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王子転生! ~王子は王子でも琉球第三王子!~  作者: 高見結
~王子は王子でも琉球第三王子~
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第59話 饗応役

図書館で明ではないけど清代の本を見つけたので専門用語を訳知り顔に使ってみました。

沖縄県立図書館には尚永王の冊封に来た正使が琉球について書いた記録本があるようですが

 十一月、金武の山々では真三郎達が植林し、増やし始めた琉球(はぜ)が徐々に色づき初め、常緑の山々に点在する紅葉の赤がより鮮やかに引き立つようになっていた。


 そして、首里城 (ニシ)殿 評定の間では、今年最後の明、福州からの使者が北風に替わる前の南西の風をぎりぎりで捕まえて、首里の王府が待ちわびていた報せをもたらしていた。


「皆の者!既に聞き及んでいる者もいるやもしれんが、福州は柔遠駅(じゅうとうえき)(琉球大使館)より待望の報せがあった!孫親雲上(ぺーちん)!」

 開口一番、王府の重臣に王族のみが緊急に召集された御前会議の場で深紅の唐衣装を纏った尚永王が喜色満面の面持ちで口を開く。


「はっ!では、京師(ペキン)請封使(せいふうし)鄭裕(ていゆう)殿からの使いによりますと万暦(ばんれき)の帝より六科(りっか)戸科左給事中(とかさきゅうじちゅう)蕭崇業(しょうすうぎょう)殿が正使、行人(こうじん)謝杰(しゃけつ)殿が副使にそれぞれ任ぜられ冊封使として福州に向かう準備にはいったと。

  只、冊封使の乗船する冠船(かんせん)の建造も始まったとのことでありますが、海禁の緩和により福州では冠船の規格に合う帆柱の杉材の確保に苦慮しており、来夏の完成は難しく、再来年の出航になると見込んでおるとのことであります」


「「「御主加那志(うしゅがなし)、請封の願が叶い、真におめでとうございまする!」」

 十名程の重臣一同も唱和して跪礼する。


 冊封の承認については、先行して帰沖することとなった慶賀使(けいがし)鄭憲(ていけん)が一足早くその報せを王府に持ち帰ってはいたが、続く作業が順調に進んでいなかった。

 来年ではなく、再来年に冊封となることは冊封使を国を上げて接待しなければならない琉球の財政にとっても時間的にもあきらかに朗報であった。


「うむ、冊封が延びるのは残念じゃが、十分余裕をもって歓待できよう。冊封の儀や、七度に及ぶ歓待の宴に関する正式な耳目(じもく)は年明けに予定しておるが、内々に素案を伝える。それぞれに十分吟味するよう。孫!」


「はっ!」

 筆者主取(ひっしゃぬしどり)、孫親雲が冊封使の来沖に備えた歓待、普請番等を順に読み上げてゆく。


「三司官、名護親方(なごうぇーかた) 良員(りょういん)!」


「はっ!」


崇元寺(そうげんじ)の改修、修繕、諭祭(ゆさい)(琉球王朝の祖廟)の饗応役とする。承琥(しょうこ)和尚と共に万事抜かりなく準備を整えるよう!」


「かしこまりました」

 三司官の長老格である名護親方が最も重要な儀礼の幹事に任ぜられる。


「三司官、羽地親方(はねじうぇーかた) 安棟(あんとう)!」


「はっ!」


天使館(てんしかん)の改修、修繕、天使館での饗応役とする。唐営総司(とうえいそうつかさ)と共に、先例故事を確認するよう勤めよ」


「はっ!」

 跪礼する池城安棟の表情は芳しくない。通例ならば夏至から冬至までの約半年間の琉球滞在中の主な宿泊先となる天使館での饗応役。

 五百人近い明人が格下と侮る異国に滞在するのだ。久米唐営を仕切る総司の補佐があっても大変な出費と揉め事を仲裁する気苦労が絶えないかなりの難職である。


「三司官、国頭親方(くにがみうぇーかた) 盛順(せいじゅん)!」


「はっ!」


南苑(なんえん)の整備、修繕、重陽の節句の饗応役とする」

 三人の中で最も知行の少ない国頭親方は比較的軽めの労務となり喜色満面である。


久米具志川(くめぐしかわ)王子 朝通(ちょうつう)!」


「はっ!」


綾門大道(あやじょーうふみち)の改修を命じる。特に上の綾門は城の正門、三跪九拜の儀礼の場となる。

 琉球の威を示す威容のある牌門(はいもん)(中華街の入口によくあるようなやつ)に改修するよう。また、来沖時や、帰明時に風待ちで久米島に駐留する場合に備えた接待の用意も整えるよう」


