第90話 魂呼び
鬱展開注意っす。
夕焼けだろうか、一面赤く染まった空には雲ひとつなく、浜風の止まる夕刻の一時のように岩礁で外洋と切り離された内海を空を写す鏡の様に姿を変える。
(……あれっ?何時の間に浜に出たんだっけ?……んー綺麗だなぁ)
しばらく見とれた後、大きく伸びをした真三郎が陸に戻ろうと背後を振り向く。
(あれっ?う、鴉那御殿がない?)
万座の浜で西に沈んだ夕陽を眺めてたと思った真三郎だが360度、見渡す限りに夕焼け色に染まる風景、半島に建つ白亜の鴉那御殿や、断崖絶壁の万座毛が見当たらない事に焦りだす。
ピチャッ
(ん、雨?…………うっ、…………ん?……何だ臭いな、錆の臭い?いや、生ぐ、、うっ!!これは?)
額に垂れた雫を拭った手のひらに感じる滑る触感に恐る恐る拡げてみる。
(ひっ!)
慌て手を裾で拭き、改めて周囲を見渡すと手から指を伝ってドクドクと溢れ出した鮮血が見る間に赤黒く変色しては鏡面の様に穏やかだった水面を赤く染めていく。見る間に視界の全てを覆う程に広がり、異臭を放ちだした血泥はどんどん粘度を増し、やがてはくるぶしから膝へと恐ろしい勢いで満ち始める。
(や、やばいっ!逃げなきゃ!あっ!あそこ)
辺りを見渡す限りに拡がる血泥の海の彼方に真三郎が見つけたのが白い巨石。
彼処に行けば助かると何故か不思議な確信を持った真三郎が泥濘に脚を取られるも掻き分けるように駆け出す。
(………と、遠い、いや遠ざかっている? それに、血の海が満ちてるんじゃない。俺が沈んで………だ、誰か助けて!!………)
◆
金武間切 鴉那御殿
「どうだ?殿下のご容態は?」
「それが……うふあがり島から撤収する際は船酔いとおっしゃって、食事もきちんと摂られ様々な指示もあったのですが……」
困惑したかのように真牛が口ごもる。
「もう、三日になります。告天号から降りる時はふらつき、支えられながらも御自分で歩かれていたのですが、崩れるように御倒れに、御殿に運ばれる時には既に馬にも乗れず、戸板で運ばれる状態でして……」
膝に載せた拳を震わせて樽金が状況を説明する。
「ええぃ!隆成(樽金)!正臣(真牛)!可良(三良)!お主らが付いておりながら、島で何があったのだ?流行り病なのか?」
首里屋敷より早馬を乗り継いで駆け戻った安李が泡を飛ばしながら叱責する。
「医師殿の見立ては?」
「熱や脈に異常はなく、時折うなされておりますが……某には皆目。今は薬代わりに滋養のある黒砂糖を湯で溶かして無理矢理口中に含ませてはおるのですが、いつま………」
……何時まで持つのかという言葉を飲み込んだ医師が自らの力量不足にうなだれる。
「異人の賊を自ら討たれたとか?呪いや流行り病の可能性は?」
「我らを含め34名の乗組員、全員を隔離しておりますが、まさ、朝公様の他には……」
医師と樽金の指示で念の為に告天号の消毒洗浄を終えた三良が報告する。
「うーむー?」
「そうじゃな、後は精神的な物じゃな。真三郎様御自ら、賊を討たれたと言ったな?」
流石に真剣な表情のかんジィがうふあがり島で遭遇した出来事の詳細を再確認する。
「はい、賊を討たれた後、一度その衝撃からか、御休みになりましたが、その後は直ぐに気を取り戻され、後始末の指示も適切に、二晩は普通、いや、滷獲した財宝に進んだ南蛮船の技術を吸収すべしと、いつもより興奮気味に見えましたが、落ち着いて陸に上がったとたんに崩れ落ちるように……」
「ふむ、ふむ、ふむ。もしや魂を落とされたやもしれんな。そうなると、えー嘉樽に、そうじゃな、ついでにかめオバァも呼んでこい。それとやはり真三郎様の(をなり)である馬殿に急ぎの使いを!」
