shoes-02「魔創迷宮に落ちた老人」
————時はそれより半年程前にさかのぼる。
魔物。
それは巨大で異様な姿をした、恐ろしく凶暴な生き物。魔王の力により迷宮から産まれるとされるその生き物は、はたして生物と言えるのかどうか判断に迷う。
ただ食欲を満たす為なのか、自らの身体より大きな口を開けながら突進をくり返し、目の前の生物を食い散らかすもの。
強さを求めるゆえなのか、弱い物には眼もくれず、強そうな物のみに戦いを挑み、倒した相手の武具を装備しながら再び戦い続けるもの。
暇つぶしだと言いたいのか、殺し合いを続ける魔物の群衆から離れた所を陣取り、釣竿のような長い尾で魔物を釣り上げ、それを餌にしてまた別の魔物を釣り上げているもの。
その見た目、考え方、生き様が個々によって異なる。だが総じて思うのは…………。
「……よーするに、こやつらは殺し合いが好きということじゃな」
あれからどれほど経っているのか分からないが、今、目の前でワシの何十倍もあろうかと言うくらい大きく恐ろしい魔物と呼ばれる生物らが殺し合いをしている。
ワシは、大きな岩壁に寄りかかるように座り込み、酒をチビチビ飲みながら、誰に聞かせるでも無くそう独りつぶやく。
決して、魔物の殺し合いを肴に酒を飲んでいるのではない。
なさけない事だが、目の前で起こっているあり得ない状況に腰を抜かしているだけだ。
ワシの名は『スモル・モールフェルト』。
何処にでもいるような、普通の小人妖精じゃ。
そんな普通のジジイが、なぜか迷宮の中に居るらしい。しかも、そんじょそこらの迷宮ではない。
目の前の状況を見れば分かると思うが、恐らく……いや確実に、魔王が創り出したと言われている、あの魔創迷宮にいるようなのだ。
『いるよう』と言ったのは、ワシが魔創迷宮に来たことが一度も無いからなのだが、その様子はだいぶ前に古い友人から聞いていた。
その時には、凶悪な魔物同士が始終殺し合いをしている迷宮があるなんて馬鹿げていると鼻で笑っていたものだが、今目の前で起きている現状を考えると、ここが魔創迷宮なのは間違い無いのであろう。
まさかこの身で体験することになるとは思わなかったが。
「じゃが……それももう終わりのようじゃな……」
そう。
この目の前の争いが終わればワシも死ぬ。
今は魔物同士で殺し合いをしているが、数が減ればワシの存在にも気付くだろう。そうなれば死は確実だ。
ならば、余生をどうするかはおのずとなろう。
酒だ。
ワシのリュックには、まだあと八瓶の酒がある。好きな酒を飲みながら、人生が終わるのなら悔いはない。
さらば、我が人生よ。
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
「…………むぅ、……んん?」
目を開けると、ボヤけた視界が徐々に鮮明になっていく。
ワシが座っている地面の周りには、酒瓶が三本転がっている。二本は空だが、残りの一本からは少量の酒が流れ出ていた。
「おぉ! もったいない!」
すかさずワシは、その溢れかけている酒瓶を胸に抱きかかえる。
どうやらワシは眠ってしまったらしい。
しかも、たった三本 (正確には二本半)で。
若い頃は十本空けても、寝てしまう事など無かったというのに、歳をとるとはこう言うことなのだろう。
だが一体何故ワシは、地面に座り込んで酒を飲んでいたのだろう。
そう疑問をいだきながら、ふと目の前の景色を見る。
「——ッ!!」
目の前には見るも無惨な状態で、重なり合うように倒れている大量の魔物。
それを見た瞬間に記憶が蘇る。ワシは迷宮の中で魔物どもの殺し合いを見ていたのだと。
だが、ワシが驚いたのはソレではない。
大量の魔物の死骸が横たわるその中で、唯一の生き残りと思われる一体の魔物。
すらりとした体型に、ワシと同じような身体と手足。
だが頭には、明らかにワシと異なる種族と言い張るように太く長い二本の角が生えており、それがたなびく髪の様に後ろへ流れている。
そしてその全身は——いままで倒した魔物らの血の色なのかも知れないが——真っ赤に染まっていた。
魔物を今日初めて見たワシでも感じるほど、明らかに他の魔物とは質の異なる上位種。
それが……目の前に立ち、このワシを見ていた。
「……あ……あ」
ワシはここで初めて魔物に恐怖した。
魔物を見上げながら、目をそらすこともできず、開きっぱなしの口からは出すつもりもなかった声が情けなく漏れていた。
後退りしようにも後ろには壁があり、逃げることも出来ない。いや、そもそも恐怖で身体が動かない。
魔物と目が合う事で、ようやく真の恐ろしさを実感する。頭の中は死も生もない。ただ、恐怖の一言。
これが全てを埋め尽くしていた。
だがそんなワシの思いとは裏腹に、しばらくワシを見つめていた魔物は、興味を失くしたかのようにスッと目をそらし、身体を横に背け、そしてゆっくりとこの場を去って行った。
迷宮の奥に向かって…………。
「…………かはぁ!! はぁー、はぁー、ぜぇぜぇ……ゴホッ、ゴホゴホッ」
魔物の気配が完全に消えたと感じたワシは、大きく息を吐いた。
「……し、死ぬかと思ったわ!」
あまりの恐怖で思わず息を止めてしまっていた。
あともう少しあの状態が続いていれば、ワシはあの魔物に喰われるまでもなく窒息死していただろう。
だが、助かったらしい。
完全にワシと目が合っていたはずだ。
ワシを生物として認識していたはずだ。
なのに、喰われなかった。
殺さなかった。
「……ひょ? もしや……」
今更気付いたが、あの魔物は……ワシが酔って寝てしまう前に見たヤツではないのか?
