第2話 久米唐営
(元服して唐名を尚久、大和名を大金武王子朝公と改めた俺は大名(城はないみたいだが、屋敷をじいちゃん達が建設中すること)になった……らしい。
ただ、家が出来ても領地の金武間切に赴任するまで、暫く勉強しないといけない。
内政チートの準備期間として考えておくべきだな!)
「真三郎金様、いえ、大金武王子朝公殿下。
これがこの度、御主より正式に傅役に任ぜられました三番目の息子、池城安李、唐名は毛書文じゃ!」
「殿下、我が父安基は、家督と羽地の按司職を兄の安棟に譲ったものの相談役としての勤めがありまして、なかなか首里の地を離れることが叶いませぬ。
故に、力不足ではございますが、某が、正式に傅役を仰せつかりました。
非才の身なれど金武御殿の造作はお任せくださいませ!」
「よ、よろしくなのら安李おじ様!安基おじじぃ様!」
首里城正殿での叙任式が無事に終り、城内の一室。正殿での儀礼時に王子達が控えの間として使用する鎖之間にある六畳二間の一室で、真三郎として初めての直臣となる面子との顔合わせと今後の予定等の打ち合わせが始まった。
口火を切ったのが真三郎の叔父ににして琉球の三人いる宰相、三司官の羽地按司池城安棟である。
「では、某から紹介させていただきます。こちらに控えたるが我が叔父にあたる新城安桓にございまする。朝公様のお立てになる新たな王子家、金武御殿家の家宰として仕えさせていただきまする。
安桓叔父上は、父上が羽地間切を采地としていた折から家宰として羽地の領地をまとめておりました。
父上が、家督を兄上に譲られた際に、家宰として役目は私が引き継ぎましたが、まだまだ叶いませぬ」
「ひょひょひょ。安棟や、もちあげすぎだわい」
「兄安基が、家督を譲り隠居の身から御主たってのお召しとあって王府で相談役として国政に復帰なされ、新たに新城村分の歳費を賜ったが、儂はもう役に立たぬゆーてからに、そのままのんびり楽隠居を決め込んだ身じゃよ」
「安桓様、これから金武御殿の家宰をまかされるのですよ。役立たぬとなどは……」
安李が呆れた口調でつぶやく
「そうじゃったわい、そうじゃったわい。朝公様、でーじよろしゅうな。ひょっひょっひょ」
安棟の横に座っていた老人が人の良さげな笑顔で挨拶する。
(じいちゃんに似て好好爺とゆーか飄々としてるとゆーか、まぁ とにかくこっちは腹黒くはなさそうだなぁ。)
「真三郎でいいよ。大叔父上しゃま」
「ひょっひょっひょ! では某のことは様なんぞ付けずに、『かんじぃ』とでもお呼びくだされ、ひょっはひょっひょ」
ツボにはまったかのように安桓のジジイ笑いが止まない。
「あぁ、かんじぃー、よろしく頼むな!」
「ところで、家宰って何だ?」
「家宰は、朝公様が開祖となられます、大金武御殿家の財政、人事、交際、祭祀の仕切り等あらゆることを補佐する役目でございます。例えるなら、家における宰相、三司官のようなものにございます。」
安棟が説明する。
「えーと、所謂セバスチ……執事ってこと?」
「執事、ああ左様にございます。 流石は朝公様。 その様なことをよくご存知で。
大和は鎌倉幕府における北条一門や、足利将軍家の高氏、細川菅領家の三好氏のようなものでございます。」
(例えが悪い、後の二つはわからないが、鎌倉幕府の北条氏なら……主家のっとり……傀儡、源氏にあたるのが俺だとすると、………死亡フラグだよなぁ)
「おや、おや、おや、真三郎様は博識じゃのぅ どこでそのような事を学ばれたのやらぁのぅ」
「叔父上、殿下は姪の生んだ子とはいえ、王子殿下でございますよ」