かんジィが今は鴉那御殿の神事を司る元豊見城村の神女であった嘉樽と、大昔に今帰仁ノロの下で修行経験のあるかめオバァ、それに真三郎の霊的守護者である(をなり神)の馬に助けを求める。
「安桓様、お忘れですか?首里は今、新たな聞得大君様の就任の儀、御新下りの最中で大わらわですぞ。今帰仁ノロたる馬様も首里から斎場御嶽で行われる儀礼に参列しているはずでは?」
真っ先に首里に助けを求める使者を飛ばした樽金が最悪のタイミングである今の状況を説明する。
「久米島からは君南風様、八重山や伊平屋島の大阿母様方、今帰仁からは阿応理屋恵を襲名した馬様と三十三天君(高位の神女)が全て揃う儀式の最中、まさか中座をお願いする訳には……」
首里城から各地の霊域たる御嶽を巡りる。久高島を眼下に望む琉球神道最大の聖地、斎場御嶽まで琉球中の神女が正装を纏い新たな聞得大君の誕生を祝ぎながら進む行列を見送ったばかりの安李が膝を打つ。
「むむむむっ、そうであったわ!」
歯を食い縛り床を拳で突く安李
「おジィ?呼んだかね?」
ひょいと厨房から袖をたくりあげ、襷を掛けたまま室内を覗くかめオバァに生なりの神衣に線香の香を纏った嘉樽が続く。
「おおぅ、嘉樽も来たか?実は朝公様の件じゃ。寝込んでいるのは聞き及んでいるな、実は冊封使様に随行した医師団より明の進んだ医術を学んだ医師も手の打ちようがないとぬかす有り様じゃ……今は栄養があるものを口に含ませるだけしか出来んといってな」
「我らで相談していたのじゃが、もしや魂を落とされてないかとな、どうじゃ、かめ、嘉樽見てくれんか?」
かんジィらに促されて真三郎の寝室を見舞う二人。
「こ、これは穢れ?安桓様、安李様。これは修行中の私ごときには手に負えません」
真三郎が眠り続ける離れの中を覗きこんだとたんに顔面蒼白になり後ずさる嘉樽
「あいえなっ、オバァもびっくりさぁ。確か、先代の今帰仁ノロ、阿応理屋恵の下で修行していた時分に同じぐらいに酷い魂の落とし方をした人を見たことがあったさぁ!早く、馬を早く呼んでこんと!」
「それがなぁ、オバァ。馬殿は今、御新下りの最中さぁ」
慌てるオバァを優しく諭すかんジィ
「ちっ!どこまでも邪魔をしなくさるさぁ。ん?あいぃ んーーー来るよぉ!!」
ハッと、予感を感じたかめオバァが鴉那御殿の真三郎の離れに面した庭に目を向ける。
「こ、これ!これを王子様にって!!」
折角赤花(ハイビスカス)を中心に色とりどりな熱帯の花を揃えた植栽を踏みつけて息も絶え絶えな飛漣が正しく飛び込んでくる。
伝書鳩による知らせは金武の鴉那御殿から首里屋敷に届き、安李が早馬で屋敷を出ると同時に飛漣によって儀礼に参列中の馬の元に内密に届けられ、返事を託されていたのだった。
「こ、これは!流石は馬様! 何々、朝公様に授けられている翡翠の勾玉は守護の霊石、肌身離さず常に首にかけること。
かめオバァは鴉那御殿の火の神(台所)、玄関、不浄にそれぞれ膳を供え、御殿の四隅で御願の準備を。 嘉樽は魂を落とされた場所で魂石を七つ拾って魂戻しの儀を行うように。
御新下りの終わる七日後には金武に戻るので船と早馬の手配を とあるな」
安李が飛漣の差し出した封書をひとつひとつ読み上げ、次々と指示をだす。
「魂石とは?まさか!一から七までの星が入った、どんな願いでも一つだけ叶うとかいう?あの伝説の?」
三良が真三郎から聞き齧ったよた話を思い出し、錯乱したかのようなことを口走る。
「なんじゃそれは?そんな石が有ったらオバァが欲しいさぁ。魂を落とした辺りで拾う魂魄が入りこんだ小石のことさぁ、オバァは膳の用意をしよーねぇ」
「わ、私が?しかし……」
魂魄を拾うという重大な使命を告げられ困惑の表情を隠せない嘉樽、思わずかめオバァに助けを求める目を向ける。
