第33話 出征評定
退任予定ではあるが、王府の上級役人でもある天使館通詞長、程羽友の屋敷を一旦避け、急ぎ民間人である程君之の屋敷に入った真三郎一行。
「……で、首里の動きや街の様子は?」
真三郎が情報収集に走った一行に確認する。
「首里では動きが盛んで慌ただしく各地に使番が出ているようですが、中々外まで細かい話は洩れ聞こえてはきません。」
「うーん、やはり箝口令でも、」
「那覇の街じゃ薩摩の大軍が攻めて来るって噂だぜ!何でも竈の灰で綱を編んで献上しろとか、独りでに鳴る自動太鼓、他には琉球一の山を献上しろとか、なんつーか色々難癖をつけてゆーことを聞かなきゃ攻めてくるって王様を苛めてるって話だ!」
(な、何?なんかとんち噺とかで聞いたことがあるよーな、ないよーな?)
「なっ!なっ!あっちこっち走って働いたんだから早く伽俐を喰わせろよ!あるんだろ?俺っちの鼻はごまかせねーぜ!」
「はい、はい、はい、まぁ、金武から樽金の文を持って駆けつけて来たご褒美だな」
「ひゃっはぁぁー!流石王子様!気前がいいぜっーと!」
「で、どうする?かんジィ」
「ふむぅ?さて、さて、急ぎ駆けつけた体にて、明日朝にでも首里屋敷に入り、王府の中の様子を探るにも安棟に使いをやりましょう」
「まぁ、三司官の役目で城内から離れられないやもしれぬが、屋敷の者から何らしらの話は聞けるでしょう」
慣れぬ君之の屋敷にて眠れぬ夜を過ごしたのであった。
◆
翌日、朝一に首里屋敷に入り、真三郎の叔父で、琉球の宰相級、三司官の羽地親方池城安棟の屋敷に使いを送ったものの、ここ二、三日は屋敷すら戻っておらず、正式には真三郎の傅役で、実質上はかんジィに任せて安棟の代わりに家宰として、羽地間切を仕切っている安李も首里屋敷には不在であった。
そして、とうとう録に話も聞けないまま王宮に登城することになった。
首里城 南殿 書院
大和の城郭より二百年は早く石造りの城塞が築かれた琉球。
中華の影響を強く受けたことと、加工の容易な琉球石灰石の城壁は度々襲来する大風を強固に防ぎ、土壌の流失すら予防する機能を兼ね備える。
その当時としては最先端な城壁に囲まれた広大な首里城の中において、首里城南殿は純和風な様式の建物であり、王子、王族が登城した際の控えの間を有していた。
「これは朝苗叔父上、ご無沙汰しております」
緊急招集として、略装姿ではあるが、威厳のある王家の重鎮が広間には揃っており、どうみても小学校高学年程度な真三郎は琉装姿が七五三の様であり、かなり浮いてはいた。
「おお、真三郎、いや、朝公であったな。うむ、実に大きくなったな!」
「数えで十一に成りましてございます」
とはいえ、赴任してからは程度以上に真牛から課せられる手の練舞に、肉類に玄米を中心としたバランスの取れた食事、牛乳はなくとも隆起珊瑚の島ならではにカルシウムを多く含んだ水で、一般的な琉球人より一回りは身長が高くなっていたのだ。
「そうか、そうか、十一か。赴任の際は読谷山に立ち寄ったものの、後は船で素通りばがりじゃからのう」
「も、申し訳ありません」
「よいよい、久しぶりじゃ、それより、最近は金武から入った農具で仕事が楽になったと民の間で評判じゃぞ。それに唐の芋もなかなか読谷の地に適しておるわ」
「どちらも明から伝わった品ですね。流石は大明。金武でも盛んに植えて朝は芋ばかりで………」
「はっはっはっ!」
「おう!朝苗に朝公か!」
「これは朝典叔父上!」
首里に近い東風平間切を治める何番目かの叔父である。
