メリーウェザー海佐
開闢歴二五九四年八月九日 ポーツマス沖
「やあ、君が噂のクロフォード君か」
話しかけてきたのは黒い長髪で長身痩躯の海軍士官だった。
ポマートを塗っていないため髪はふわりと風になびき、前髪が時折右目を隠す。
眼光が鋭く、顔の各パーツも険しい印象を与えるワイルドな雰囲気だが、口元の笑みが厳しさを和らげ、寧ろ親しみを感じさせる。
「はい。サクリング提督の命令で応援に参りましたカイル・クロフォード海尉であります。メリーウェザー海佐」
アルビオン帝国海軍フリゲート艦アストリア艦長エリアル・メリーウェザー海佐にカイルは敬礼をして着任の挨拶をした。
「ご丁寧にありがとう」
ぞんざいな返礼すると、メリーウェザー海佐はカイルの顔と耳を覗き込んだ。
「しかし本当にエルフなんだね」
「お気に召しませんか?」
「いやいや、エルフに会うのは初めてでね。それにしては若いな」
「まあ、エルフは成長が遅いと言われますし」
エルフである為に成長が遅く、身長はレナの方が上だ。それがカイルのコンプレックスになっている。
人間の両親から生まれた以上、成長も人間並みであって欲しいとカイルは思う。
「いや、若いのにかなり経験を積んでいるようでね。何か魔法を使っているんじゃないかってね」
再び注視されてカイルは身を硬くした。
「いや、君の腕を信じていない訳じゃない。あの堅物なサクリングがべた褒めする秘蔵っ子だ。寧ろ当然だろう」
カイルの事を親の七光りやら提督に上手く取り入ったから昇進したと陰口をたたく連中はいる。しかし、カイルは自分の腕で昇進したと信じているし、生き残れたのは実力がある証拠とカイルは思っている。
だが、外見からその腕を見て怪しまれたのはメリーウェザー海佐が初めてだ。
例え実力があるにせよ、それをカイルがどうやって得たのかと興味津々に注視している。
「ま、僕は優秀な士官が来てくれて嬉しいよ。しかし、思ったよりも早かったね」
「丁度、提督が補給艦を用意しておられましたから」
ポーツマス戦隊が出来て複数の艦が配置されたため、補給の為に補給艦が用意されており、ちょうど出港直前だった。
カイル達は急遽それに便乗させて貰った。
「しかし、ここまで来るのは大変だったんじゃないか?」
「ええ。まあ」
パン――ビスケットの他にもオートミールや日持ちの良い食料、水が入った樽が山のように積み込まれており、船足が重く、ポーツマス沖までは時間が掛かった。
しかも海賊やリバリタニアの私掠船が横行しているため護衛の艦船が周りを囲み、ただでさえ思い船足にこの条件では航海は捗らなかった。
「牛と同居しては大変だからね。結構狭かっただろう」
メリーウェザー海佐に言われて目を逸らしたカイルは、冷や汗が出た。
生鮮食料品として生きたままの牛が積み込まれているため、補給艦全体が臭かった。またカイルの他にも回航要員として多数の便乗者が乗っているため、カイルの居住区は狭く窮屈だった。その臭いがカイルの制服から流れてくる事にメリーウェザー海佐は気が付いて推測したようだ。
「まあ、お陰で僕たちは今宵新鮮な牛肉で宴会が出来る。君たちとサクリングには感謝だ」
「現状を聞かせて頂いても宜しいでしょうか?」
「ああ、いいとも」
メリーウェザー海佐はポーツマスの港を指差してカイル達に説明する。
「ポーツマス陥落後、多数の艦艇が脱出したが海軍工廠にあった数隻がリバリタニアに接収された。更に商船の何隻かもリバリタニア海軍を名乗る連中によって武装船に改造された。まあ、それらは僕たちが来る前に出港して何処かに行ってしまったみたいだけど」
気軽にメリーウェザー海佐は話すが、かなり深刻な事態だ。
恐らく武装船は、ニューアルビオン沿岸で通商破壊活動を行う。警戒を強めれば更に南のアルビオン領や、もしかしたアルビオン本土に向かうかもしれない。
船は海の上を何処までも行ける。転生前のコンテナ船と違って帆船は燃料が無くても動ける。乗員の水と食料が確保出来れば半永久的に行動できる。
そして広い海で特定の船を探すのは藁の山の中から一本の針を探し出すに等しい。
被害が発生すればアルビオン艦隊はリバリタニア軍の武装船を探すために艦隊を派遣することになる。たった一隻のために数十隻を割くことになってしまい、海軍の負担は増すだろう。
「まあ、僕たちの任務はポーツマスの封鎖だから今のところ関係ないけどね」
だがメリーウェザー海佐は気楽に答えた。
「どうにかしようと思わないのですか」
メリーウェザー海佐の態度に、カイルに同行してきたレナが反発した。
