第1章 1「薄れゆく世界」
一生に一回くらいはかっこつけたい。
そう思って今まで生きてきた。
その瞬間、自分が動かなければ他人が傷ついてしまう。助けないと。
そう考えて行動した結果は腹にナイフを刺されるという最悪の結果だった。
「あぁ…ちくしょ…」
声にならない声で井上正樹は呟いた。
身体の感覚が意識が遠くなっていくのを感じる。
もしかしたらなんか他の方法があったかもしれないなあ…
今更ながらそう思う。
ある日、いつもと変わらない何も変わらないある日のこと。
いつもの様に学校に行って、いつもの様にお弁当を食べて授業中に眠たくなっていたよくある一日。
俺の日常はぶっ壊された。
授業中、眠気と闘っていた俺の耳に入ってきたのは学校に不審者が入って来た。直接ではないが遠回しにそう伝える校内放送だった。
教師は急いで避難誘導を始め、生徒たちはこの非日常的な状況に慌てていた。それでも避難は思いの外スムーズに行われた。
しかし、運が悪かった。たったそれだけ。
階段の踊り場で不審者に出くわした。
上下灰色のジャージを着て、同じ色の野球帽を目深に被っている。右手には包丁のようなものを持っているようだ、あまり見えないが男の手元は窓から入る日の光を反射してたまにキラリと光った。口元は恐ろしく狂気に満ちた笑いを形作り、端からはよだれを垂らしていた。
出くわした瞬間、フリーズしてしまった教師と生徒を品定めするように右から左へ顔を動かして眺めると、その男の表情が見て取れた。
笑っている…だけではなく、目の焦点が合っていない。人間かどうかすら疑わしく思えてしまうほどだ。
二、三度生徒たちを見ていた狂人はある一点で顔を止めて顔の口角をさらにあげた。
「っひ!」
そいつと目が合ったと思われる女子生徒は口から小さな悲鳴を漏らした。
悲鳴の元を辿るとそこにいたのは俺の幼馴染の女の子だった。
ペタンと腰が抜けてしまったのかその子が座り込んでしまうと、男は急に走り出した。
女の子は友達の手を貸して立ち上がろうとするも身体に力が入らないようだ。友達は必死に引っ張るがあの速度では狂人の方が速い。
誰か…誰か助けを…
そう思って周りを見渡すが動くものは誰もいない。俺もその一人だ。
「あぁ…」
あの子が殺されてしまう…高校までずっと一緒だったあの子が…
俺の身体は勝手に動いていた。
この瞬間、この子を助けられるのは自分しかいないと判断したから…俺はきっとこの子を助けなければ後悔するって一瞬でもそう思ったから…
いくら、自分の身を犠牲にしようとも…
俺はその子の前に立ちはだかり、男の包丁を受け止めた。
刺された瞬間、腹の中心まで包丁の冷たさが伝わって来た。
痛い…怖い…冷たい…
身体に空いた穴からドボドボ血が流れていくのを感じる。
身体から血が無くなっていく…
どんどん身体が冷たくなっていく…
遠くなっていく耳は生徒たちに叫び声を聞き取った。
目の前は徐々に光を失っていった。
目も耳も身体も言うことを聞かなくなった。
そして死んだ。