第70話 蕭崇業
万暦三年 天正三年 1575年 四月 真三郎15歳
二月下旬から四月にかけて琉球ではうりずん(潤い始め)と呼ばれる過ごしやすい季節で、暖かい南風に常緑の山々にも春の芽吹きが新緑の柔らかな色合いにかわる。
特に金武の山々では自生するイジュに加えて移植された油桐の白い花が恩納の緑の山に四月の雪を降らせる。
たが、それを望む鴉那御殿の主人は首里屋敷に滞在中で不在であった。
◆
ドンドンドンドン!!ドンドンドンドン!!
ゴーン!ゴーン!ゴーン!ゴーン
久米唐営
庶兄の久米具志川王子朝通の治める久米島に冊封使の冠船が到着、久米島から慶良間諸島の烽火と早船の使いにより首里城に一日千秋の思いでまちかんてぃーしていた報せが届いて二刻(4時間)ばかり、前年より国をあげて進められてきた冊封を目前に控え高陽感だけでなく緊張と熱気が首里と久米、那覇の町々に渦巻いていた。
ピーヒャラー!グワァーン!
那覇の港の表玄関にあたるリーフの切れ目、唐口に久米具志川王子の馬艦船が水先案内船として先導し、続いてゆったりと進入した二隻の冠船の左右と背後には倭冦に備える護衛の足回りの早い警固船が三隻、殿を努めるのが琉球から伊江王子の手配で遥々福州にまで遣わされた迎接使の船である。これらの船は其々約二十艘程からなる爬竜舟の曳舟一団から伸びる色鮮やかな引き綱を舳先に結び、緩やかな浜風に半分程帆をおろして、流麗な音曲を奏でながらすべるように港内へと進む。
港の内外には琉球中の舟だけでなく、大和の関船や安宅船の姿もちらほら見える。冊封使の持ち込んだ下賜品の払い下げに交易品が目当てである。それら大小様式船籍も様々な舟が冠船の通り道を明けるように左右に並びマストや船室の柱には吹き流しや旗を掲げ、鉦や笛の音で歓迎の意を大いに表する。
真三郎がチート知識?を生かして築いた財力を注いだ那覇港の新たな防衛施設、重い凝灰岩の石垣を基盤に琉球石灰岩の城壁に二層の鐘楼、鼓楼を備えた三重城と屋良森城。
京師にあると伝え聴く鐘楼と鼓楼の姿をそろぞれ模し仏琅機砲も設置可能なその施設にはそれぞれ中華の思想である陽数、九つの銅鐘と太鼓が設置され軍事施設としての武骨なキナ臭さを綺麗に隠しきっていた。
また冊封使を迎えるにあたり、久米側の鐘楼、三重城の海側には中国語で《歓迎光臨!琉球国》、小禄の鼓楼、屋良森城にはうちなーぐちを平仮名で《めんそーれ!うちなー》との垂れ幕が掲げられ、さらに両方の砦の棹を結んだ二本の大綱には背は黒いが白い腹の鮪、青い筋が美しい鰹、赤地に黄色い斑点がチャームポイントのアカジン(クエ)、黄金色に輝くシイラ、いかにも熱帯魚といった青緑のブダイといった南海の魚で五色の旗を模した飾りが澄みきった青空を悠々と泳ぎ、珍しげに目を見張る冊封使一行を天から歓迎していた。
グワァーン!グワァーン!グワァーン!
万暦の帝よりの冊封、頒賜品に四百人を数える随行者の持ち込んだ交易品や琉球滞在に必要と持ち込んだ日用品を満載した冠船は春の大潮に合わせて大急ぎで浚渫した埠頭にハーリーに導かれて緩やかに接岸する。
グワァーン!グワァーン!グワァーン!
