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王子転生! ~王子は王子でも琉球第三王子!~  作者: 高見結
~王子は王子でも琉球第三王子~
2/175

年表

唐名 尚久  大和名金武王子朝公 

・1560年11月15日 (嘉靖39年10月18日) 第2尚氏 5代 琉球国王尚元の三男として生まれる。

  母は三司官 新城安基の娘 真鍋樽(正史) 日本では桶狭間の戦い

・1564年(嘉靖43年) わずか四歳にして金武間切総地頭に任ぜられ、金武御殿うどぅんを開く。通称 金武王子(正史) 樽金、真牛、三良が側近となる(創作)


・1567年(隆慶元年)采地である金武に赴任 内政開始(創作 5話辺り)

・1569年(隆慶3年)那覇で遊んでいて図南(技術官僚)を拾う(創作14話辺り)

・1570年(隆慶4年)追剥をしていた飛連(忍)を拾う(創作25話あたり)

・1571年 (隆慶5年)尚元王の奄美大島親征の際、後詰として出陣(初陣だが戦闘なし 出陣については不明の為創作35話辺り)

・1572年 (隆慶6年)尚元王薨去 王妃の息子で中城王子(王太子)である次男の阿応理屋恵王子が13歳の若さで即位 尚永王と称す。(正史 46話辺り)

 同年 真玉橋の架け替え普請 人柱に指名されていた恩戸と嘉樽を保護 (創作)

・1573年(隆慶7年万暦元年)慶賀使派遣 (正史では尚元の訃報を知らせて冊封を乞うのだが、どうやら難破したらしく消息不明に、明くる74年に万暦帝の即位を祝う慶賀使を派遣し消息を知ることになる。)(創作52話辺り)

・1574年(万暦2年 天正2年)金武間切の中心に位置するが山奥の喜瀬武原の金武御殿から恩納の万座毛ビーチ周辺 、現在とあるリゾートホテルがある場所に白亜の御殿を建設。鴉那御殿と称す。(創作58話辺り)

 同年突風に煽られうふあがり島(南北大東島)を発見(創作63話辺り)

・1575年(万暦3年 天正3年)尚永王が正使 簫崇業 副使 謝杰により冊封を受ける。(使節名は正史由来、時期は三年早い)

 同年 朝公による三重城、屋良森城の改修、久米具志川王子(庶兄)による守礼門の改修(創作) 

(尚永王の功績として冊封使を迎えるに辺り改修、現在の形にし、冊封の文言から首里門を守礼門に改名とある。守礼門の部材に本島には産しない石が使われているので玄武岩のある久米島の兄の功績に)

 日本では長篠の戦い

・1576年(万暦4年 天正2年)74年にルソン島を襲った広東の倭寇林鳳の残党確認で大島、八重山クルージング(創作)

・うるあがり(大東島)周辺でキャプテン・ドレークの海賊船(はぐれた4隻のうちの1隻)に襲われる。が撃退。金銀財宝に大砲や火薬をget  人殺しでショック寝込んでる←いまここ


今後の予定


・1577年  史実では長男が生まれる予定なので嫁さん探し中だが、、、 (九男五女の大父ビッグなパパです)

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