第51話 獅子の心
隆慶六年 元亀三年 西暦1572年 十二月
パーン!パーン!
ジャジャーン!グァーン!
雲一つない琉球の小春日和に銅鑼や鉦の音が響く、いや、気温二十八度を軽く越える汗ばむ程の陽気は、当然四十二キロも走れる訳がない夏日である。閑話休題
「出来ましたなぁ」
感慨深くめっきり髪が白くなったらしい上間親方がつぶやく。
「はい。全て長胤殿のお働きですな」
「なにをおっしゃいます。打ちしがれておりました某、いや娘を救って頂いたのは殿下のおかげにございます」
「いや、それはこれで」
唇に手を充てるが、真三郎におじ様趣味はない。
「まぁ。それに、これまでは出来るだけ川幅の狭い所に橋が短く済むよう架けておりましたが、岸を削り、川床を深く掘り流れを緩やかにするとは!」
「いや、いやこれまで橋が流されたのは大風で水量が増え、上流からの流木が橋桁にひっかかったり、破壊してのことと伺いましたので、明の石橋を参考にしたまで、真玉(真珠)の名に相応しい美しい橋に仕上げられたのは普請役の皆様のお蔭ですよ」
「金武殿下!親方様!除幕の準備が」
「わかった!」
国場川の北岸、橋のたもとの古波蔵村には千を越える民が渡り初めの儀に参加する為に集まっていた。
「日英様、よろしくお願いいたします」
橋の左右の袂の高さ二メートル程の巨大な石像に布が被せられ、橋の手前に築かれた護摩壇では神像の開眼の儀式が厳かに始まる。
「サッダルマ プンダリーカ スートラ!…………………」
琉球の王家や士族は禅の臨済宗を主に保護している。
首里城に隣接し、その一部といえる真三郎達も幼年期に学んだ円覚寺。母、梅嶺が出家した天界寺。泊にあり現在では戦災で焼失し石門しか残されていないが冊封使が参拝し、琉球代々の祖霊を祀る崇元寺もしかりである。
しかし、仏教に余り縁のない庶民にとっては内面の修行が主な禅よりも真言密の儀式がより珍しく厳かに神秘的に感じられた。
カッーン!カッーン!
左右の石像の眼に日英上人がノミを軽く入れる。ノミには五色の綱が結わえられており、貴賓席の真三郎を始めとする普請役の面々が綱から延びる紐を握り、手を合わせる。
「サッダルマ プンダリーカ スートラ!殿下、親方。さぁ御披露目を」
真三郎と上間親方長胤が先頭に立ち、垂れ幕をゆっくり曳くと白く輝く琉球石灰岩で彫られた二頭の神獣像が露になる。
「王子殿下!」
「あ、あー!皆の衆!聞こえるか!金武王子の朝公である。此度は真玉橋の修復に各村より普役御苦労であった。
新年には即位の儀を控えた首里天加那志よりの御酒の振舞いも頂いておる!」
「「「おー!」」」「「酒じゃあぁぁ!」」
「静粛に!」
側に控える真牛のよく通る声が振る舞い酒に沸き立つ群衆を一喝する。
「あー、水の神は古より龍と言われておるが、龍は首里天加那志の、お城の象徴で不敬となる。
また、虎では竜虎相討ち風雨を招くとの故事もある。そこで西方百獣の王たるの神獣の像を橋の守り神としてお招きした。」
「殿下、して神獣の御名は?」
「獅子さぁ!!!」
真三郎の声がこだまする。
「ししさぁ?」
「シーサー!」
「おおっー!シーサー!」
「シーサー!素晴らしい響きじゃあ!」
「宮にある阿吽の犬の成りじゃが、迫力が違うのぉ」
「博識な殿下じゃ、ありがたやぁ」
「シーサー!あの渦巻く毛並み!まるでドリルとなって穴でも掘りそうじゃ」
「ふん。それでは妖怪じゃないかーい!」
「あ、いや、あの、獅子ライオン、なんだけど…………」
真三郎の独り言は喚声に消え、先導する日英上人の散らす蓮の花弁を模した紙吹雪が周囲にヒラヒラと舞い散る中、銅鑼から始まる楽団の演奏に押されるように渡り初めの儀式がはじまり、御主よりの下された泡盛の酒宴が橋の両岸で日没まで続くのであった。
〜本来は100年後の1690年頃に頻発する火災を鎮める為に東風平村に造られたのが嚆矢であるが、聞き違いにより風雨を鎮める水神、守り神獅子さぁ(笑)、台風や、火事も防ぐと変遷していき、琉球の各地、各家の屋根や門柱に造られることとなるのであった。
◆
隆慶七年 元亀四年 西暦1573年 新春
尚元王の喪中であり、即位式を間近に控えたおとなしめな新年を迎えた琉球
久米唐営
「いよいよ請封使の派遣ですな」
請封使ではないが、幾度か進貢の随行と副使の経験がある羽友が懐かしそうな声をこぼす。
那覇の港の唐船グムイ(泊池)には真三郎が下賜された告天号の二回りは巨大なジャンクが三艘。琉球の左御紋旗に日章旗、色鮮やかな百足を模した飾り旗が帆が張られてはいない三本の主柱をこれでもかと飾り立てている。
