怒れるグレシャム男爵
開闢歴二五九四年四月二六日 グレシャム男爵邸
それを最初に見た瞬間、カイルは古の化物、伝説の魔物か何かが復活したと錯覚した。
全身から発せられる黒く禍々しいオーラ。異様に光り輝く双眸。口の両端からは、沸騰した釜から上がるような湯気を伴った熱量の呼気を噴き出し、全身の筋肉がはち切れんばかりに盛り上がっている。
転生前に読んだカルト的吸血鬼漫画に出てきそうな怪物、魔物という表現が現実に出てきたと思ってしまった。
刀に手をかけて、切り伏せよう、出来る事なら切り倒せる魔物でありますようにとカイルは祈ってしまった。倒せるか、と弱気になるが、こんな禍々しい魔物が自分の手で倒せるとは到底思えなかった。
だが、直ぐに自分の錯覚だと分かった。
魔物と思ったのはグレシャム男爵その人だったからだ。
「……何か御用かね? ……カイル・クロフォード海尉?」
怒りが漏れ出る声でグレシャム男爵は尋ねてきた。それはカイルは自分に向けられた怒りではない、八つ当たりと同類であり、迷惑していることを伝えても良かっただろう。しかし、男爵の怒りの放射熱が激し過ぎて非礼を指摘する事さえカイルには出来なかった。
畏怖のため自然と対応が下手に出てしまう。
「は、はい。夫人が亡くなられたと聞き、生前お世話になったのでお別れを言うために」
「……そうか……是非会ってきてくれ……メアリーも君に会いたがっていた……」
「は、はい」
カイルは、恐る恐る棺に入れられた夫人を覗いた。
数日前に帰ってきたばかりで準備が整わないのだろう。まだ墓に入れる事が出来ず、屋敷に留め置かれていた。
しかも、夫人の遺体は所々傷があったり、服にも乱れが見えた。
「あの、これは」
「……酷いだろう……妻は連中に、独立派に辱めを受けた……」
保養地で夫人が亡くなった後、男爵は夫人の遺言により領地の墓に入れようと戻って来た。しかし、帰って来たときにはチャールズタウン周辺では独立派の動きが激しくなっていた。
独立派は帝国から独立を企てて各所で活動を開始。人の出入りを監視するようになり、独自の検問所を開くなどしていた。
勿論、帝国法に反している。だが独立派は自治権の範囲という認識であり、自分達が地域を治めるという論理で動いていた。
特に自治を脅かす帝国の手先を見つけ出そうと注力しており、通行者を手荒く調べていた。
そこへ来てしまったのがグレシャム男爵一行だった。
独立派検問所の要員達は男爵の懇願を無視して、棺を暴き、武器弾薬が隠されていないか調べた。
男爵は怒り狂い、独立派に対して怨念を抱いた。
「独立派という悪魔共に妻は穢された……この恨みは晴らさなければ……」
男爵は直ぐさま屋敷に戻ると妻の遺体を安置した。そして私財を投じて私兵軍を創設し、独立派の掃討に入った。
幸か不幸か、男爵はかなりの資産を持っており、千人近い兵員を雇った上、武装させることが出来てしまった。それだけつぎ込んでも財力にまだ余裕があり、今なお増強している。
「あの、勝手な軍事行動は禁止されていますが。それに私兵の編成も許可が必要です」
軍隊を編成する特権は皇帝陛下から与えられる。義勇軍や自警団を作ることは緊急処置として認められているが、帝国軍の指揮下に入るのが規則だ。
許可無く軍を編成し、これを動かしたら大逆罪になってしまう。
今のところは、誤認や手違いとして扱われ、黙認が出来る範囲に留まっている。
だが、これ以上男爵の行動が過激化すれば庇うことも出来ない。
グレシャム男爵の行動は今のところ男爵の領地内とその周辺に収まっているが、怒りのあまり留まる事を知らず拡大し続けている。
男爵の行動によってチャールズタウン周辺で盛り返してきた独立派は再び縮小傾向にある。だが、男爵のやり方が乱暴過ぎて中立的な住民も眉をひそめている。
襲撃して私刑を行う事など日常茶飯事。独立派とみなした家へ攻め込み尋問を行ったりと過激だ。
魔女狩り並みに残虐な独立派への尋問が周囲の反感を高めている。
一人の過激な独立派を虐殺することで、十人の潜在的独立派を生み出しているような状況だ。
今やチャールズタウン周辺で最大の皇帝派貴族となった男爵がこれでは皇帝派の印象が悪くなってしまう。
男爵の暴走行為を止めるためにカイルが派遣されていたのだが、「無理ゲーだ!」とカイルは心の中で叫んでいた。
「このままでは反逆罪になってしまいますが……」
「妻を辱めた連中を生かしておけというのか」
「い、いえ、帝国法に従わなければならないと申し上げているのです」
怯えてしまったカイルに代わって、一緒に来たキースが答える。
