ガリアの王女
「失礼します」
司令官室へ乱暴に入って来たのはガリアの女性士官、それもカイルに見覚えがある士官だ。
「ガリア王国海軍フリゲート艦ヴェスタル艦長マリー・メロヴィング海佐。サクリング提督との会談を求めます」
ガリア王国の王家であるメロヴィング家の息女マリー。つまりガリア王国の王女だ。
高貴な身分でありながら、海軍への入隊し活躍している。
カイルも以前に何度か会ったことがあるものの、関係は良好ではない。
ガリアは反エルフの感情が強く、特に王家では強い。以前、カイルがマリーと出会ったときも険悪な空気が立ちこめた。
今も彼女はカイルに蔑んだ視線を浴びせた。しかし直ぐに視線をサクリング提督に戻し会話を再開する。
「我が艦への補給を再開して頂きたいのですが」
「現在はニューアルビオンの情勢が切迫しておりまして、人手が回せません。業者も手が回らないようでして、如何ともし難く」
「ほう、アルビオンはニューアルビオンの統治が出来ないと」
「そのようなことはありません。確かに不穏な動きがあり警戒を要しておりますが、帝国は断固とした対応を取ります。ただ軍が民間人に命令を下して作業を強制することは出来ません」
「ガリアとの友好関係を維持したくないがために、補給を取りやめるなどの嫌がらせを行っている、と思いましたが」
「そのような事はありません」
サクリングは明確に否定した。
ガリアとの友好関係を維持したいのは本当だ。反アルビオンでエウロパ諸国が同盟を結びつつある現時点は、アルビオンが戦争に突入するのは危険だ。何としてもガリアとの友好関係を維持したいと思っている。
しかし、帝国海軍の根拠地であるチャールズタウンをガリアに監視されるのは心地良くない。サクリングは不本意な手段だったが、業者に圧力を掛けてガリア艦への補給を遅延させていた。
業者は帝国海軍への納入で生計を立てており、補給を遅延させなければ別の業者から納入すると耳打ちしていた。
そんためにガリア艦への補給が遅れていたのだが、そのガリア艦の艦長であるマリー・メロヴィングは直ぐさま抗議に来たという訳だ。
「ならば、補給をお願いいたします。あと乗員の半舷上陸も行いますので」
「町は今混乱しております。不用意な上陸は危険でしょう」
「サクリング提督でも抑えられないと」
「……残念ながら独立派を名乗る連中が繰り出してきております。上陸すれば乗員が騒動に巻き込まれるでしょう。上陸は避けるべきかと」
「乗員にとって上陸がどれほど貴重か、艦を指揮していた身としてはご存知ない訳がないでしょう」
「分かりました。ではチャールズタウンの一画のみに限定させて頂きます」
「監視ですか?」
「上陸する乗員の安全を守るためにです。詳細は副官からお伝えいたします」
「わかりました。ありがとうございます提督。この事は間もなくやってくる通報艦を使って本国に必ず伝えます。それでは失礼いたします」
満足な回答を得られて丁寧な笑顔で提督にお礼を言ったマリーは部屋を出て行った。
「ガリアは手強い奴を送り込んできましたね」
一連のやりとりを見ていたカイルが感想を言う。
「下手に扱おうものならガリアとの関係がこじれる。それを見越してのことでしょう。しかし、情報収集及び工作の拠点をガリアに与えることになります」
軍艦は治外法権が認められており、例え他国の港でも艦内は自国の法律が適用される。
そのためアルビオン帝国海軍の軍艦は諸外国の当局が乗艦する事を拒否できる。
逆もまた然りで、アルビオン支配下のチャールズタウンの港内でもガリア王国の軍艦上はガリア王国の主権がある。
ガリア艦内にアルビオンの憲兵隊が入って調査することは出来ない。
「上陸させれば独立派と接触する事は目に見えています。資金援助、武器の提供も行われるでしょう」
「分かっているが止めることは出来んよ」
サクリングは顔をしかめた。カイルの言う事には同意だ。
ガリア王国が王女を送り込んできたのは、彼女が艦長ならアルビオン帝国が手を出せない、妨害できない、対抗手段が取れない、と計算しているためであろう。
「流石にあからさまな武器援助はしないだろうが、情報提供、資金提供くらいはやるだろうな」
「ガリア艦も情報収集しており、ニューアルビオンの情報がガリアに筒抜けになります」
