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連隊

 クロフォード公爵家の前で敬礼してきた陸軍の将校にカイルは駆け寄った。


「いつ帝都に着いたの?」


「先ほどです。陸軍省より我が連隊に移動命令がありまして、打ち合わせも兼ねて上京しました。あと、連隊長にご挨拶を、と」


 カイルは親しげに話しかけるが、一方の赤服を着た陸軍士官は上官に対するような口ぶりだ。


「ねえ、知り合いなの?」


 レナがカイルに尋ねた。


「ああ、紹介するよ。子供の頃、よく遊んでくれたキース兄ちゃん。いやベンネビス歩兵連隊キース・アーノルド副連隊長だよ。僕の歩兵連隊の副連隊長を務めてくれている」


「家で保有している連隊ね。ちなみに幾つあるの?」


「僕のベンネビスとクロフォードの歩兵連隊が二つに、騎兵連隊が一つ」


「流石大貴族。私の家なんて歩兵連隊が一つだけよ。維持費が大変」


「うちも似たようなものだよ。それにベンネビスは知り合いの貴族を援助した見返りみたいなものだし。その知り合いも持て余していたみたいだしね」


「何処も同じか。ところでその人はカイルのお兄さん? たしかカイルは姉がいるだけだったと思っていたけど」


「ああそうだよ。ただ近くに同性の親族、年上の頼りになる人がいなくて、キース兄ちゃん、いやアーノルド副連隊長に可愛がって貰ったんだよ」


「そういうこと。で? アーノルド副連隊長の父親は?」


 レナが尋ねたとき、彼女の側をクロフォード公爵家の執事スティーブが通り過ぎた。

 そして無言でアーノルド副連隊長の前に出てきたところで、ようやく口を開いた。


「この馬鹿者が!」


 口を開くと同時に鬼神のごとき怒りの表情を浮かべて右のストレートをアーノルド副連隊長に繰り出した。

 だがアーノルドも予測しており、一歩横にずれて間一髪の所で躱す。そからアーノルドは反撃しようとしたが既にスティーブの姿は無かった。

 躱されると同時にスティーブは身を屈め、ストレートを放った勢いを使い、右足を軸にして左足でアーノルド副連隊長へ足払いを決めてきた。

 これは流石のアーノルドも避けきれず、彼の身体は空中に浮いた。

 そこにスティーブの右肘がアーノルドのこめかみに直撃。アーノルドは庭の生け垣に吹き飛んだ。


「子が親を超えられる訳がなかろう、この不肖の息子が。そもそも陸者が海の猛者に敵う訳が無い」


 乱れた服装を直しつつ、スティーブは生け垣で伸びているアーノルドに言い放つ。

 レナは脇で一部始終を見て固まっていた。我に返ってレナがカイルに尋ねる。


「……ねえ、キースさんの父親って」


「ああ、スティーブ、スティーブ・アーノルド執事長の息子さんだ」


 カイルは呆れるように自分の家の執事を見ながらレナに答える。

 スティーブはカイルの父親ケネス・クロフォードが現役時代従兵を務めた生粋の海軍下士官だ。

 現在はクロフォード家の執事をしているが、それでも昔取った杵柄は健在だ。

 そのスティーブはカイルの視線を気にすることなく、息子であるキースに言い放つ。


「本来ならば陸軍ではなく海軍においてカイル様を迎えなければならないのに、何という為体だ」


「しょうがないだろうが!」


 一瞬気絶していたキースだが、直ぐに目を覚まして生け垣から出てくる。


「いきなり殴ることないだろうが」


「馬鹿者! 貴様にはカイル様をお守りするという崇高な任務があったのだ。それが不可能となったとき、お屋敷を出て行かなくてはならなかったのだぞ。それを提督のご厚意により家の連隊に入れて頂た。あまつさえ副連隊長の地位も買っていただいたのだぞ。どれだけご迷惑をかけるのだ!」


「待ってよスティーブ」


 更なる暴力が奮われる気配を察知し、流石のカイルもスティーブを止めた。


「仕方ないだろう。キース兄ちゃんにも事情があるんだから。それに迷惑じゃないよ。海軍にいて碌に顔出しも出来ない連隊長の代わりに連隊を見てくれるんだから。キース兄ちゃんがいることで僕は安心して海軍での任務に専念できるんだから」