「ミス・タウンゼントだっけ。陸軍のタウンゼント将軍の娘さんだとか」
「植民地人に負けた無能な将軍の娘と言いたいのですか?」
「いやいや、将軍に会ったことはあるけど、性格も似ているなと思って」
ニッコリと笑うメリーウェザー海佐はレナに説明する。
「勿論、武装船の事は考えているよ。けど、僕たち受けている命令はポーツマスを封鎖すること。そしてそれが出て行った武装船相手にも役に立つ」
「どうしてですか?」
「彼等はいつか寄港する必要が出てくる。もしかしたらポーツマスに帰ってくるかもしれない。いや帰ってくる可能性が高い」
「何故です?」
「船は何年も海に出ていられるけど、いつかは寄港する必要がある。特に長期間航海した後は、船底の蛎殻などを取り払わないと船足が落ちる。だがそんな大作業はドックで行った方がいいよね。ならドックのあるポーツマスにリバリタニア軍の武装船が戻ってくるのは十分に考えられる。そこで僕たちの戦隊が切れ目なく監視、封鎖することが重要じゃないかな」
「確かに」
メリーウェザー海佐に論破されてレナは黙り込んだ。
「と言う訳で、我々は最も武装船が現れそうな海域の封鎖を命令されているんだ。無闇やたらと追いかけるばかりが任務じゃない」
「そうですけど」
メリーウェザー海佐の言葉をレナは受け容れたが、感情的には納得していないようだ。
「で、ポーツマスには数隻の民間船しかいないね。あとは砲台が幾つかあるだけだ。時折、ポーツマスへの商船がくるのでそれを捕まえる」
「多いのですか?」
「ポーツマスは人口が多いからね、食料とかあちこちから輸入していたよ。リバリタニアの支配下に置かれてもそれは変わらないよ。それに工業品の輸出も行いたいだろうしね。船を出入りさせたいだろうからね」
独立しても経済を回す必要がある。リバリタニアの支配下にあるニューアルビオン北部は商工業が盛んで工業品の輸出で潤っていた。
リバリタニアは建国資金のためにも海外貿易を行う為、商船を送り出したいはずだ。
「その出入りする商船を捕まえて臨検して回航するのが僕らの役目だ。そして捕まえた船をチャールズタウンへ運ぶのが君たちの役割だ。と言う訳で回航船の指揮が回るまで暫くの間、よろしくね」
「当直に立ちましょうか?」
メリーウェザー海佐の説明が終わったあと、カイルは進んで尋ねた。
「ああ、ありがたいね。無理のない範囲でやってくれると嬉しいよ。洋上は目が回るくらい忙しいから。海尉達にはあまり疲れることをして欲しくないしね。では早速、当直に立って貰おうか」
「南方より商船近づく!」
その時見張員が報告した。
「船種は判るか!」
「三本マストのスクーナーです! 速い!」
「ふむ、ラインブレイカーのようだね」
ラインブレイカー――封鎖突破船と言って文字通り海上封鎖を突破するための船である。
軍艦の追跡を振り切るために高速で移動できる船が好まれている。
「ミスタ・クロフォード。アストリアを指揮して、あの船を止め給え」
世間話の様にメリーウェザー海佐がカイルに命令する。
「宜しいのですか?」
「構わないよ」
「ありがとうございます」
直後、カイルは爛々と目を輝かせて宣言した。
「これより指揮を執る!」
その後のカイルの指揮は完璧だった。
これまでに比べれば大型だが船の構造は同じで性能が違うだけ。性能を把握し乗員の練度を確認する様に細かい指示を出した後、封鎖突破船の近くに行き、かつて行ったように相手の舳先で急速回頭、帆で風を塞いで動けなくしたところへ接舷し封鎖突破船を捕らえた。
「いやいや、お見事」
その手腕を見たメリーウェザー海佐が拍手をして喝采を浴びせる。
「噂に聞いていたがこれほどまでとは」
にこにこ笑ってカイルを賞賛する。
「さて、艦長自ら臨検させて貰いますか。ミス・タウンゼント。海兵隊を率いて船内の捜索に行き給え。ミスタ・クロフォードは私と一緒に行くんだ」
メリーウェザー海佐は、設けられた渡し板を歩いて封鎖突破船に入り込んだ。カイルとレナも艦長の後に続いて捕獲した船に乗り込んで行く。
「アルビオン帝国皇帝よりお預かりし権限を持って臨検を行う。整列し点検を受けよ」
メリーウェザー海佐はスクーナーの甲板に降り立ち舞台役者のように朗々とした声で言う。
「船長はいるかね?」
「へ、へい、お久しぶりです。メリーウェザー海佐。サリバン・サムナーでございます」
現れたのは猫背の小柄な男だった。
「また会ったね。君が更生していることを期待しているのだけれど」
「へい! 私は真っ当な商売を心掛けております」
「誰なんです?」
