第4話 夕凪の浦添御殿
隆慶元年 3月 南国沖縄は既に夏模様。
海に囲まれている為、気温はそれほど高くなくても日差しは既に刺す様に痛い。
気の早いではなく、本格的に蝉が鳴き始めている。ー
「はぁぁぁ、暑い、Gはでかいし、蝉はジージーうざいし、Gはでかいし、顔面目掛けてめちゃくちゃ飛んでくるし。流石は沖縄 はぁあ……アイス食べたいなぁあ。
ちぇっ、氷さえ有れば、バニラとかなくても、塩と、牛乳と砂糖でなんとか……」
真三郎がぶつぶつつぶやいている。
現代知識チートがあろうとも物理的な手段がなければ不可能な物は不可能であった。
「はい!はい!真三郎様!ぶつくさ何を訳の解らないことを喋ってるんですか?ちゃんと手綱握っててくださいよ!いくら大人しい子馬といっても、余所見してますと鞍から落ちますよ」
樽金が、氷菓に届かぬ思いを馳せる真三郎に呆れて注意する。
「そーっすよ!昨日で祖父君、新城安基様のお見舞いと、出立のご挨拶は済ませましたが、この後玉陵(第二尚氏 王家の墓)での祭祀。
その後、羽地親方池城安棟様が準備なされた護衛の兵に金武まで持参する荷駄隊と合流。
今日中には、浦添王子の御殿まで行くんですからね!」
三良は金武への出立に際し、取り急ぎ元服。昨日より正式に大和名を漢那可良と名乗ることになっていた。ただし、未だ毒は吐けないようだ。
「日暮れまでなら其ほど急ぐ必要があるか?三良?真三郎様も北の方に向かうのは初めてだろう」
真牛は正式に手(沖縄空手)の師である座波親雲上の養子となり、座波正臣と名乗るが、柔道ではなく、手の使い手なので、猫は踏まないし、足でピアノを弾いたりはしない。
「まだ、日は高いし大丈夫っすよ真牛。真三郎様もなかなか上手く馬に乗っているし」
主従関係というより、甘えん棒な末っ子に対する兄たちのようである。
「しっかし、一枝姉上に会うのは久し振りだなぁ」
一枝とは真三郎にとって一回り以上歳の離れた異母姉、つまり尚元王と正妃梅岳の間に産まれた長女である。
首里城の江戸の世であれば所謂大奥にあたるの私空間御内原にあって、帰省の再に甘味の差し入れをしてくれた義姉は、例えおしめを代えるという羞恥プレイの相手として記憶がくっきりはっきりと残っていても、家族としても大切な人物であった。
◆
夕刻、高台の城からは夕凪の海に太陽が一際赤く鮮やかに沈もうとしていた。
「うっきゃー!真三郎ちゃん!おっきくなったわねぇ!
ほーんと一年ぶりかしらぁ?」
舜天、英祖、察渡、琉球における伝説の三王朝十代が居城とした中山王の城であり、首里に王府が移るまでは琉球の政治の中心地であった。
東シナ海に注ぐ牧港川が削り上げた河岸段丘の上に築かれた城塞。
首里のある南に向かって緩やかに広がりながらも、北側には牧港川を天然の掘となし、比高で50mはあろう断崖絶壁。
後の沖縄戦においても前田高地として堅陣が築かれ本島北部から首里を目指す米軍との血みどろの戦いが繰り広げることとなる、まさに戦略上の要地である。
浦添城内の御殿。つまり200年以上も前に遷都され、留守役として浦添王家が入城すれど維持に使えるは僅かばかりの采地。
城の規模ばかりは首里に比すれど、城郭の中にはとうとう畑が広がり、正殿のあったであろう跡地にどうにか王子屋敷と呼べる御殿が建っているのみ。
無人の城門を前にして、真三郎が真牛の手を借り子馬の背から降り、いや降ろされたとたん、侍女を引き連れた浦添王子朝賢の妃である一枝王女が、飛び付くように抱きつく。
「あ、姉上、お、ひさ、ぐ、、ぐる、し……ぎ、ぎぶぎ……」
「お、奥方様!」
「ひ、姫様!、真三郎様が、」
池城安棟より祖父替わりに真三郎の赴任の旅に同行するに大叔父、新城安桓と浦添御殿の侍女が慌てて止めにはいる。
「ゲホッ!ゲホッ!ゲホッ!はぁぁー」
(あー辺なところに入った、ったく、危うくまた転生する所だよ!)
