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笑う女神

作者: グノーシス

今回は私が経験したある怪奇譚にひとつお付き合い頂きたい。

あれは2150年の夏でした。

夏といっても、もはや宇宙開拓なみなみたる昨今では地球の四季など過去の風物、私とても宇宙旅行などは数回経験した身です。

およそ100年ほど前ですが、スイスのCERN(欧州原子核研究機構)において、LHC(大型ハドロン衝突型加速器)によって反物質が生み出されてからというもの、古典的宇宙ドラマ、「スター・トレック」のような宇宙旅行は夢物語ではなくなりました。

反物質を保存、貯蓄し、真空状態から電磁場によって少しずつそのエネルギーを推力に変える反物質エンジンの本格的な導入によって、現在地球人が訪れる事のできる惑星は木星までその射程を広げています。

そして、開拓地として開いた宇宙に向けて、地球人たちは国という枠組みを越えた様々な組織、企業体や研究機関といったフロンティア精神の集団を宇宙に派遣しています。

この話もそんな宇宙の旅から始まるのです。


 私は柔らかいシートに躯を預け、虚空に籠もる筋肉の脈動のようなその音を聴いていた。

その筋肉はシート越しに私の躯を心地よく揺すりながら、比推力120万秒の3気筒反物質エンジンが私を運んでいた。

私は新しい開拓地へ向かっているのである。

外は真空である。

窓を見ると、どこまでも変わらない火の海が続いている。

暗幕に炭の粉を散りばめたような、窓の外には無数の星々の光が煌めいている。

それぞれに莫大なエネルギーを秘めたその明かりは、何億光年という空間を越えて私の網膜にたどり着くまでにすっかりその力を萎えさせている。

出掛けこそ、何度見ても私の胸に原始的な躍動を与えるその火の海も、こう数日同じだと倦怠感を募らせる。

反物質エンジンを積んだ旅客船は一路金星へ、暗黒の大海を進む。

私はまた瞼を閉じた。


 私はとあるゴシップ記事の記者である。

今回の旅は、怪奇小説にでも載せるべきある事件を、取材せんがための任を孕んだものである。

事の発端は一週間前。

私のノッドに一件のメールが届いたのであった。

念のためノッドの解説もしておこう。

ノッドとは21世紀の初め頃から、少しずつ世界的に流行し始めた複合メディアの事である。

初めは電話機能の付属程度に考えられていたノッドであるが、テレビやラジオ、音楽プレイヤー等のメディアを取り込み、次第に「複合メディア」という価値観が先行するようになった。現在ではHDドライブの入った、「自律する」パソコンといった状態になっている。「自律する」というのは、トヨヨタ社の開発したASIOがこの複合性を取り込み、「ついてくるパソコン」というコンセプトのもと、アンドロイド開発に乗り出したからである。しかし、現実にはしゃべったり感情を持ったアンドロイドなどは空想の産物であり、我々はその「気持ち悪い発展」は選ばなかった。

結局機械は機械のままである。

せいぜい二本の脚で動き回ったり、声を認識して起動したり、メール着信を通知する程度である。確かに、インターネットの接続や情報検索、大きなデータ処理、同時通訳を、携行するノッドで出来るという事はありがたい事であるが、ドライヤー機能であるとか、冷蔵庫、喫煙機、寝袋などといった追加機能は、必要のないオプションであって、企業の迷走な気がする。

ちなみに新型のノッドは「乗れる」そうだ。

バイクのデザインを車椅子に持ち込んだようなものであるらしい。

そうなってくるとますます運動不足が加速しそうな危惧を感じる。

私のものはその一世代前のノッドではあるが、私の横の座席に「自律するパソコン」がスリープ状態で座っている。

つい長くなってしまったが、ともかく、ノッドに送られたメールというのが、友人の開拓星調査員の一人から送られたものであった。


ー開拓星調査員ビーティからのメールー

「堅苦しい挨拶は抜きにして、ちょっと面白い話をさせてもらうヨ。

なに、君にとってもしばらくは飯のあてに困らない程のネタのハズだ。」


私の友人であるからにはこのような調子で送りつけられたメールである。


「私は今、新しく開拓される事になった金星のプラントに来ているのだがネ、ここで資源採掘の鉱脈労働者が度々変な現象に遭っていて、作業が進まなくなっているのだ。

それも、その現象というのがだネ、いかにも君好みの、ミステリアスなモノだというから、こちらでは酒の肴にも困らん具合になっているノダ。

なんとも、幽霊アリ怪物アリ宇宙人に怪奇現象と、なんでもござれのミステリー見本市のような体なのだヨ。

詳しい事は私から説明するよりも当事者の口述をレポートにしたモノがあるから、是非とも添付したそのレポートを読んで欲しい。」


私はそこまで読んで、なんとも胡散臭い感を禁じ得なかったものである。

しかし私のこういうスノッブな怪奇談が好物であるところは彼の重々知るところであって、添付のレポートとやらを見ないわけにはいかなかった。


私はまた瞼を開けた。

なにしろ金星までの時間は暇なのである。

かつての、金星まで半年というような時間は要さなくなったとはいえ、一週間ほどかかる。

軌道上のデブリ(衛星や宇宙船のネジ、部品などの宇宙ゴミ)嵐や磁気嵐、小惑星帯の状況によってはさらに時間がかかるものである。

人によっては客室のノッドでゲームを楽しんだり、船内の施設でスポーツやカジノを楽しむものであるが、私のような旧人はこの宇宙空間で酸素を浪費することに多大なる嫌悪感を覚えるので、もっぱら寝ている。

もう一度レポートを確認しようと、ノッドを起動させた。


ー鉱脈労働者エリアB82山東隊員の口述ー

「2150年8月2日

私はいつものように、朝になるとフローティングプラントから耐熱船で地表の坑道に向かったんです。

金星の鉱山に着いて、エレベーターで降りまして、作業服に着替えて、作業用ノッドを持って(このような環境で使うノッドは、昔のノートパソコン程度の大きさで、専門的な機能しかついていない。)、坑道を降りていったんです。

私はいつもB82というエリアを担当しております。

チームは三人で、私は一番奥の鉱脈を掘っとるんですが、この日は、その奥に入る時になんだかいやぁな感じがしたものです。

坑道の中といったら暗いもんで、照明なんかは一番奥の作業場にしかないんです。

なんで私は作業服の手元のライトで足元を照らしながら、その作業場を目指してぽつぽつと歩いておりました。

ところがその日は、なにやら地面がおかしかったのです。

いつもならてらてらした岩肌はライトの白い光を反射して、乳白色みたいになるんですが、その日は褐色っていうんですか、赤錆みたいな赤黒いみたいな気持ち悪い色をしてたんです。

