第19話 翠微楼の夜来香
かんジィの思わぬ熱弁にあっけにとられる真三郎達
「お、落ち着けかんジィ。その文を寄越した夜来香とやらの正体はわかったが、何故俺に?そもそもなんの用なのかな?」
「そうじゃった、そうじゃった、はて?何用かのぅ」
「朝公様、安桓様。翠微楼の夜来香殿といえば、王府の重鎮や、倭冦商人の船主とも繋がりをもち、自らもジャンク船を持つ怪人物との噂もございます」
「ひょ、ひょ、ひょ。大丈夫じゃよ羽友殿。まぁ兄の評では癖のある御仁じゃが、癖は噛めば噛む程嵌まる者と。まぁ会って損はあるまい。さぁ久方ぶりの翆微楼。招待されたからには張り切っていかねばのぅ」
いい年をして頬をピャリと気合いをいれる。
「そ、そうですよ!真三郎様!是非行きましょう!なんとしても行きましょう!御一行様とあるからには当然俺もですよね!」
鼻息も荒く血走った三良がしつこく確認してくる。
「ま、まぁそうだな、悪いが羽友は林明さんと図南の奴を見ていてくれ。こっちの正体をどうやって掴んだのか。まぁあの子がらみじゃないと思うがな」
「くっ!畏まりました。同行を願い出たことは妻に内密にお願いしますが……流石にちと残念ですなぁ」
「ち、父上」
樽金が、堅物だと思っていた父の思わぬ一面に呆れるのであった。
◆
黄昏時、慶良間諸島の南にゆっくりと日が沈む琉球では水平線の彼方に浮かぶ雲が何時までも明るく幻想的な刻が続く。
その怪しげな刻限ピタリに翠微楼より案内の使いの青年が羽友屋敷を訪れて、御隠居一行のお忍び姿に化けた真三郎達を迎えに訪れる。
「ちとよいか?ここは翠微楼とは別の屋敷では?」
主人然として案内人に続くかんジィが何故だか若々しく尋ねる。
「はい、店の隣りになります。今宵は、大綱引きを締めくくる祭最後の夜。店も千客万来にございます。
正面からではちと目立ちすぎますので、こちらの裏手より案内せよとのご指図にて」
隣家の手入れが行き届いた庭を抜け、そっと小さな潜り戸の閂を外すと、翠微楼の奧の離れに繋がっていた。
「皆さま、こちらへ。すぐに主人が参ります」
離れの四阿とはいっても、久米随一の遊郭。何度も朱漆を塗りこめた柱に薄絹を贅沢に使用した帳、最高級、明渡りの香料を加えた蝋燭もふんだんにこれでもかと灯されている。
床は明式に石畳であり、螺鈿細工の黒卓に同様の意匠が施された椅子が置かれている。
室内には鶴を模した銅製の燭台、色鮮やかな花鳥図、棚に置かれた濃い青花の大壺には、南国の花々が今を盛りと生けられている。
そしてなにより圧巻なのは、四阿のみならず、その庭園に入った瞬間から人を怪しく酔わせる圧倒的な夜香木、夜来香の薫りであった。
「ほわぁぁ」
クンクンクン!スーハー スーハー!
