ホームズ沖海戦
開闢歴二五九四年一〇月九日 ホームズ沖
撤退してから数日後、カイル達は再びホームズ沖に戻って来た。
今度はポーツマス封鎖を行っていたドレーク提督が指揮する戦列艦一九隻と共にだ。
義勇艦隊のホームズ来航を知るとドレーク提督は直ちに艦隊を南下させ、ホームズに向かわせた。
カイルのユニティもホームズ周辺の事情に明るいという理由で、艦隊への参加を命令され艦隊に先立ち偵察の任務を行っている。
「敵艦隊発見!」
そのユニティの見張員がホームズ湾内にいる義勇艦隊を発見した。
「敵艦の数は?」
「戦列艦が二四隻! 他多数!」
湾内に入った義勇艦隊は輸送船や戦列艦から載せていた物資や兵員を次々と下ろしていた。
易々とアルビオン艦隊の接近を許したのは、目の役目を果たすフリゲートがカイルの罠に嵌まって、大半が航行不能となり、哨戒に必要な数を割けなかったためである。
「艦隊に信号! 湾内に上陸作業中の敵艦隊発見」
後続のアルビオン艦隊本隊に信号を送り、情報を伝える。
一方、湾内の義勇艦隊は発見が遅れたため、慌てて作業を中止して出港しようとする。
しかし、乗員までも上陸作業で陸に上げてしまったらしく、出港する艦は少ない。
義勇艦隊の内五隻ほどが先発して出てきたが、明らかに数が少ない。
「各個撃破の標的だな」
たった五隻の戦列艦で一九隻に挑むのは無謀としか言いようが無い。
しかし、カイルは後ろの本隊を見やると驚きの余りに声を失った。
「なんで攻撃に出て行かないんだ」
アルビオン艦隊旗艦ロンドンのマストには<戦列を構成せよ>の旗が翻るだけで、傘下の戦列艦は戦列を構成しようと動きを止めている。
「旗艦へ信号! <速やかな攻撃の要ありと認む。直ちに攻撃されたし>」
たかが海尉の身で提督に意見を具申するのは無礼にも程があるが、好機を逃す訳にはいかない。
しかし、旗艦からの返信はカイルを失望させるものだった。
「旗艦より信号<戦列を構成せよ。各艦長は旗艦に集まれ>」
「折角の好機を」
カイルは悔しさのあまりに歯がみしたが、命令とあらば仕方ない。
たった一隻、それも級外艦で戦列艦五隻を相手にするのは無謀過ぎる。カイルは命令に従い、ユニティを旗艦ロンドンに向かわせた。
「長官! 直ちに攻撃すべきです!」
旗艦に乗り込んだカイルは司令長官ドレイク提督に直談判した。
「却下する」
「何故ですか。敵は準備が整っていません。今攻撃すれば勝てます」
「我々も準備が整っていない」
「何処かですか。全ての戦列艦は戦闘準備を整えているはずです」
「戦列が出来ていない。バラバラのまま戦っては負けてしまう」
アルビオン海軍では戦列艦は一列縦隊を組み、文字通り戦列を作って同航戦で戦うことを基本としていた。前から順に前衛、本隊、後衛の各戦隊に戦列艦を分配するが、各戦隊は前の戦隊に後続するのが基本だ。
これは何処の海軍でも同じであり、義勇艦隊も同じだろう。
長時間戦えることと、舷側に搭載された大砲を最大限に活かせるからだ。
逆に戦列を崩したら、そこを突かれて負けてしまう危険があり、提督達は恐れていた。
そのため戦列を勝手に離れた艦長を処罰する規定まで設けて戦列の維持に腐心していた。
戦列を構成する事は半ば強迫観念のようになっている。
「ですが、敵艦隊は乗員を陸に上げています。碌に艦を動かすことも出来ません。今戦えば勝てます」
「今から戦うとなれば夕方となる。地理不案内な海域、それも陸地に近い場所で夜に戦うのは座礁の危険がある」
「少なくとも湾口付近、北側は安全です」
ホームズ周辺で測量を進めていたカイルは断言した。湾口付近の北側は戦列艦でも座礁しないほど水深が深いことはよく知っている。
「だめだ。艦隊を危険に曝すことは出来ない」
「しかし」
「戦闘は明朝、夜明け以降に行う。各艦はそれまでに戦列を構成するように。以上、命令だ」
「……」
下された命令にカイルは不承不承に従った。
開闢歴二五九四年一〇月一〇日 ホームズ沖
翌朝、アルビオン艦隊は戦列を構成してホームズ湾へ向かった。
一方の義勇艦隊もアルビオン艦隊を迎撃すべく戦列を構成してホームズ湾から出てきた。
「連中、出港してきたか。時間を与えてしまった」
艦隊前方でホームズ湾を監視していたユニティのマストでカイルは顔を歪めた。
一晩の間に上陸させていた乗員を艦内に引き上げさせ、準備したのだろう。
一晩という時間はアルビオン艦隊に戦列を構成させるとともに、義勇艦隊にも戦闘準備の余裕を与えてしまった。
戦力を比較すれば、アルビオン艦隊が戦列艦一九隻に対し、義勇艦隊が二四隻。
数的には義勇艦隊の方が多い。