異様だったのです。

それがランプの光に揺らめいて鈍くちらつくもんですからね、なんだか嫌な事でも起こるんじゃないかって心配になったんです。

でもまぁ前日の夜も強い合成酒で一杯やってたもんですから、そんな具合でなにか体調でも悪いんだろうなって、仕事をあがったらプラントの医者に看てもらうかなってそんな風に考えて、構わず進んだんです。

なにせ新しい星を切り開こうってんだから、ちょっとした事で作業なんか止められないですわね。

そうしてしばらく気持ち悪い足元をなるべく見ないように進んだんです。

作業場に着いたら照明がありますからね、手前の岩盤を照らすように3メートル後ろぐらいに置いて作業を初めました。

ノッドを掘削機に取り付けましてね、掘削機をまぁ上手いこと押したり動かしたりするのが仕事ですわね。

三時間ばかりも掘った頃でしょうか。

照明が背中から当たっておりまして、照明の後ろは全くの闇なのですが、岩盤に向かって作業しておりますと、なんだか気配を感じるのです。

ふっと後ろを向くんですが、強い照明の光が輪になってまして、ちょっとその後ろってのはよくわからないんです。

なんでこう体を傾けましてね、照明の裏の闇の中を覗いてみるんですが、まぁなにも見えませんやね。

でもなんだか見られてる気がする。

もうこんな日は仕事をするのも嫌になりますね、後ろばっかり気になって掘削に集中出来るも

んじゃありません。

そう考えたら、作業服の顔面のガラスなんかも段々暑苦しくなってきましてね、冷却水が回ってますから作業服の中の温度は一定のはずなんですが、妙に蒸してきましてね、たらたら汗もかき始めたんです。

これは事故でも起こしかねないなって思ってたんです。

そしたらちょうど後ろの照明が、ぶぶぶぶって明滅するわけなんです。

掘削中にそんな事があったらたまったものじゃないんですがね、たまにあるんですよ。

太陽フレアが出たとかね、磁気嵐が起きてる時なんかにはあるんですよ。

ですから私は作業を一旦やめにしましてね、休憩しようとしたんです。

ノッドで宇宙気象情報でも検索しようかと思いまして、起動したんですがね、どうもノッドまで調子が悪い。

画面がなにやら赤くなってましてね、表示画面にもノイズが入ってまして、これは相当強い電磁波でも降ってきたなって思ったんです。

地層のだいぶ下まで届く電磁波ですからね、これは今日の作業は中止だろうと、ノッドを有線に切り替えまして、上から連絡が来るのを待っておりました。

床のケーブルにノッドを接続しますとね、電磁波事故の時なんかケーブルからノッド経由で作業服のスピーカーに連絡が来るんです。

そうしていたら、後ろの照明が完全に落ちてしまったんです。

真っ暗闇です。

上までは手元のライトでも帰れますからね、これは参ったなぁって思いながら、手元のライトを付けまして、ノッドを取ろうとしたんですね。

そしたら耳元のスピーカーから

「B82山東、照明が落ちているようだが、何か異常か?」

なんて声が聞こえてくるんです。

上ではなんともないのかいと驚きましてね。

じゃあこのエリアだけ具合が悪いのかもしれない。

上には

「電磁波の影響のようです、機器の調子が悪い、一度上がります」

って伝えたんですよ。

でも返事が来ない。

それどころか耳元のスピーカーからノイズが出始めたんです。

ザザザザって。

私はもう一刻も早く上がろうってノッドを持って、来た道を引き返しました。

そうするとまたあの暗いてらてらした道です。

さっきより赤みが増したような気がしましてね、赤黒いなかにライトの黄色い反射なんかも混じってますから、なんだか膿んだ傷口みたいな色がてらてらしてるんです。

もう嫌だなぁ気持ち悪いなぁって思いながら、走るみたいな格好で登ってましたね。

しばらく走ってますと傾斜のない所があるんですね、水平に掘った所です。

そこを走ってたんですが、また今度は耳元のスピーカーのノイズがどんどん大きくなっていくんです。

もうザザザザなんかじゃなくてウワンウワン鳴ってるような感じになりましてね、耳鳴りみたいになってたんです。

私も走ってますから息も荒くなります、汗ももうダラダラながれてましたね。

そしたらノイズの中から声みたいなのが聞こえてきたんです。

「………なた…………あなた……………あなた…………………会いたい………。」

って。

その声が地球に残してきた妻の声にそっくりなんです。

私は怖さで幻聴まで聞こえてきたかって思いましたね、妻どころか、この坑道には女性なんかいませんからね。

でも声も段々はっきりしてくる。

しきりに私を呼んでくるんです。

それがどうも後ろから聞こえてくる気がするんですね。

スピーカーに前も後ろもないんですが、もしやスピーカーじゃないんじゃないかって、怖かったんですが妻の声でしょう、3年も会ってないですから、ちょっと懐かしさも感じましてね、振り返って見たんです。

