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ホームズ襲撃戦

 開闢歴二五九四年一〇月一〇日 ホームズ沖


「しかし、キツいな」


 戦列艦ロンドンの操舵を預かってから、カイルは戦列艦の鈍重さに少し苛立ちを覚えた。

 フリゲートやブリッグに比べて舵の効きが悪い上に重たくて、艦の反応が鈍い。

 少し強めの風が無ければ前に進んでくれない。


「大丈夫かね? ミスタ・クロフォード」


「なんとかなるでしょう」


 サクリング提督の言葉に対して、カイルは不機嫌さを隠して笑顔で返事をする。

 確かにロンドンは鈍重だが、突入が不可能になるほどではない。吃水も充分にある。

 懐中のクロノメーターを取り出してカイルは時刻を確認する。

 今の潮は満ち潮。

 海流はホームズ湾に向かって流れており、外洋から素早く侵入できる。

 水深も深くなるため、吃水の深いロンドンでも充分に動ける。

 風は西から更に変転して、今は南からの強風だ。低気圧でも接近しているのか、よく風の変わる日だ。


「準備が整いました」


 オールコック艦長が報告する。初対面の時とは違い、身なりを整えていた。


「よし、全艦に信号、『我に続け』。ミスタ・クロフォード、艦を突入させ給え」


「アイアイ・サー! 針路西北西! 右四点変針」


 カイルは操舵手に命じてロンドンをホームズ湾に向かう針路に向かわせた。

 目的地は義勇艦隊が錨泊しているホームズ港の南岸。

 通常なら陸上を背にして停泊するのだろうが、海戦後の混乱で慌てて入港したため、列も艦の向きもバラバラだ。

 このため防備が穴だらけであり、突入は簡単にできる。

 最大の懸念はホームズ湾内の暗礁。様々な川から流れこんできた土砂が各所に堆積して大型艦の航行を妨げている。

 湾外でさえ暗礁や堆州が多いが、湾内は特に酷い。

 しかし、測量を行ったカイルには何処に堆州があるか分かる。


「ポート・イージー! ジャイブ!」


 左へ緩やかに舵を切る。帆の向きを変えて速力を一定に保つ。


「測深!」


「一二尋です」


 カイルが思った通り、水深が深くなっている海域だ。ロンドンは十分に越えられるし他の艦も大丈夫な筈だ。


「ウィルマ、ホームズとソールズベリー半島の方位を測定し、海図に記入。現在位置を割り出せ」


「現在位置はソールズベリー半島先端より南南西へ二一.五海里の地点と推測」


「って海図を見ないで判るのか」


 ホームズの町とソールズベリー半島の位置を使い、三角法で現在位置を割り出させようとした。

 カイルも大まかに位置を推測していたが、ウィルマのように断言できるほど自信はなかった。


「つかみです。直ぐに海図で確認します」


「そ、そうか」


 舵輪の直ぐ後ろにある海図室に入っていくウィルマをカイルは見送った。相変わらず、ハイスペックな少女水兵にカイルは驚かされる。


「現在位置でました」


 入室して直ぐに海図室から出てきたウィルマにカイルは再び驚く。顔を引き締め、ウィルマから海図を受け取り確認する。

 この位置でこの水深なら問題無い。

 同時に義勇艦隊の位置を把握する。暗礁を避けるなりするためか位置がバラバラ。慌てて入港したためか、艦首の向きもちぐはぐだ。

 その中に防備の穴を発見した。停泊の仕方が悪く、互いに射界が制限されて援護できない位置だ。

 カイルはそこへ突入することを決断した。海面の色を確認して水深を把握した後、指示を出す。


「スタボー! ミジップ!」


 今度は右に切り直ぐに舵を戻す。


「五尋! 急激に浅くなりました」


 測深員が叫んだ瞬間、ロンドンに下から突き上げる衝撃が走った。


「ボトム――艦底を擦った!」


 悲鳴のような報告が操舵手から漏れる。敵前で座礁すれば敵から一方的に攻撃される。しかも後続の艦がいる。彼等もロンドンに続いて座礁してしまう。


「大丈夫だ。思ったよりも弱い、越えられる」


 もう少し激しい衝撃を覚悟していたが、思ったよりも衝撃が弱い。満ち潮で水深が深くなりロンドンでも通れる。

 やがてロンドンの振動は止まり、静寂が戻って、甲板には安堵の空気が流れる。


「やったなミスタ・クロフォード」


「ありがとうございます。ミス・ウィルマのお陰です」


 もしウィルマの報告でなければ現在位置に確信が持てなかった。カイルは彼女に感謝した。

 座礁の心配がなくなり、精神的に余裕が出来たため、改めて敵艦隊を確認する。

