
ドンドコドンドコ、アエア〜
ドンドコドンドコ、ハエハ〜
……ほら聴こえる不可思議な呪文が、今まで無表情に見せていた肉焼き男の顔を立ち昇る白煙の向こうでニヤリとさせた。
ドンドコドンドコ、アエア〜
ドンドコドンドコ、ハエハ〜
ひとりひとり、仲間へと変わって行く。ただ喉を潤しに、ただ空腹を満たしに、複数で訪れた者達もいるがきっと信者がいたに違いない。
ドンドコドンドコ、アエア〜
ドンドコドンドコ、ハエハ〜
ドンドコドンドコ、ウヘハ〜
ドンドコドンドコ、パ「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
来た――!
「……ジンジャーエールで」
「サイズはいかがなさいますか?」
「Sで…」
「ありがとうございます――あ、只今、満席ですので、お持ち帰りのみとなりますが、よろしいでしょうか?」
私は、構いませんと大きく頷いて、次の客へと前を譲った。
……免れた、私は集会を免れた。
私と同じ問いを掛けられた者達が次々と折れ行く。中には意地でも集会に混ざりたいという者もいたが、手慣れた店員の笑顔に散り、別の集会所ヘ行くと言って店を出て行った。
私も早く立ち去ろう。
奥に座ったサラリーマンが荷物を詰め出したので私は奪うようにして受け取り、早足で無作為を装う自動ドアを抜けた。
今日のジンジャーエールは、秘密の味がした。
:イラスト:
長岡更紗さん主催の企画にて、[志茂塚 ゆりさん]よりいただきました。ありがとうございます!