暗い坑道の中をライトが照らし出します。

赤黒いてらてらが円状に浮かび上がります。

もう少し奥かなと思いまして。

自分でもバカバカしいと思いながらライトを奥の方に向けたんです。

そしたらいるんですよ。

足だけ見えたんですけどね、スカートに靴履いた足があるんです。

あるわけないんですよ。

作業服の外は400℃の高熱です。

酸素もない。

そこにスカートの脚なんかあるわけないんです。

もし生身の人間が外気に触れたら、一瞬で体中がぐちゃぐちゃに沸騰してしまうでしょうね。

それに、私は一本道を底から駆け上がってきたんですから。

後ろに人なんかいるわけないんです。

顔は見れませんでしたね。

私は見てはいけないものを見た気がしまして、もう一心不乱に駆け上がって逃げました。

多分叫んでいたでしょうね。

あれが妻のはずがない、妻のはずがないって何回も繰り返していた気がします。

そうやってなんとか坑道から脱出しましてね、息も絶え絶えになって上の監督室に逃げ込んだんです。

上の人間も私の様子を見て、ただ事じゃないって思ってくれたんでしょうね。

説明したらすぐにフローティングプラントまで戻してくれた訳なんです。

それからはプラントでガタガタ震えてましたね。

報せが来たのは、プラントに着いて数時間後ぐらいでしょうか。

地球に残してきた妻が寂しさから自殺したんだそうです。

ちょうど私が坑道にいた時間でした。

金星に来てから3年も会っておりませんでしたから、地球でも色々あったのでしょう。

遺書には

「あなたに会いたい。」

それだけ書いてあったんだそうです。

私も仕事一途な方でして、たまのメールもそっけない感じだったんです。

今では、あの時、顔を見てやっていればって後悔してるんです。

でも、あの坑道に入っていく勇気が出ないです。

あれは幽霊になった妻が、最後に私に会いに来てくれたんでしょうか。」



ーN27エリアAグループに関するレポートー

「2150年8月20日


「2150年8月19日17時20分。

N27エリアAグループが帰艦前の最終確認。


17時23分。

Aグループの5名が大型エレベーターに資材を載せ、監督室からの上昇合図が来るのを待つ。


時刻不明。

Aグループの隊員一名が先程まで採掘していた坑道から見慣れない隊員が現れるのを確認。


Aグループ隊長が所属を問う。返答なし。


17時25分。

上昇合図あり。

Aグループ隊員が所属不明の隊員を発見したと監督室に状況説明。


同伴して上昇するようにとの指示。


同刻。

Aグループ隊長が現れた隊員を大型エレベーターに乗せるも、その際に件の隊員が着ている作業服が三年前のものであり、また作業服自体が非常に劣化しており、機能していることが不可思議な状態であることを確認。隊員内に動揺が広がる。


17時26分。

エレベーター上昇。


隊員内の動揺から隊長が件の隊員に問いかけるも応答なし。


人相は作業服のガラスが曇っていた為、確認出来ず。


ネームプレートから丹野辺隊員であることを確認。


監督室へ発報。


時刻不明。

丹野辺と思われる隊員が何やらつぶやいているのを隊員二名が気づく。


時刻不明。

丹野辺と思われる隊員が苦しそうな呻き声をあげ始める。


時刻不明。

丹野辺と思われる隊員が突然倒れ、痙攣。


時刻不明。

隊長が丹野辺と思われる隊員に意識を問いかけるも動かなくなる。


17時30分。

N27エリアエレベーター、緊急停止。


時刻不明。

隊員が止まったエレベーターに気を取られている隙に、丹野辺と思われる隊員が忽然と姿を消す。


30秒後。

エレベーター落下。


15秒後。

N27エリアエレベーター、発着場の床面に衝突。


この時点で隊長を含めて3名が死亡した模様。


17時55分

救助隊が現場到着。


重傷者2名を保護。


18時30分

救護室に搬送するも一名が心停止状態。


同刻

救助員による心肺蘇生法の実施。


18時35分

心停止状態だった隊員の死亡確認。


2150年8月20日13時10分。

意識を取り戻していた隊員より事情聴取。レポート作成に至る。


レポート内の時刻については隊員からの連絡及びエレベーター制御装置の記録による。



その後の調査により、今回エレベーターが落下した原因は不明であり、丹野辺隊員については、3年前に死亡している事が判った。


尚、丹野辺隊員の死亡原因は、3年前に着用を義務化されていた作業服のエアー流出事故であるが、エアーの流出発覚からエレベーターによる搬送まで一時間ものタイムラグがあり、その間の明細については不明。


丹野辺隊員が酸素欠乏により死亡したのは今回のエレベーターを使用中。


今回の事故における丹野辺隊員に関連する事項については、隊員の動揺を誘うため隊員間への流布は厳禁扱いとなる。


エレベーターの落下原因については制御装置の故障とする。」



ーP6エリア倉庫前担当ジョセフ隊員に関するレポートー

2150年8月22日

「ジョセフ隊員は3年前に金星フローティングプラント事務部に着任し、その半年後に採掘場P6エリア倉庫前に異動となった。

2人制で管理している為、ジョセフ隊員と島田隊員の両名が担当員だ。

島田隊員によると『最初はあまり話もせず、真面目さだけが取り柄のような男でした』というように、勤労態度は至って真面目、無遅刻無欠勤だが、人との会話を余り好まないようである。

彼の発言に不審な所があると思われ始めたのは2150年8月の中頃からであった。

「悪魔に会った。」とジョセフは言ったそうだ。

なんでも夜間に独りで倉庫の監視をしていた時に、倉庫前に赤い光を放つ何かが現れたらしい。

そしてそれは、彼にこう話しかけたそうだ。

「ここはお前達が来ていい場所ではない。

この倉庫にある燃料を爆発させろ。

この星を掘り返すのを今すぐやめろ。

もしお前が自分を犠牲にしてこの星を守るならば、お前の魂は浄化される。」

そう言って、それは消えたそうだ。

次の日もそれは現れた。

よく見れば、大きさは子供程だったという。

それが大人の男性のような低いしゃがれた声でジョセフに話しかけるそうだ。

それは同じ事を繰り返した後、「もしお前が浄化を望まないならば、お前を地獄の業火で焼き尽くす事になる。

我々は警告を与える。」と言い残して消えたそうだ。

彼はそれを島田隊員に伝えたが、島田隊員に笑われた為に上司への連絡を行わなかったそうだ。

奇妙な物証がフローティングプラントに届けられたのはその数日後だった。

ジョセフが勤務している時だった。

彼の前にまた光る何者かは現れた。

しかし、今度は何も言わなかったらしい。

それが消えた時、そこに不可解な物はあった。

それは沸騰した牛であった。

大きな黒い牛の体の皮がいたるところはぎ取られ、むき出しになった内臓や肉が金星の地熱によって煮えたぎっていたのだ。

それはまるで200年近く前に地球で一時大騒ぎになった、キャトルミューティレーションと呼ばれる現象にそっくりであった。

ジョセフは慌てて監督室から数人呼び、その「警告」を回収した。

それがフローティングプラントに届けられた時には、体のほとんどが炭のようになっていたという。しかし、剥ぎ取りの現象は皮のみならず肉や骨にまで見られ、臓器の中央に真円状にくりぬかれた空間が作られていたり、骨の切断面が現在あるどのような刃物でも作れないほど滑らかな切断面であるなど、とても人間業とは思えない有様だった。

