凶報
最初サブタイトルを<訃報>とさせて頂きましたが投稿後、違和感が出てきたので<凶報>に変更させて頂きます。
2018/2/20
開闢歴二五九三年一二月二五日
その報せがカイル達にもたらされたのは海軍省で新たな辞令を受領した直後だった。
「ゴードン・フォードが海尉に任官したわ」
偶々海軍本部に来ていたクリス・クリフォード海佐と出会った折に伝えられた。彼女はカイルの昔からの知り合いであり、先ごろ海佐への昇進も果たしている。
カイル、レナ、エドモントは露骨に顔をしかめた。
本来なら昇進というのは喜ばしいことであり、祝うべきだが、その対象へのカイル達への心証が悪すぎた。
カイル達にとって、ハッキリ言って状況が悪い事を知らせる凶報、訃報と言える。
実際、ゴードンの昇進を聞いた瞬間、カイル達の心は死にかけた。それほどの衝撃だった。
ゴードン・フォードは、カイル達が入隊して直ぐに乗艦した戦列艦フォーミダブルの先任士官候補生だった。
その時点で二十歳を超えていたゴードン・フォードだが海尉任官試験に落ちること九回を重ね、未だに昇進できずにいた。
なにしろ勉学が身についておらず、任官試験、公開口頭試問で碌に回答できない。
それ以上に帝国有数の名門貴族であるフォード家の嫡男という地位を傘にきた傲慢な性格で、同時に虐め好きなサディストで粗暴者。憂さ晴らしのために、当時入隊して間もなく序列最下位だった者、カイル、レナ、エドモントをバットで叩くなどの虐めを繰り返していた。
転属でゴードン・フォードから離れるときには、三人は心底喜んだものだ。
少なくともゴードンが正規の試験を受けて任官することはあり得ない、コネか碌でもない戦果を上げての特進のみ、というのが三人の共通見解だ。
だからカイルは口端を歪ませ、レナは露骨に舌打ちした。
エドモントはカイルとレナよりゴードンの付き合いが長く、虐められた期間も長かったため、恐怖で身体が固まり、顔面を蒼白にした。
「で、何をやらかしてくれたんですか?」
カイルはクリスに尋ねた。何が起きたかを確認しなければ。状況が悪い事は間違いない。
粗暴なゴードンが昇進できるのは戦時昇進以外にないが、対ガリア戦争の時に活躍したという話は聞いていない。
となると何か良からぬ事が怪我の功名と転じて、彼を昇進させてしまったと考えるのが自然だ。
カイル達に悪事を行ったのではないかと疑われるゴードンだが、本人の日頃の行いのせいである。
「人の悪口を言うものではないわ。まあ仕方ないし事実だけど」
クリスはたしなめつつも、カイルの意見に同意した。
ゴードンの元婚約者であり、婚約発表の場でゴードンに辱めを受けたため、海軍入隊を決めたクリスである。
彼女の方がゴードンの事をよく知っており、ゴードンの性格ではカイル達からそのような評価は仕方が無いと諦めていた。もっともクリスの評価もカイル達の評価と大同小異であるが。
「新大陸領、ニューアルビオンの事は知っている?」
「ええ、先の戦争の講和条約で旧ガリア領が引き渡されてニューアルビオンに編入されたことは知っていますが」
ガリアとの戦争に勝利したアルビオンは新大陸にあるガリア領を賠償として受け取っていた。
「新大陸のアルビオン領は二倍に増えて、面倒事も増えた」
「そう」
クリスはカイルの言葉を肯定した。
領土というのは富の源泉のように見えるが、的確に統治してのことだ。治安が悪くては問題外であり、良くても税金を徴収する役人を雇わなければ収入は得られない。
そして行政サービスが整っていなければ人は住めない。
収入を得られるようになるまでに多大な投資が必要になる。
特に戦争で混乱した土地となれば尚更である。
しかもガリアとアルビオンでは植民地に対する考え方が違う。
ガリアは広大な土地を領有する割りに入植者が少ないためか、原住民との交易で産物を得ている。領土が広いのも交易相手の原住民を増やすためであり、入植者の人口は少ない。
一方、アルビオンの方は入植者が多い。何故なら植民地を開墾して大農場を経営するのが目的であり、狭い領土に人口が多い。
「スカスカだった領土に警備や行政対応のために新たに役人が派遣され、軍隊が駐留することになったわ」
