第48話 告天
久米唐営 翠微楼
「夜来香殿、どうですかな?うちの新作は?」
真っ昼間っから妓楼を訪れたのはようやく目覚めた〇〇を鎮めるためでなく、商談と情報収集が目的である。通された最上級の間、螺鈿細工の台上には漆を使った黒い靴。
夜来香の白い手には朱漆をつかった真っ赤な靴、高踵靴が握られている。
「そうねぇ、私としてはこの美脚を引き立ててくれそうだから是非購入したいんけど、うちの娘達にはねぇ。明から来た娘達は躔足の子が多いし、どうせすぐに脱いじゃうちょんの間だけのお客様相手にはちょっと必要ないかしら」
撫でる手つきも妖しく誘うようにシナをつくり首をかるく竦める。
「うーん。じゃあ給女用ならどう?踵の左右の高さを変えると歩く時にお尻が左右によく揺れるよ。どう?むふふふふふっ」
「あいたたたた、、」
モンローウオークを真似てお尻をぷりんぷりんと振って歩いてみせる真三郎に樽金がこめかみに手をあてて呆れ果てる。
「そ、そうねぇ。あちらの仕立の方は?」
靴から慌てて話しを変える夜来香、久米随一の芸妓も形無しである。
「コレ?いいでしょ?蜀錦を二の腕までの長さにして、身体の線を出して太股には極めつけの大きな切れ目、後は高踵靴あっ、髪型はお団子が鉄板あるアルねっ」
藁人形で元型をとり、麻の布で人型に成形した所謂マネキンに着せたチャイナドレスを擦りながらの説明は紛れることない変態、事案発生中である。
(棘付き腕輪や番傘標準装備はいろいろと不味いアルしね)
因みにチャイナドレスは19世紀に洋服やドレスに刺激を受けて作られたもので明代当時はゆったりした服装であった。
「スリッと?」
「えーと、と、この切れ込みの事ね。ほらっ、歩く時にチラチラッと太股が見える感じが男心をそそらない?」
人型の脚を曲げ動かして見せる。
「はぁぁぁぁー!末恐ろしい餓、いや、王、おっとと卯屋の若旦那様だねぇ。その年でその好色っぷり、荒淫だと評判の隆慶の帝に負けないわよねぇ。
そうねぇ、纏めてその案全部頂きますわ」
真三郎は久米では帽子を被り黄金の簪を隠し、金武に製造本店、久米に程君之を番頭として販売所を営業している薬種問屋 炉卯兎薬種屋、屋号を卯屋の若旦那と名乗っている。もちろんかんジィがご隠居様役である。
「へっへっへっ毎度あり!」
商人っぽく揉み手に恵比寿顔、いや越後屋顔、これぞ真の転生チートである。
「そうねぇ、後は長命酒と石鹸もこれだけもらおうかしら」
マニュキア等ないにも係わらず薄紅色に磨かれた爪が卓に置かれた金武製の算盤をパチパチ弾く。
弾いた珠を覗き込んだ樽金が進みでていくつかの珠を弾き返す。
(うん、うん、値段交渉は樽金にまかせよう。)
(おっ、まとまったようだな?)