また焦げた肉の至る所に五芒星のマークが刻まれていた。

そもそも、なぜ金星の地表に突如死んだ牛が現れたのか。

それにジョセフが見つけた時にはまだ牛は肉があり、それが沸騰している最中だったという。

周囲に牛が運ばれた容器や、輸送の痕跡は見つからなかった。

それに、現れた何者かは、せいぜい12歳ぐらいの子供程しか大きさがない。

何者かが運んだにしろ、その牛の出現の仕方が人間業とは思えないのだ。

ジョセフは絶対に採掘場に戻るのは嫌だと言ってプラント内に籠もり、地球への帰還申請を出している。

また、奇妙な牛の噂は瞬く間に作業員の間に広まり、以前からの怪奇現象の影響もあって、金星には、幽霊だか悪魔だか宇宙人だかわからないが、何者かがいるという事が至極真面目に話されるようになった。」


星野は添付されたレポートを閉じると胸のうちに沸き立つ興奮を抑えるかのようにため息をついて、また目を閉じた。

「どうだい星野クン。

まるで映画の古典、タルコフスキーの『ソラリス』のようじゃないかネ?

いや、もっと奇彩に富んでいるヨ。

ともかく、こういった事件事故の他にも奇妙な出来事が頻出してネ、やれ幽霊に会っただとか、事故で死んだ作業員が歩いていただとか、そうそう、レポートにあった倉庫の燃料も、結局爆発したそうなのだヨ。

原因は不明なんだがネ。

ジョセフの証言を考慮して燃料の備蓄量を減らしていたから、採掘場の上層の一部をフッとばしただけで済んだのだがネ。

ともかく、事故は頻繁するし作業員は怯えきっているしで、作業が一向に進まなくなった。

我々、開拓星調査員も調査をしたんだが、事が事であるだけに原因がわからなくてネ。

なにせ証拠と言ったら炭になった牛と証言だけなのだからネ。

牛はアメリカの南部で養牧されている品種に似ている事は解ったんだが…。

そこで、この金星採掘の出資者達が心理学、神学、物理学等々の学者や、各宗教家達を呼び集めてこの現象解明のための会議を開く事になったのダ。

私はその会議に出席出来るのだが、こういった会議には公へ開かなければならない部分もあってネ。

信頼出来る記者として君の会議への参加を推薦したのだヨ。

まぁどの程度記事にする事が出来るのかはそこで決まることになるが、独占取材だ、是非来てくれたまえ。」


悠久かとも思えた不変の景色も終わりを迎えた。

機内アナウンスが鳴る。「この度は、長期間にわたるご利用誠にお疲れ様でした。

当船はまもなく金星宇宙ステーションに到着します。」

程なくして旅客船は徐々に速度をゆるめ、強い慣性に胃が腹を破りそうな気分になりながら、やっと我々の馴染み深い時速に戻った。

ここからさらに速度を落とし、緻密な方向修正を行いながら金星宇宙ステーションのハッチにドッキングする。

かくして、光の船は停止したのであった。

ここからは念の為、宇宙服を着なければならない。

私は宇宙服に着替え、ノッドを起動した。

私は金星宇宙ステーションに降り立ち、近代的構造物の中をノッドを連れ立って移動し、入星管理局を経由して金星フローティングプラント行きの着陸船に乗り継いだ。

重い二酸化炭素の大気をくぐり抜けるための、不格好な金属クジラのような船である。

フローティングプラントというのは、金星の大気がほぼ二酸化炭素から構成されていることを利用した、いわば浮いた基地である。

生活用の酸素と多少のヘリウムを貯めたプラントは、文字通り金星の大気の中を浮くのである。

宇宙ステーションからフローティングプラントまではおよそ一時間程度、フローティングプラントと一口に言っても、金星内には多国籍、多目的な大小様々なプラントがあるので、この金属クジラはそのプラントのいくつかを回って進む事になる。

調査プラント、住居プラント、テラフォーミングプラント(金星の星の構造が地球と似ているため、大気の状態を地球に近づけて、移住可能にしようと研究しているプラント)、資源開拓プラント、娯楽プラント等、様々なプラントを通り過ぎて、目的のプラントに着いた。

私の目的地は多国籍企業の鉱山資源開発部門が置かれた、企業プラントである。

直下には底深い採掘場が口をあけている。

黒い採掘場の地割れは、あたかも古来の魔女が、にんまりと高笑いを浮かべているかのような半月状をしている。

元から地割れのあったそこが、調査の結果、優秀で稀少な鉱物の産地となることがわかり、採掘場が置かれたのだ。

フローティングプラントに降りたのは私と幾人かの学者風の男であった。休む間もなく、ビーティが駆け寄って来た。

「やぁやぁ、長いことご苦労様!

星野君、さっそくで申し訳ないんだが、30分もすれば会議が始まる。

荷物を置いたらすぐに来てくれたまえ。」

そういって彼は私を空きのゲストルームに連れ込み、手短に施設の利用説明をした。

私はベッドでもソファでも倒れ込みたいという気持ちをぐっと押さえて、会議の取材の為の準備をした。ノッドに着信があった。ビーティからであった。

「そうそう忘れていたヨ、会議室は最上階のエレベーター通路横、第一会議室で行う。

遅れずに来てくれたまえ!」

私はゲストルームのポットからコーヒーを一杯頂くと、会議室へ向かった。



資本家「今日お集まり頂いたのは他でもない、到着までに読んでもらったレポートの現象について解答をもらうためだ。

我々には時間がない。

どれほど資金を浪費する対処案でもいい、われわれにとり最も重要なことは、これからの宇宙時代にイニシアチブを取れる、ここ金星のあたらしい鉱物を採取することだ。

出来るだけ迅速に解を得られるようみなさんにも努力して頂きたい。

それでは早速意見を聞いていこう。

私の右手から順に、この現象について、対処法について、答えて頂く。」


牧師「この現象の全ては悪魔によるものです。

金星とは古来より悪魔の術を使う人間達によって崇拝されて来ました。

証言や、実際牛に五芒星のマークがついていたりと、魔術的な要素が酷く影響していることがわかります。

金星が崇拝されていた当時は、五芒星や、魔女、ポセイドンの三叉の槍といった、金星を象徴、崇拝する邪教の者たちがありましたが、我々がそのような魔術から地球を浄化したはずなのですが・・・。

ともかく、この悪魔の術から隊員たちを守るためには隊員たちの信心を回復することがなにより重要でしょう。

まずは教会を造らなくてはなりません。

ここ、悪魔の星ともいえる金星において、教会のない施設というのは危険極まりないと言えるでしょう。

私が、牧師として赴任しますので、早急に教会を建てることを推します。」


資本家「君は私の友達なので呼んだが、あまりにも荒唐無稽ではないかね?私は信心深い方だが、他の事故についてはどう説明する。

死んだ人間が蘇って現れたというのも、悪魔の仕業かね?」


科学者「まことに話になりません。

そのような虚言こそ悪魔の術と言えます。」


牧師「なんだと!?」


科学者「あなたがた教会の人間はそうやって自分たちの信仰のじゃまになるものは、邪悪の名のもとに辺境に追放してきたのではないですか?