「歓迎光臨!!!臣は世子 永が舅、尚桓(北谷王子朝里)にございます!」
埠頭に跪拜して出迎えるは正使の王舅、北谷王子朝理と副使の尚久(金武王子朝公こと真三郎)、その背後には首里から正装して駆けつけた文武百官が平伏して冊封使を歓待する。
『万里長城電影未不視!猫熊!牡丹!』『鬼城!泡崩壊!』
※以下うちなーぐち日本語に同時変換中!
「出迎えご苦労!聖上の名代、冊封正使、戸科左給料事中の蕭崇業ぢゃよ!」
四十を目前にした切れ者、大明の威光を蕃地に示す為に選ばれた冊封使はもちろん科挙の合格者、大臣が約束された上位三名には入らなくても中国中の天才の中から選ばれる僅か100名足らずの進士の一人、正使となるからには見栄えも考慮された怒り肩で大柄な体格の美丈夫である。
「同じく冊封副使の行人司行人の謝杰でございます!」
行人司は紫禁城の案内役人、大企業の総合案内が企業の顔であるように礼儀作法、故事来歴に精通した年齢不詳ながら三十は過ぎているだろう、こちらはスラリとした眉目秀麗な美丈夫である。
だだ、丁寧すぎる言葉使いと髭ない白皙の肌、行人が後宮にも通じることから若干のオネェ疑惑を感じさせるタイプではある。
「聖上の名代たる冊封の使節をこの琉球の地にお迎えでき万感の重いにございます。前王、尚元の世子、永をわれら琉球の民の総意として王に封じて頂きたく、臥してお願い申し上げます!」
王舅にして尚王家の長老となった北谷王子朝理が流暢な官話で歓迎の挨拶を述べる。
「ふむ、流石は南海の小国ながら礼節を重んじる国との評は間違いないようじゃな。よく学んでいるようじゃな。」
正使の蕭崇業が関心する。命懸け大任を果たした後の出世が約されておるとはいえ、同期同胞が尻込みする琉球冊封、どんな蕃族の住まう未開の地かと内心怯えていたのが嘘のようである。
「そうね。あの鐘楼と鼓楼を模した楼閣もなかなか可愛らしい威容。特にあのくりっとしたお魚さんを模した旗型は空に栄え、なかなかに風情がありもうしたわ。」
うっとり目をきらきら光らせて、こぶしをぎゅっと擦り合わせながら飾りを持ち上げてみせる謝杰、アウトである。
「もちろんじゃ!じゃが、我らも遥々大海を乗り越えてこの地に来ておる。まずは休息し荷を降ろしたい。前王の諭祭に冊封の儀は日時を改め、吉日を選んでおこなう。その旨、世子に伝えよ!」
正使の決まりの宣言を行う蕭崇業、この後短くても四ヵ月、冠船に異状や補修が生じた場合や船員の持ち込み品の交易が上手くいかず一年半も琉球に滞在した事例もある長丁場最初が肝心である。
「はっ!某、法官(三司官)の毛廉(池城安棟)にございます。既に皆様方の滞在先としまして天使館を掃き清め、準備万端整えてございます。まずは旅装を解きごゆるりと滞在ください。」
天使館での接宴担当を下命された真三郎の伯父でもある安棟が一歩進みでて使節を久米の中央に位置する館に誘導していく。琉球での滞在費用は冊封を請うた琉球もち、冊封に交易が終わればなるべく早く帰って貰わなければ400名を越える使節に琉球中の豚が喰らい尽くされ冊封の利益が吹っ飛ぶのである。
冊封正副両使に琉球の高官、護衛の兵150名程に音曲を奏でる楽隊に儀杖隊、画家や医師その他中華文化の伝道師たるべく選ばれた様々な職業の随行者、総勢200名の一行はへなり半分は日が沈みはじめ、白砂の大道の左右に数十の篝火を久米唐営の滞在先にたる天使館に民の歓迎の声援を受けながら入っていった。
◆
正使一行が賑やかに天使館に向かっても四百人からなる乗員に満載された貨物を積んだ冠船が二隻。
