チートの歴史
1568年 隆慶 2年 8歳
石を三つ置いただけの竈を改良 薪の節約により燃料革命、麒麟児、火の神ヒヌカンと称えられる。 茎をしゃぶるだけだった砂糖黍を発見、増産と製糖技術を試作開始 植林で琉球櫨や、肉桂等を植え始める。
1569年 9歳
明より薩摩芋(唐芋)と孟宗竹を輸入ウコンの増産 石鹸の製造に着手も失敗、チート定番の千歯こきと唐箕を制作、5玉の算盤を制作、久米唐営にカレー屋 何処壱と鰻屋 春花堂 そばパスタ程氏麺把開店
1570年 10歳
鍾乳洞を利用した保冷施設 高品質の米を高値で販売、サンゴより漆喰を大量生産、こぼした生石灰で黒砂糖の固化に成功、米の取引所を開設 工房を建てクランクによる水車、ろくろ等の技術研究、明より南瓜、落花生、ハーブ類の種子や技術書等を入手、叔父 池城安棟の羽地湾で真珠の養殖開始ハブ酒、長命酒、干しハブ等を薬として漢方を扱う炉卯兎薬種 卯屋開店商いの本拠とする。
1571 11歳
白砂糖の精製に近づく 茶糖として販売 石鹸製造成功。石鹸の不良品を用いた革の鞣し中に毛氈フェルトを開発、チャイナドレスをデザイン?廓に紹介 明で大流行、ボルネオのムスリム商人に燕の巣の取り方を提案
1572 12歳
ハイヒールの製造 昆布等の入手、チャイナドレスと併せて性の神 エッチしている象の神様聖天と朝公にちなんで聖公と陰で呼ばれ始める。 撰銭で鐚銭より大量の銅を確保、物価の安定に着手、船宿、歓楽街(若狭町)の経営、 慶良間を領す、鹿(実はジャコウジカ)を放牧、鰹節(枯れ節)を増産開始
1573 13歳
本拠地移転 リゾートホテル?生活、漆喰と孟宗竹を使った用水路、メイド服を御殿の女中冬服に採用、
1574 14歳
絹の高騰(チャイナドレスの影響)で布地の少ないアロハシャツ(かりゆしウエア)を普及、幼保老院等を建て始める
1575 15歳
加硫によるゴムの発見、脅威の薄さには失敗、硫黄島産の硫黄に混じった珪砂を発見、窓ガラス作りに挑戦、尖閣諸島に灯台(ニートを島流し)冊封使の記録 琉球使録に記載させる
1576 16歳
大東島の土グアノが肥料になることを発見 金武肥と名付ける、鯨髭をワイヤー変わりにしたブラを作成
板ガラスには失敗したがゴーグルタイプの水中眼鏡製造、西表島で石炭発見
海賊(イングランド船籍ドレークの手下)がメキシコやチリで略奪した財宝に最新式の大砲をget