「内々の話しじゃ、孫同然に童名で呼んでもよいではないか、のぅ真三郎様」
「まったく…… では、殿下。改めまして、こちらが殿下の身の回りの世話役にして、殿下付の家臣、また、任地に赴くまで、学問を同じくする者達にございます」
「さぁ! 順に王子殿下にご挨拶せよ!」
安棟が平伏したままの三人の少年に命じる。
「はっ! 久米は天使館において通事(通訳)を拝命している程羽友が一子、程隆成でございます! 官話(中国語)、漢学については父より一通り手解きは受けております」
一人目の少年が平伏したままスラスラと挨拶をおこなった。
(中学生? いや高校生ぐらいか? ちゃんと髪を天辺でお団子状に丸めて、スプーンみたいな簪で留めているってことは元服済みなのか? 小柄だけど、真面目、委員長って感じだなぁ。)
「よろしくたのむ! りゅーせい!」
「父は漢那村の地頭、漢那親雲上可領で名前は、三良だ、です。
元服はまだだ、ですが、漢那村は金武間切にあります。間切のことならまかちょんけー!」
二人目の少年が平伏から顔を上げてニコッと挨拶をする。
(元服前ってことは、程くんよりは年下?十二、三ってとこかな?活発な感じかなぁ)
「よろしく、えーと、三良ー!」
「阿波根流手を座波親雲上に習っている真牛だ。 です。 えー、十日に三日は、手や剣術を、鍛え上げます。??」
(なっなにーこの真っ黒焦げに日焼けしてこわい天パを後ろで結んだ、いかにも格闘家って感じの筋肉バカは何を仰って、、、、、)
「えーと、あーと、なんだ、真牛は、俺のボディ……いや護衛役なのか?」
「はい、護衛でございますが、殿下も身体を鍛え、万が一に備え手や剣を一通りは学んでいただきます!」
(あー俺って基本インドアタイプなんだよなぁ。 ずーっと帰宅部だったし。 はぁーあ沖縄は武器のない平和な島だし、米軍じゃなくて、武器なんか必要ないんじゃないのかなぁ)
「えー、叔父上?かんじぃ?」
「「はい。 もちろん。」」
「御主加那志や父安基からも、王子殿下にふさわしい学問や武術を領地に下るまでに学ばせよときつく御下命が」
「さ、さいでっか……」
「金武御殿の造作は、この安李が安桓叔父と万事整えますのでご安心を!」
内政チートをやる前に修行編が始まろうとしてた。
◆
「うわぁーまじで水上都市! まるでモンサンミッシェルみたいだなぁ!」
(まぁ行ったことはないけど)
首里城のある丘の上の都市から眼下に望めたが、久米村の入口に当たる崇元寺の前から海に浮かぶ城壁に囲まれた町を望むにあたり、ついぞ馬の背に揺られてることを忘れて感嘆の声が溢れる。
因みに琉球馬はサラブレッドとは異なり、ほぼポニーで大の大人や、武装した人が乗ると動物虐待を疑われる程の大きさである。
「もんたんみっ? なんですかそれは?
それより、真三郎様!あれが我が先祖たる三六姓の先達が、明の太祖聖下より琉球王に下され、築き上げた町、唐営。 久米村です。」
馬に並んで歩いていた、程隆成がエヘンと胸をはり自慢気に説明を始める。
「この崇元寺から村の入り口の久米大門まで半里程(明の半里、約200m)の海を渡る石作りの橋道が約百年も前の国宰懐械様が造りました、その名も長虹堤です!」
「へー」
海の中に何ヵ所か潮の流れる様に石造りの橋がある道が、一直線に繋がってる。まさに海を渡る元祖海中道路である。
(これは、ドローンとかあればプロモーションビデオとか録れそうだ)
(しっかし、首里城はともかく、城下町である首里の町にも街を囲む壁もなかったのに、港町は中華風に城壁に囲まれてるんだ。 もしかして防波堤を兼ねてるのかな?)