「す、すごいなぁ」
「うーん、流石!城の、御内原よりも調度品に高級感があるなぁ。ん?卓は回らないのかな?」
螺鈿の卓が廻らないことを訝しげる真三郎。
「あらん?可笑しなことをおっしゃりますわね?」
すぅっーと薄絹の帳が開き、部下が女優灯を照らしているかのように眩しく輝く美魔女が顕れた。
「これは、失礼。御呼び立てしてしまいまして申し訳ありません。改めてまして、わたくしが、この翠微楼が女主人、夜来香にございます。以後おみしりおきを」
中国風にうず高く盛った艶やかな黒髪には幾つもの簪が刺さり、パッとと見ただけで、鼈甲に珊瑚、真珠といった南海の産だけではなく、見たこともないような宝玉の類いが、ふんだんに使われている。
夏にも関わらず何枚も重ね着した上着は、遠く東南アジアからもたらされた蘇木により艶やかな紅、上質さを物語る薄さからは肌の白さ、特に大胆に開いた胸元から例えようもない色気が溢れだしていた。
「こ、これは、ご丁寧に……あ、あと、えと、金武王子朝公、いや唐名で尚久です」
すっかり、夜来香の放つ色香に圧倒される真三郎である。
「あら、あら、こちらこそ宜しくですわ朝公様。それより、折角の席ですからまずはお食事でも?朝公様はまだ、お酒はお召しになりませぬよね?」
「ひょ、ん。朝公様にはまだ、早かろうて」
大人然として割り込むかんジィ
「これはこれは安桓様、一瞥以来で」
「兄、安基が、三司官の職を辞す前ですからもう七年は前になりましょうか」
下調べの結果の筈だか、夜来香に名前を呼ばれて喜色満面なエロジジィである。
「あらん。もう、そんなに?月日のたつのは早いですわね」
「夜来香様には月日の流れは無用のようで、全くおかわりなく」
「あら、あら?相変わらすお上手ですわねぇ」
「ひょ、年甲斐もなく」
年甲斐もなく浮き足だったかんジィを見事なまでに手玉にとる夜来香である。そして僅かな目配せによって、真三郎達の卓上に次々と珍しげな料理が並べられる。
「護衛の方々もどうぞ席にお掛けくださいませ。この翠微楼で間違いは決して起きませんし、お帰りの安全もこの夜来香が保証いたしますわ」
真三郎とかんジィの背後に立っていた真牛と三良、通訳役にと念の為に控えていた樽金にも、席に就くよう促す。
「よい、折角の趣向だ。真牛もいただこうではないか」
逡巡する真牛に真三郎が着席を促す。
「まぁ、うれしいわ。ささっ!こちらは琉球の黒豚の東坡肉、伊勢海老と坑州は龍井産の茶葉の炒めもの、この富貴鳥は、あちらで使う蓮の代わりに月桃と芭蕉の葉を使った琉球風ですわ。お口に合いますかしら?」
卓上に並んだ料理の数々は浙江の料理を琉球で入手出来る材料で工夫したものの、明らかに手の込んだ中国料理の逸品である。
「こ、これは!」
「旨い!肉がとろけるぅ」
「この蒸したフワフワの饅頭に挟むとまた!」
「やべぇ、まじパネェ!」
「し、醤油?いや、甘いか……」
「こ、これは?ふむ、ただの炒めものではないな?ぷりぷり伊勢海老は、卵白をからめて一度、油で火を通しているな?茶葉の後味も軽い、直接茶葉を入れたのではなく、一度茶を淹れた出がらしか?茶はあんにつかったのか?ふむぅ、茶の渋みが、えびの身の甘さを引き立てておる。僅かな塩だけでこの味………」
「ま、まて!真牛!ここではだけては色々不味い!」
肩が脱げかけた真牛を樽金と三良が取り押さえる。
「え、えーとあのぅ?この子は?」
「いや、全然気にしないでください。夜来香様!ちょっと持病のしゃくが!」
「そう?でわ、尚久様、山原のカーブチー(沖縄の柑橘)入りのお水ですが」
夜来春が、真三郎の杯に果実水を継ぎ、かんジィには紹興酒を注ぐ。また、樽金達には給仕役の女性が同じく酒ではなく、果実水を注いでまわる。
三良だけが、酒ではないこと以上に酌が夜来香でないことにがっかりしていた。
「さてと、田舎の金武、いや首里でも中々食せない料理のもてなしに感謝いたす。いたすが、本題である。今宵、祭の余韻で忙しい中、わざわざ使者を立ててまで俺を招いた理由はなんだ夜来香殿?」
