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王子転生! ~王子は王子でも琉球第三王子!~  作者: 高見結
~王子は王子でも琉球第三王子~
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第3話 円覚寺の修行

 精神と時の……

 ではなく、修行が始まり1年と半年、真三郎は間もなく6歳になろうとしていた


 池城安棟(あんとう) 首里(しゅり)屋敷

  屋敷の庭では白い髭に太い竹を杖替わりに握った仙人然とした装い、その割に背筋も通った老人の前で三人の少年と一人の子供が(ティー)(空手の原型)の型を演武していた。

  老人の名は阿波根(あはごん)(ティー)の後継者である座波親雲上(ざはぺーちん)

  直接の師匠であり、流派の開祖阿波根実基(あはごん じっき)は、単身で京の都を舞台に尚王家伝来の宝剣を巡って冒険活劇を繰り広げたという伝説を持つ、正に立志伝中を地でいく傑物である。


「「「ハッ、ハッ、ヤー!」」」

「ヒャ、ヒャ、ヒャー!」


 一回り小さい子供だけが動きにずれがあり、発声もおかしい。


「やめっ! 礼!」

 先頭で向かい合わせに型の演武を披露していた真牛(まうし)が号令とともに振り返って、礼をおこなう。


「「「「ありがとうございました! 師父」」」

「あひあひ、した、しひゃ」



「みっ、みじゅー、真牛、みじゅー」

(し、死ぬ、こんな炎天下で空手の型なんて、俺の身体はまだ6歳だぞ、小学生前に、虐待だぁ

 転生したからって、普通の日本人がチートスキルとかなくて、いきなり格闘技とか出来るようになるはずないだろ!)


「真牛、基本の型はよいが、真三郎金様の身体がまだ出来ておらんからかのぅ、軸がぶれて、腰が全くはいっておらん。」

 若干、覚えの悪さにあきれた老人が、竹の棒で背中、腰と悪い点を的確に指摘する。


「これほど、覚えの悪い童、いや教えがいのある子は初めてじゃ、金武に行っても日々精進するんじゃぞ」


「はい、じっちゃ……いえ、師父、阿波根流の名に懸けて!」








 ◆



 首里円覚寺(えんかくじ)

  琉球王国の首都 王府首里、中国より伝わった風水思想に沖縄独自のアレンジを加えて作られた王城首里城。

 その北に置する臨済(りんざい)宗の寺院であり、本家鎌倉の円覚寺を模して作られた尚王家の菩提寺でもある。

 その周辺には現在は跡形もないが、天界寺や、天王寺といった寺院が建ち並び、首里の都は宗教都市の一面を有していた。

  同時の沖縄では首里を中心に武士の宗教である禅、特に臨済宗の禅僧は官話つまり中国語を操り、琉球の屋台骨である交易にも携わっており、現世御利益もあって盛んに信仰されていたのである。




隻手(せきしゅ)声あり、その声聞かん! (両手で拍手したら音がする、では片手で拍手したらどんな音がするか?)」

  寺の金堂(こんどう)で座禅を組む四人の少年に向かって、吟うような美声で、問答をおこなうのが円覚寺の知蔵(ちぞう)(修行僧のリーダー役)、俊英で次代の住持(住職)ともっぱらの噂の美形な僧である。

 


「片手で拍手できるわけねーし」

 三良(さんらー)がふてくされた様子で声をあげる。


「馬鹿だなぁ サンラー。 それでは問答になりませんよ。

 両手でなくても膝とかを叩けば拍手はできる。型にこだわらず、両手と同じく音は鳴る。という答えはいかがでしょう?」

  樽金(たるかね)はちょっとひねりを加えた解釈を導こうと考えを述べる。


「うむ、見方を変え、柔軟な発想はなかなか……真三郎様に真牛はどうじゃ」


「おっ! おっ! ほら! 片手で拍手したら風がビュッて!」


「「いや、違うだろ、真牛(まうし)答えになってないだろ!!」」


  真三郎達四人の学生? 生活も約二年が経つ。

 一応それなりに背も伸び大人っぽくはなったが、相変わらずの面々である。


「いや、真牛はいい線いってるかも、えーと、真牛(クラス)だと、風を切る音が聴こえる。

  拍手は手と手がぶつかる衝撃の音で、叩き方で音が変わるのは空気が圧縮されるから……片手でも、空気にはぶつかる? 風の音………いや、埃や、水蒸気だってあるし、聞こえないぐらいの音がする? 」



「「はぁー また、真三郎様が訳の解らないことを言ってるさぁ」」


 三良(さんらー)達が一斉にため息をつく、そう、真三郎は時に前世知識に基づいたことをちょいちょい洩らしては不思議ちゃん扱いされていたのだった。

(あちゃー、またやらかしたかな?知蔵様の眼が変に鋭くて怖い。)


「真三郎! 空とは《我》がないことじゃ、衝撃とはどういうことじゃ?」

 真三郎の呟きに僧が反応する



「うぅ……えーと、この空は真の空じゃないとゆーか……ほら、臭いとか、湿ってるとか、眼にみえないなにかがあるかも、なんちゃって…」

(セ、セーフ!誤魔化せた!)


