第28話 王の独白
隆慶四年 永禄十三年 三月 真三郎十歳
首里
晴明は二十四節季の五番目で旧暦の二月末から三月の始め、新暦で言うの黄金週間の頃を指し、琉球では先祖代々の墓参りを門中(一部)そろって行う。
士族になると巨大な亀甲墓、女性器を象り死後再生とも胎内回帰を表すとも言われるお墓の前で御飯を食べるというピクニック的な行事である。
特に士族の多い首里では御晴明という。
王家の霊廟である玉陵は琉球古来の亀甲墓とは少し異なる。
東西に中央の三つの石室に石門、真っ白な珊瑚の砂を前庭一面敷き詰めた敷地からなる巨大な墓所である。
そこには三日ばかり続いた悪天候により船がどうしても出せなかった真三郎の庶兄王子、久米具志川王子朝通と叔父である伊江島の大伊江王子尚鑑心の離島組を除いた首里天加那志尚元王を筆頭に王妃真和志大君梅岳、真三郎の母である梅嶺を含めた三人の側室、王太子中城王子尚永阿応理屋恵王子。真三郎の叔父にあたる王弟、王妹達が一堂に参加し盛大な祭祀が厳かに執り行われた。
「御主加那志……あ、あのぅー」
香を焚きしめ、御酒にまるごと一頭の子豚に様々な供物を供えた儀式も無事に終わる。
国王、王妃だけがの乗る事の出来る朱漆に飾りを金張りにした輿、御轎が玉陵から首里城に向けて出立する直前、真三郎がおそるおそる父王に声をかける。
「おお、真三郎金か。いや、朝公どうした?」
「は、はい、実は少しお願いしたい儀がありまして」
「ほう、願い事とな?ふむぅ。金武総地頭として公な願い事ならば王府の評定を通すべきじゃが、子としての願いか?確かに金武の采地に戻れば中々会えぬからのぅ」
御轎を担ぐ役人を待たせて、琉球国王尚元王が長い髭を扱きしばし、考えるこむ。
「何れは公になる事やもしれませんが、今はまだ私的な相談、願いとなりまする」
頭を下げ中国式の拝礼をする真三郎は赤地金入浮織の王子冠、帯は明は蜀錦で仕立てられた格式高き正装姿である。
「ふむ、明後日には南苑でゆっくりと静養する予定じゃ。夕刻前にでも訪ねるがよい」
「はっ」
父王と真三郎の会話をそっと耳をそばだてて聞いていた者がいたことに真三郎が気付くことはなかったのである。
◆
南苑
首里城の南に位置する離宮であり、識名園とも呼ばれる世界遺産にも指定された王の別邸である。
明からの冊封使を歓待する外交施設でもあり、識名の丘にある琉球様式の広大な庭園の中にある静養の地でもある。
地理的に南風原の盆地を高台から望める場所であり、琉球の周囲を取り囲む大海が何処からも見えないことなら琉球の国土を明の使節に少しでも広く見せる為に使われたという涙ぐましい仕掛けの一つとも言われている。
「御主加那……」
「ふっ、父でよい、真三郎。父として会うのは久しびりじゃな。今は人払いもしておる」
南苑の池に架かる琉球石灰石で造られた太鼓橋の上から水面に映る夏の夕暮れを眺めていた尚元が今は全くの私的な時間であることを強調する。
「はっはい。父上様」
「ふむっ、もう十か?いや、まだ、十か?阿応……いや、余が十の頃よりしっかりしておる。まぁ余も長らく病弱といわれ続け、そのせいで弟である鑑心と玉座を争うことになったが……」