「ハイサイ!おーきに毎度ありっ♪それから石鹸は遊女だけでなく、客にも事の前に使わせたら少しは清潔になって移り病の予病にもなりまっせ」
「あらん。確かに殿方も清潔な方がいいわね。金武の火の神様のお陰とかで薪も安く手に入りやすくなりましたし、」
夜来香の流し目とつうぅーと触れるか触れまいかの感触で袖をなでる手つきにやられそうになる真三郎。
「うー……変な噂は、もう、それよりもこ、此方をっ!」
ソフトタッチにビクンと感じる真三郎。心はともかく多感なお年頃ではしょうがない。
「あら?これは何かしら。」
折角話しを戻したのに右手で一粒つまみ軽く匂い嗅ぐ手つきも艶めかしい。
「伽俐にも使われております鬱金の粉に幾つかの生薬を加えた炉卯兎の新薬。
これがなんと酒で弱った肝に効果があるそうで、飲みやすく丸薬に固めたものです。二日酔い予防に、できましたらお酒の前にこの廓来魅武丸をお試しください」
夜来香の目が怪しく光る。
「まぁあ!酒に?それはそれは良い物を。でわ、私からのお礼のお土産を。
件の風水師の情報よ。正体は道教に詳しくて青詞宰相といわれた小丞相、厳世蕃の元部下の道士でしたわ。
五年程前に琉球に流れ着いたようね、向こうではかなり粛正の嵐が吹き荒れたようですけど上手く逃げ出したてきたのねっ。まぁわざわざ捕えるほどではない程の小物の可能性が高いのですけど」
くっくっくと妖艶に含み笑う。
「逃げ出した?」
「そうよ。不老長寿のあやしげな仙丹の飲み過ぎで頭がクルクルっとおかしくなっちゃった嘉靖の帝が除階って大臣の方を寵愛しちゃいだしたもんだから国政の壟断って罪で首をチョンってね。
うふふっ。後を継いだ色狂いの隆慶の帝も登極当時はそれは真面目に道教ぐるいの政治を改めるって徹底的に道士達を弾圧したの」
軽く首に手をあて軽く引く仕草をする。
「あっ、ああ成程。それで琉球に」
「そう、今じゃ久米の役人共にもかなり取り入ろうとしているわね。わざわざ贄に親方の娘を指名するようなことをしたのもなにか理由があるはずよ」
「伝手は?」
「まさかやぁ、厳親子はわたしくたちの微王、王直様を罠に掛けた張本人、浙江巡撫胡宗憲の飼い主よっ。
まぁ。あの後、胡宗憲への仕返しに任地となった福建を荒らし廻ってあげて、流言飛語を流したら上手く処断されたけど、うふふふふっ」
美人の酷薄な微笑みに真三郎も樽金も背筋に冷たい汗が流れてピクッと震える。
(ううっ、夜来香さん、裏の海賊の顔はやっぱりこえーよー)
「まぁ一味は一味ね。向こうも後ろめたいのか私たちのような新興の倭寇商人とのつきあいは出来るだけ避けて、宋、元代から琉球に根付いた三十六姓に取り入ろうとしてるようね」
二人の怯え具合に気付いた夜来香は口に手をあて、やだぁとばかりに薄絹を貼った扇で風を送る。
「ま、まぁ、いんちき風水や毒薬錬金術、錬丹術はとはいえ明からの最先端科学技術状態か……」
「あら、なにをつぶやいていらっしゃるのかしら?」
「あ、いや、まぁお陰で正体も判明したし後は……久米での伝手は樽金、頼めるか?」
「はっ、父か叔父上にお願いしてみましょう」
同じ三十六姓からの情報なら一度は没落しても金武とのつながりで最近力を取り戻しつつある程氏一門を使うのが無難である。
「そうね。そちらからが怪しまれず無難でしょうね」
◆
首里屋敷
「お召しにより参上しました。豊見城間切 西原村が神女、嘉樽にございます」
平伏したままのの少女いや、年の頃は二十歳前後だろうか、漂白されていない生なりの苧麻の神衣に一連だけの硝子玉の首飾り、腰まで伸びた黒髪を紙のこよりで縛っている。
「ふぇ、ふぇ、あー嘉樽とやら、金武王子殿下より話がある。面をあげられよ」
かんジィの命で頭を下げたままの神女が顔をあげる。
「はい。なんなりと」
(おおっと ちょっと眉とか濃いけど彫りの深いエキゾチックな琉球美人さんじゃないっすか)
「殿下」
思わず見惚れる真三郎にかんジィが言葉を促す。
「う、うむ、えーと嘉樽さん?」
「はい、なんなりと」
頭を上げキッリとした表情で真三郎をまっすぐ見つめる。
「えーと、あの真玉橋の人柱の選定について豊見城間切の神女として自らを選択したと聞いたが、どう選んだのか?」
「はい。間切の輪番役として南岸の贄の託宣を命ぜられました。
三日三晩精進潔斎を行いまして村の御嶽で神垂れを請い祈りました。
しかし、いっこうに神は降りず、力尽きそうになったときに私の内から湧き上がりましたのが自らの生年でございました。これが託宣の支第であります」
「な、なるほど」
「覚悟はいたしております。橋が流され、南部の民はこの一年、大変難儀をしております。金武王子殿下に置かれましては滞りなく橋の工事へのご助力をお願いいたします」
「えーと託宣が間違いだとか、降りなかったとかは?」
「かまいませぬ。期日まで、祝女としての勤めがあります。よろしゅうお願い致します」
人柱の儀式は秋分、まだ暑い琉球の秋の訪れまであと一ヵ月。
◆
那覇の港
夜明けの空が白む凪の頃は出港の時間帯である。
昼になると太陽光に暖められた陸地に向かって風が吹き、上昇気流に乗って島の上に帽子の様に雲が湧くのである。船乗りはその動かぬ雲を目印に島を探すが、出港の際は港に押し戻されぬよう早朝に出港する必要があるのだ。
色鮮やかな吹き流しの付けられた二本主柱の中型ジャンク船、船尾には王家の紋章左御紋に何故か琉球の船旗である日章旗が誇らしげに掲げられている。
明からの船の下賜がなくなり、代わりに提供された造船技術でやっと中型まで造れるようになった100%琉球国産の船である。
「ほーい!ほーい!ようそろ!」
新たに金武御殿付きになった船頭、川満船頭が出港の号令をかける。港内では二隻のザバニ船による牽引である。
グァングァングァン!カンカンカン!