「やだっ!ごめんねぇ真三郎ちゃん。久し振りだから!
ついうっかり、 そ、れ、よ、り、ほらー来て!真三郎おじちゃんでちゅよー」
侍女から、ようやく歩けるようになったばかりの幼児を大切に受け取った一枝が、楓の様にちっちゃなお手てを使って真三郎の頬っぺたをパチパチさせる。
「おっ、姉上様。この子が恩徳金ですね?ちょっと抱っこしてみてもいいですか?」
「勿論、いいわよょ!ほらーぁ恩徳、おじちゃん、しゅきしゅきは?」
「おじちゃん? しゅき♪(^з^)-☆」
(うぅーこりゃ可愛いぃぃ 姪っ子なら絶対『ルパ、んじゃなくて、金武の叔父様!』なーんて呼ばせつみるんだけどなぁ。
まぁ精神年齢は兎も角、見た目七歳にして叔父さん呼ばわりはちょっとアレなんだけどなぁ)
「おっ!恩徳!今日は俺と一緒に遊ぶかぁ!確か玩具が……」
「うん!おじちゃんとあそぶ!」
翌日、終始興奮し夜中まで中々寝付けなかった恩徳にせがまれて一緒に寝た真三郎。しかし恩徳より、一繋ぎの宝のありかがが記されているという伝説の世界地図を盛大に貢されるのであった。
◆
「真三郎ちゃん。昨日は恩徳が粗相したみたいで、ごめんね。ごめんねぇ」
「いえ、姉上様、叔父上様、弟が出来たみたいで楽しかったです。首里に上がる際にはまた御殿に立ち寄ってよろしいですか?」
「真三郎君、いや朝公様。我が家は王子を名乗る家系じゃが、みての通り先々代の、分家の経緯から半ば隠遁するのが運命じゃ。
一枝にも苦労をかけとるが恩徳とは歳も近いし、これからも是非仲良ぅしてくれや」
浦添王子、朝賢叔父上は真三郎の曾祖父の頃に別れた分家で本来なら王統を継ぐべき長男の系統である。
世が世であれば朝賢こそが琉球国王になっていてもおかしくないが、第二尚氏王朝の開祖である尚円王の正妃宇喜也嘉の謀略により現在の分家、腫れ物に障るような取り扱いの浦添王家の地位が位置付けられたのだ。
もっとも尚元の治世に入り、政治の表舞台に立てないまでも、その長女一枝を正妃に貰うなど王族間の融和が急速に推し進められていた。
「はい、叔父上。姉上、恩徳、また遊びにくるからね!」
「こちらは、朝公様から恩徳様のむつきにでも」
かんじぃからの指示で三良が麻の織物を三反程進呈する。
宿代と今後も宜しくとの挨拶だが、首里や久米以外ではあまり貨幣経済が発展しておらず、もっぱら物々交換が主流である。
なかでも反物はかさばらない高額商品で、戦前の財閥の多くが江戸時代には呉服屋だったように、三反あれば年収相当、約300万はする超高級品なのである。
「これはこれは、ありがたくいただきます」
「ばいばい、おじちゃん!またきてね!」
馬に乗った俺に近寄ろうとする恩徳を一枝姉がつかまえる。
「恩徳、今度はおねしょするなよ!」
「ちがうもん。僕じゃないよ!叔父ちゃんがおねしょしたんだよ!」
「ち、違うぞ!お前ら、嘘だからな?」
三人トリオがジト目で俺を見るので慌てて否定する。
(う、恩徳め!へんな爆弾投下しやがって)
「さ、さ、もう、参りましょう!」
かんジィの出立を促す声に押されて、出発した真三郎一行は、続いて叔父に当たる北谷御殿、読谷山御殿のある座喜味城と泊まり歩き、四日目の夕方、日も山稜にかかった頃、傅役である池城安李叔父の待つ金武御殿、喜瀬武原の地にようやく到着したのだった。