真三郎も体育会系とは程遠いが、真牛により週に二日は手や棒の型を無理矢理やらされている程度には健康的だ。
「ふむ、庭を歩きながら話すか?金武での生活はどうだ?首里にも上手く治めておると聞こえておるぞ」
「いえ、元は亡き安基お祖父様、傅役の安李叔父や、家宰の安桓の手助けによるものです」
「安基……そうか、余が王位につけたのも、これまで大渦なく治めてこれたのも全て安基の手腕によるものが大きかったのぅ。確か安桓とは弟であったな……」
海ではなく、陸地に一足はやく日が沈む識名の丘より、夕暮れ刻の淋しさが若かりし頃の追憶に父王を引き釣りこむ。
「…………………」
「おお、つい、済まぬな。そうじゃった。私的な願いとはなんじゃ?兄達もまだ、娶っておらぬからなぁ。そなたにはまだまだ早いと思うが、くっくっくっ」
「ち、父上!」
「ふっ、まぁ、戯れ言じゃよ。で、私的な願いとはなんじゃ」
「はぁ、実は商売の願いというか……ゴホン!えー先年、宮古島からの貢納船が薩摩まで流され首里では大騒ぎになったとの噂が金武にまで届いております」
気を取り直して直言する真三郎。
「あぁ、先年ではなく、二年前の事じゃな。宮古の貢納の民は潮に流されて薩摩の島津、島津宗家の貴久殿が保護して、琉球まで船を仕立てて送り返してくれたのが昨年のことじゃな。
騒ぎになったと言うのはその時の……返礼を兼ねた伊集院は広済寺の住持、雪岑とか申す使僧の件じゃ」
「え、いや、あの……」
思わぬ話の脱線振りに目を白黒する真三郎。
「薩摩の島津家は薩摩、大隅、日向の三州の守護を兼ねる大大名であったことは知っておるな?」
(いや、いや、いや、某天魔王の野望じゃ挟み撃ちされないから全力で北上するだけで九州統一できちゃう、鉄砲特産の、あの島津だよな?大体、島津か伊達を倒して天下統一なんだよなぁ。……ん?であった?過去形?)
ちょっと真三郎の事前知識と違う情報に取り敢えず流されて頷く。
「薩摩では川内の渋谷一族による反乱、まぁ背後には阿蘇の相良氏がおったとの噂のようだが。
大隅は肝付氏、日向は伊東氏?そして島津は宗家と分家の争いと麻のごとく乱れておってな」
真三郎の生返事を流しながら話を続ける。
「飫肥の島津の分家の一つ豊州家や、種子島氏からは先代の頃には貢さえ贈られておったが……」
言葉を詰まらせる尚元。交易の盛んな琉球の仮にも国王。知識チートなはず?の真三郎の上をいくかなりの情報通である。
「ふん!ところがじゃ。三州の制覇に手が懸かった貴久めが、こともあろうに、島津宗家の朱印のない私船と琉球の交易を停止するよういってきおったのじゃ!」
ちょっと感情的になる尚元。
「し、島津家が何の権限で南海交易を制限するのですか?北の島津が交易を独占し、強うなるのは確かに……」
「博多を押さえる豊後の大友は日向の伊東を支援しておるし、飫肥や、川内からは島津の交易の拠点である坊津を避けて博多や和泉は堺の商人も琉球まで交易に来てくれておる」
(ヤッバいなぁ、まだまだ信長の時代あたりだと思ってたけどもう攻められる?)