そのためアルビオン本土から行政官僚と陸軍部隊が派遣され、現地に駐屯することになった。だが駐留するには経費が掛かる。しかしガリアとの戦争で戦費が嵩んでいたアルビオンにそんな予算はない。
新たな収入源を得なければ国庫は破綻してしまう。
「そこで植民地から新たに課税して経費を賄うことになったんだけど」
「反発された」
「そう」
カイルの言葉をクリスは認めた。
新たな税金をかけられて頭にきた植民地の人々は反対運動を各地で起こした。
「無理もないですけどね」
新大陸に駐留していた経験があり、ある程度事情を知っているカイルはしみじみと言った。
植民地に新たに税金が掛けられたが、本国からすれば今まで無税だったのを徴収するだけだ。
植民地の開発は、政府主導で行われたが金が無いときに始めた事業のため、植民地の人々行政サービスを提供することが出来なかった。勿論、徴税など出来るはずがない。
精々、開拓の勅許状が開拓民に与えられ、アルビオン領として宣言した程度。他国が勝手に上陸して植民地にしないようにアルビオン帝国が睨みを利かせる程度のことしかしていない
そのため植民地の人々は自活して原野を切り開き、自分たちの農園を作った。
武器を所持して、本国なら貴族しか出来ない猟が出来ると自慢していたが、実際は生活が厳しくて猟をしないと生きて行けず、原住民の襲撃から身を守るためだ。
そうした状態が百年以上続いた。税金を取られるのは船で交易を行うときに掛かる税金ぐらいで他は無税だった。
植民地の自治に関しても国王が認めた総督がトップに立っていたが、彼を補佐する植民地議会は植民地の住民から選出されており、彼等が実権を握ってる。本国では植民地自治を問題視する声もあったが、植民地開拓の勅許状にも書かれているため大きな問題とはならなかった。
だが、ガリア戦争や十年戦争で新大陸領が戦場になり、それぞれの本国から軍隊が入り、行政組織が出来始めたことで情勢は変わった。
行政組織は増えていくのに新大陸からの収入がほぼ無いため、予算は本国からの持ち出しとなる。これに頭を悩ませた本国はここに来て新大陸の植民地から税金の徴収を決定した。
だが、突然税金を払えと言われたニューアルビオンの人々は反発。
これまで殆ど見捨てたような状況だったのに今更保護者面するな、という感情が出ている。しかも本国の一方的な決定というのが気に食わない。
代表無くして課税無し、と訴えて反対運動を開始した。
しかも本国を追われた共和主義思想の過激派も加わり、過激な行動を取るようになっている。
「本国が勝手に税金を決めるなんて怒りますよ」
「そうね。勅許状にも書かれていないし」
「勅許状?」
勅許状の意味が分からないレナがカイルに尋ねた。
「新大陸アルビオン領で開拓することを皇帝陛下が開拓民に認めた勅許状だよ。正確には、勅許状に徴税の権利が帝国政府にあるのか植民地議会にあるのか明記されていないんだ」
そのため双方が徴税権は自分たちが持っていると主張して言い争いになっている。
「普通は国に徴税の権利があり、明記されていない限り帝国政府が持っているよ。だが自治を行ってきた植民地議会にすれば自分たちの権利を脅かす不当な決定に見ている。植民地への軍隊の駐留は再びガリアからの侵攻があったときの備えに必要なんだけどね。その経費を賄って欲しいだけなんだけど」
「本土からの予算で駐留していたし、戦争していたのにね」
クリスは嘆息する。植民地で戦われていたにもかかわらず、これまでの戦費の殆どは本土からの持ち出しだったことに本国政府の関係者は怒っている。
一方植民地の人々も戦場で戦った自負もあり、余計なお世話だと思っていた。
こうして同じアルビオン国内にも関わらず、本土対植民地で対立することとなった。
「勿論穏健な人もいて、この前議会で証言したジョサイア・リードのような方もいるわ」
新大陸アルビオン領、ニューアルビオン出身ながら印刷業を営み、様々な著書を執筆した知識人としてリードは有名であり、エウロパ諸国にもその名は轟いている。
その彼は本国に来てパンフレットを出版し、植民地の現状を伝えると共に、議会で訴えた。