しかし今の風向きは北からの風が吹いており、アルビオンが風上を取っている。義勇艦隊は風上に行けないがアルビオン艦隊は風下の何処にでも行ける。
攻撃の選択権はアルビオン側にあり、その点では優位だ。
「艦隊が左に変針します」
「同航戦か」
東に向かう義勇艦隊に続くようにアルビオン艦隊は右に舵を切り、同じく東に向かった。
義勇艦隊は寄せ集めのせいか、隊列が乱れている。しかも足の早い艦を先に出したために前衛が突出し過ぎている。
カイルは艦隊の邪魔にならないよう、かt高みの見物が出来るようにアルビオン艦隊の更に前方に位置するように指示を出した。
アルビオン艦隊は義勇艦隊の針路を妨害すべく、頭を押さえるように前に出て行く。
そしてそのまま、戦闘が開始された。
義勇艦隊の前衛はアルビオン艦隊の前衛と本隊の攻撃を受けている。
アルビオンの戦列艦二隻乃至三隻で義勇艦隊の一隻に攻撃を加え痛打している。
義勇艦隊の後続は速力が遅く、救援に向かうことが出来ない。
「圧倒的ねアルビオン艦隊は」
レナがカイル的に不吉な台詞を言ったとき、風が変わった。
それまで北から吹いていた風が西へ変転してしまった。
「不味い」
それまで風上にいたアルビオン艦隊の優位は失われた。
むしろ本隊と前衛が前に出過ぎたために、アルビオン艦隊後衛が取り残されてしまった。孤立したアルビオン艦隊後衛に置いていかれた義勇艦隊の本隊と後衛が襲いかかった。
アルビオン艦隊の後衛は義勇艦隊からの猛烈な攻撃を受けて大打撃を受けてしまった。
一方、義勇艦隊前衛を攻撃していたアルビオン艦隊前衛と本隊も突然の風の変転に対応できず、戦列を乱してしまった。
そこへ血気盛んな義勇艦隊の前衛が襲いかかる。
準備の出来た艦から先に出撃したため血気盛んな艦が前衛に集中しており、猛烈な闘志でアルビオン艦隊に襲いかかっている。
これまで彼等が奮戦できたのも闘志が強いためだった。そしてアルビオンが戦列を崩した好機を逃さず、積極果敢な攻撃を加えてきた。
しかも、風上側となった義勇艦隊本隊から増援が送られて、更に戦況は不利になる。
風下側のアルビオン艦隊は風上から来る義勇艦隊を迎撃できず、打撃を受けてしまう。
「か、カイル」
一転して不利な戦況となったことにレナは動揺した。
元から隻数で劣っていたが、風の優位も失った今はアルビオン艦隊が劣勢だ。
対して義勇艦隊は数の優勢と風上の優位を生かして戦いを有利に進めている。
風向きも更に南へ変転して南西から吹き益々義勇艦隊を優位にする。
何とかしようにもカイルのユニティは艦隊の左前方、風下側にいる。風上に向かうには時間が掛かる。戦列艦どころか等級外艦であるユニティが乱戦の中に突入しても、大人の喧嘩に巻き込まれた子供のように滅多打ちにされてしまう。
カイル達は見ている事しか出来なかった。
しかし義勇艦隊は突然砲撃を止め、退き始めた。
「何が起きたの」
戦闘不能となり、マストも無残に折れたアルビオン戦列艦を残して義勇艦隊はホームズへ引き返していく。
通常なら勝利した側は相手艦を捕獲してゆくものだが、それさえもしない。
「味方が来てくれたようだ」
カイルは望遠鏡で南の海上、戦場の更に先から現れた艦影を確認した。
アルビオン海軍旗の下に少将の将旗が翻っている。
「サクリング提督だ。チャールズタウンから戦列艦を率いてやって来てくれたんだ」
チャールズタウンに配備されていた五隻の戦列艦を率いてホームズにやって来てくれたのだ。
下手をすればチャールズタウンが襲撃されるか、出て行っても圧倒的な義勇艦隊に押しつぶされる危険があるにも関わらずだ。
しかし、サクリング提督は来てくれた。
「でも、たった五隻でしょう。なのにどうして義勇艦隊は引き上げたのかしら」
「簡単だ。五隻だけだとは義勇艦隊の司令長官は知らない。もしかしたら後続がいるかもしれないと思ったんだよ。同数の艦隊に挟み撃ちにされる危険を恐れたんだ」
アルビオン艦隊の配置を知らなければ、敵がより優勢であると疑って慎重に行動するのが軍人だ。
義勇艦隊とはいえ、司令長官のモンテイル提督は艦隊を危険に晒したくなかった。
「そして風だ。今、風は南西から吹いている。サクリング提督の艦隊は南西から来ていて風上を取っている。自由に攻撃できる絶好の位置だ。各個撃破される危険を考えて引き返したんだよ」
風向きで有利不利が決まるのが帆走軍艦の宿命だ。
風上からは自由に風下に行けるが、逆に風下から風上へは航路を制限される。
少数であっても、有利な地点である風上を押さえられる事態を海軍軍人としては避けたい。
何より挟み撃ちを義勇艦隊の司令長官は恐れ、撤退を命じた。
それがアルビオン艦隊を救うこととなった。
「タッキング! サクリング提督の旗艦と合流する!」