 暗礁があることから、義勇艦隊はあえて防備していなかったのかもしれない。

 お陰でアルビオン艦隊は突入できる。

 ロンドンはアルビオン艦隊の中で最も吃水が深い艦だ。ロンドンが浅い接触で済んだのだから、他の艦は艦底を擦らずに通過できる。

 カイルは一度振り返り、ロンドンの後続艦を確認する。無事に暗礁を通過した。

 これで後続の艦も確実に侵入できる。


「……錨を付けたボートを両舷に投棄!」


 カイルは甲板員に命じてボートを投棄させた。『危険海域を越えた』という目印だ。


「提督、危険海域は通り過ぎました」


 カイルが報告すると、それまで黙っていたサクリング提督が大声で命令する。


「各艦に通信、全軍突撃せよ!」


 安全な海域に入る事が出来れば後は問題無い。

 投棄したボートを越えた後は自由に義勇艦隊へ接近できる。


「両舷砲撃用意!」


 さっきまで信じられないと言った表情だったオールコック海佐が喜々として命令を下す。

 ロンドンが入って来たのは義勇艦隊の中心位置。周りは敵艦のみ。

 迎撃しようにも味方艦が邪魔で砲撃できない。


「撃て!」


「両舷斉射」


 提督と艦長の号令でロンドンの両舷から大砲が火を吹いた。

 一〇〇門艦であるロンドンの斉射により左右の義勇艦隊戦列艦は大損害を受ける。


「装填! 次の艦に向かう。ミスタ・クロフォード。義勇艦隊の間を通り抜け給え」


「アイアイ・サー! ハード・ポート!」


 サクリング提督の命令に従いカイルは義勇艦隊の間を右に左にすり抜ける。

 敵戦列艦へすれ違い様にオールコック艦長は斉射を叩き込む。

 そして後続の味方戦列艦が敵艦隊に突入して接舷し、白兵戦を仕掛けて捕獲して行く。


「敵艦から火の手が」


 激しい砲撃で一部の艦から火の手が上がった。


「大丈夫です。炎上中の敵艦は風下にいますからこちらには来ません」


 火の粉で火災が起こることを懸念したが、充分離れているため問題は無い。


「投錨用意! これ以上は無理だ」


 この先は急激に浅くなっており、ロンドンが航行するのは無理だ。座礁する前に錨を降ろすようカイルは指示した。


「左舷後方より敵艦突っ込んできます」


 錨綱を切ったのか、早々に動き出した敵艦がロンドンに向かって突っ込んでくる。


「射界の外からやって来ます」


 戦列艦の大砲は旋回装置が無いため、真横の狭い範囲しか撃てない。斜め後ろから接近されると撃つことが出来ない。


「回避します」


「待て、この状況では無理だ」


 カイルの言葉にオールコック海佐は止めに入る。


「風下の右舷には燃えている敵艦。左舷は風上であり向かうことが出来ない。タッキングをしようにも、速力が低下している今行えば確実に失敗しそのまま風下に流される」


 右に切れば炎上する敵艦の巻き添えになり、左は風上であるため旋回不能、上手回しに失敗すれば流されて火災を起こした敵艦に接触し延焼してしまう。

 下手に行動するのは危険だとオールコックはカイルを諭した。


「ミスタ・クロフォード。君が好きなようにし給え」


「アイアイ・サー! ハード・ポート! アンカー・レッコ!」 


 ところが提督のお墨付きを貰って、カイルは喜々として投錨を命令した。

 錨が降ろされ艦の速力が下がる。


「敵艦急速接近!」


 左の真後ろに敵艦が現れる。敵艦はそのままロンドンの左舷後部に接触する。

 衝突によってロンドンの後部が押されてアンカーを下ろした艦首を中心に回転する。

 まるで扉のようにロンドンは半回転し、突入してきた敵艦を後方に受け流した。


「錨綱切断!」


 手斧を持った水兵が太いアンカーロープを切断し、ロンドンは再び自由の身となる。


「ジャイブ!」


 無事に方向転換を成功させ、帆の開きを変えてロンドンは来た道を戻っていった。

 衝突した敵艦はそのまま直進して行き、やがて浅瀬に座礁した。


「エルフの魔法か」


「いえ、敵艦の衝突を利用しただけです」


 ワザと敵艦を当てさせ、その反動を利用してロンドンを旋回させることで回頭を成功させた。

 これで風下にロンドンを落とすことなく反転させ、進んで来た進路を戻る事が出来る。


「さあ、味方の助太刀に行きましょう」


 オールコック海佐は、俄然張り切る。

 先の海戦では激しく撃たれた上、今回の戦いでは敵艦の間をすり抜けるだけで、まだ戦果を上げていない。

 味方艦に獲物を捕られる前に自分の分も確保しようとしていた。