「おっ!ジャンク船だぁ!」
「三良煩い!真三郎様、あれは恐らく博多か坊津辺りから参った交易の船かと。今の時期は北風に乗った船が来琉したり、南の呂栄や占城に向かう船が出発する季節です」
「「「へー!」」」
三良に真三郎の乗った馬の手綱を引く真牛も隆成の豆知識に一斉に感心する。
「それから、港内の浮城のうち、手前が御物城、奥が硫黄城、で、各々進貢の時に必要な財物や、硫黄を集積しています。
それから、うーーん、ここからはちょっと見えないけど三重城が港防衛の拠点で怪しい船は入港させないようになってます」
「流石に詳しいな隆成。それよりだな。三良に真牛はまだ、童名で、年下の俺が朝公ってのもなんだ。同じ師に教わる中だ。隆成、樽金も含めて童名で呼び会おうか」
「そ、それは」
「よいではないか。なぁ樽金」
「朝、真三郎様が宜しいのであれば」
「「ま、真三郎様!宜しくお願いします!」」
◆
琉球石灰岩を切り出して作られた長虹堤の長い橋を渡り、石造りの大門をくぐると、そこはまさに中国だった。家々の提灯が紅くなった。真三郎らの足も停まった。
「ニィーハォ!」
「ファンインクァンイン!」
「ナニナニアルヨ」
「シャッチョーサン、イイコイルヨ!ヤスイヨ!」
「バクガイスルネ、スイハンキニウォシュレット、ギンレンカードツカエルアルカ?」
(おいおいおい、真っ赤な提灯に白壁、三階建ての建物まであるじゃないか!お城の正殿すら三階は屋根裏なのに……それに沖縄風の赤瓦じゃなくて、屋根も黒い瓦。街の雰囲気は横浜や長崎のそのまんま中華街じゃん!
ん?あれ?俺は行ったこと有ったのかな?テレビで視ただけだっけ?)
「あっ!いい匂い!真三郎様、あそこでなにか焼いてますよ!」
「あの刀を差してるのは大和の武士かな?」
「いや、倭冦じゃね?」
「樽金!倭冦とは賊ではないか?このような所にいて襲われないのか?」
「大丈夫でございますよ。大明では海禁と申しまして民が勝手に異国に赴いたり、交易することを国法で禁じておるのです。
官憲に見つかったり、値段に折り合いがつかなけば、力仕事に及ぶこともあるようですが、琉球は重要な交易地にして風待ちの要地。酒席のいさかいはあれど、めったなことはありません」
「なるほど」
「ちっ、真三郎様!みてください。あの奇妙な服装、首里でも噂の南蛮人じゃないですか?」
(金髪じゃねーし、ザビエル頭じゃないから宣教師じゃない、商人?えーと確かポルトガル人が日本にきたのは1549来るのは鉄砲だっけ、宣教師だったっけ……)
(日本史に沖縄入ってたかなぁ?と、とにかく、ポルトガルでもスペインでもヨーロッパ人なら西暦で今何年がか分かるはず、早めに接触しないとなぁ)
「どうなされました?怪しげな異人の風体に驚きましたか?」
「樽、くっ、喰われたりはしないよな。」
「三良、見た目や話言葉が少し異なるだけでちゃんとした商人ですよ。真三郎様は大丈夫ですか?」
「あっ、ああ 確かに驚いたが大丈夫た」
「南蛮人の肌は白いだけでなく、墨のように黒い肌や赤い肌の者もいるとか。
あぁ真三郎様、こちらの寺は天妃宮、航海の安全を祈願する碼祖様をお祀りしております。
あちらに見える鳥居の奥にあるのが、本日講堂をお借りする菅丞相(菅原道真)をお祀りする天満宮です。学問の神様ですよ。
久米唐営には明から来た者だけでなく、大和から訪れるものも大勢おります」
朱塗りの門の奥には巨大な中華風の線香からもうもうと煙が立ち込める巨大な銅製の鼎が置かれ、四、五名の老婆が必死に祈りを捧げている。
「さっ、折角ですから、天妃宮にお参りしてから講堂に、老子が待っているはずです。
官話(中国語)の講義では僭越ながら私が助手を勤めますのでよろしく! 三良と真牛は、ここでは私を助教とでも呼ぶように」
「「「エー!」」」「だっ、誰が呼ぶか!」
「「「まー、マー、MA- ,まっ」」」
「はい!もう一度繰返して、
真三郎様、そこは口を軽くとじて破裂するように!」
(そーいや、俺、英語も苦手だったっけ、、、、)
ハードな老師と樽金の扱きに耐えた真三郎と途中頭から煙が出てた三良は帰り道、葱油餅を樽金にせびってて泣きながら食べて帰るのであった。ちなみに真牛は官話の発音等に思わぬ才能を見せていた。