第52話 慶賀使
隆慶七年 元亀四年 西暦1573年 二月 真三郎十三歳
新金武御殿 (名称未定) 建設予定を眼下におさめる琉球八景が一、万座毛
「どうだ?この岬一帯の縄張りは?」
真三郎の手元には立体的な完成予想模型が置かれている。
広大な敷地に建物が散在する模型はもちろん手先の器用な図南謹製である。
「三方を海に囲まれ、恩納の港を懐に抱えますか?
交通の便は確かに良さげですが、いざというときの守りが問題ですなぁ」
南風掟の池城安李が渋い顔で弱点を指摘する。
「安李、戦国の大和じゃあるまいし、そんな囲む様な城壁はいらんよ、ハブが中に入り込まぬ程度の石垣と、後はそうだなぁ高さは四、五尺程度、目隠しとして上部には植栽でも」
「し、植栽?矢避けにすらなりませんが」
「琉球国の守りは今帰仁や首里の城があればいいだろ。ここは軍事上の拠点でもなし、費用も押さえらる屋敷程度の備えで済む」
「しかし、これ程大規模な敷地にする必要は?」
「まぁ、最重要機密の石鹸工房の他、幾つかの研究工房をここに移転する。四方を囲むより岬の入り口で仕切ると四分の一以下で済むぞ。
喜瀬武原は周囲の畑ごと農方と一部山方の作業場に特化だな。
お主ら家臣用の屋敷に来客用の建物も造る必要があるしな」
拾った小枝で模型の一画を指し示す。
「真三郎様、水利はどのように?この様に突き出た岬では井戸や樋川(湧水)はありませんが」
真牛が防衛面からか生活面からか水の便を気にする。
「当袋川からは遠いが、連座川の上流に小さな堰を築いて漆喰で水を導く導管を作る。
まぁ、水田を増やす為のテス……試作だな?先ずは試しにやってみよう!堰の方は山方の真牛に頼むがな」
模型の周囲に石や砂を寄せて小枝で水を引く線を示す。
「まぁ、砂糖や石鹸等の注文の品を納めればかなりの額の銀子が入りますから普請に多少の銭を出しても問題ないです。
領民への仕事になりますし、なにより堅固な銭蔵を建てることも必要ですから」
算盤の珠が積み上がり、大幅な黒字に樽金の頬も懐具合も緩みがちだ。
「だろっ!だろっ!」
「真三郎様!首里より急使が。五日後に評定所(最高諮問会議)が開かれ、王子様方も参集されたしとのこと」
村々を廻ってサトウキビの収穫と黒砂糖の製糖を指導していた三良が息咳って真三郎の元に駆けつける。
「三良!ご苦労。使いなら飛漣に頼めばよかったのにな。国政の場に王族をか?んー即位式関係かな?王妃の選定の儀なら書類審査が終わってそろそろ二次試験だよな、その件かな?」
「飛漣は別件で久米の方に。そうですね。そろそろ実技試験の頃かと」
「実技って何?保体の?ムフフッ」
「ムフフフフフッ!」
何か通じ会う真三郎と三良、お互いをつつき合う。
「何を想像してるかだいたい解りますが、実技とは遊戯や踊等の芸事、食事の作法、歩き方といった振舞いによる審査ですよ。
そのあと国母様や、大勢頭部による面接試験、これで、二、三名に絞られて、最終試験が黄金の鋏当てです」
安李は白い目で、樽金は呆れ果てながら説明する。
(兄上のかーちゃんによる面接って絶対圧迫面接だよなぁ、王妃選抜試験とはいえ、えーとこのお嬢さん達が可哀想だなぁ)
「まぁ、第六代琉球国王妃選抜総選挙!きっと落ちた子だって、それなりの琉球美人に間違いない!なぐさめたらムフフな展開も無いわけじゃないし、早速、急いで、火急、速やかに首里に登城するべ!」
「お供いたします!」
仕事をほっぽりだして随行しようとする三良は安李と樽金の説教をくらい泣きながら作った黒砂糖は甘味を引き立てる僅かな塩分が効いており、ミネラルたっぷりの琉球黒糖は大和でかなりの好評を得たという。
◆
首里城 北殿
北と書いてニシと呼ぶ正殿の右手に配置された政庁であり、南殿が中国風なのに対して大和風の建物。
ここでは琉球王国の最高執政機関として評定所が開催されていた。
重要な国政の問題を扱う為に設置される評定所の実質要員は玉座の隣、上御座に座る三司官に対して下御座、後々拡大され表十五人衆と称され組織化されていくのだが、当時は三司官がその首を兼ねる用意方、給地方、所帯方(農林、内務、大蔵)の三奉行(副長官)。
一段下と見なされる平等方(司法)、泊地頭(港湾)、双紙庫理(商工)、鎖之側(外務)の各長官のいわゆる神七である。
