転属
プラチナブロンドの美女が大広間に現れ、カイルは抱きしめられた。げんなりとしながらもカイルは応える。
「クレア姉さん。放して」
「もお、姉さんではなく、クレアと呼んで。私たちは夫婦なんだから」
「姉弟でしょう」
抱きついてきたのはクレア・クロフォード。クロフォード公爵家の長女、カイルの姉である。
容姿端麗で魔術の才能に溢れる才女なのだが、昔からカイルに対する愛情が姉弟関係である事の理性を振り切り、妄想の中で結婚まで思いを昇華してる、困った美人。
連隊長の内定が取りやめになったのも、連隊に対して、カイルに対する忠誠と自分たち夫婦への応援を命じ、日々カイルを讃える言葉を唱えるよう命じたためだ。
それ程までに思考が常軌を逸しており、カイルが予定を早めて早々に海軍へ入隊した理由の九割が姉から逃れるためだ。
海軍士官になるというカイルの夢は元からあった。だがもう少し身体が成長して準備を整えてからのつもりでいた。ところが、姉であるクレアが魔法学院を飛び級して予想より早く卒業しそうなため、四年前倒しして入隊した。
姉のお陰で体格が未熟な内から入隊する羽目になったが、レナ、エドモンドという友人に恵まれ、ガリア戦争や観測航海などの実務に就けたのはカイルにとっては大きなプラスだ。
その意味では、カイルはクレアに感謝しなくてはならないが、正面から言いたくない事である。
「兎に角、離れて」
「厭よ。久方ぶりだもの」
「今朝会ったでしょう。レナ達を迎えに行く前に」
「朝に会ったきりでしょう。もう、いやなのよ」
そう言ってカイルを揉みくちゃにする。そこへサーベルの刀身が迫って来た。
自分へ向けられた刀身を華麗に躱し、振りかざした人物を睨み付ける。
「夫婦の逢瀬を邪魔するとは無粋ですね」
「売女が入る事を許したことはないぞ」
カイルとクレアの父であるクロフォード公爵家当主、ケネス・クロフォードが冷然と言う。
現役を退いてから一〇年以上経つが、未だに強靱な肉体は衰えを知らず、サーベル捌きも冴えていた。
知性にも優れ、銀髪に隠れた頭の中は名将と言われる程の知能の冴があり、礼節も弁えた人物だ。故に自分の娘の行状を許しておくことは出来ない。
対するクレアも一歩も引かない構えだ。
「失礼いたします御当主様!」
間に割って入ったのはキース・アーノルド副連隊長だった。
「連隊より連隊長と共にご挨拶に参りました! ご挨拶をお許し下さい!」
大声で口上を述べた。クレアに解放された後、頭を下げた。
「……ふむ、副連隊長をそのままにしておくのは礼節にもとる。とりあえずここは収めよう」
ケネスはサーベルを鞘に戻した。
「今日は息子が友人を連れてきたんだ。歓迎の宴を穢れた血で染める必要もないか。どうぞ、お入り下さい」
『は、はい!』
笑顔で迎えたケネスに、エドモント、レナ、クリスは背筋を伸ばして返事をした。
一度クレアと父親ケネスのやりとりを見ているとはいえ、このやりとりは心臓に悪い。
「あんたの所の連隊に入ったら、下手をすれば、貴方の姉と戦う事になるからね。そんなの勘弁して欲しいわ」
「うう……」
本気で嫌がるレナの言葉には妥当性があり、カイルも認めざるを得ず、唸り声しか出せなかった。
レナがカイルの連隊に入るのを嫌がる理由の一つに、姉のクレアの行状がある。
魔法学院で優秀な成績を収め、飛び級で卒業した優秀な姉クレア。ファイアーボールが得意で、氷河を一瞬で湖に変える程の力を持っている。そのまま導師になると期待していたが、カイルと結婚すると言って飛び出し、カイルのもとに押しかけた。
その時父親であるケネスは断固拒否した。だがクレアは言う事を聞かず、あろうことか自分の意見が通らなければ帝国の最高機密を暴露すると脅した。それに対抗してケネスは自らの連隊から一個中隊を動員してクレアを抹殺しようとした。
だが送られた中隊はクレアの返り討ちにあった。幸い死者は出なかったが、負傷者続出だったとカイルは聞いている。
レナの言う通り、下手をすればクレアと本気の激闘を繰り広げることになる。神話として語られそうなほどの馬鹿げた家族戦争に加わる気はレナにはない。
このような混乱もあったが、一同は大広間のテーブルに着くことにした。
カイルは肩を落としてコートを脱ごうとしていると、そのコートに触れる手があった。
スティーブが脱がせてくれているにしては手の位置が低すぎだ。
