第80話 望舟宴
万暦三年、天正三年 1575年 12月 真三郎15歳
南国琉球にやっと秋らしい気配が感じられるのは、もうまもなく冬至を迎えるという頃。
吹き初めた北風は久米唐営、天使館の中国風にあしらえた庭園に植えられた数少ない落葉樹である緋寒桜の葉が池の水面にはらはらと舞い散らせる。
「首里天加那志のご健康を祈願しまして!」
「「乾杯!!乾杯さびら!」」
「冠舟の無事の御帰還と両使の御多幸を!」
「「乾杯!!乾杯さびらぁ!」」
うちなー口と官話にて乾杯の音頭が続く。
天使館の正庁では出航を明日に控え、琉球国王尚永王以下王府の高官を招いての望舟の宴。持参した交易品の評価取引も順調に、いや無理難題で高価な産物を琉球に高値で売り付ける交渉も終え、冊封使節の高官達は代わりに琉球で手に入れた大和や東南アジア各地の産物を仕入れており、これを持ち帰って転売すれば更に濡れ手に粟の利益をと既にほくほく顔である。
「司天監の予報でも天候は安定しておる。出航の手配も完了しておるからには明朝の引き潮に乗り出港ぢゃな。」
「正使様!はいっ、あーーん!」
大杯を一息に煽った冊封正使蕭嵩業、隣には真っ赤なピチピチのチャイナドレスを身に纏った歌姫、「至高」のメンバー山原水鶏が大きく開けた口に酸味の程よい小振りな島バナナを剥いて口に入れる。
御団子状に纏めた髪には蕭嵩業が貢いだ銀の簪が花魁の様に十本以上刺さっている。国際通貨でもある銀の価値から数年は遊んで暮らせる一財産である。
「そ、そうね、琉球での最後の夜ねぇ。ほんと名残惜しいわぁ」
余興に古典的な舞いをひとさし舞った米須伊原親雲上楽人様が一礼しながら下がる姿に流し目を送りながら溜め息を漏らす。
「さっ、尚永様、后殿下。次はいよいよ某が手配しました特製の皿になりますぞ!」
チィリリーン!
「畏まりました、旦那様!」
卓上の鈴を軽く振るうと給仕達がコの字型に並べられた卓の中心に盆に乗せられた望舟の宴の主菜を並べ出す。
白磁の皿には葱や胡瓜、甘い味噌、そして琉球では未だ精製出来ない白く輝く純度の高い白砂糖が盛られている。
「おーこれは!」
「芳しい薫りじゃぁ!」
「鶏にしては大きいのぅ」
続いて三台の台車に乗せられた鳥の丸焼きに蒸籠を乗せた台車が続く。
「おほん!尚永様、后殿下、法官(三司官)、並びに琉球諸官の皆様方、聖上からの親書を携え冊封に赴いた我らを歓待してくれたことに正使として礼をいいたい。」
蕭の合図に合わせて、その場で立ち上がった使節団が両手を揃えた明風にお辞儀をする。
「今宵用意した逸品は嘉靖の帝の御代まで禁城でのみ食されてきた秘蔵料理、その名は拷鴨ぢゃよ!」
グワァーン!
蕭の宣言に併せて下座に控える路次楽隊が銅鑼を鳴らす。
「此度は冊封の為に請うて京師の名店、金陵便宜坊の厨師をわざわざ琉球に同行しておるんぢゃよ!」
琉球では目出度い黄色にフクギで染めた厨服姿、胸に巨大な中華庖丁を携えた恰幅のよい鉄人いや、厨師が上座に一礼する。
「特級厨師の陳アルよ!まずは……まずは胸の中心、ほんのちょっとしか採れないから王様達だけアルね。まずは砂糖だけをつけて召し上がるアル!」
巨大な中華庖丁を器用にふるってその薄皮だけをあっという間に削いでいく。
給仕役人が王を初め上客には一番の部位、その他切り分けれた皮目が三枚程白磁の皿に身は殆どついていない皮だけを取り分け載せていく。
「次は、この丸い蒸した薄餅に味噌や葱を載せて、この様に巻くアルね!」
国王夫妻には専任の給仕役が、謝杰は自ら丸い蒸し餅に具を載せ、器用に箸でくるっと巻いてみせる。
蕭は山原水鶏のまるまるとした指ごとパクっと頬張りねっとりなめ回す。
「………」
「はうっ!か、皮目が香ばしかぁ」
「食感がなんとも」
「味噌に胡瓜もまた!」
流石に慣れた高官達、上座の醜態を華麗にスルーしてみせる。
(北京ダック!うーん、まいうー!砂糖を付けて食べるのは始めてっす!王族万歳!)