「ニューアルビオンにおいては自由を求める熾烈な欲求は変えようがありません。何故ならアルビオン帝国の血が流れているからです。自らの出自故に変えることが出来ないのです。奴隷の身分に落とされて黙っているような事はできません。必要なのは軍隊や官僚では無く愛情です。納税や法律によって政治が行われるとお考えでしょうが違います。政府の国民に対する愛情と国民の政府への愛着です。この結びつきこそが国家であり、これが崩壊すれば政府は無くなり、陸軍はごろつきの集団となり、海軍は朽ち果てた木となるでしょう。どうか寛容の精神をもって未開の荒野を開拓した国民を迎えて貰いたい」
老齢ながらも何百人もいる議員の前で行ったリードの話は、今帝都では一寸した話題だ。
「けど、不遜すぎない? 政府に文句を言うなんて」
カイルとクリスの話を聞いていたレナが尋ねた。
「まあそうなんだけどね」
不承不承にカイルは肯定した。
アルビオンには議会があるが、選挙区の殆どは本土にある。しかも、選挙区の偏在が著しく、議員の質も良くない。
「本国の決定に逆らうとは反逆にも等しい。分を弁えろ」
と庶民院――下院のノートン議員が発言したくらいだ。
帝国本土の政府と議会、そして皇帝陛下に絶大な権力があると考えている議員にとって植民地が異議を唱えることは反逆に等しかった。
「まあノートン議員の意見には概ね賛成なんだけど、もう少し言い方があるんじゃないの? 庶民院の出身なんだし」
「ノートン議員の選挙区は彼のポケットの中にあるんだよ」
「? どういう事?」
「有権者の数は精々百人程で全員がノートン議員の店子だ。いわゆる腐敗選挙区だよ。著しく選挙人の数が少ない選挙区が地主や貴族などによって家を買い占められ、選挙人全員が大屋である地主によって指名された議員に投票する選挙区なんだよ」
「なんでそんな選挙区があるの?」
「議会が出来たとき主要な町や地域に議席が公平に分配されたんだ。ところが、その後選挙区の区割り見直しがなされていない。区割りが成された後の数百年の間に新たに街道や町が出来て、選挙区を割り振られた町が衰退して人口が激減してしまったんだ。それでも古来よりの権利と主張され、町から議席を奪われることは無かった。そのため投票者十数万人の都市と投票者十人の集落であっても選挙区として認められていれば、同じ数の議員を出す事が出来るんだよ」
現在五〇〇名の議員を持つアルビオン帝国庶民院には投票者百人以下の選挙区が二〇〇前後もあり、五十人以下も一〇〇近くある。
近年、日本でも選挙区見直しで参議院で県を跨いだ合区が問題になったが、見直しを怠るとどのようなことになるか、極端ながら示す一例だ。
重要なのは、そうした選挙区の殆どが地主や貴族の持ち物であり、庶民の味方である筈の庶民院に多数の貴族勢力が入って来ていることだった。
彼らは執拗に「植民地に掛かる予算は植民地から得よ」と訴えていた。植民地の住人に理解を示す議員もいたが少数だった。
「じゃあ選挙区の見直しをしたら?」
「既得権益を持っている貴族達から反発されるよ。だから見直しは成されていないんだ」
「カイルは反対なの?」
「……」
「……まさか持っているの?」
「クロフォード領は最果ての北の町でね。新しい町が出来て寂れた選挙区があるんだよ」
公爵家の嫡男として一応は家の事情に通じていた。カイルがエルフという事情もあり、正論でも反発を受けるような提案をすれば、公爵家が取り潰しになる恐れもある。下手に刺激しないため、選挙区の改革などクロフォード公爵家からは言い出せない。
「けど、これはという有能な人じゃないと議員にはしないよ。父さんはそこの所をよく考えている。リード氏が議会で証言出来たのも父さんの指示を受けた議員の提案だからだ。でも、議会には耳を貸す人が少なくてね。そんなわけでリード氏の言葉は無視されて、植民地の意見が伝わらず、不満が高まっているんだ」
「そこで、ゴードンがやらかしたと?」
「そう」
レナの言葉をクリスは肯定した。
「表向きには独立派の住民から不法武器を押収した功績が認められているけどね」
「実際には違うと?」
「ええ、発表と報告書では違うわ」
当時、ニューアルビオンへ新たな軍隊が駐留するため兵舎を増築する必要があった。そのため民間から木材調達を行う事になった。
植民地の経済を活性化させるため、また皇帝派の住民を援助するために民間からの調達となったのだが、独立派の妨害が予想されていた。そこで護衛を付けることになったが、その護衛に任命されたのがゴードン・フォード海尉心得だった。