金星の信仰にしたって原初アニミズムにおいては太陽の次に人気の高い天体だ。

魔女にしても五芒星にしても、金星を変わらず崇拝したい気持ちをあなた方ヴァチカンの影響から隠すために生み出されたものだ。

あなた方の足元、ギリシャにおいても金星をヴィーナス、美の象徴とする文化はあるじゃないですか。」


資本家「ではあなたの意見は?」


科学者「レポートを拝見しました所、いわゆる集団幻覚と呼ばれる心理状態に酷く似通っていると思い到りました。

閉所、暗所という現場の状況と、金星という未開の土地柄から、隊員の間に共通の不安意識が芽生え、誰かが吹聴し始めたそういった幽霊の噂が、段々問題を生じるほどに深く影響を与えていったものと思います。」


資本家「なるほど、しかし、エレベーター事故や牛の出現等の物的証拠については、どのように説明する?」


科学者「エレベーターや諸々不可解な機材トラブルに関しては、主に電磁波かなにか、宇宙線の影響かと思われます。

つまり、心理的ストレス下にある隊員達がそういった不可解な機材トラブルを目にした途端、一つのコードとして幽霊話が想起され、全員が幻覚を見てしまったのではないかと思われます。

また、未知の宇宙線によって、突然のアメリカ産の牛の出現も説明が着きます。

実は、最近の研究によりましてテレポートという現象は科学的にあり得る事がわかりました。

いわば思念による物体の瞬間移動なのですが、昔はミステリーの世界の作り話と思われていたテレポート、またはテレパシー、念写、超能力といったものは、脳からの一種の信号であると説明出来るのです。

あるいは物理学の世界でも似たような研究がなされています。

物理学の分野では、力というもの、まぁエネルギーですね、これを4つに分けています。

重力、電磁気力、強い力、弱い力と言われるものです。

重力、電磁気力はもうおわかりでしょうが、強い力とは原子等を結合する力、弱い力は分離させる力と考えて頂いて結構でしょう。

しかし、これらの他に第5の力の体系がある事は以前から仮説として存在しました。

また、4つの力それぞれが同時に加わる事で単独では見られない現象を起こす事もわかっています。

原子物理学の世界では、この第5の力と思われる現象について、ヘリウム元素を用いた実験を行ったところ、ヘリウム元素を別の元素に組み替える放射線を一定量浴びせると、それ以上ヘリウム元素が変化しないようなストッパーが出現するのです。

しかもこのストッパーは空間を超えて作用します。

つまり、別の空間にあるヘリウム元素も、その新しい元素に変化しなくなるという研究報告があります。

ここには何らかの空間を超越した力が存在します。

また、生命にしても、失った器官を置換する能力が現出することはよくみられます。

例えば、視力を失った人が聴覚をますように。

これは、ひとつの細胞が他の細胞の異常に気づいたために、自己調節をしている訳ですが、この一部と全体をつなぐ何らかの能力、それが第5の力と言えるでしょう。

そもそも、物質というもの自体が一つのエネルギーであるという考え方もあり、例えば光エネルギーはフォトンという粒子に過ぎないのですが、我々の身体や思考、物質等も、この粒子の流動であるとも考えられるのです。

そして、我々の未知の4つの力もしくは第5の力が働き、隊員の思考の粒子と何らかの影響を及ぼしてアメリカの牛のテレポートをなし得たのではないかと思われます。

先ほど申し上げました超能力と呼ばれる物のいくつかは、依然、実証が不十分であるとはいえ、このような物質の流動であるという確証も得られています。

金星についてもまだ詳しい調査はほとんど出来ていませんから、金星あるいはこの採掘場の周囲に、そのような現象を起こさせ易くするような地場があるとも考えられます。」


資本家「なるほど、興味深い事だが、では現実的にどのように対処すれば採掘は再開出来るかね?」


科学者「テレポートや事故に関しては原理がいまだに詳しく解明されていない以上、現状ではどうすることも出来ません。もし解明されていればそれこそテレポートを応用した装置等も作れるのですが、ともかく、今出来る事は隊員達の心理的ストレスを軽減させることでしょう。」


牧師「あなただって結局なにも解っておらんのではないか!

専門的な知識を並べ立ててそれらしく説明したに過ぎない!

不安を和らげる?

それこそ信仰に依らなければなし得ない事だ!」


坊主「まぁまぁ。

科学の立場からすると未知のそのエネルギーを、東アジア圏の宗教では宇宙生命と呼んでいます。

すなわち、ブッダの教えなのですが、色即是空、森羅万象、諸行無常といった概念ですね。

仏教ではこれらを悟る事を教義としていますが、要するに全ては一つという意味です。

例えば花が咲いていたら、宇宙生命が花という形を取って現れた。

花が枯れれば宇宙生命が花から出ていった。

そういう風に考えます。

花から出ていった生命はコスモゾーンと呼ばれる宇宙で生命エネルギーが滞留している場所に溜まる。

そしてその生命が次の形で現れるのが輪廻転生なのですが、この輪廻転生が上手くいかない時がある。

強い恨みがあるとか、想いがあるとか、そういった時には宇宙生命がその場所に留まったり、遠い所で影響したり、いわゆる心霊現象ですね、そういう形になるときがある。

そもそも生命自体、現象という風に考えると、先に科学的立場からおっしゃられた、テレポートだとかテレパシーのような万物を結ぶエネルギーが存在してもなんらおかしくない。