どの海軍でも平時に世界各国に軍艦を派遣する理由の一つに情報収集がある。海域の地理は勿論の事、寄港地の風俗、政治、文化、歴史、人間関係など必要な情報を集めるために派遣される。
治外法権を最大限に活用して、相手国が踏み入ることのない情報収集の拠点として活動する。
「先日もガリアの通報艦がやって来てフリゲートと連絡を取っていた。詳細な報告を本国に送っているはずだ」
軍艦には無害通航権があり、敵対行為、主権を侵害する行為が行われない限り、領海内であっても軍艦の航行を止めることは出来ない。
「結局、受け入れる事しか出来ませんか」
「そういうことだ。以上の時局を鑑みて、暫くはチャールズタウン及びその周辺の皇帝派の掌握に努める。君は暫く司令部付きとして陸軍との連絡を頼む」
「陸上勤務ですか?」
カイルは思わず尋ね返した。
確かにバルカンを喪失したのはロックフォード海佐の責任だが、カイルは乗艦を失ったために艦がない。
だが切迫した状況の中、新たな艦が与えられるだろうと楽観していたカイルにとって予想外の回答だった。
カイルの失望した顔を見て、サクリング提督は済まなさそうに事情を説明する。
「有能な君に艦を渡したいところだが、艦艇は不足している。工廠も今ある艦の整備で手一杯だ。増強sるよう指令は出しているが、現存する艦艇の修理が先だ。先の戦争のあと、軍縮が行われて工廠の人員も減らされていたからな。対応できる仕事能力に対して修理を要する艦が多過ぎる」
「つまり私の艦は無いと?」
「そういうことだ。本来なら直ぐに渡したい状況だが仕方ない。あと非常に申し訳ないが陸上の情勢が緊迫化している。陸上での任務にあたって貰いたい」
「陸戦隊か海兵隊を指揮しろと」
海兵隊は艦艇に派遣され、士官側に立って作戦行動を行う独立した部隊だ。白兵戦、上陸戦闘の専門家である。
一方、陸戦隊は各艦艇の乗員が一時的に部隊を編成して陸上戦闘を行う部隊だ。
臨時編成であり、手空きの乗員を集めて指揮する。海兵隊では手が足りないときに使われる事が多い。
「いや、君にやって貰いたい事は、陸軍との折衝や近隣領主の懐柔などだ」
「私は海軍一筋ですよ。陸の事など分かりません」
命じられたのは陸の仕事であり、しかも対人折衝だ。勿論重要であるとカイルは解っているが、船の上にいたいのが本音だ。
船は洋上で自由に動けるが、補給、修繕が行える寄港地があってこそ。
その港の後背地を安定させるために近隣領主を掌握することは必要だろう。
しかし、カイルがしたい仕事ではない。
何よりエルフであるカイルは人受けが悪い。
露骨に顔をしかめるカイルにサクリング提督は諭すように言う。
「君は公爵公子で一応連隊を持っているだろう。その君が連隊長を務める連隊が到着した。それに君の部下であるミス・タウンゼントの父上も着任された。さらにこの町で再編成中のランツクネヒト第二連隊の連隊長とも懇意にしている。適任だと思うが」
「……わかりました。提督のご命令に従います。しかし、近隣領主の懐柔ですか? 私には不適任だと思うのですが」
「いや、君しかいない。何しろグレシャム男爵相手だからな」
「……お帰りになられたのですか?」
その理由に思い当たったカイルは恐る恐る尋ねた。
「ああ、療養先で夫人が亡くなられた」
「……そうでしたか」
先日、バルカンで南の療養地へ送り出した際に、夫人が乳ガン、それも末期だという事を知った。
夫人の命が長くないであろう事はカイルも予想できた。しかし余りにも早過ぎた。
些か奔放な所もあるがカイルにも優しくしてくれた恩人であり、カイルは心からその死を悼んだ。
「それで問題が起こっている。君には弔問と共に男爵を説得、いや抑えて貰う」
「男爵を皇帝派へ向かわせる懐柔工作ですか?」
弔問を理由に男爵を訪問して、皇帝派に取り込むよう説得工作を行えと提督は言っているのだろう。カイルはそう思った。
冠婚葬祭を建前にして訪問して交渉するのは何処の世界も同じだ。
「そういうことなら行きたくありませんね」
心から夫人の死を悼みたいカイルであり、そのような工作はしたくない。出来れば断りたいぐらいだった。
しかし、サクリング提督は必死の形相でカイルに言う。
「違う! 暴走を止めるためだ。それが出来るのは君しかいない。男爵を止めてくれ」
「は、はい」
普段見られない上官の焦った顔を見て、カイルは思わず命令を承諾してしまった。