 何しろ艦長は捕らえた船にでる捕獲賞金の四分の一を獲得できる。戦列艦一隻なら一夜にして大金持ちだ。


「さあ、突撃だ」


 その時、前方の艦から砲撃があった。散発的な砲撃だったが、一発がオールコックの至近に命中。直撃は免れたが、左半身に破片を浴びた。


「がっ」


「艦長!」


 カイルは慌てて駆け寄り怪我の状況を確認する。棘状になった破片が体中に突き刺さっている。


「左目に破片が突き刺さっていやがる」


 特に酷いのは眼球に突き刺さった木片だ。失明は免れられない。


「艦長をドクターの元へ」


「は、はい」


 水兵に命じて艦長を直ぐにドクターの元へ搬送させる。


「ミスタ・クロフォード、ロンドンの指揮を執り給え」


「ア、アイアイ・サー!」


 思わぬことで戦列艦の指揮を執ることになったが戦闘中故に感慨に耽る暇は無い。


「発砲した艦は何処だ」


 現状を確認しなければならない。カイルは見張員に尋ねた。


「味方艦のようです」


 ホームズ湾の奥で反転して味方の突入と逆方向に向かったため、ロンドンを敵艦と誤認したらしい。


「味方艦に信号。我味方なり、我旗艦ロンドン」


「アイアイ・サー!」


 乱戦では味方からの誤射に曝される事は多い。直ぐに識別信号を送って味方である事を知らせると、それ以上の攻撃は無かった。


「さて、敵艦の状況は」


 味方艦は次々とホームズに停泊中の義勇艦隊に向かって突撃していた。

 何隻か運悪く浅瀬に座礁していたが、残りの味方艦はそれを目印に敵艦に突入し接舷、白兵戦を行っている。

 ロンドンの砲撃で抵抗力が弱まっている敵艦は次々に拿捕されていく。

 座礁している艦も満潮が近づくにつれて離礁し戦列復帰は可能だろう。


「あそこの艦がまだ健在だ。接近して仕留める。ハード・ポート!」


「ハード・ポート・サー!」


 カイルはロンドンを左に旋回させ、攻撃を継続する。


「海兵隊! マストの狙撃手に撃たせまくれ! いっそ大砲も撃ち込んでやれ」


 戦闘時、マストの見張り台には狙撃手を配置する。余裕があれば小型砲も据え付けて、砲撃することさえある。

 効果は覿面で、敵艦甲板上の水兵を掃討することが出来た。


「よし、接舷戦闘を行うぞ!」


「ってオールコック艦長、治療は」


「ヒラリー医師が直ぐ終わらせてくれた。左目は敵にくれてやることになったが命は助かった。本当に腕の良い人だな」


「マジかよ」


 性病研究好きだが、外科の腕もヒラリーが超一流であることはカイルも保証する。

 しかし、眼球摘出を短時間で終えた上、動けるまでに回復したことに唖然とした。並みの人間では激痛で起き上がることさえ不可能だ。


「あの、痛くないんですか?」


「医師が処方してくれた薬のお陰で痛くない」


「アヘンチンキでも投与したのか」


 鎮痛剤としてアヘンチンキがある。投与し過ぎると中毒症状を起こし依存症になる。だが、効果は抜群で、痛みを感じない状態にオールコック海佐はなったようだ。


「さあ、諸君! 勝利の栄光と賞金を手に入れるぞ!」


「おお!」


 オールコックは艦を敵艦に接舷させると先頭に立って斬り込んだ。


「反対舷より敵艦接近! 接舷します」


「敵はサービス精神がよいな。自ら捕まりに来てくれるなんて」


 ロンドンに斬り込もうとする敵艦を見て、まるで感激したかのようにサクリング提督が言う。


「私も負けてはいられないな。諸君! 私について来たまえ!」


 サクリング提督は叫ぶと接舷してきた敵艦に向かって提督は斬り込みたいの先頭に立って、突入していく。


「何なんだよこいつら」


 あまりにも出鱈目な上官二人にカイルは呆気にとられた。


「……下甲板と中甲板の砲員は武器を持って上甲板に集合。敵艦に斬り込むように命令しろ」


「アイアイ・サー!」


 斬り込みたいに加わらず残留したロンドンの掌帆長にカイルは命令して、自分の職責を果たすことにする。

 次から次に上がってくる味方を両舷にいる敵艦に振り分ける作業を行い、二隻とも捕獲する事に成功した。




 ホームズ襲撃戦と後に呼ばれる戦闘はアルビオン側の勝利に終わった。

 義勇艦隊戦列艦の内、一六隻を捕獲、四隻は焼失、残り四隻は逃走した。

 他、上陸作業中の輸送船十数隻を拿捕し、大量の物資を鹵獲する。

 義勇艦隊の消滅により、ニューアルビオンの制海権はアルビオン側が完全に掌握し、今後の戦局を決定的にした。

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