なのでそういった悪い霊に対して供養をするという仕事をしてきたのが、我々仏教なのです。

例えば火という現象について考えてみましょう。火には実体がないかのように思えますが、熱と光がある。

生命もこのような物です。

科学的に言えばエネルギーということになる。

先ほどの例えで言えば第5の力は生命エネルギーという事です。」


資本家「では仏教は如何にしてこの状況に対処するおつもりか?」


坊主「供養ですね。

この第5の力はいわば我々の手が出し得ない力です。

科学技術はこの力に手を出そうと試みていますが、決して人間が理解し、利用出来るような物ではありません。

考えてもみてください、この宇宙の隅っこの小さな星で起きた出来事が、宇宙全体と連なっているのです。

人間が宇宙全体に作用出来るというのは傲りです。

金星あるいはこの坑道に、このような霊現象が起きやすい場があるとしても、我々が出来ることはせいぜいその宇宙全体の波を鎮めるよう供養する事ぐらいです。」


科学者「私はその仏教的諦観が気に入らない。

そこまで解っているなら何故傲りなどと言って探求の道を諦めるのか。」


坊主「これは悟らなければ理解出来ない事でしょう。

我々人類など宇宙生命に比べればちっぽけなものです。

その宇宙生命がある法則によって世界を回している。

それに逆らう事は傲りなのです。

まるで子供の反抗期のようだ。」


科学者「唯物科学の立場からすれば、その宗教的な畏敬が人類の進歩を1000年遅らせてきたのです!」


牧師「なにを言うか!

そのようにして人間の実存を奪い、人から世界に満ち溢れる神の御業の偉大さを感じられなくしたのは貴様ら科学者だ!

科学者こそ人間の不幸の源だ!

悪魔の稚児だ!」


坊主「おやおや。」


科学者「およそ敬虔な牧師の発言とは思えませんな!

それでは何故神は私たちのような存在を作ったのです?

完全なる神ならば従順な人間しか作らなければよいでしょう!

これが一神教に共通する矛盾です!

何故神は人間に苦しみを与えるのか説明してみなさい!」


牧師「神は人間の成長を望んでおられるのだ!

神が悩む人に手を差し伸べる事は容易い。

しかし神はより完全な存在へと学ぶ為に人間に苦しみの克服を望まれるのだ!」


科学者「では、我々の科学的探求とその苦しみからの克服は共通の意味を持つのではないですか?

我々が実存を奪ったなどと虚言を吐くのは止めてもらいたいものですね!

大体、資本家と結託して勢力を伸ばしたキリスト教が、そのような事を言うのは間違っています!」


資本家「おい、その辺にしておきたまえ!

この会議にはマスコミも入っているんだぞ!」


ムスリム「いえ、いい機会ですから徹底的に語り合いましょう。

そうしなければ隊員達に具体的な解決は提示出来ないでしょう。」


資本家「むむっ、ではイスラムではこの現象を何だと考える!?」


ムスリム「基本的に我々もユダヤ教キリスト教と同じアブラハムの啓示を原点としていますから、我々の神は絶対不可知である為、このような現象について何か言うことは出来ません。

言えることは、神の現出の多様性の一つということでしょうか。」


科学者「そのような秘密主義がイスラム世界を行き詰まらせているのだ。」


ムスリム「資本主義世界特有の観念ですね。

世界が発展するのならば勝手に発展します。

何もかも理解出来る、分類出来る、対応出来るとする事は傲りであると考える所は我々も他の宗教と共通です。」


資本家「あなたもこの星へは科学の最高峰、宇宙船に乗ってこられたはずだが?」


ムスリム「私は教条主義者でもありませんし、科学を否定するわけではありません。

ただ、神の威厳を否定するものを否定するのです。

キリスト教徒もそうです、三位一体などといって神の霊性を分割した。

そのようなあなた方だからこそ十字軍の惨劇を許し、商船に乗って布教するという矛盾に気づかないのです。

私はこの会議で金星がキリスト教の教義による異星開拓という新たな過ちを許さない為に来ました。」


牧師「貴様らムスリムもジハードなどと称して世界を混乱と恐怖に陥れるテロルを繰り返しているではないか!」


ムスリム「それは一部の原理主義者の蛮行のみを取り上げる西欧メディアによる偏見です。

とかく西欧は物事を同一化させたがる。

要するに全て資本のルールなのです。

世界の全てを価値体系で見ることなど出来ないのにキリスト教は三位一体などといって神の霊性を損なった為に資本主義の泥船に乗らなければならなくなったのです。

貨幣に利子をつけることによって資本に自己増殖装置をつけてしまった。

結果的にキリスト教は資本主義が人間存在を交換価値に貶める片棒を担いでしまった。

キリスト教は唯物科学を否定する権利などありませんよ。」


資本家「いま宗教論争などしている場合ではないのだ!

具体的な解決策を教えてくれと言っているのだ!」


ムスリム「アッラーのお考えを推慮することは出来ません。

祈るしかないでしょう。」


資本家「馬鹿馬鹿しい!祈りだとか祈祷だとか供養だとか!

科学者までもが隊員のストレスを軽減させろと言う!

実際に事故を無くす方法はないのか!?

無いならばそれで良い!

隊員が死ねば変わりの隊員を補充すればいいのだ!

会議はこれで終わる!」


私はあまりの馬鹿馬鹿しいやりとりに途中から聞く気も失せていたのだが、ノッドはしっかり録音していた。

果たしてこんな物を記事にして大丈夫だろうか?

そんな一抹の不安も覚えたが、会議室から怒りに震えた偉い方々が続々と出ていったので私も出て行かざるを得なかった。

ゲストルームでこれからの予定を画策していると、ビーティからメールが来た。


「今日の会議は傑作だったネ!

何せみんな答えを用意してしまっているのだから。

あのメンバーでどれか一つに決定出来る人間がいれば、それが世界宗教ということになるヨ!

上では今後の処置として、隊員達それぞれの信仰に即して、礼拝堂とモスクとお寺と心理セラピストが措かれることになったヨ。

ハッハッハッ!

ミステリー見本市が宗教の見本市に変貌してしまったヨ!