「馬様からの文には霊威を持って集めるようにとある、嘉樽、急げ!」
「か、かしこまりました安李様。すぐに向かいます。可良(三良)様!港への案内を!」
「は、はいっ!」
「樽金は医師殿と滋養のある食事に薬、船や早馬の手配を!」
「はっ!」
「飛蓮!悪いが斎場御殿に向かい馬殿に報告、指示を仰げ、それから、御殿に飛ばせる鳩は出来るだけ持って行け!首里屋敷との中継も忘れるな、出来るな?」
「まかちょんけー!了解っす!!」
首里から駆けつけたばかりの飛漣ではあるが、水と黒砂糖をひと塊口にしただけでのとんぼ返りである。
◆
「マブヤー マブヤー ウーティキミソーリ マブヤー マブヤー ウーティキミソーリ マブヤー マブヤー ウーティキミソーリ (魂よ!魂よ! 戻ってきてください!)」
潔斎した嘉樽が眠り続ける真三郎の前で魂呼ばいの呪を唱える。
「うーとーと!うーとーと!」
「恩戸!それは違うさぁ」
墓前で唱える祈りの言葉をあわててオバァが遮る。
「ご、ごめんなさいっ!わ、私!」
「いいさぁ、御無事を一緒に御願するさぁ」
「マブヤー マブヤー ウーティキミソーレ
ガナシー ガナシー ウーティキミソーレ!」
半日は祝詞を唱え続けた嘉樽。わずかに顔色が戻り、呼吸も安定しだしたものの、ついに真三郎が目覚めることはなかった。
◆
(はーはーはーっ、しっかし、ここは一体。別に剣が辺り一面に刺さってる訳でもないし、見渡す限りの血の海?投影された精神世界?)
真三郎の体感時間で二刻は泥濘に脚を取られながら駆けに駆けてたどり着いた十畳程の広さの巨石、その上にどうにかよじ登って大の字に転がっていた。
(空と海の境も真っ赤で解らない………あっ、平行感覚も……俺は、……もしかして、死んじゃったのかなぁ。今度はちゃんと魔法チートが…………じじいの神よりはどじっ娘女神とかがいいなぁ……)
◆
「朝公様っ!朝公様っ!」
「嘉樽、魂石はどこから?」
八日後、聞得大君御殿での神事を終えた馬が、早馬に早船を乗り継いで鴉那御殿に駆け込んできた。
寝室で整えられた魂呼びの供え物一式を確認した馬が開口一番で嘉樽に問い正す。
「はっ、はい、朝公様がお倒れになった港から」
「魂魄には三魂と七魄があります。三魂はそれぞれ天地人を司り、落とすことはありません。しかし朝公様には七魄が戻っておりません。おそらく落とした場所はお倒れになった港ではなく、衝撃を受けたうふあがり島で間違いありません。朝公様は御自身では自覚がないようですが、曾祖母で先々代の今帰仁ノロの霊威を濃く受け継いだ神高なお人、陸に着くまで耐えられたのでしょう」
「う、馬様!此度の事件は船上の事、魂石は!」
「船を準備なさい、網を下ろし海底より拾い集めるのです。そうですね、嘉樽、それに今度は恩戸様も行ってくれますか?」
落ち着いた様子に戻った馬が嘉樽の眼を真っ直ぐに見つめて命じる。
「わ、私……」
「大丈夫、落ち着いて観れば、貴女なら出来るはずです」
「は、はい」
「海は怖いけど、恩戸も行きます!朝公様の為ですもの!」
「お願いします、時間がありません。船頭や船は?」
「金武湾に告天号が!水夫達も全員御殿内におりますので直ぐにでも出立できます!」
◆
馬の到着より更に五日、真三郎が倒れてからもうすぐ二十日、医師に真牛、馬らが懸命に日夜真三郎の足を擦り、床擦れを防ぎ、衰える筋肉や固まる関節を少しでもと動かしても日に日に痩せ細り、ついにはくぼんだ眼窩の様子から既に死相すら浮かんで来ていた。
「馬様!三良らが戻りました。魂石も!」
港で待ち兼ねていた飛蓮からの烽火と伝書鳩による報せにより御殿では神事の準備は整えられている。