一レナがメリーウェザー海佐に尋ねた。
「密輸でかつて逮捕したことのある男だ。それも何度もね。今度こそ改心したと思っているのだが」
「へ、へい。真っ当に仕事をしています」
頭を下げるサムナーだが、その態度にレナは不信感を抱いた。だが何よりメリーウェザー海佐のほうが怪しい。飄々としていて何を考えているか判らない。何より怪しい密輸業者との話し方が親密に見えて余計に怪しい。
「それで君は何処に向かおうとしていたのだね?」
「へい、エウロパ諸国でさあ。上流階級向けの高級品をしこたま仕入れまして帰るところでさあ。ここに来たのは風に流されてのことでさあ」
「ほう、そうか。商売熱心で感心だね」
「へい。ですので、通して頂けないでしょうか?」
「残念だがそれはできない」
サムナーの要請をメリーウェザー海佐は断った。
「実は先日奴隷輸入禁止法が施行されてね。奴隷を輸入することは出来ないんだ。奴隷をアルビオンに運んでいないか確認する為に臨検させて貰うよ」
「いや、しかし」
「うん?」
「ど、どうぞご自由に」
剣呑な表情でメリーウェザー海佐がサムナーに視線を向ける。するとサムナーは恐る恐る受け容れ、メリーウェザー海佐はようやく満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうサムナー。ミス・タウンゼント。捜索を行い給え」
「はい、艦長!」
早速レナは臨検に入った。これまで何度も臨検や強制徴募を行っており、商船が物や人を隠す場所を知っている。
一通り調べ終わるとレナは報告した。
「積み荷は商品のみです。ベンネビスのウィスキーにガリア産のワインとチーズ、インディアスの絹製品、エトルリア製の高級家具、シュヴィーツ製の懐中時計、それに琥珀や宝石、香辛料などです。武器、弾薬などは見つかっておりません」
タウンゼントはありのままを報告したが、釈然としない表情だった。
しかし、メリーウェザー海佐は気にせず船長と話を続ける。
「サムナー君、どおやら君は真っ当な商売を行っているようだね」
「そりゃ勿論でさあ。人々に喜ばれるよう最高級品を良い価格でお届けするのが私の今の商売でさあ」
「それは結構だ」
「へへ、そういうことでここは一つ。あ、少しお待ち下さい」
そう言って船長は自室に行く。戻って来るとボトルを一本持っており、メリーウェザー海佐に差し出した。
「どうぞお納め下さい」
「買収かい?」
「いえいえ、この前、ちんけな盗人だった私に更生の機会を下さったお礼です。確かメリーウェザー艦長はガリアのワインがお好きだったはず」
「そうか。だが、少し誠意が足りないな。ウィスキーとラムの樽を一つずつ貰おう」
「ああ、これは心配りが足りなくて申し訳ございません。勿論差し上げます。ついでにチーズも差し上げます」
「ありがとう」
そう言うとメリーウェザー海佐は、部下達に振り返り命じた。
「諸君、この船は問題無いようだ。解放して任務に戻る」
「戻って良いんですか?」
レナは釈然としない様子でメリーウェザー海に尋ねた。
「そうだ。何時までも無辜の市民を拘束してはならないし、我々にも任務がある。ポーツマスへ行く確証もなく、エウロパ諸国へ運ぶようだ。艦に戻り給え」
「しかし」
「これは命令だよ。ミス・タウンゼント」
「……はい」
メリーウェザー海佐に言われて、レナは命じられるままにアストリアに戻った。
アストリアはサムナーの船から離れると再び哨戒へ戻って行く。一方、サムナーの船は途中まで一緒に付いてきたが、途中で反転、ポーツマスに向かって突進していった。
「あ! やっぱり封鎖突破船だった!」
サムナーの船の動きを見てレナが叫ぶ。
「艦長! 追いかけて捕獲しましょう」
「無理だね。今から行っても追いつけないよ。風向きも悪いしね」
空模様を見ながらメリーウェザー海佐は言う。
「ポーツマス周辺には砲台もあるし浅瀬もある。接近したら危険だ。まあ仕方ない。他の船を監視する。他にもいそうだしね」
水平線上に複数のマストが見える。ポーツマスへ向かう船舶のようだ。
だが距離があるために接触するのは明日の夜明け以降だ。
「明日は忙しくなりそうだし、そろそろ夕飯にしよう。今日の夕飯は美味いぞ。何しろサクリング提督のご配慮により補給艦が牛を運んできてくれたし、ラムもウィスキーも手に入っている。今日は宴会だ」
メリーウェザー海佐が宣言するとアストリアの乗員から歓声が上がった。
「大丈夫なの?」
「多分ね」
その様子を見ていたレナはカイルに尋ねたが、カイルも曖昧な返事しか出来なかった。