「まぁ恐らく口だけじゃろうが、琉球も舐められたものじゃ。じゃが、このままでは琉球の行う交易に支障がでる恐れもある。
そもそも、明からの字号船の下賜が途絶え琉球の官船は進貢でかつかつじゃ。
大和との交易は倭冦や、和船の商人がたより。隆慶の帝が立たれ、青詞宰相といわれた厳嵩親子が弾劾され海禁を緩和したことによってシャムや安南まで、明の商人がどうどうと出航しおる。
お、おう。すまぬすまぬ。つい愚痴を……王府での政治に参画せぬそなたにはまだ分からぬであろう」
目を白黒させる真三郎にあわてる。
字号船とは明初期に老朽化した船を琉球に改造して下賜するものであり、新造で暴利を得る商人と役人が結託し、まだ新しい軍船を廃止していたので、琉球に渡ってからも更に二十年は現役として活躍したという記録もある。
「ふふっ、王とは華やかに見えてその実、内政、外交、災害、親方衆の派閥争いと実に苦労ばかりじゃよ。くっくっくっ。
まぁ島津がそう簡単に海を渡って攻めて来るような事はあるまい。それに、久方ぶりにアユタヤに向かう交易船を仕立てておる。唐船が直接交易していても蘇木や南海の産物は進貢用だけでなく大和にも高く売れるでなぁ」
「はぁ」
「おっ、ついつい余の事ばかり話しておった。島津のことでなんじゃったかな?」
「い、いえ島津ではなく、貢納船のことです。夏、冬の収穫の時期に合わせて間切の租税を首里の王府に納めております」
やっと話を本題に戻せてほっとする真三郎。
「ふむ、そなたの金武は米で千石ほどであったか?」
「はい、正確には千百五十石になりますが、泊の港に運ぶためだけで百石は経費として係ります」
「運ぶだけでそれほどかかるものなのか?」
「はい、金武は良港がなく、荷を積める唐船が入れる羽地の勘手納まで山道を馬で運ぶか、領内の港に入る程度の小舟を何度も仕立てることになりまりす。
貢納には、首里周辺、遠い山原や先島、大島とそれぞれ作物毎に納期があり、宮古の事故は期限内に納めようと大量に船に積載し、悪天候に無理して出航した舵が効かなくて潮に流されたと聞き及んでおります」
「あれは八十石積み程度の小船に百五十石は積んでおったそうじゃ」
「御主!金武では収穫した米を一端、鍾乳洞内に作った倉で保管し、各地からの貢納と扶持を貰った士族が市に出したことで安く値崩れした米を改めて仕入れて王府の倉に納めております」
重大な秘密の暴露に姿勢と言葉使いを改め平伏して直言する
「ま、まて!真三郎!」
「涼しい鍾乳洞内の倉で保管した米は新米の収穫前になっても味は落ちず、よい評判を得て高く売れております」
「ほほう」
流石は株式会社琉球王国代表取締役社長尚元王である。真三郎の言葉に理を感じキラリと目を光らせたかのような反応を示す。
「貢納船の帰りの多くは空船や米と交換した雑穀を積んでおります。米作に適さない各島から薬草や、布等を泊に持ち込み米に相当する銭で納めてはいかがでしょう?
いきなり銭貢で問題があれば、米や麦を泊で購って納めてもよいでしょう。運ぶ苦労が経れば民も喜ぶでしょう」
「真三郎!そなたの考えか?」
ブルン!ブルン!
「いえ!いえ!大明の宰相、内閣大学士の張居正様が進めている一条鞭法なる納税法だと聞いております。
まぁ明では都から遠い江南の地では米や銅銭ではなく、銀を用いて進められておると」
「ふむぅ。銀か?そう言えば大和の銀を高く仕入れておるが。ふむぅ、祖法であるからには一存で直ぐには変えられんが、それが望みか?それはかなり公的な願いのようだか……」
「そのような事はまだ望んではおりません。望みは琉球各地の船が入る泊の地に米の取引商会所を作り商人を集めようと思いまして、その許可を今日はお願いに参りました」
「取引商会所?わざわざそのような場所を作る必要があるのか?荷を運べば商人が取引にくるではないか?」
「いえ、金武の米、羽地の米、伊平屋の米。産地によって値に違いがあり、豊作、不作、月によっても値が異なります。相対での取引では商人共に足元を見られるだけでございます」
真三郎が抱えた包みから二反の布をそっと押し出す。
「こちらは我が領内の租として納められた苧麻の布で、女人一人分の税、一反には相違ありませぬが……」
「うむ、かなり質が違うな」
二反の手触りを確かめる尚元
「はい。熟練者のオバァと今年成人し、初めて税用に織った者の差であります。市に出すと一方は売れても二百文、片方は四千文はするでしょう」
「よし、わかった。天久寺の近くに場所を与えよう。やってみるが良い。但し、金武王子のそなたではなく、誰か頭を別に立てよ。よいな?」
「はい、琉球、いや大和でも聞いたことのない初の米商会所です。何れは流石は五代目様!ディーンジなとぅ(大変なことになってる)といわれる事でしょう」
「?確かに余は開祖尚円王から数えて五代目じゃが、そのような尊称はないぞ?」
天下の台所大阪に米相場の取引所が出来る百五十年前、商会所ができる日本の夜が明け朝が来る二百五十年は前の話であった。