ところで、隊員達の間で、預言者と言われている者がいるんだがネ、これが今では大層な人気を博しており、隊員達は既存の信仰は捨ててその預言者を崇拝しているようなので、取材してみてはどうかな?」


私は胡散臭い話はもう勘弁だと思ったが、とにかく変な流れで終わってしまった会議だけでは記事にしようがないので、予定を繰り上げて現地取材を敢行することにした。

私はノッドから小型カメラを取り出し、フローティングプラントの隊員住居区画へ向かった。

隊員住居区画は薄暗く、すえた酒の匂いが漂っていた。

労働者達はこの汚い廊下と狭い個室、小さい食堂などを生活空間として毎日を過ごしているのだ。

私はまず食堂に向かった。

食堂にはアジア風の顔をした男が合成されたマズそうな麺を啜っていた。

私はその男の横に立ち、おもむろにICレコーダーを出すと、聞いた。

「今回の事件で派遣された記者の星野です。今皆さんの間で預言者と呼ばれる人が噂になっているようですが、その方について何かご存じですか?」

彼は最初急に現れた私に酷く警戒した表情を見せていたのだが、記者という事を聞くと、訴える手段が欲しかったと言わんばかりに、矢継ぎ早に預言者について語ってくれた。

預言者と呼ばれる男は、なんでも金星人とコンタクトを取った男だということである。

彼は次に起こる事故や事件を次々予測し、的中させ、またその事故から金星人が伝えたいメッセージを隊員達に教えているという。

私はその男に会う方法を麺をすする男から聞いた。

彼は、預言者は今坑道で働いているという事を教えてくれた。

私は詳しい場所をメモに取り、坑道へ降りるプラント内の工作船乗り場へ向かった。

ビーティの手回しが効いているようで、説明すれば工作船乗り場の係員は私専用の作業着とノッドをくれた。

作業着には大きく開拓星調査員の文字が書かれていた。

工作船で採掘場まで降りていくと、私は麺をすする男に教えてもらった、R102と呼ばれる坑道へ向かった。

何基も並んだエレベーターは人工培養のカプセルのようだったが、私はとりわけ下層に行ける大型エレベーターの中でR層に向かうものに乗り込む。

大型エレベーターはゆっくりと降下する。

およそ20分もたったころにエレベーターはRと呼ばれる層にたどり着いた。

エレベーター前にいた採掘作業員に、自分が記者であること、預言者と呼ばれる者を探していることを告げると、作業員は6本並んだ坑道の一つを指差した。

預言者は今、坑道の奥で1人で作業しているらしい。

私は作業着の手元のライトをつけ、その坑道に降りていった。

ゆっくりと金星の奥深くまで伸びていく一本の穴を降りていく。

岩のひだは黄色く輝いている。

このようにして金星の中に入っていくと、私は我々が地球から来て金星の内部を蝕む異物のような気がしてきた。

金星の坑道は掘削機で作られた一定の太さの穴で、暗く、作業着を外せば死んでしまう以外は歩きやすい通路になっていた。

そのR102坑道の最深部に、預言者はいた。

彼は掘削もせずに、床に座り込み、何かを待っているかのようであった。

私は声をかけた。


「あなたが預言者ですね?」

預言者はこちらも見ずに頷いた。

「プラントでの会議の事は知っていますか?」

預言者はこちらを見てにやりと笑った。

「知っているのですね。上で話を聞いたんですか?」

預言者は作業着を揺らして笑っていたが、やがて教えてくれた。

「金星人に聞いたんだよ。

地球人は相変わらずバカだってね。

自分達がずっと見られてるのに、その事はとうの昔に忘れてしまったのだ。」

私は驚いた。

「では金星人とコンタクトを取っていたのは事実だったのですね?」

預言者は頷いた。

「あんた、金星が地球で何て呼ばれてるか知ってるか?」

私は意表を突かれた質問に、しばし戸惑ったが、かろうじて「明けの明星、宵の明星」という単語を挙げる事が出来た。

「そうだ。

他にもヴィーナス、アフロディーテ、イシュタル、ルシファーなどと呼ばれている。

ところで、地球の金星の呼び方がほとんど女性名詞なのは知っていたか?」

そういわれると確かにそうだ。

「何故かわかるか?」

預言者の更なる問いに、ない頭を必死に巡らして答えた。

「太陽が最も大きいので男、金星はそれに寄り添うように光っているので女なのではないですか?」

預言者はまたニヤニヤと笑った。

「それは地球人が後からつけ加えた理由だ。

だから月も女性名詞にしたのだ。

本来は彼ら金星人が地球に卵を落としたからなのだよ。」

「卵?なんの卵ですか?」

「はるか古来より金星人のみならず、宇宙に存在する生命体は地球の事を監視していた。

それは地球が生命を生むために条件が整ったからだ。

もちろん地球に生命を生み出すことは、お前たちが神だとか宇宙生命だとか呼ぶものによって計画されていた事だが。

そして、金星の生命に地球へ生命を産み落とす任は任された。

金星人達はそうして地球へ生命全ての源を落とした。」

私は愕然とすると共に、この預言者と呼ばれる男が、単なるSF中毒者のように思えた。

「地球では進化論とプレートテクトニクス論が生命の起源、地球の起源について科学的に説明していますよ。」

預言者の笑いは、もはや高笑いとなっていた。

「地球人はそのなんとか論を信じているが、実際に地球の原初から地球を観察していたのか?

そんな事はできないに決まっている。

金星人たちは見てきたのだ。

地球人の成長を、そして過ちを。

地球人は進化進化というが、実際にその進化の証拠はどこにある?

化石?

そんな物は証拠にならん。

猿から人になった化石、鳥から哺乳類になった化石、魚から爬虫類になった化石、単細胞生物から多細胞生物になった化石、そのどれも見つかってはいない。

全ては金星人の気まぐれで投げ込まれたのだよ。

地球人がせいぜい楽しめる程度にな。

地球の歴史にしたってそうだ。

地球人の科学力など彼らにしてみれば粘土をこねる程度のお遊びだ。

実際、地球の年齢についても、65億年から2万年まで、めちゃくちゃな仮説だらけだ。

それを科学信奉主義だのキリスト教原理主義の特殊創造説だのといった権力によって、地球人はその時々に信じるものを変えてきたがね。

かつてはマヤの民やエジプトの民、イスラエルの民、その他各地の人間の集落に金星人達はその老婆心から覗きに行っていたが、やがて人間は変な物を信じるようになったので愛想を尽かしたのだ。」

「では、神は金星人だとでも言うのですか?」

「いや、違う。

もっと果てしなく偉大なものだ。

人間には想像も及ばん。

私とてその存在は理解できなかった。

理解出来たのは金星人の存在と、地球がただのお遊びだったという事だ。」

「お遊び?