帝より託された冊封に必要な書は龍亭と呼ばれる専用の駕にて、その他の貴重な下賜品は真っ先に運ばれていった。
しかしながら、埠頭では残された荷を降ろしつつ、港に停泊する冠船に舟が風に引っくり返らないよう船底にかわりの錘を積み込む難儀な仕事を行う必要がある。
「しかし、まさ、朝公様?一緒に天使館に向かわれなくてよかったのですか?荷の運びだし役なんぞ他に……」
作業を指揮する真三郎は三重城と屋良森城の普請でも活躍し、今は鴉那御殿の普請を行っている石工や運搬作業をまかせている土方組から30名程、馬も20頭程連れて来ており次々と荷が降ろされていく。
「だってしょうがないじゃないか。官話話せないんだし、お前に通訳してもらうわけにも………」
鬼に囲まれた少年のように愚痴る真三郎
「はぁぁぁ……だからあれほど勉強に励むようにと、父に聞かれたら……orz」
「まっ、まぁなんだ、苦手なのはしゃーない。落ち込むな樽金。それより歓迎の趣向は高評価だったみたいだし。」
官話の指南役であった落ち込む樽金の肩を軽く叩いて慰める。
(鯉のぼりは、まぁ琉球の川に鯉がいないのはしょうがないとして、大和でもまだそんな風習がなかったとは…………)
「しかし!諭祭や、冊封の儀は並ぶだけで何もすることはありませんが、仲秋の宴は主宰ですので、まず逃げられませんよ!後四ヶ月はあります。挨拶や日常会話程度は、覚悟してくださいね。」
立ち直るやいなやスパルタ式宣言の樽金である。
「うっorz 、ま、真牛ぃ~さんらぁ~」
「諦めてください。」
「うっ!こっち見ないでください。」
「折角だ、真牛も三良も一から復習しましょうか?図南に教えてもらうのとどっちがいいですか?」
「「ううぅ、どうせなら翠微楼辺りでイロイロと楽しみながら勉強した………………ごめんなさい。」」
日が沈んだせいではなく、樽金の吐く息が白くなる程の冷気に震え上がる真三郎達であった。
「殿下!荷卸しは完了いたしやした!?どうかなさったので?」
「い、いやなんでもない。ご苦労であった。悪いが、船長に差し入れの酒肴なりを持参したいと伝えてくれ、当番の船員に酒は不味いかな?」
「よーよーさー!」
「真三郎様?何か?」
「折角の機会だ!冠船を見せてもらおう!その為の差し入れにほれ?」
泡盛に長命酒、香ばしい焼豚に鳥の串焼といった酒肴に新鮮な果物までを抱えているのは川満船頭に木工頭、鍛冶頭といった金武の技術官僚達、ちゃっかり図南も混じっている。
「なに。ちょっくら技術の一端を調べさせてもらうだけだよ。特にあの甲板に狭間から見える仏琅機。請封使の鄭憲殿から話は聞いたが、聞いた話以上の武装じゃないか?」
三重城と屋良森城の鐘と太鼓の音に対抗して入港の際に空砲を鳴らし、琉球の民を驚かせた船首と船尾に固定された大砲。後にこの空砲を鳴らせた故事が、1度発射すると冷めるまで暫く使えないことから武装解除を意味する祝砲として入港時の儀礼に進化するのは別の話として、左右の舷側には弓矢や鉄砲用ではなくサイズからも大砲用の小窓がそれぞれ四ヶ所。伝え聞く南蛮船並の武装である。最も船の大きさは二百人乗りの冠船が数倍は大きい。明初、鄭和の大航海時代よりは造船の技術が落ちても冠船ともなるとその粋が詰まっていた。
「確かに、一号船だけでも10門はありますね。」
「ご禁制だし、武器の下賜は厳しいだろうが、どうにか取り入って探るぞ!まぁ半年は時間はある。まずは顔繋ぎだ。」
「揉め事は起こさないでくださいよ!」