一斉に銅鑼や鉦が鳴らされる。
「真三郎様、よろしいので?」
見送りに動向している真牛が真三郎の表情に問う。
「うん、まぁ仕方あるまい。折角父上に頂いてからの処女航海だが仕込みが終わらんうちに金武には帰えれないだろっ?」
甥っ子の恩徳との約束を破ることになったが、先王崩御の非常事態である。
「確かに、しかし三良からは新作物の照会やら、久米とゆーか、俺も遊郭に連れていけと矢のような督促が」
樽金が、金武から来たという文を真三郎に渡す。
「紙の無駄遣いだな?まったく。留守居は安李に任せて呼ぶのは早まったかなぁ」
「ふっふっ」
「おおっ、朝公殿下!これはご立派な馬艦船にございますなぁ」
荷を満載とは行かないが、久米や那覇で仕入れた品々を積んだ船の舫が解かれていく。
今日の真三郎は公務、馬艦船の船主、金武王子としての正装である。
「羽友!うむ、恩納の港にはようやく船が入れるようになった。
向こうでは補修の為の船上場も作っておる。金武側は未だ沖止めだが、来年か再来年には港をつくりたいな」
金武間切の鍾乳洞を利用した保冷米蔵は東海岸側なのだ。
「成程、田畑も増やしておるようで、より米会所が賑わいましょうなぁ」
「父上!それより真三郎様。忘れておりましたが、船名は頂いた時の明風の順字八号のままにございますがよろしいので?
折角ですから真三郎様の御座船に相応しい新たな名を付けた方がよいのでは?」
当時の琉球の官船は字号船といって型式に番号を振った名前であった。長江だけでも何千もの船が行き交う明では仕方がないが流石に味気ない。
「そうか、馬艦、馬艦っていってたからついな、………………○○号だど明風、○○丸だと大和風か」
(泰多肉は直ぐに沈みそうだし、大和や、武蔵はそのまんま、これくしょんの中に琉球由来は、、鶚は、ア、アウトだな。今は琉球国民の感情を逆撫でしそうだ!)
「真三郎様?」
「はぁ」
ブツブツ呟く真三郎にまたかと飽きれ顔を見合わせる樽金と真牛。
「魚鷹、いやいや漢字を変えても同じか、鷹、告死天、……は、ハブ王復活前に皆殺しされ………」
完結前に転生してしまったようで、なにやら続きが気になる真三郎である。
「朝公様?」
皆殺し等とヤバイ単語を耳に止めた羽友が息子に目を泳がせる。
「告命天、いや、告天号はどうだ?」
パン!と手を叩いて閃いた真三郎が宣言する。
「ふむぅ、字は付けず号読み、なるほど、和明折衷の琉球らしい実に良い名かと」
羽友がお世辞抜きで褒め称える。
「おっ、そうか?」
命名センスを疑われていた真三郎の面に喜色が浮かぶ。
「はい、天の時を告げるひばり、真三郎様の御座船に相応しい名です」
同意の樽金も父に次いでヨイショする。
「へっ?ひばり?鷹から採った積もりなんだけど………」
「告天はひばりの別名にございますよ。琉球各地に春の訪れを告げる良い名にございます!」
今更変更も出来ず、他に思い付かなかったことから、沖に曳かれて行く馬艦船の船名は告天号となったのである。
後日、船の三本目の船旗として、何故かトンファーを二つを交差させた図柄が採用されました。