「では緊急の御前評定を行う。筆者主取(事務方トップ) 孫親雲上、王子殿下方にも改めて事情を説明せよ!」
三司官の一人、当番の国頭親方盛順の大声が室内に木霊する。
「はいっ!先日、大和北回りで泊に入港した明からの商船よりもたらされた急報で京師の国士監に遊学中の官生よりの文でございます。
実は昨年の七月、隆慶の帝が御隠れになられ、諡名は穆宗と贈られた由にございます。
また、既に御齢わずか十歳の皇太子殿下が大明の皇帝にお立ちになれたとのことです」
女とみまごうばかりの眉目秀麗な事務官が落ち着いた声でよみあげる。
「「「なっ!」」」
「へっ?」
間抜けた声は真三郎 金武王子朝公
「な、なんと!隆慶の帝は確かまだ四十手前ではないか!」
北谷王子朝理が怒鳴り散らす。
「確か三十五にございました」
孫親雲上が冷静に補足説明する。
「帝が僅か十では、宰相はどなたに?」
読谷山王子朝苗が額の汗を拭きながら明の政権について質疑する。
「はい、東宮の教育係でもあられた大学士の張居正様が今後も帝を輔弼するようです」
「そうじゃ、福州の柔遠駅からの、明からの正式な報せは?報せは確かなのか?」
「虚報はあるまい。時期的に船を出せぬまま逆風の季節になったのだろう。船が着いたら柔遠駅も大騒ぎだな」
「とにかく、宰相も変わらぬ。十の帝では明の方針が大きく変わることは……」
「ないじゃろうな。政に興味を無くし後宮に入り浸っては怪しげな精力薬を飲みまくり国政は既に宰相格の内閣大学士殿が牛耳っていたと伝え聞くからのう」
「み、み、み皆様方、大変なことをお忘れで」
ハッとした東風平王子朝典があわあわと顔面蒼白になる。
「確か先日福州に請封使として鄭憲殿を派遣したばかりですぞ!今から新たに慶賀使を、船を仕立てると成れば貢物の確保にどれだけの刻がかかるかと……」
「まぁ、落ち着かれませ。朝典様。その為に殿下衆にもお知恵を借りたくわざわざお集まり頂いておるのだ。
今、御物城の蔵は先王の御逝去に伴う請封使の貢で明から下賜された青磁や中薬、絹織物は兎も角、南方の産物の類いはほぼ空。
硫黄城に蓄えておる硫黄の方はどうにか在庫をかき集め、すぐにでも二万斤は確保できるにしてもだ」
三司官の主座である名護親方良員が国庫の懐具合を国政には関与しない王子衆に説明する。
「う、馬だけなら我が牧にて進貢用以上に常に確保しております。
質にこだわらなければ百頭程度なら問題ないでしょう」
琉球随一の放牧地を抱える読谷山王子朝苗が、琉球馬の飼育状態を答える。
「只、貢の品につきまして胡椒や蘇木等の南方の産物等のあてがございませぬ。
先王陛下の御代に南方のシャムに船を仕立てましたが、彼方でも都が陥落するほどの戦による混乱があり十分な仕入はできませなんだ故にございます」
孫親雲上の説明が続く。
「広東辺りの倭冦商人が南海各地に出没していると聞く。久米の商人から貢となる物を買い集めることは出来ぬのか?」
真三郎が三司官と孫親雲上に尋ねる。
「琉球内では余り使われるものでなく、大和の商人が仕入れた分を買い戻しても不足にございます」
「こうなれば、王宮の御物だけでなく、按司、王子様方の各蔵をあさってでも、」
(蘇木はともかく、胡椒なら伽俐用に少しは蓄えていたっけ)
「いや、いや、それは暴論!」
「大明の帝への慶賀の品だぞ!在庫の品で済ますことは出来ますまい!」
「それより慶賀使より請封使が先に着くのは大明に対して非礼に当たるのでは?」
「よ、呼び戻せ!」
「そうじゃ。話を聞くに隆慶の帝の崩御が先。福州の柔遠駅に着いたところで正使の正議大夫も困っておるじゃろう」
「呼び戻せと言っても今は逆風じゃて。貢もあることだし、慶賀の国書を急ぎ送り、請封使を慶賀使に仕立ててはどうじゃ」
「な、なるほど。速やかな慶賀使は琉球の礼節を大明に示すことになる。福州への船が出せる季節中に改めて請封使を仕立てるか、翌年に派遣するか」
「しかし、どなたを?」
「船は?」
「貢の品はどうする!」
(ふぅー、王妃選びの件かと急ぎ登城したら………)
「お鎮まりください皆様方!此度はこれだけではないのです。孫親雲上!」
三司官の一人でもある池城親方安棟が騒ぐ王子達に冷や水を浴びせる。
「薩摩の島津、新たに当主となられた島津義久公より綾船(飾り立てた祝賀使節)の要請がございます。」