「ウィルマ!」
違和感を感じて振り返ると、コートを受け取ったのはカイルを慕う少女水兵ウィルマだった。
「コートをお預かりいたします」
「そんな事までしなくて良いよ」
艦から離れている事もあり、カイルはウィルマを止めた。強制徴募の時、娼館で売られていた彼女を志願水兵として受け容れて以来、何かにつけてカイルの近くにいようとする。
ここ最近はカイルのお世話をすると言って公爵家に入り込んでいる。食客として遇しているカイルだが、何故か使用人のように付き従っている。
「いいから、席に着いて」
「お帰りなさいませ神様!」
続いて現れたのは小麦色の肌に黒髪の少女、オバリエアだ。
先の観測航海で天体観測をしたオタハイト島の神官の娘であり、巫女である。
肌の白い耳の尖った金髪の神様の伝説がオタハイト島には残されており、エルフであるカイルを初めて見た島の住民達は神様だと誤解した。
特にオバリエアの献身は情熱的で、カイルに従ってアルビオンまで来た程だ。
「さあさ、どうぞこちらへ」
「オバリエアさんもいいから、皆席に座って」
いつもなら当主に似て静かなクロフォード公爵家だが、この日は賑やか、より率直にいえば騒がしかった。
「とりあえず近況報告からしようか」
場は少し混乱していたが、カイルが提案すると全員が頷いて、大広間のテーブルにそれぞれ着いた。
「まずは僕たち、レナとエドモンド、クリスは新大陸へ転属することになりました」
「新大陸にですか」
カイルの言葉にキースは驚きの声を上げた。
「実はまだ内定段階なのですが、我が連隊も新大陸への移動を命じられるものと思われます」
「やはり独立派への対応のためか?」
「はい。既に多数の連隊が渡海命令を受けて新大陸へ向かっています。我々はその後続として準備するように言われると思います」
「じゃあ、向こうで会えるかもしれないな。検閲式ぐらいは出来るかな。本国にいる間に帝都へ来てくれれば出来るだろうけど、雪だと難しいな」
クロフォード領は本土の最北端にあり、雪が積もる冬季に帝都へ移動するのは難しい。春の雪解けを待ってから移動することになるだろう。その前にカイル達は新大陸へ転属する。
「連隊が行く前に新大陸の情勢が好転すると良いのですが」
「それは厳しいと思うよ」
キースの言葉をカイルは即座に否定した。
議会の殆どは独立派に対して理解を示していない。
自分たちの決定である課税を押し通すつもりだ。自分たちの決定を蔑ろにされた怒りから、断固として貫き通す姿勢だ。
「向こうで火花が散らないように見守るしかないね」
カイルはガリア戦争の後半は新大陸に駐留して住民の慰撫活動にあたったため、実感を込めて言う。自由と独立心に溢れたニューアルビオンの住民が大人しくしているとは、カイルは思っていない。
「ところでレナさんですが、失礼ですがタウンゼント将軍の娘さんでしょうか」
「ええ、タウンゼントは私の父です」
「ちょくちょくお世話になっています。お陰で連隊を動かす事が出来ます」
「はあ、どうも」
陸軍を蹴って海軍に入ったレナには、どうでも良いことだった。
「タウンゼント将軍も新大陸へ行くように命令が届いています。あちらでお会いできるでしょう」
「え!」
突然の言葉にレナは驚いた。
「父も新大陸へ行くのですか?」
「ええ、既に内示が降り、年頭にも渡海されるでしょう」
「そ、そうですか」
レナは慌てたあと黙り込んだ。
『じゃあ私たちも一緒に行きますね』
レナに代わり声を揃えて宣言したのはウィルマ、クレア、オバリエアだった。しかし、これにカイルは慌てた。
「いや、ウィルマとクレア姉さんはディスカバリーの乗員だし、オバリエアさんは島に帰らないと」
海軍の下士官兵は艦ごとに所属しており、余程の事情が無い限り、その艦から移ることはない。
辞令が下った時点でカイルはディスカバリーの艦長を解任され、後任にはディスカバリーに案内人として乗艦した元海軍士官のウォリス氏が海尉に復帰した上、就任している。
「大丈夫。ウォリス艦長はカイルの従者として認めてくれて、カイルの配下に移ることを許してくれたわ。他にも何人か付けてくれるそうよ」
「ウォリスの奴」
冒険家で悪戯好きのウォリスを思い出してカイルは苦笑した。
この分だと心根の通じた乗員が勝手に付いてくるだろう。
早急に渡海のための手続きが必要だなとカイルは手順を思い出す羽目となる。