陸戦の指揮や統率なら適任者であり、その助言を期待して、カイルが連れてきたのだ。
普段なら頼りになるが、キースはまだ新大陸に到着したばかりで顔色が優れない。更に最初の任務が半ば魔物と化している男爵の説得では、恐怖で普段の能力が出せない。
「逆賊を野放しにしている軍が何を言っている。軍が動かないから私が動くのだ」
「し、しかし、軍の編成許可を男爵はまだ得ていません。このままでは男爵を逮捕しなくてはなりません。少なくとも軍隊の指揮下に入ってもらいませんと」
「悪魔を討つ私の軍だ。木偶の将軍から指図は受けぬ」
「ああ、うちの父さん厳しいから」
居心地悪そうに付き添ってきたレナが溜息を吐きいた。すかさずカイルは小声で尋ねた。
「何かあったの?」
「周辺貴族が勝手に兵隊を集めて独立派を刈り取っているって愚痴っていたのよ。父さんは厳しい人だから、勝手な行動を禁じて穏便に行動しろって叱ったの。でも領主は居直って喧嘩になったって」
「その領主が男爵だったという訳だね。まあ仕方ないか」
カイルも提督からその辺の事情は聞いていたが、本人の怒りを見る限り、本当に苛立っているようだ。
以来、男爵は軍の指揮下に入ろうとしていない。
指揮下に入るように説得することが今回男爵の元を訪れたカイルの役目だった。
男爵の激烈な怒りと恨みを目の当たりにして、役目を放棄したくなったカイルだが、既に受けた命令とあらば遂行しなければならない。
「総督が連隊の創設を許可しています。植民地連隊として行動して下さい」
「植民地連隊などただの使いっ走りではないか! 断固拒否する」
植民地の総督は現地人を受け容れて植民地連隊を創設することが許されている。
本国から正式な許可を得るよりも迅速な部隊を編成できる。
ところが植民地連隊は正規軍の補助部隊と定義されており、皇帝より編成を許可された正規軍の指揮下に入らなければならないと規定されていた。そして正規軍の将校から植民地連隊は格下に見られていたばかりか、指揮権も正規軍将校の方が上とされている。
植民地連隊であれば、例え連隊長でも、正規軍の士官による命令には服従を強要される。例えそれが任官したばかりの尉官の命令でも従うことを強要される。
このような屈辱は誇り高いニューアルビオンの住民全体の屈辱となっており、先の対ガリア戦争でも問題になった。皇帝派に組みする人が少ない遠因でもある。
「正規軍として認められるなら良い」
「残念ながらまだ男爵には連隊創設の勅許は下りていません」
「妻を穢されたというのに、悠長に許可を待っていられるか!」
男爵は怒鳴った。
妻を辱められた翌日、男爵は独立派討伐の為に連隊創設の許可を帝国に求めた。しかし、許可を与える本国の政府機関へ手紙が届くまでに片道でも一月はかかる。そこから審議を経て返事が戻るには更に二ヶ月はかかるだろう。
一応、チャールズタウンの総督とサクリング提督の推薦文も同封しているが、申請が却下されると再提出のために更に遅れる。
一刻も早く妻を辱めた独立派を滅殺しようと考えている男爵に待っている時間は無い。
男爵は即に行動を開始していおり、前述の通り問題になっている。
このままでは数少ない皇帝派の貴族を帝国自らの手で処罰しなければならなくなる。
独立派と皇帝派で真っ二つに分かれているチャールズタウン周辺で、皇帝派の一員を処罰するのは帝国にとって痛手である。
しかも私兵とはいえ男爵の部隊は千人近くに膨れあがっており、兵力が少ないニューアルビオン駐屯軍にとっては貴重な戦力だ。これを潰すのは惜しい。
何とか男爵を帝国軍の指揮下に入るよう説得するために送られてきたカイルは必死に考えた。
「あの、指揮下に入って貰えませんか?」
「あんな木偶の将軍元になど行かん」
転生前に視た某アニメの魔王の様な声でグレシャム男爵は答えた。
「それは同感ですね」
「レナは黙っていて。いや、将軍ではなく、私の連隊の一部隊として入って貰えませんか?」
「なに?」
意外な提案に男爵はカイルを見た。殺人光線が出てきそうな視線にカイルは怯んだが、提案を続ける。
「男爵の怒りはごもっともです。私も大変お世話になったメアリー夫人を穢されて憤っています」
これは嘘ではない。お世話になった夫人の亡骸を乱暴されたことをカイルは憤っている。
そのエネルギーは男爵の一億分の一程度だが、少なくともレナの次に死んで欲しくない女性だったため怒りは相応にある。
「しかし男爵が勝手に軍を動かし、指揮下にないのも由々しき事です。そこで提案ですが私の連隊に入りませんか」
「私が編成した軍だぞ」