甲斐甲斐しい給仕にて卓上の皿も空になり、果実水の杯を一気に煽った真三郎が、まさしく直球で訊ねる。
「あらん?そうですわねぇ。あまり速いと嫌われますわよ。うふっふっふっ」
真三郎の隣に腰を降ろした夜来香が杯を持つ右手を両手で軽く撫でる。
「や、夜来香殿!」
「あら、やだ、ごめんなさい。
そうですわねぇ。目的。そぅ、先ずは尚久様に謝罪をと。
実は先日、唐船グムイの船揚場に置いて殿下に不調法をいたした人足達の船主は私なのですわ。
あれも身内、身内の不手際と、大事にしなかったことについてのお礼ですわ」
夜来香は妖艶な女楼主から遣り手の倭冦商人に一呼吸でいずまいを正して礼をとる。
「いや、こちらも成り行きと、私事の町歩中だったゆえ。
そう、そう、あの密航者はこちらで預かっているがよいかな?」
「そうですね、甲板走りが出来る年頃なら密航の罰として働いて貰うところですが、聞くところによると、まだ、ほんの童だとか?」
「まだ、五つか、六つまぁそのぐらいかな?何かの縁だこのまま家で引き取りたいが、知ってるだろうが言葉の問題なら程家の者が臣に
おる」
「同郷の者とはいえ、密航者。倭冦商人の則では例外扱いはなかなか難しく。こちらからもよろしくお願いいたします。
それから、お会いしたかった理由がもうひとつ。
先年は、楊理を使って頂きまして」
「まて、まさか楊理殿も夜来香殿の?」
「はい、我々は元々、老船主の元、双興(上海沖の船山諸島)の港を本拠とし、蘇州、抗州といった浙江の郷紳(大地主)と結んで盛んに商いを行っておりました。しかし、天朝の浙江巡撫の取り締まりがいよいよ激しくなり、本拠を倭国の平戸や、琉球の久米に分散したのでございますよ」
「老船主といえば、かの……」
「はい五峰様、微王 王直様にございました」
(いや、まてよ、父上が、俺でも知ってた倭冦の海賊王 王直が捕まって斬首されたのが、俺の生まれる前といってたよーな、て、ことは、……………)
「あら?あら?何を考えていらっしゃるのかしら?失礼ですわよ?」
指折り数えようとした真三郎の指を夜来香の掌が優しく包む。
「あ…いや、なんでも……」
直接の接触に思わず頬を染める真三郎。皆の目が痛い。
「琉球では福州の港が進貢の窓口ですから福建の商人が幅を効かせておりますが、宋代や、明の始めには都が置かれた江南の地、魚米の郷とも呼ばれ絹に手工芸、陶磁器と産物の多い我らとも今後も深い取引をと」
「なるほど、背後の郷紳、商人の違いか?」
「扱う品の違いかと。尚久様は、料理の才の他に久米の商家、薬種問屋や、廻船問屋を回られたとか?商いの種がございましたらご贔屓に」
いつのまにか行動を監視されていたのかと真牛に目配せする真三郎。
「うふふ、そのようなことはいたしませんよ。
お酒が入るとどんな商人もお口が軽くて。寝物語にいろいろと、ねっ。ふっふっ」
「夜来香殿!」
思わせ振りな夜来香に樽金が、声を荒げる。
「な、なるほど、翠微楼は商いの要か?怖いな。だが参考にしよう。それより唐名の尚久は慣れぬ。琉球では朝公と呼んでくれ」
「はい。朝公様。ふっふっ、商いの参考にしたなら利は頂きますわよ」
「ひょ、ひょ、ひょ、これは1本取られましたのぅ」
杏子や棗、クコ等の入った糖水のデザートに食後の花茶まで頂いて翠微楼での宴は終わるのであった。
◆
後日、祭の屋台の為に名仮りをした羽友の従弟は元祖辣麺ののぼりを掲げて程氏麺把をオープンし、日本初の拉麺ならぬ辣麺が水戸黄門に先駆けて誕生するのであった。
北京の国士監(大学)に琉球学館ってのがあり、朝貢してた国の中で琉球だけが、学内に寮があったみたいです。本来はカギがしまって門までしか見えないようでしたが、たまたまカギが空いてて、そーっと覗いたらバスケットのゴールが2つ、弁当食べてるおばちゃんとTVみてるおっさん達…………………国士監のスタッフの休憩所になってました。
いろいろネタを仕込んだのでいずれは!