あの強そうな魔物ばかり狙って殺し、殺した魔物が使っていた武具を自分の物にしていたヤツだ。
ヤツは、自分より手強そうな魔物ばかり挑み、弱い魔物には目もくれなかった。だから見逃してくれたのか?
だが、ワシが眠る前と先ほどでは何もかも違ったように見えた。
今思えば、見た目に変わりは無い。
だが……気と言うか、雰囲気と言うか、なにか言い表せない何かが違った為に、ワシはヤツが同じ魔物だと気づけなかった。
どういうことじゃ?
……まぁ、そんな事はどうでもよい。
とりあえず助かったのだ。
それで良いじゃないか。
「さて、助かったは良いが……どうするかのう」
助かったとなると、途端に欲が出てくる。
もうこの場には生きている魔物はいない。
と言うことは、移動ができる。
移動できると言うことは、運が良ければ帰れるのではないかと。
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
ワシはあの場を離れ、少し歩いた所にあった壁のくぼみに腰を下ろした。
あの場にいた魔物は完全に死んでいるので、別に移動する必要は無かったのだが、なんとなく嫌だったのだ。
半分ほど減った酒瓶をグビッとあおり、落ち着きを取り戻す。
まずは、状況を整理しなければな。
帰る道筋を作るには、過去、現在、それに至るまでの状況の把握が必要だ。
議題内容は……
・『過去に何があったか』
・『何故今ここにいるのか』
・『ここは何処なのか』
・『どこへ行けば帰れるのか』
・『どうすれば安全に帰れるのか』
と、このくらいか?
・『過去に何があったか』
これは恐らくだが、穴に落ちた。だな。
今朝、——迷宮内では日の感覚が分からんが、恐らく今朝だと思う——ワシは自分の住む家からそこそこ離れた森で食糧の調達をしていた。
物作りの仕事……いや趣味を持つワシは、家に籠ることが多い。
一旦外に出てしまうと、それまでに頭の中に構築していたアイデアが一気に飛散して消えてしまうような気がするので、工程がある程度固まるまでは家の中にとどまる様にしているのだ。
なので、だいたい二週に一度くらいの頻度で食糧を大量に確保し、また家に籠るといったことを繰り返している。
今朝も家にある食糧が尽きてしまったので仕方なく調達しに行ったのじゃが、その調達の途中で記憶が途切れている。
気がつけば迷宮にいた。
恐らくそこで何かあったのだろう。
わずかに覚えているのは、一瞬身体が浮いたような感覚。
あの感覚が本物だったとすれば、『穴に落ちた』と言うのが答えなのかも知れない。
だが、魔創迷宮は、ありえないほど広く深いと聞いている。そんな深い所まで落下してきたら、普通なら地面と激突した時点で死んでいるはずだ。
では、落ちたのでは無い?
……うむ。状況を整理したら謎が増えてしまったが、まぁ良い。次は、
・『何故今ここにいるのか』
これは、今まさに浮かび上がった謎そのものだな。可能性としては、落ちてきたか、連れて来られた。だろう。
記憶の途切れに関しても、急な落下での失神。後ろから気絶させられた。
などで説明がつく。
結局さっきも思ったが、落ちてくるとしたら、何故死ななかったのか。や、連れて来たなら何故あの場に放置したか。で、疑問が残る。
これも保留だな。
次だ次。
・『ここは何処なのか』
これは十中八九、魔創迷宮だろう。
それ以外、考えられん。
だが、魔創迷宮はありえんほど深い階層まであると聞く。
この迷宮のことを語っていた古い友人なら分かるかも知れないが、ワシには検討もつかない。
こんな事になるのなら、あの時に詳しく聞いておけば良かったが、まぁ過ぎてしまったものはしょうがない。
予測の範疇でしかないが、判断基準を作るとするなら、魔物と冒険者の強さ。だろう。
魔創迷宮は、深い階層ほど強い魔物が居ると友人は言っていた。
冒険者の強さにもよるかも知れないが、冒険者が圧勝なら上層。苦戦しているなら下層。で良いだろう。
・『どこへ行けば帰れるのか』
ワシが帰りたいのは地上。つまり、迷宮の出口だ。
迷宮は入り口から入り、下に降りれば下層へ。上に登れば上層へ戻る……はずだ。
登らなければ降りられないような、ひねくれた考えの迷宮でなければの話しだがな。
とりあえずの考えとして、魔物も冒険者も上層に登るたびに弱くなるのが確認できれば、正解と見て良いだろう。
最悪、冒険者がいない場合でも、先ほどみた魔物を比較対象にすれば判断できないことはない。
・『どうすれば安全に帰れるのか』
……これが一番の悩みどころだ。
凶悪な魔物だらけのこの迷宮で、安全に帰れるような方法が果たしてあるのかどうか。
先ほどは奇跡的に助かったが、今後も上手くいくとは限らない。
だが、今のところ良い案は浮かばない。
これも保留だな。
結局謎と保留だらけになってしまったが、一応の整理はついた。過去を洗った事で、食糧の状態も把握できた。
とりあえずの目標は、リュックに入った二週間分の食糧で迷宮の出口を目指す。階層は基本的に登る事とし、迷った場合は魔物が強さで判断する。
よし。
ひとまずは、これで行こうではないか。
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
_I≡≡I_
(˙灬˙)<暫くワシの話が続くぞい!