(えーと男だけで、確か九人兄弟、いや、父上の兄は早世したから叔父だけで七人。叔母達も合わせたら………じいちゃんハーレム頑張りすぎだよなぁ!よーし!何れ俺もぐふふふふ)
「今回の至急な招集に、軍備えの命。兄上、いや主上より何か聞いておるか?」
「いえ、今朝、急ぎ首里に入ったばかりで私はなにも……」
「首里に近いお主が知らんで儂らが知るわけあるまい」
「ふむぅ、皆首里から遠く離れておるからなぁ」
「鑑心兄上の後を継いだ伊江の朝義は在地で戦支度せよとの命らしい。噂ではやはり薩摩の島津らしいが……」
「朝理兄上!それは真で?」
「いや、噂だ、噂だ、朝公。御主から何か聞いてないか?」
会話に、北谷王子朝理が加わってくる。この時、尚元と王位を争った大伊江王子が急逝し、その実弟である朝義が要地である伊江島を采地として治めていた。
「いえ、王太子であられる兄上なら王府で御主を補佐しておりますので聞いているかも知れませんが。控の間には来ておりませんし……」
「そういえば久米島の朝通は?」
「流石に久米島からは間に合わんだろう。使いが着いたかどうかじゃて」
真三郎の長兄は離島の久米島が領地である。
「ち、朝懿殿………」
「これは、これは、朝懿殿」
「お久しぶりにございますな、浦添殿」
王族ではあるが血統の遠く離れた浦添王家、その現当主浦添王子朝懿の珍しい登場に盆正月の親戚の集まりのようななごやかさの中に表現しずらい緊張が走る。
そもそも第二尚氏の開祖である尚円王。その王妃であり初代聞得大君を牛耳った宇喜也嘉。三十も上の尚円に嫁いだハイパー神女である彼女は夫の後を継いだ義弟の尚宣威が嫌いだったのか、愛息子である尚真に嫁いだ宣威の娘が嫌いだったのか。何処ぞの一人子顔負けにめちゃくちゃ嫁をイビり倒し、孫である筈の尚維衝を遂に廃嫡までしてしまう。
尚元王が、娘の一枝を嫁がせて両王家の融和を図るも今だ腫れ物扱いの一族である。
実際、王位を尚元と争った大伊江王子尚鑑心が病に倒れ、実弟朝義が伊江御殿を継いで以来、和やかな雰囲気を醸し出していた王家、尚一族に不思議な緊張が走るほどであった。
「朝懿様、お久しぶりです。一枝姉上や思徳はお元気ですか?」
「おお、これは朝公様。一瞥来ですな。あれ以来思徳が朝公様にお会いしたい、金武まで遊びに行き……」
「大金武王子朝公様! 主上が内炉の間にてお待ちでございます。評定の前に内々でお話があるとのことです」
そっーって襖が開くと王の近習である小赤部の取次役が現れて朝懿との話の最中にあるにも関わらず王命で真三郎を呼び出す。
「主上のお呼びです。ささっ急がれよ!」
「は、はい。でわ、失礼いたします」
広間に漂ういやーな空気を察しながらも呼び出しに応じる真三郎である。
◆
「朝公、参りました」
「おお、来たか真三郎、いや朝公入るがよい」
内炉の間は書院作り替えを模した茶室である。王の私室の一つではあるが、現在イメージするような詫び茶、茶道の茶室ではない。
琉球ではまだ珍しい障子の戸に、遠く大和から運ばせた畳の間で、京の都の銀閣寺で有名な東山文化の影響を色濃く受け継ぎ、違い棚には明の皇帝より下賜された文具が飾られた広めの間である。
「書院の様子はどうじゃ?」
何やら書き物をしていた尚元が筆を置き一息つけて、真三郎を側近くに招く。
「あっ、はい、戦支度の命に皆も動揺しております。巷では、薩摩の大軍が攻めてくるとの噂もあるようで久米では家財道具を纏めようとする者もいるとか」
「ちっ、薩摩か。……まぁ、直接戦と言えるの関与ではないが……先年、島津の許可、朱印状のない船との交易の制限をくそ坊主が申し出てきたのは話したかな?」