「かしこまりました。」

 那覇近郊に百貫ばかりではあるが采地を賜り弟の即位以来、首里屋敷に駐在を続けていた兄王子に首里の主路(メインストリート)である綾門大道の整備と二つの綾門の修繕が命ぜられた。


 この内の一つ、上の綾門と呼ばれた城側の牌門が現在も残り二千円札にも描かれた守礼門の前身であり、尚永王の御代に板葺きから赤瓦の現在の形に改修されたのであった。


(あっ!あーあ、俺がそっちやりたかったなぁ。三大がっかりに数えられるようなちゃちぃのじゃなくて、もっとこう、ゴージャスな感じにしたのになぁ)

 人の仕事に余計な感想をもつ真三郎である。


 三大がっかりの一つと呼ばれたのは首里城が大戦で焼け落ち、石垣のみ遺されポツンと守礼門がさびしげに立っていた二昔は前の話で、首里城正殿等が次々と復元され、彩飾も施され世界遺産にも指定された現在は琉球王朝の繁栄と独特の美意識を感じさせる観光スポットである。


「金武王子 朝公(ちょうこう)!」


「はっ!」


三重城(みえぐすく)屋良森城(やらむいぐすく)の改修を命じる。冊封使の船を迎える港の要で那覇の玄関である。

 南海の鎮護の港の象徴となるよう改修するよう。また、仲秋の宴の饗応役とする」


「はっ!」

(仲秋の宴か、かんジィか、誰か前回の冊封使について調べないとなぁ)


「王舅、北谷王子 朝理(ちょうり)!」


「はっ!」


「餞別の宴の饗応役、並びに妃、夫人の衣装を整えるよう!」


「ははぁ!」

 王の岳父に対しては軽い労務に居並ぶ重臣達に一瞬のどよめきが走る。


「勝連王子 朝宗(ちょうそう)!」


「これに」


拜辞(はいじ)の宴の饗応役に任ずる。また、帰路の糧食十日分を準備せよ!」


「はっ!」


「東風平王子 朝典(ちょうてん)!」


「はい。」


望舟(ぼうしゅう)の宴の饗応役に任ずる。長虹堤(ちょうこうてい)の修繕を命じる」


「かしこまりました。」


読谷山(ゆんたんざ)王子 朝苗(ちょうびょう)!」


「ここに!」


「貢納として牧原(まきばる)より、良馬百頭、硫黄二万斤を手配せよ!」


「仰せのままに。」


「伊江王子 朝義(ちょうぎ)!」


迎接(げいせつ)船の手配を命じる。天使館、柔遠駅の官吏と進貢船と派遣の準備を急ぎ進めよ!」


「はっ!」



「それから、天使館に新たに館務司、承応所、供応所を設ける。また、それぞれの手伝い方となる理宴司、書簡司等は後日任命致す。それぞれに手伝い方も手配せよ!」


「「「「ははぁ!」」」」

 集まった冊封使を直接接待出来るだけの格を持つ三司官に王叔、王兄、王弟の王族衆にそれぞれの役割を割り振った尚永王。

 その言葉を合図に一斉に平伏して王の退出を見送る。

 琉球国王の一世一代の大事業、冊封の儀まで残すところ後1年半となった。



 ◆


 金武御殿(うどぅん) 二番座

「主上より、三重城と屋良森城の修繕と冊封時の仲秋の宴の饗応役の内示があった」

 座敷には真三郎を主座に大叔父で家宰のかんジィこと新城安桓(しんじょうあんかん)南風掟(はえおきて)にして普請方兼船方の叔父池城安李(いけしろあんり)。蔵方の樽金こと程亮成(ていりょうせい)、山方にして真三郎の護衛役(SP)真牛こと座波正臣(ざはまさおみ)、農方の三良(さんらー)こと漢那可良(かんなありよし)、器用さを見込まれ正式に工方の副頭となった僅か7つ程の図南(となん)に探索方の飛漣(フェーレン)までがそろっていた。因みに工方頭は真三郎が兼務勤めている。