「どいぢゃ?此方は明から持ち込んだ鶩を天使館で今宵の宴の為だけに飼育していたものぢゃよ」
「ほう!」
「特別な鶩」
「そうアルね、普通に餌を与えてもこれ程脂の乗った鶩には成らないアルね。琉球に着いて半年もの間、一羽当たり三斗(50㎏)もの米や麦を無理矢理に給餌して肥え肥らせた特別な鶩アルね!」
「一羽にさ、さ、さ、三斗…………」
席に着いていた三司官の一人、天使館での世話係、池城安棟が自慢げな厨師の口上にわなわなと震え思わず箸を落とす。
水夫に儀杖隊も含めた冊封使節団総勢500名、王府からの賄いはあっても焼け石に水、半年に及ぶ滞在は天使館での接応役を任された羽地親方池城安棟の財政にかなりの負担であったのだ。
「どうぢゃ?かつては聖上や大臣のみが禁城の宴席でしか召し上がることのできなかった秘蔵料理ぢゃ、それだけの手間暇が必要なのですぢゃ。」
秘蔵料理を強調する蕭
「特別に肥えさせ育てた鶩を捌いて腹の中に湯を詰め、さらに熱湯を廻し掛けまして余計な脂分を丁寧に洗い流すアル。その後、水飴をたーっぷり廻し掛けて一昼夜乾すね。夏場はどうしても肉が痛むから京師でも寒くならないと作れないアル。琉球は作るの厳しいね。乾いたら特製窯の中でじっくり皮目を香ばしく焼き上げた品アル!」
「あ、あの………その身は?」
皮だけを巨大な中華庖丁で削がれた鶩が次々に片付けてられていく様子に高官の一人が物欲しげに呟く。
「あはははは、これですか?最上に仕上げた皮を食べましたら残りは余分な物、食べる価値はないのぢゃよ。残飯は豚の餌!これは異なことをまったく」
同席した使節団の高官達がくっくっと追従する。
「あーしかし、この後が琉球の答礼ぢゃったな、順序は逆がよかったかのぅ」
北京ダックの余韻に浸る琉球王府高官の表情に満足げな蕭が笑いながら杯を仰ぎ、左手は山原水鶏の樽のような太ももを擦っている。
「ぐぬぬぬ、蕭殿!琉球の膳も負けておりませぬぞ!朝公!」
普段は大人しい尚永王も若干酒が入り、無礼な態度をみせる蕭にカチンと来たのか真三郎に目配せしてくる。
チィリリーン!
「|畏まりました!御主加那志《ういっ!むしゅ》!」
(ぷっ、兄上のぐぬぬが聞けるとはな)
真三郎の合図に答礼の皿が次々に運ばれてくる。
「これは?」
「いい薫りね!」
「朝公!正使様方に説明せよ!」
「はっ!こちらは牛大腰筋肉の煮込み、脂肪肝添え、琉球山葡萄に松露の薫りを添えてにございます!」
「「「ながっ!」」」
白磁の大皿には里芋のペーストを台座に、黒に近い渡名喜島産の山葡萄と古酒、牛酪、牛骨に香辛料、香味野菜を煮詰め隠し味にたまり醤油を加えたタレが敷き詰められ、箸で食べやすいよう一口大に切り分けられたサイコロ状の牛肉、もちろんフィレ肉の中心シャトーブリアンは国王夫婦に正副の冊封使、フィレ端は三司官に王族達、その他高官達皿の肉は様々な部位が混ざっている。
牛肉の上に乗せられたのはソテーした脂肪肝。溶け出さんばかりに脂肪の貯まりまくった肝臓を軽く焦げ目が付くまで炙ってある。
「肉の上の白っぽい胆とタレを肉に絡めてお召し上がりください。」
「御主加那志、后殿下、両冊封使の皿には大変珍しい松露が極少量手に入りましたので使用しております。他の皆様は大変申し訳ありませんが編笠茸をタレに使っております!」
トリュフ、西洋松露とは少し違うが日本の何処でも、たまーに公園なんかで小さなトリュフが見つかり、巨大な松露だとローカルニュースで取り上げらることもある。
クリーム系のソースとの相性が抜群な編笠茸も栽培は難しく見た目はいかにも毒茸っぽいが高級食材である。
「こ、これは!!」
「肉が、肉がホロリと溶けてしもうたぁ」
「この胆!!このタレ!!蕩けちゃうわっ!」
「上座の皿はさらに?」
「いやはや、これは普通の胆ではあるまい?これはなんぢゃ?」
「それは国家機密にございます!何か面白いお話で
も頂けましたら内密にお教えいたしますが」
微に入り細を穿つ真三郎、慶良間から戻った飛漣に天使館を探らせ今宵の菜譜を事前に入手していただけでなく、廃棄寸前だった鶩の中身、真っ白に肥大化した脂肪肝をこっそりgetしていたのであった。
「そうぢゃ、謝殿に勝敗を決めて貰おうかのぅ。褒美にこの扇にと……」
筆を要求した蕭嵩業がさらさらと扇の余白に漢詩を
したためる。流石は科挙及第の天才、酒が入っても見事な達筆である。
酒席の余興とはいえ無茶振りである、上司でもある正使の面子も琉球国王の面子もある。手渡された扇子に正式な官服で美丈夫ぶりを発揮している謝杰の額に冷や汗が流れる。
「勝者は!」
陳と真三郎を左右に謝杰が叫ぶ。
「うーん!甲乙付けがたし、この勝負引き分け!
扇子は陳ちゃんに、はいっ!殿下には私からの接吻よっ!!んーブチュ!」
目にも止まらぬ早業、辛うじて唇を死守した真三郎ではあったが正庁の床にそのまま崩れ堕ちる。
「…………」
「「ぷっ!」」
「あはははは!よいよい!引き分けぢゃ」
「うむ、なるほど甲乙付けがたし!朝公よくやったぞ、さぁ音楽を!」
冊封正使と国王の笑いに場の空気が一瞬で和む。
琉球最後の夜は三線の調べに貴賤の区別なく躍り出し、笑いと喧騒の渦に包まれながら更けていくのであった。
合掌
本場の北京ダックは昨年、
ロッシーニは俺の○タリアンで一度だけ食したことが………