「……カイル様がそこまで仰るのなら。おい、キース、感謝しろ」


「勿論だよ」


「いいって」


 カイルは頭を下げようとするキースを止めた後、家に入れる。


「今日はお祝いないんだ。キース兄ちゃん、いやアーノルド副連隊長は僕の賓客だからね。暴力は無しだよ」


「はっ、心得ました。ようこそ当家においで下さりましたキース・アーノルド副連隊長」


「今更だな」


 先ほどとは打って変わり、慇懃に、そしてぶっきらぼうにスティーブが頭を下げた。これにキースは小さく吐き捨てると屋敷に向かった。途中でスティーブが肘討ちを食らわせようとしたが、カイルが間に入って阻止された。


「ねえ、どういう事?」


「ああ、スティーブは元海軍だろう。で、キース兄ちゃんも父さんの伝手で海軍に入れたんだよ。だけど事情があって海軍から出る羽目になったんだ。で、うちの連隊に入って貰った訳。下手な人間に入って貰うよりマシだしね」


「でもどうして海軍から出されたの? 余程の理由が無い限り除隊できないでしょう」


 レナが尋ねるがカイルもキースも口を閉ざしたままだった。


「なあ、地位を買ったってどういう事なんだ? 陸軍の方は伝手が無いから知らないんだけど」


 気まずい雰囲気のカイルに話しかけたのはエドモントだった。

 エドモントの実家は紡績工場だ。海外との貿易も行っており、その伝手で海軍へ入隊した。そのため陸軍のことには詳しくない。


「カイルが連隊長だって事もはじめて知ったよ。連隊長なのに海軍にいて良いのかよ」


 話しかけてきた動機には、悪くなった雰囲気を帰るための話題転換もあった。勿論、この助け船にカイルは即座に乗った。


「簡単に言うと連隊というのは貴族の特権であり財産なんだ」


 連隊は元々貴族の私兵集団だ。それが帝国成立時に公式に認められ制度化されて正式な連隊となった。

 連隊を作るとは、皇帝陛下から貴族に私兵を持つことを許すという意味であり、貴族の特権だ。

 許可を得た貴族は自らの私財を使って、多数の貴族や傭兵を雇い、連隊内に基幹となる中隊を作り、陣容を整える。これが、基本だ。


「こうして帝国の連隊は作られたんだけど、連隊長――大佐になれるのは連隊を持つ貴族かその血縁だけ。能力主義ではないから、作戦能力が常にあるとは限らない。そこで実質的な指揮官である副連隊長――中佐の階級が作られた。だから副連隊長は信頼できて軍事的な能力のある人を就けるんだ。連隊長は今では飾りだよ」


 転生前、元いた世界の英国でも同じであり、陸軍の連隊は伝統に従い連隊長は王族か貴族、諸外国の王族、功績のあった将官が務める。しかし実戦指揮など執れないため、指揮担当士官という正規士官が実際の指揮を執る。連隊長は名誉職であり記念日に出席する程度だ。

 カイルも何かしらの行事に参加する程度で、連隊の作戦行動には殆ど関わらない。特に海軍の任務に就いて長期の航海に出るとなれば尚更だ。


「それで地位を買うというのは?」


「文字通りだよ。陸軍は買官制でね。前任者から階級を金で買って譲って貰うんだ。色々制約はあるけど階級を買えば昇進できる」


 色々としがらみやコネが横行する海軍だが、陸軍に比べれば実力主義だった。

 海では船乗りとしての技量が威力を発揮する上に、海尉への任官には試験が課せられている。

 一方陸軍は速やかな昇進を果たすために買官制度を設けていた。

 昇進したい士官はその階級から退く士官へ金を払うことでその階級を得ることが出来る。

 同階級の他の士官のなかで先任であることや、提示した金額が高い方を優先するなどの制約があるが、より高い金額を提示したり賄賂を渡すなど、金を出せる限り何とでも出来る。