「綾船?何故島津ごときに綾船を仕立てねばならん。絶えて久しいが、京の帝か足利将軍家の代替わりにしか派遣しとらんはずじゃが?」
物知顔に朝理が呟く。
「し、島津からは先代貴久公の当主就任時に琉球との窓口である島津家が足利将軍家の代理となり受け取る慣例ができたとか」
「待て、待て、その様な話は寡聞にしておらんが」
「そうじゃ、貴久公が当主の折りは腰を低くして通商を請うておったはずじゃ」
「薩摩、大隅の分家争いを収め、国人衆を取り込んで日向の伊東を破ったことで増長しおったか!」
「し、しかし三州をほぼ統一したとなればその勢いはいかに」
「なに、伊東の背後には豊後の大友がおる。敵ではあるまい」
「では、薩摩からの使者は?」
「こちらも先王の喪中じゃ、返事は夏に薩摩に向かう商船に使僧をつけて送り出せはよかろう」
「日の出の勢いの島津には逆らわぬ方が、綾船は是非に」
「やけに島津の肩をもつのぅ?さては」
「何を根拠に」
「尚元王の盛には琉球を上国として交易を請うために礼を尽くしておったのにのぅ」
「そもそも先王が御隠れになられたのも薩摩が大島の大屋子どもを唆したせいじゃ」
「おー!そうじゃ、そうじゃ。あれは二十年は昔、御主もお生まれになる前の話じゃ。確か嘉靖の帝の御代じゃたな。倭冦の海賊どもが琉球の近海にも出没し、明の沿岸を荒らしておってな?帝より大和の将軍や国司宛に海賊の根城を殲滅するよう要請があってなぁ」
長老格の平等方(司法)の長が耄碌してないことを示す様に話し出す。
「そうそう、確かその様なことが有りましたな。」
「それでじゃ、倭冦の根拠がある九州各地の大名に明からの下賜の品を添えて琉球からも使節を出したのじゃよ。ちょうど、その頃島津の先代貴久公が薩摩を統一し、一度は奪われた家督を取り戻して修理大夫の官位を授かったとかで多いに賑わい。使者の、えー誰じゃったかのう。犬追物をみせられたとかよく言うとったわい」
「まさか、倭冦討伐の為の下賜品を祝賀の品と?」
「過去の通信を確認するために念の為、文庫の資料を隅々まで漁りましたが、島津の当主就任に綾船を仕立てたような慣例はございませぬ」
孫親雲上が既に下調べを終えていたのかはっきりと断言する。
「ふん!犬を射て喜ぶなど、蛮人の為すことよ。戦ばかりで耄碌しておるのだろう。使者なんぞ突き返せばよい。」
(犬追物ってドッグレースかと思ったら………ワンちゃん射ちゃうのね)
想像していた催しの違いにブルッと震える真三郎。
「いやいや、隣国じゃぞ、博多や堺の船まで通行を阻害されたらどうする?ちゃんと謂れを説明し、三州統一、当主就任の祝いぐらい贈ってやろうではないか?」
「あのぅ、貢ぎの品は馬と硫黄のみが琉球の正貢と伺ったことが。
その他の品は明の欲しがる物、冊封使が琉球滞在中に久米唐営等で求める品を参考に加えて来たと」
恐る恐る真三郎が何故か手を上げて発言する。
「はい。左様に聞いております」
「うむ、そうじゃな」
「えーと琉球や、明の産物を求めに数多くの大和商人が久米にまで参っており、某も御主の即位式や婚儀の祝に相応しい品を求めております。
これら大和の品でも手の込んだ珍重な物に、芭蕉布や上布、夜光貝や珊瑚、鼈甲、真珠といった海産物を加えてみては如何でしょう。
また、大和の銀子は大明では喉から手がでるように欲しがっており、南蛮人のおるルソンにまで密かに船を出してるとか」
「真三郎、いや朝公の言や良し。良員、盛順、安棟(三司官)!急ぎ貢を整え請封使 正議大夫鄭憲の元に、長史鄭祐を新たな副使として派遣、国書をもって慶賀を兼ねさせよ!島津には北風がやんだ頃に時間稼ぎだ、因果を含めて天界寺より使僧でも派遣すればよい」
話を上段から聞いていた尚永王がおもむろに立ち上がり聖断を下す。
「御主の栽下である!」
当番の国頭親方盛順が代表して復唱する。
「「「「ははっ!首里天加那志、万歳!万々歳!!」」」」
評定の場にいた全員が改めて平伏し国王に忠節を誓うのであった。
本来は翌年の1574年に改めて慶賀使を派遣し、明からの冊封は正使の選定に二年、実際の派遣は遅れに遅れて1579年と即位式からなんと六年もかかるのだか、ストーリーの都合 でその年の内に送られるのであった。