「勿論です。ですから形だけでも。せめて正式な編成認可が本国から届くまでの間、私の連隊の一員として指揮下に入っている形にします。自由に行動できるよう配慮しますし、訓練が受けられるよう教官も送ります。認可が下りればそのまま独立して頂いて結構です」
「……ふむ」
カイルの提案に男爵は考え込んだ。
「私のやり方を許してくれるか」
「はい」
「穢された妻の無念を晴らしてくれるか」
「勿論です」
カイルは即答してしまった。確かに夫人を穢された事にカイルも怒っている。
しかし、男爵の形相があまりにも怖すぎてその場を切り抜けたい思いから肯定してしまった。
「……一寸待てカイル、いや連隊長」
脇で話を聞いていたキースが慌てて口を挟む。
「ウチの連隊にバケモノ……いやグレシャム男爵を入れるんですか?」
「そうだ」
「しかし、指揮系統が」
「大隊をもう一つ作れば良い。大隊長をグレシャム男爵にすれば良いんだ」
「連隊に二つの大隊なんて聞いたことありませんよ」
アルビオンに限らず、エウロパ諸国では連隊一つにつき大隊は一個が普通である。大隊は、連隊の管理のため、給与を支払ったり経理や総務を担当する部署としての位置づけだった。
「あとで連隊が分かれるとき簡単だろう」
「部隊が二つに分かれるのは看過できません。反対します」
「そうか……」
キースの強硬な反対意見を聞いて、カイルは悲しくなった。
「なら最終手段をとるしかないな」
「え?」
「ベンネビス歩兵連隊を男爵に売る」
カイルの提案を聞いて、キースは血の気が引いた。
連隊は貴族の財産である。財産であるため売買可能だ。
ランツクネヒトもゲルマニア貴族の連隊をアルビオン帝国が買い上げたのだ。
グレシャム男爵も貴族であり、売買可能な立場だ。
勿論認可は必要だが、下りるまでの間、連隊の指揮権を仮渡しすることも出来る。
つまり連隊長の職を譲ることが出来るのだ。
「……待て、いや待って下さい。つまり私たちベンネビス歩兵連隊は男爵の指揮下に移ると」
「そうなるな」
「そ、それはどうかと。父君に聞いて見ないと」
キースはカイルの父であるケネスの許可を取ってから移すよう説得を試みた。
実際は時間稼ぎであり、バーサーカーとなった男爵の元で連隊の指揮などしたくない。
少しでも連隊が売られるのを防ぐ為、キースは必死になった。
「僕の連隊だ。好きにさせて貰う」
だが、カイルは本気だった。
男爵の非正規の部隊が行動するより正規の部隊に編入してしまった方が良いと考えていたからだ。
「しかし、それ相応の資金が無ければ連隊を買うなど」
「先祖代々の領地とこれまでに得た資産があるが」
ニューアルビオンでも豊かなチャールズタウン周辺に代々の領地を持つグレシャム男爵にとって連隊を買えるくらいの資産は充分に持っていた。
連隊創設を願い出ないし、何より部隊を作ることなど出来ない。
「何ら問題が無いね」
カイルの決意を知って、キースは観念した。
「……分かりました。新たな大隊を創設します」
嫌そうにキースは答えた。狂信者の指揮下に入るよりマシだが、その狂信者を指揮下に置くのも嫌なのだ。
「ありがとう。男爵、宜しいでしょうか?」
「……分かった」
男爵は立ち上がり、自分の部隊へ向かって歩き始めた。
そして兵士達の前に立つと男爵は演説をはじめた。
「諸君! これより我々はベンネビス連隊の下で戦う事にした。だが、独立派や共和主義者を名乗る悪魔共を根絶やしにすることに変わりはない! 自由平等をのたまっているが混沌、無秩序を言い換えただけである! 連中のいう自由は人を踏みにじる自由であり、悪行を正当化するための方便である! 連中が好き勝手にするのを我々は見過ごしてはならない。共和主義者、独立派が最後の一人まで根絶やしになるまで我々は戦い続ける」
『おおおおっっっっ』
士官を中心に上がった歓声が思ったよりも大きいことにカイルは驚いた。
独立派の連中が暴れることで迷惑を被っていることは聞いていた。
帝国に対してだけでない。現地の皇帝派に止まらず、中立派の住民に対しても独立派による嫌がらせがあり、時に略奪行為があるのは聞いていた。
特にチャールズタウン周辺では皇帝派と独立派が拮抗していて争いが激しい事も。
独立派からの略奪や暴行を受けて皇帝派である男爵の元に駆けつける人間も多い。
独立派と戦う大きな戦力が自分の所有する連隊の元に入ってくれたことをカイルは喜んだ。
こうしてグレシャム男爵の部隊はカイルのベンネビス連隊に第二大隊として配属され、戦闘を繰り広げることになる。
一方キースは副連隊長としてグレシャム男爵の暴走を止めるため胃の痛くなる日々を過ごすことになる。