波打ち際に設けられた祭壇では三平等の大アムシラレ(高位神女)が高齢の聞得大君の代理に海鎮めの儀式を行い。久米村の船員の家族は天妃宮にて碼祖に航海の無事を祈る。
順風に乗れば僅か四日で琉球の指定港であり、柔遠駅(琉球館、駐在大使館)のある福州に着くとはいえ、船底の床板一枚下はもう深淵の海、一歩間違えば海の藻屑である。祈る神は多い程役に立つ。
どうにか通例の朝貢と琉球国王の体面を保てるだけの請封分の貢に必要な品々をかき集めらたことから漸く出航である。
「正使はどなたが?」
「鄭家の跡取り、正議大夫の鄭憲殿ですな」
髭を捻りながら答える羽友
「鄭家は久米三十六姓、国府に仕える家系の筆頭。代々正使を勤めておりますし、かっては官生として京師の国士監に遊学しておりました。何度も明には渡っておりますので高官に伝もコネもありまするな」
「なるほど」
「今回は請封がありますので大任です。その他に久米からの官生として鄭、蔡、沈家から一名づつ」
二年から三年の期間で明全土から科挙の試験に挑む為の秀才が集まる最高学府国士監。
明には朝鮮や南越、チベット、インドネシア等日本を除くアジアの国々が朝貢していたが、琉球王国のみが国士監の敷地内に住み込んで学べるという特免の地位を得ていた。
「いずれは久米を、琉球の外交を背負って立つ者達か」
「はい、当家程度の家格では官生の家人か、柔遠駅の駐在になりますな。おおっ!動き出しましたぞ!」
鉦の音に合わせた櫂捌きに二十艘程のサバニを繋ぐ縄がピンと張り徐々にジャンク船が港口を目指して動きだす。
この後は慶良間、久米島へと渡り北風を待って北に向かって流れる黒潮を横切り福州へと向かい、陸路と河を使って京師に上洛するのである。
◆
久米唐営
薬種問屋 炉卯兎薬種店
「卯屋の若旦那はん、もーちょい勉強なりまへんか?」
三十半ば脂の乗り切った正に恵比須顔の福々しい顔の商人がふんだんに黒糖とこれまた高価な卵を使った砂糖菓子の甘さに目を剥きながら商談の席につく。
「いやいや油屋さん。油屋さんばかりに売るわけには」
油屋は堺の薬種問屋、若旦那である常悦は試作の石鹸と薬用酒を一目見て父常言の反対を押切って博多経由で琉球まで仕入れに来たのであった。
「石鹸三箱三百斤、黒砂糖十樽二千斤、薬酒二十壺二十斗、反鼻五十斤、夜光貝が五百個、芭蕉布五十反それに佇麻の上布七十反でっか、ふむぅ。あぁ蚊帳が三十張りと」
客用に出してある旧式の算盤を弾く。
「うちからは、刀剣が二十本、鉄が五千斤、扇子が千二百本、屏風が三十張、銀子で七百枚、後は油屋謹製の大和の妙薬が八箱と、そうそう。琉球では良い農具を求めてるとか、備中の鍛冶が鍛えた三つ爪の鍬を百は持参しておりますぞ!」
「そ、それは畑仕事用に売れましょうが、家の民は貧しいのでなぁ」
精一杯芝居を打つが百戦錬磨の商人である。明らかに足元を見られている。
「あぁそうそう、若旦那はん。卯屋はんの本店は北の金武にあるとか?」
「油屋さん。買い付けの商いは久米唐営だけでやでぇ。内密に工場に出向いても禁制やからよー売れまへんわぁ。
それに酒の壺はどや?風情のある壺が大和では珍重されるとか」
試しにエセ関西弁を披露してみる。
「なんや、けったいに感染ってまんなぁ。ちゃうがな、金武の辺りで蘇鉄の大木とかはありまへんか?」
「蘇鉄?まぁ畑の境界や、山にいけばかなりな大木もあるかな?しかし材にもならんし、赤い実もとてつもない飢饉にもならん限り毒があるから喰わんらしいが?」
「いや、いら、庭木用ですなぁ?父がなぁ、五年程前から出家した兄の為に堺に妙國寺という寺を建てておりましてなぁ。是非にその境内にこの琉球、南国の風を持ち込みたいと思いましてなぁ」
「うーん、蘇鉄の大木ねぇ、大和で育つか……解りました。
金武の番頭か、父にでも聞いときましょう。南風が吹くまでには手配いたします。なに、実は按司である王子殿下とも昵懇にしておりますので銀子を少々積めば許可はいただけます。お任せを!」
(まぁ、許可出すのは俺なんだけどね。)
「では、よろしゅう。おたのみもうす。これまでは南方の薬種に明の薬、絹や生糸に銭ばかりでしたが琉球の珍しい産物はきっと売れますわ。まぁお付き合いのある問屋からもぎょーさん仕入れなきゃあきまへんがなっ」
このあと博多や坊津から来た商人と商談を繰り返した真三郎達は抱えた発注書に南風が吹き大和に帰る頃までにはと金武間切では製糖と石鹸作りにブラックな広告業真っ青な作業が続くのであった。