「ゴードンは武装スクーナーを与えられ、商人の護衛をしつつ木材を調達する町に行ったの。でもその町は独立派が多くて、調達は認められない、と住民が反発。これを聞いたゴードンは海兵隊を上陸させて売るように迫った。武器を突きつけられた住民は一旦容認するがゴードンの態度が気に入らず値を吊り上げた」
再びゴードンは怒り、代金を投げつけると倉庫から木材を勝手に持ち去った。
「厄介な事に、その時、倉庫内で不法に貯蔵されていた武器が見つかったの。独立派の過激な一派が武力闘争も辞さぬと息巻き、密かに集めていた武器だったの。その武器を見つけたゴードンは材木商をすぐに拘束した」
そして独立派側の民兵――自警団組織が駆けつけてゴードン達に銃を発砲。戦闘となった。
だが海兵隊の攻撃の前に民兵は敗退していった。
こうしてゴードンは木材を手に入れ、不法な武器を押収し、反逆者を蹴散らした。
「立派な行動ですね。表向きには」
だが、一触即発の緊張状態にあった独立派と戦端を開いてしまった。
植民地側は態度を硬化させ、各地で反帝国運動が巻き起こり、独立運動が盛んになってしまった。
「帝国はゴードンの粗暴な行動を隠すため、不法な武器の所持と民兵側の反乱を声高に糾弾した。一方独立派の方は、ゴードンの不法と倉庫からの商品強奪を訴えているわ」
「一応どちらも真実を話していますね。でも同じ事実でも双方が出来事をパーツ毎に分解してそれぞれ都合の良いように組み立てて相手のことを非難しています。これじゃあ平行線を辿ったままだ」
そのため、双方の話し合いは決裂し、内乱の気配が生まれようとしていた。
「やれやれ、綿花の輸入先なんだけどな」
話を聞いていたエドモントがぼやく。彼の実家は紡績商であり、紡績工場を保有している。羊毛を主に使っているが、綿を使った商品も作っている。
その綿花の最大の仕入れ先はニューアルビオン南部だ。混乱が広がれば綿花の輸入が滞る。
「だったら大事にならないように次の任地では一生懸命任務をしよう」
レナが拳を振り上げて訴えるとクリスも同意した。
「そうね。私たちは新大陸へ行くのだし」
クリスの声にカイルとエドモンドも頷いた。
カイル、クリス、エドモント、レナの新たな任地は新大陸となっていた。
かつての上官であるサクリング提督率いるニューアルビオン戦隊への異動命令を海軍省から受けている。近日中に出発予定だ。
「だから、英気を養うべく。僕の家でユックリしてくれ」
カイルは他の四人を誘い自分の家に招待していた。
観測航海での労をねぎらう意味もあり、カイルは張り切っていた。他のメンバーにも声を掛けていたが何故か断られた。
「そうね。少しお金が足りないから有り難くご馳走になるわ」
「十分な給金と膨大な賞金もあるだろう」
カイル達はガリアとの戦争で多数の敵艦を鹵獲していた。鹵獲して国に売り払うと一定の割合で捕獲賞金――報奨金が出る仕組みになっており、海軍士官のやる気の元になっている。
「新しいサーベルを買ったのよ。だから少ないの」
「いくらつぎ込んだんだよ。言っとくけど僕も金欠だから、あまり、あてにしないでね」
「何につぎ込んだよ?」
「新しく作った懐中型クロノメーター製作会社に投資してね。金が無いんだよ」
クロノメーターとは、振り子をバネで動かし、あらゆる動揺を受けても正確な時刻を刻める時計だ。
正確な時刻を知ることが出来れば南中の時間を見ることで経度が判るため、航海の精度が高まる。
この世界には正確な時計がまだ無いため、観測航海で実用的なクロノメーターを作り出した技術者にカイルは投資して制作会社を作らせていた。
「本当に航海が好きね」
「海軍軍人なら当然だろう」
レナのぼやきにカイルは真顔で答える。
普通の海軍軍人よりカイルの海に対する愛情は過剰だが、当人にはそれは判らなかった。
「まあ、今夜の宴会分くらいは出せるから安心して」
「親の金でしょう?」
「レナも同じだろう」
カイルとレナは憎まれ口を叩き合いながらカイルの家に入っていき、その姿を見たクリスとエドモントをニヤニヤさせた。
「連隊長!」
公爵家の屋敷に入った時、大きな声が外から響いた。
一堂が振り返ると赤いコート、陸軍の士官服を着込んだ将校がカイルに向かって敬礼していた。
その人物を見てカイルは叫んだ。
「キース兄ちゃん!」