「三重城に屋良森城、それに仲秋の宴でございますか?」

 叔父である安李の顔には憂いが浮かぶ。

「かんジィは前回の、父上の時は誰がどうやったか覚えてるか?」

 時の三司官筆頭であった新城安基の家宰を勤めていたかんジィにまずはと前例、故事を尋ねる。

「ひょ、ひょ、ひょ、そうじゃのう。確かあれは……そうじゃ当時の大伊江王子が饗応役じゃったかな?あの時はそう、仲秋の宴は南苑じゃったな」

 記憶をだどり思い出すかんジィ


「重陽の宴を司る国頭親方が南苑と決まったからなぁ。早速国許で菊を植え付けるとか、大和からも大輪の苗を集めると騒いでいたぞ。しかし亡くなられた大伊江王子様だったとは。詳しい資料が首里に残っておるかな?」

 仲秋は、旧暦の八月、先に九月の菊の節句を祝う会場を借り受けるのは困難だし失礼にあたる。

「しかし、仲秋の宴は天候だより、場所も城か、同じ南苑では芸がないし、国頭殿と被る。あっ、それより問題は三重城と屋良森城の改修か?」

 真三郎の指示を受けようと三良が話を向ける。

「うーん、城からは具体的は指示はなかったがなぁ」


「兄より届いた文では漫湖(ま○こ)の入口にあたる両砦の改修はどうしても河にかかるので真玉橋(まだんばし)の普請で事に当たった殿下に押し付けることが決まったとか、兄も天使館の役目に庫の銭を見るのも怖いとか」

 安李が三司官の安棟からの文を広げてみせる。完成した真玉橋は大風(うふかじ)が豪雨をもたらしてもびくともしていないが、祟りを恐れ大雨が降る度に上間親方(うえまうぇーかた)の屋敷に石を投げる民も未だにいるらしいと結んでいた。


「費用は免ぜられる王府への貢納分ぐらいではないのか?」

 今年の二期目と来年一年、滞在する再来年の一期目、都合二年分の貢納は免除するとの通達があったのだ。


「ふっふっふっ、まさかやぁ」

 可哀想な子をみる目付きの樽金がやさしく、いや凍えるような冷たい瞳で微笑む。

「いいですか、少ない時でも三百名からの冊封使一行を半年の間。衣食住の全ての面倒を琉球が見るのです。国中の豚がきゃつらの胃に消え去る程にすっからかんになります。

 先王陛下もまだ壮年でしたし、王府の銭蔵にしても慶賀使の貢の工面に苦慮しておったほどで、準備の費用を我らに持ち出せとのことですよ」


(こ、こわいよ!樽金!)


「なるほど、御殿を引っ越す程に懐が潤っていると評判の王子様に金を吐き出させようとしたわけだ!」

 出してあった茶菓子をさっと口の中にに入れた飛漣(ふぇーれん)がも口から菓子の粉を吐き出しながら考えを叫ぶ。


「うっ!まさか、なっ」


「いや、いや確かにありうることやも」


「金武間切の経営や慶良間の開墾で租税だけじゃ真っ赤なはずだぞ」


「まぁ卯屋の儲けに黄殿からの銭もありましたし。米や雑穀以外の儲けで確かに余裕はありますが……」

 樽金が議事の進行を真三郎に促す。

 

「うっ……、仕方ないか、折角だ。うちの銭蔵と各内政の進捗や、今後の仕事の割り振りを決めるか」


「「「はっ!」」」


「では早速、今年の上期の歳入ですが、ざっくりいうと金武間切は表高さ二千二百石に対し米換算で一万二千七百三十石。慶良間間切百二十石に対し四百八十二石の持ち出し、と、まぁ大変な大赤字になります」