 あまりにも売買価格が高額となったために勅令で各階級の値段が決められた程だ。

 そのため金を出せる限り昇進していくことが出来る。

 勿論、買官によらない昇進枠もあるが枠は少ない。平時においてはなおのことだ。


「金があれば簡単に昇進できるのよね。金だけの木偶の坊が出てくるし」


 実家の持つ連隊を思い出したのかレナが呟く。


「実家に戻れば? 直ぐに連隊長にしてくれると思うけど。ミス・タウンゼント」


「結構。金で昇進してきた頭の悪いガキ共相手にするなんてゴメンよ。そう仰るなら貴方こそ今すぐ海軍を辞めて連隊長として軍務に励んでみては? クロフォード艦長」


「嫌だよ」


 レナの切り返しにカイルは首を横に振った。連隊内の人間関係に配慮して命令を下すなどぞっとする。碌な教育を受けておらず役に立たない士官を指揮するなど真っ平ゴメンだ。


「じゃあ、僕のところに来ない? レナなら直ぐに中隊長に任命するよ」


「前線の指揮官じゃない。結構よ」


「じゃあ、軍旗護衛小隊長」


「軍旗――連隊旗を守る最後の砦となる部隊でしょう。中隊長クラスじゃない」


「では軽歩兵中隊長」


「戦列から離れて散兵となって展開するから統率力の優れた士官にしか出来ない難しい立場でしょう」


「じゃあ擲弾兵中隊長」


「連隊の最精鋭中隊じゃないの。ってドンドン上がっていくわね」


「役不足で不満かと思って」


「じゃあ、いっその事大隊長にしてくれる?」


「え……」


 カイルは黙り込んだ。

 師団――旅団――連隊――大隊――中隊――小隊――分隊が現代の陸軍の基本となっている。だがこれは数百年かけて徐々に洗練された最終ヴァージョンだ。

 その間に幾度も制度の変遷があり、各部隊の役割も違う。

 アルビオン帝国も変遷のまっただ中にあって、部隊の関係が入り乱れている。

 連隊の下に大隊はあるが、これは管理部隊であり、兵站などを請け負う後方部隊の纏め役。いわば事務所や総務といったところだ。そのため戦闘部隊となる中隊は所属していても、大隊長より連隊長の命令が優先される。中隊長より階級は上だが指揮権はない。だが給与や福利厚生の纏め役のため、事務に精通していないと務まらない。

 流石にレナに任せるのは無理だ。


「……やれやれ優秀な中隊長が手に入ると思ったんだけどな」


「あなたの所の連隊に入るなんて真っ平ゴメンよ」


 ぴしゃりとレナは言い切ったが、レナが自分の連隊に来て欲しいのはカイルの本心だ。

 優秀な人材は何処でも欲しい。お飾りの連隊長であっても少しは仕事をしなければとカイルは思っていたがあてが外れた。


「ところでキースさんの金は誰が出したの?」


 肩を落とすカイルにエドモントが声を掛けてきた。


「父さんが出したよ」


 キースが海軍を追い出された後、カイルの父親であるケネスが候補生として入隊させた。丁度、自分の連隊の将校が足りないこともあり、信頼できる人間ならば言うこと無しと提案した。

 勿論キースも承諾。本人の方も適性があったようで能力を開花させたため、次々と階級を買い与え、遂には実質上最高指揮官である副連隊長に任命した。


「大盤振る舞いだね」


「何処の馬の骨とも判らない輩に連隊を任せるよりマシだよ。幾ら他の貴族から買った連隊だからって、野放しには出来ない」


「連隊って買えるのか?」


 連隊、部隊を買うという言葉にエドモントは驚いた。


「財産だからね。皇帝陛下に願い出て勅許状を貰うか、既に連隊を持っている貴族から買い取るかのどちらかだよ」


 連隊は貴族の特権であり財産でもある。財産は売買が可能であり、連隊も売り買いすることが出来る。野球やサッカーのチームとオーナーの関係に近い。

 連隊長がオーナーで副連隊長が監督、コーチが士官、選手が兵士といったところか。


「僕のベンネビス連隊の場合は、父さんの知り合いの貴族が困窮したために、資金援助の見返りとして貰ったんだよ。まあ維持費も掛かるから体の良い厄介払いだったろうけど」


 連隊は貴族の財産であるため、管理も貴族の自費で賄う必要がある。そのため貴族には結構な出費であり、財力が無くなって連隊を手放す貴族もいる。


「それで身びいきで副連隊長に身内を?」


 尋ねたエドモントに、カイルはムキになって反論する。


「キース兄ちゃんも能力は高いよ。でなきゃ流石に副連隊長に任命しないよ。父さんはクレア姉さんの婿養子にして家督を継いで貰う事も考えていたみたいだけど」


「クレアお嬢様に嫁ぐなど畏れ多く、ご辞退させていただきます」


 カイルの呟きを耳にしたキースが背筋を伸ばして断ってきた。

 主君への畏敬とは別の生理的な嫌悪感から来る拒絶であるのは疑いなかった。


「まあそうだよね」


 カイルもそれは納得していた。

 二つある連隊の内、一つを持参金代わりとしてカイルの姉であるクレアを連隊長に任命しようとケネスは計画していた。だが、内定段階でクレアが気をよくして連隊に無茶な命令を下したために取り消しになった。

 何より、幼い頃からのクレアの行状を知っているキースが断るのも無理はない。


「そういえばクレア姉さんはどうしたんだろう」


 カイルが疑問に思いつつも、大広間に入るや否や、目の前に胸が大きく開いたドレスに身を包んだプラチナブロンドの美女が現れ、カイルに抱きつきいて叫んだ。


「あなた!」

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