「支度は既に整っております!お疲れの処、申し訳ありませんが嘉樽に恩戸様も潔斎して臨席をお願いいたします!」
うふあがり周辺海域から引き揚げられた七つの拳大の丸い魂石。海中より引き揚げられたと思えぬ程滑らかな石は、うふあがり島を構成する岩盤である真っ白なドロマイトに様々な色素が沈着し、それぞれ赤、青、紫、茶、緑、黄、灰色とまるで虹のような色合いが目引く。
その魂石を微かな寝息をたてる真三郎の周囲に等間隔に並べる。
「こ、これは!」
最後の一つを手にした馬の顔が曇る。
「どうなさいました?」
「魂石の一つに罅が」
全体は滑らかな茶色の石に大きな古傷のような大きな罅が走る。
「だ、大丈夫でしょうか」
魂石拾いで一度不首尾をしでかした嘉樽が不安げな表情で馬を伺う。
「魂石に宿る七魄は喜、怒、哀、懼、愛、惡、欲の七つと言われております。もしや何らかの支障があるやもしれませんが、もはや時がありません。さぁ始めましょう」
漆塗りの壇の中央に供えた青磁の香炉に高価な沈香と線香を惜しげもなく焚くと、掃き清められた寝室は急に凛とした静寂の中張りつめた空気にかわる。
海で潔斎した馬に嘉樽と恩戸、かめオバァも真新しい麻の神衣にトウツルモドキの神カムリをかぶり、巫女の証たる勾玉や扇を携え祝詞を唱和する。
「「「マブヤー マブヤー!ウーティキミソーレ!マブヤー マブヤー!ウーティキミソーレ!マブヤー マブヤー! ウーティキミソーレ!ダッカラヨー ポッポルンガ デアルワケサァ!!」」」
◆
(あー 喉が渇いたぁ ふー あっつぅー、臭いにも麻痺してきたなぁ)
真三郎の周囲を覆っていた血泥の海はその嵩を増すことなく、どこからか照りつける熱に次第に腐臭を帯びはじめていた。
グラッグラッツ!
「な、なんだっ、地震?」
仰向けから慌てて四つん這いになり、周囲を伺うと真三郎の眼下では腐り異臭を放っていたはずの血泥が赤黒く固まり、ひび割れた個所からどんどん粉末状に崩れだし、振動で粉塵が立ち込める。
「おっおおっっ!」
(ええっ!あ、あれはノイズ? せ、世界が、後生が崩壊する)
崩れだす血塊だけでなく、夕焼けに染まったままの空も、境界線すら不明瞭な彼方の彼方此方で不鮮明に空間が歪みだす。
「---ま----様 ---! 」
ふと気が付くとそれまで休んでいた巨岩の中央にぽっかりと穴が空いており、その穴より立ち上る優しく湿った風が腐臭を吹き飛ばす幽玄な香りを漂わせる。
「ん?---う、---馬さ?」
世界が崩れ落ちる刹那、真三郎の身体は白い巨石に穿たれた穴に吸い込まれていった。
◆
「ま 朝公様!」「真三郎様!」「殿下!」
「おおっ、お目覚めじゃ!」
「ひょ、ひょっ、ひょっ。これ、大声を立てる出ない。」
「……ご、ごごは、……う、馬ざ、み、皆。 あ、あの声は……… 」
ブルッと大きく震えた真三郎が眩しさに耐えながらゆっくりと薄目を開けると神衣の馬を中心に主だった家臣が勢ぞろいしている。
「朝公様、まずは白湯を、少し砂糖をいれておりますわ」
「あ、あり、ゴホッ、ゴホッ!」
渇いた唇がかわらけの口吸いで更にひび割れ、白湯に鉄錆の味が広がる。
「あ、血、血がぁ うっ!!」
思わず拭った手の甲に鮮血の後を確認した真三郎が急に震えだす。
「朝公様は目覚められたばかり、大勢に囲まれては落ち着ぬでしょう。落ち着かれるまで少し席をはずしましょう」
アホウドリの羽毛で作られた羽毛布団をぎゅっと抱え込み、まるで胎児のように手足を抱き抱え小刻みに震える真三郎の背を優しく馬が撫で続ける。夜が白み、潮が満ちるに合わせて打ち寄せる波の音が寝静まった鴉那御殿の奥深くに届く頃になってようやく寝息を立て始めたのであった。
うーん、やっぱり不評か、恐ろしい勢いで、、、