「真なる空……真なる空……」



 後日、自らの修行が足りないと、円覚寺の知蔵の役目を辞し、琉球から遥か京都は大徳寺、一休禅師で有名な禅寺の名刹に修行の旅に赴くべく交易船に乗り込む青年僧の姿があり、長い年月を経て奇縁が再び結ばれるのはずっと後の話。

 





  その栗色の細く綿毛の様に柔らかな髪は(じーふぁ)(柄の長いスプーンの様なかんざし)を刺せるまで長くはなく、やっと肩まで届くまで伸びた程度。

 南国特有のジリジリと焼きつく太陽(ティダ)の強い日差しにも焼けにくい性質なのか、引きこもりの気質か色白であり、顔は母親にそっくりな男の子こそが琉球国王尚元王が第三王子

  間もなく七歳になる童であるが、僅か四歳にして金武(きん)間切(まぎり)の十四村、約千五百石の大名(でーみょー)になった尚久(しょうきゅう)王子、大和名(やまとな)(うふ)の美修語を添え大金武王子朝公うふきんおうじちょうこう 童名 真三郎金その人であった。




 隆慶(りゅうけい)元年4月

 首里城内 黄金御殿(くがにうどぅん) 書院 尚元王 私室


「……で、真三郎の様子はどうじゃ?」

  中国風の正装である(ほう)を脱ぎ、浴衣に似た部屋着でミミガーを肴に泡盛をちびりとやりながら話しを向けるのが琉球国王尚元である。


「はっ! 某が聞いた所によると、文廟(ぶんびょう)(孔子を祀った中国寺院)での官話(中国語)や四書五経の覚えは芳しくないとのことですが、十八史略、特に三國志は、老師も驚くほど詳しく、まるで見てきたように話すそうです」

  官位は低いが国王側付きの小姓が答える。


  正室であり、宗教上のトップでもある聞得大君(きこえのおおきみ)への就任が内定している正妃梅岳の生んだ真三郎の一つ上の兄王子阿応理屋恵(アオリヤエ)王子。


 その王子を中城王子(王太子)に就けるため、庶長子である尚康伯(こうはく)朝通(あさつう)は琉球の対明朝の表玄関であり、君南風(きみはえ)という高位神女(ノロ)を抱え、格式は高いが離島で実質的な石高はかなり低い久米島、久米具志川(くめぐしかわ)王子に封じ、そこに領地を与えている。

 

  そして、第三王子であるものの、真三郎は自らの即位に貢献したやり手で三司官を退いた今も相談役として国政を動かす毛竜喧(もうりゅうせん)こと、大新城安基(うふあらぐしくあんき)の孫でもある。あまり軽い扱いもできない。

 

「ふむ、官話は不得手か。 円覚寺での様子はどうじゃ」


「はっ、禅はこらえが足りぬようでございますが、算学の才があり、一を聴いて十を知るとはまさにこの事と円覚寺の知蔵(ちぞう)殿がいたく驚き感心しておりました」


「ほぅ、算術は得てか」


「はっ!その他、大和の情勢や、各間切の様子や産物、経世(けいせい)にも感心を示し、稀に大人の様な達者な口を聞くこともあるとか」


「剣はどうか」


「才はないかと、(てぃー)の師範が一通りの型は教えておりましたようですが、剣や手はどうも……護身用の棒を中心に教えておるようでございます。

 馬には好かれる性質のようで、なかなか巧く乗りこなしております」


「戦の止まぬ大和なら兎も角、まぁ護衛の一人でも付ければよいか。

 ふむー……大明ではなく、大和の方に興味があるのか、官話が得てなれば、何れ北京の国士監(こくしかん)にでも遊学させ、学問等で阿応理屋恵(あおりやえ)の摂政、補佐をさせようかと思うてたが」


「そ、それはなりませぬ、御主(うしゅ)

 国士監への遊学は久米唐営(くめとうえい)の特権、騒動の種になりまする。それに、大新城(うふあらぐすく)様に羽地(はねじ)親方がなんというか。

 そもそも、王族、王子を直接国政に関与させるのは」


「あー、あー、わかっておる。まだ、童ではないか!玉陵(たまうどぅん)(王家の墓守)の役など子供には抹香(まっこう)くさいわ!

  まぁ良い。話しは変わるが、大陸では嘉靖(かせい)の帝が崩御なされ、宮廷を牛耳っておった怪しげな道士どもが一掃される政変があったそうじゃ。

 あちらの、大明の民にとれば喜ばしい事かもしれんが、こちらの鼻薬の利いた役人まで一掃されかねん。何やら海禁政策も廃止する動きがあるらしい」


「そ、それは誠で!」


「戯れ言を言ってどうする?倭冦の衆共もそろそろ騒ぎはじめておる。

 海禁が解かれ、大明と大和が直接交易するような事態になれば、博多や堺の船が那覇の港に来ることも無くなるかもしれん。

  国家危急の折に唐営や、門中(もんちゅー)(一族)の既得権益ばかり求めよって、王府にましな情報をいれてこんではないか!」

 

  「浄海(じょうかい)王と名乗られていた五峯(ごほう)殿に海禁の廃止と、官位を与えるという誘い話しがあった時は……あれは結局、捕らえる為の謀略であった。あれも先帝が海禁を遵守したが為。

 此度は本気で廃止するやもしれん」


「南蛮人が、友好国であったマラッカ王国を占拠し、マカオに根拠を得てからは、蘇木(そぼく)(赤の染料)を初めとする南海の産物の質も量も低下しており、琉球の権益が次々と奪われつつあります。

 アユタヤ王国の方でも何やら戦乱の兆しがあるとか、その上、大和や倭冦の船まで減ってしまうと……」


 じっと手中の杯の煌めきを見詰めていた尚元がグイッと一息に杯をあおる。



「……まぁ、よい。今日は真三郎の話であったな。

 そちの言う様子だと国士監への遊学は難しかろうて。

  安棟より、まもなく喜瀬武原(きせんばる)の御殿が完成するとの文が来ておる。

 まだ独り立ちには早いような気もするが、安基(あんき)も歳で不例気味。今度こそ隠居して、孫の傅役でもしながら田舎に下がりたいと申してきておる。

 妃もうるさいことだし、予定通り、領国にくだらせよう」


「はっ!」








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