 樽金が帳簿を捲る。マカオからの本で知った事にしたアラビア数字を用いた帳面は薄墨で枠を取り樽金の工夫で簿記の様に見やすく纏められていた。


「へっ?……………………………いや、慶良間の持ち出しは解るけど、実高?約六倍?おかしくなくなくない?」

 慶良間の赤字に気を取られそうになった真三郎だが、あきらかにおかしすぎる数字に言葉尻もおかしくなる。

「いえ、王府への貢納米六百六十五石に上布百二十八反、儀蔵として各地の大屋子(うふやこ)屋敷に蓄えた雑穀五百石分はあらかじめ除いております」


「そんなに?」


「はい、黒砂糖と鬱金(うこん)は基本全量を役所で買い上げております。その価格差による収益です」

 薩摩時代に言われた砂糖地獄と称されるような苛政ではないが、儲かるからと砂糖だけを作ると食物がなくなり、無計画な耕作も地を荒らす恐れがあるため価格差のある換金作物については御殿の専売の形をとっている。単一作物(モノカルチャー)の弊害である。

(明や大和からの米輸入を米会所で調整出来つつあるしな)


「田と変わらぬだけの作物を畑でも得ることが出来て領民の暮らし向きはかなり良くなりましたが、これまで多くの田を地割されていた民や元々米で潤っていた金武、宜野座、漢那の三村からはすこし不満の声も……」

 漢那大屋子の次男でもある三良がかなりいいにくそうに実家の村での雰囲気を物語る。

「人の不幸は蜜の味か、これまで貧しく見下していた家や村が豊かになると自分が苦しく見えるか…………うーん考えておこう」

(特権がなくなる不満かぁ、あーやだやだ)


「オホン!話を戻しても? では、これに米会所での出荷調整による利益が千二百六十三石」

 樽金の算盤がパチパチ唸る。

「それから、別会計にしております卯屋分で、ああ、これは銀子に換算して四千五百三十六貫の利が生じております。これには銀子に換えていない在庫の品が含まれておりません」

 表紙に○卯と書かれた別冊の帳面をパラリとめくる。


「いや、未収金というか在庫品の帳簿上の価値も把握しないとなぁ」

 真三郎が口をはさむ。

「卯屋には薬種に店の品々、鍾乳洞に貯蔵してある古酒と仕入は兎も角売値の評価の難しいものが実に多くて」

 やんわりと真三郎の指摘に駄目だしをする樽金、現在と違い、売値と買値に差がありすぎる当時において時価の算定は困難である。

「そ、そうだな」


「山方はそろそろ収益も出そうです。木材用はまだですが、今年は(はぜ)の実のつきかたも実によく。この後、ハブの冬眠を待って山に入ります。冬には付加価値を付ける為の蝋燭作りも進めます。

 春には同じ搾り機で椿の実から油等を。また、山方では他に藍や、炭、特に白炭が鰻売の春華屋から他の店にも評判で良値で売れておりますので力を。石灰は恩納は鴉那(アナ)岬の新御殿用に増産しており、那覇への出荷も予定しております。三重城等の改修にも使えるでしょうな」

 続いて真牛が山方の帳面を樽金に差し出しながら報告する。


「真三郎様、それより問題は歳出です。鴉那御殿(ANAうどぅん)の建設費の殆どを卯屋と黄殿からの臨時歳入を当てるのはいいとして、石鹸工房、機織工房、鍛冶、儀蔵の増設、橋の掛け替え、上水道の引き込みに新田や、新畑の開墾、牧の整備はまぁいいてして、この養老保育院、科学技術大学とはなんですか?」

 真三郎のやりたいこと一覧と書かれた帳面を捲る樽金。


「こっちは、藍小屋、焼き物窯、炭焼窯、皮革小屋、縄小屋に、紙漉き?朝公様。冬でも糊が腐るので琉球で作るよりは高くはつきますが、明や大和から購入した方が……」

 回された帳面に安李も苦言を呈する。

「こちらは慶良間で製塩場に、燻製場、真珠養殖に操船技師養成学校に養殖のり?」

 三良もほどけた帳面に書かれた企画案を回し読みする。

「ひょ、ひょ、ひょ、これはなかなか、片っ端からよくもまぁ考えたものじゃが一度にはとてもとても。

 人手も金も足りませぬなぁ。これに新たな普請に饗応役とは、引っ越しもありますからのぅ」


「ううっ、か、隠してたのに、ORZ」


 『ぼくのかんがえたちーとなさいきょうないせいぎじゅつけいかく』


 帳面の表題を無情にも読み上げられる辱しめ、寝台の下に隠していたブツを見付かった真三郎(14歳)は年相応に掛かるはやり病に深く侵されていたのかも知れなかった。




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