地球は遊び半分で作られたとでも言うんですか?」

「そのようなものだ。

偉大な存在には形がない。

形がないために地球のような形でも存在するし金星人のような形でも存在する。それが形をなした現象が地球であり地球人だと言える」

「では地球人が見たり聞いたりするものはその偉大なものの一部だと?」

「そうとも言える。

地球人が地球から観察するから金星は金星のように見える。

それは金星に来て金星を見ても同じだ。

金星の場に金星人はいるとも言えるしいないとも言える。」

私は訳が解らなくなった。

そこでこの惑星に来た理由を思い出したのであった。

「あなたはこの星で、この採掘場で起きている現象について何か知っているそうですね?」

預言者はじっとりと私の顔を見ていた。

作業着のガラス越しに私を値踏みしているかのようであった。

「これもお遊びだよ。

偉大なるもののありようを、もう一度金星で再現したに過ぎない。

しかし地球人にそれが理解出来るはずもない。

地球人は金星に来るのには、まだ早すぎる。

愚かな癖にテラフォーミングなどと言って金星の二酸化炭素を地球の大気に近づける努力をしている。

偉大なるものの認識すらひとかけらも持っていないのに。」

「では、その金星人のお遊びによって何人もの死者が出ていると?」

「これだけではない!」

預言者はふいに語勢を荒くした。

「今に金星が身震いをする。

そうすると金星上の地球人がこれまでに経験した事のない風が起きる。

地球人はその風によって一人残らず金星から消え去るだろう」

「それは…もしかして、巨大なスーパーローテーションが起こるという事ですか?」

スーパーローテーションとは金星の大気上を4日に1回の頻度で巡る巨大な風の塊の事だ。

地球人は金星のスーパーローテーションの影響から逃れるべく、風速が1キロメートル程度になる地表付近にフローティングプラントを浮かべている。

「そうともいえる。

地球人が名付けたその現象も金星が金星ではなく、また生命でありエネルギーであり物質であり、同じくそれらで無いことを理解すれば解る。

その身震いによって、地球人の作ったものなど、いともたやすく崩れ去り、焼け落ちる。」

私は預言者の言葉遊びに騙されている気分になったのであるが、ともかく、近い内に金星が危険になることはわかった。

私は上に上がってせめてプラント所有者に警告を与えることした。

「あなたは逃げないのですか?」

私は聞いた。

預言者はまた穏やかな微笑を浮かべた。

「生命というものが一つの現象に過ぎないと解れば、死の何を恐れる必要がある?」

私も笑い返した。

「私はもう少しこの地球人たちが何をするか見たいものでね!」

そういってきびすを返した。

私は急いで坑道を抜け出し、大型エレベーターを上がった。

大型エレベーターを上がりながら、私は信じられないものを耳にした。

上がっていくエレベーターの下の、金星に深く掘り下げられた坑道の底から、美しい女の笑い声が響き渡った。

今までに聞いたことのないような大きい、しかし耳元で聞こえるような声であった。

預言者の声ではなかった。

聞いただけで美しい女を想像するような、艶めかしい若い女の高笑いであった。

私は工作船に乗ってフローティングプラントまでたどり着いた。

作業着を脱ぐ手間も惜しい。

私は作業着のヘルメットだけ脱ぎ捨ててプラント内に入った。

足早にプラント内の通路を進む。

最上階の通信室にたどり着いた。

通信室のドアにはロックがかけられており、開けることが出来なかった。

私は中の作業員に聞こえるようにドアを数度ノックした。

ドア上部に付けられたスピーカーから声が聞こえた。

資本家の声であった。

「君に取材の許可は出したが、通信室の前で一体何をしているのかね?

そちらの利用許可は出していないはずだが。」

私は聞こえるか解らなかったのであるが、大声で言った。

「取り急ぎ金星内の各プラントに連絡することがあります!

信憑性には欠けますが、警戒に足る情報だと思います!」

私の叫びは功をそうした。

また上部のスピーカーから声がした。

「私も君に話しておかなければならないことがある。

社長室へ来てくれ。」

私に話さなければならない事?

先ほどの会議の口止めだろう。

心配には及ばない、私のようなゴシップ記者は、信じられない事が前提なのだ。

信じられないような読者の好奇心をそそる話、それさえあればいいのである。

会議は大した内容にならなかったが、今は金星の預言者という、如何にも読者の食指をそそるネタを手に入れた。

後は各プラントへ連絡を入れて、事故現場の写真でも撮れば充分記事になる。

一番近いスーパーローテーションでも後2日後だ。

これだけあればもう金星からはるかに離れた宇宙空間を、故郷へ向けて航行中だろう。

私は社長室へ入った。

入るやいなや、私は屈強な作業員2人に組み敷かれた。

少々手荒な口止めに、私は文字通り閉口した。

社長がゆったりとこちらに来た。

「先ほどの取材はご苦労だった。

多少不適切な発言があったが問題はない。

こうして記事になる前に捕まえることが出来たからね。」

私は組み敷かれながら何とか声を出そうと顔を上げた。

「なんでも、最近では事故が多発しているようですね。

残念な事に、取材に行った記者も記事を書き上げることなく金星の落盤にあって亡くなってしまうことにしましょう。」

私は青ざめた。

この男、そこまでやるつもりなのか。

「そういえば三年ほど前にも、私の事を告発するとか言っていた作業員が死んだそうですね。

その時は作業服が壊れて酸素が無くなったとか、残念な事です。

このような事故はなくしたいものですね。

あ、今のは記事にして結構ですよ。

そうそう、先程言っていた、急いで連絡しなければならない事というのも記事にして下さい。

もちろん、坑道の中の落盤で生き残っていればね。」

資本家は淡々と機械のようにそこまでしゃべると、2人の作業員に合図を送った。

私の抵抗も虚しく、片方の作業員の振り上げた拳が脳天に落とされると、私は意識を失った。


その後、金星の坑道に原因の解らない落盤があった。




と、ここまでが私のお話です。

え?私は死んだんじゃないかって?

それがよく解りません。

死んでいますが預言者の話があったでしょう?

私はそういう、魂だとかエネルギーだとか神の一部だとか宇宙生命だとかいうものになったんだと思います。

あるようなないようなそんな感じですね。

そして時間も超えたりしましてね。

ちょうど私が生きていた時代の140年程前の地球のどこかの人間の頭に入って、約束通り記事を書かしてもらっているかもしれませんね。

信じるか信じないかはあなた次第です。

なにせ、人間でいられる時間は短い。

いやぁちょっと意識も薄れて来ましたので、この話もここら辺でおしまいにさせてもらいます。

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