「はい、南苑にてその件は伺いました」
「うむ、その糞坊主、確かに雪岑とかいったかのう、あやつが、琉球からの帰りに大島の大親どもを唆したようじゃ。琉球を離れ島津に与するようにとな」
「し、しかしその様な暴挙に出ますと交易に支障が………」
(ふぅぅぅ。島津の侵攻じゃないのか、ふぅ。助かったぁ)
「舐められたものじゃ、三州をほぼ手中にしたことで島津め、増長したか。
まぁ、それはいい。名護親方が謀叛の証拠を押さえておる。現に今年の貢納船を未だに送ってこぬ。大島の大親達が、大人しく王府に出頭しない場合は、余自ら軍を率いて親征する!」
「親、親征!」
「そなたも、出陣するのだ!朝公!」
「ひへっ?お、お、俺も?」
「俺もではない!そうだ、出陣だ。内々に呼んだのはそのことだ。親征とはいえ、実際の戦の大将は名護親方に任せる。
名護の家は大島の出であり、在地の大親どもには色々と因縁もある。まぁ任せて間違いないだろう。
阿応理屋恵は世子じゃ、万が一にも軍に出すわけにはいかん。朝通は病弱じゃし采地は遠い久米島だ。わが弟達よりも幼いがそなたならば軍務も大丈夫だろう」
どう返事をすべきか戸惑う真三郎。
「なぁに、四軍か、五軍の長で初陣とは名ばかりの飾りじゃ。今帰仁が徳之島辺りで大島まで行かぬかもしれぬ、軍監は付ける。どうじゃ?しかと努めよ!」
「はっ!」
(まぁ、戦わなくて、いいしお飾りなら……)
「よし、そろそろ、評定の時間じゃな」
◆
グワァーーン!グワァーーン!
「首里天加那志のおなーぁりぃー!」
「「「ははーっ!」」」
正殿玉座の間には王府の大臣副大臣クラスの表十五人に主な王族、按司、親方衆総勢五十名程が招集されていた。
「皆の者、面をあげよ!既に噂で漏れ聞いておるものもいるかもしれんが、大島の大親達が、薩摩の威を借りてか、唆されたか、貢納を拒否しよった」
ザワザワ!
「先代尚清王以来のことじゃ。問責と首謀者の首里への出頭を命じたが、このまま期限内に来ぬ場合…… 余、自らが親征する!」
「「「おおーっ!!」」」
「先軍は三司官筆頭、名護親方良員!七百の兵を与える。そなたの祖父に汚名を着せた大親の子孫共が相手じゃ。期待しておるぞ!」
「はっ!」
「中城王子たる阿応理屋恵と羽地親方安棟には五百の兵にて首里と那覇の守備を委ねる。
余の不在の間、倭冦の残党や策動に踊らされん様、万事遺漏なく治めるように!」
「「ははぁっ!」」
「本軍、首里親軍千二百は余が率いる。城間親方、汚名返上の機会を与える。副将じゃ。心せよ!」
「はっ!」
「第三軍は国頭親方盛順!五百の兵で、先に国頭から徳之島までの海路と補給線を確保しろ!」
「はっ!」
「第四軍は金武王子朝公!遊軍二百じゃ!」
「「おおっ!」」
真三郎の名に広間によどめきが走る。
「今帰仁城に入り緊急時に備えよ!
池城安李!朝公の傅役であったな?この機に金武間切の南風掟に任ずる。朝公をよく輔弼せよ!」
「「はっ!」」
「首里親軍の割り当ては後程おこなう。各自装備を整え、動員すりように!よいな!」
「「「ははぁー!」」」
琉球にとって尚元王即位以来の大いくさである。
戦国大名の雄島津氏が打った豊後の大友、日向の伊東に対する嫌がらせ、いや牽制となる交易制限という布石の一つが大島での反乱という思わぬ妙手となる。
微睡むような悠久の平和に繁栄を築いていた南海の楽園に大きなうねりを呼ぶのであった。
ネットでみると金武王子が総大将との記事もありましたが、10歳、数えでも11ではあり得ないので部隊長ぐらいで、とりあえず参加させました。




