第14話 図南渡海
隆慶三年 永禄十二年六月十一日 真三郎九歳
明くる十三日より琉球の表玄関、福建より移住した久米三十六姓により只の浮島から東海に浮かぶ国際貿易港として発展した久米唐営。ここでで行われる祭にこっそりと参加するため、真三郎一行は金武間切西海岸にある小港、安富祖港より船で一路那覇へとに向かっていた。
「ふはぁぁー楽だぁぁ」
「ひょ、ひょ、ひょ!小型の平底船とはいえ、帆を張ると実に速いもんですなぁ」
この時期の風は基本的に南風。首里、那覇から見れば北東に位置する金武は逆風に潮の流れも逆潮。日の出、日の入りの浜風を横に受けるか凪の刻を見計らっての漕ぎ手の数で進むしかない。
いつもは羽地間切の勘手納より大型の船を利用していたかんジィが小回りの効く小舟に感心する。
「そうだなぁ だが、もう少し金武の港が良ければなぁ。唐船は無理でも大型の山原船が使えるのになぁ」
隆起珊瑚の琉球では、海岸線に天然の防波堤とも言える見事な岩礁が国全体を覆うように発達し、外洋からの波浪から陸地を守っている。
しかし、暗礁による座礁の怖れから大型船の接岸、停泊できる港は限られることになっていた。
「まぁ今は十石積みがせいぜいですね」
浜に乗り上げる形の平底船は波浪に弱く、喫水も低い為にたいした荷も運べない。今回は真三郎が乗り込むとあって積まれた荷は蕎麦四石ばかり、その上で陸地を眺めていた真牛が呟く。
「おーい!あれが、残波の岬じゃあ!波を越える時は大きく揺れるんで、ちゃんと座って何かにつかまってくんなせぇー!」
船尾で舵を握る船長のよく通るどなり声が響く。
地形上、黒潮の影響をもろに受ける岬の沖を無事に回った船は那覇の港に滑るように入港するのであった。
◆
「金武王子朝公様。主上より天使館付きの通事長を拝命しております程羽友にございます。愚息、隆成(樽金)がいつもご迷惑をおかけしているのては?」
樽金パパ、程羽友が息樽金と共に港にまで迎えに来ている。
「久しいな、羽友。た、隆成には家宰安李の補佐役目および、蔵方として一時も手放せぬ程勤めてもらっておる。今回はそなたにも迷惑を掛けることになった。本当に頼りにしておるよ」
「それは良かった。ささっ、金武からの船旅お疲れでしょう。まずは、拙宅でご休息を」
「うむ、世話になる」
樽金の実家である程氏は久米三十六姓の一とされているが、蔡氏、鄭氏、王氏といった久米唐営内に各宗家を中心とする大規模化な屋敷を構え、明や南方諸国との交易や、政治に影響をもつ名家、一族ではなく、王府に使える通事(通訳)をほそぼそと輩出する一家であった。
因みに真三郎の祖父、大新城安基や、叔父である池城安棟、昔、李の三兄弟らが名乗る毛氏は対明の交渉の時に必要と新たに唐名を名乗った新興の門中で渡来系ではない。
「朝公様。あちらが我が実家でございます。首里屋敷より、手伝いの文子が二人手配しており、明日には参る予定であります。また、父より、我が家の家人にも手伝わせる用承っております」
父の手前か、丁寧に大和名で樽金、いや隆成が案内する。
「なぁ、なぁ、樽金。もしかして、あの通りの向こうって!」
留守番にする予定がどうしてもとの土下座懇願、期待に胸弾ませる三良が樽金にそっと囁く。
「しっ、そうだよ!夜中に勝手に抜けだしたりするなよ!」
「見るだけ、見るだけ!なっなっ真牛!」
……ポッ!
言わんとしている事を理解しているのか真牛の頬が紅く染まる。
(やはり、まだ昼間なのにどこからともなく漂う怪しく、淫靡な雰囲気に御内原でも嗅いだ事のあるむせかえる白粉の薫り!……間違いない!花街やぁん)
荒くれ者共が一攫千金を狙い、決死の思いで大海原を航海する。
当然男だらけの船旅で、上手く風に乗れば、四、五日で目的地に着くとはいえ、風待ちや逆風に流されると一ヵ月は海の上、一枚船床下は真っ暗な海。
港に着くと発散もしたくなるだろう。もらった給金の大半を琉球、久米唐営に注ぐかの様に落としていく。そして南海の徒花が一斉に咲き誇る花園。そう、辻の遊廓街である。
もともとは天使館に滞在する、明の使者やその従者、船員、倭冦商人らを目当てに自然と人が集まり、塩の影響で荒れ地であった辻の辺りに、ポツポツと置屋ができたのであるが、真三郎の時代には既に遊廓街の雰囲気をもっていた。
吉原の遊廓のように遊廓街として一般の町から隔離され初めるのは随分後、江戸時代の世になってからである。
◆
「朝公様、失礼いたします」
羽友が、真三郎達の通された一番座にお茶をもって現れる。
「朝公様、御休の所申し訳ありませぬ、明日はソーキ蕎麦なる振る舞いでお忙しいとお聞きしております。
我が家の家人や、妻もおりますので、是非お使いください。
ただ、隆成の兄の伯永は今、福州の柔遠駅(在福州 琉球大使館)に滞在中ですのでご了承ください。
安桓様はそちらの部屋を、近習の方々は狭い屋敷で申し訳ありませぬが隆成の部屋をお使いください」
「それは有難い。助かる羽友」
「明日は準備もあると思いますが、本日のご予定は?宜しければ、親見世に行かれませぬか?祭の会場の下見にもなりますし、先日戻りました進貢船に積まれておりました大明の珍しい品物等が揃っておりまする。朝公様なら色々気に入るでしょう」
(交易品かぁ、何かチート知識に役立つものがあるかな?それより、樽金の兄ちゃん、中国出張中か!知ってたら色々頼みたかったなぁ)
「かんジィは、船旅で疲れただろ?休んどく?」
「ひょ、ひょ、ひょ、まだまだ若い衆には負けぬワイ」
◆
久米大門から王府の直営店である親見世までの道沿いに約300メートル幅30メートル程の白砂の浜が広がっている。
シキバと呼ばれるこの浜が、競馬と綱引きの行われる会場である。既に運ばれた真三郎の胴回り程もある二本の大綱が競馬場と屋台の通りを分けている。
「えーと、ハの九番……ここですね」
樽金が、遠縁の商家の名義を借りて借り受けた屋台の設置場所を確認する。
「うん、なかなか、いい場所じゃないか?」
「そうですね、家からは少し遠回りになりますが……いい場所でしょう」
とある新潟県の洋服屋のご隠居さんをイメージした変装をかんジィに施して、真三郎一行は会場内を下見してから羽友に勧められた親見世へ向かう。
◆
「メンソーレ!(いらっしゃいませ!)」
「旦那様!こちらは明の官窯で作られた赤絵の逸品にございます。これ程の名品はもぅ皇帝陛下か、首里天加那志しかお持ちでないよ」
「見てくだされ、この白磁の薄さ!光を通すこの薄さは官窯の名人の作でさぁ」
「こちらは宋代に作られた青磁にございますよ!今では再現できないこの色艶、正に雨上がりの昊と詠われた彩にございます」
「蘇州産の絹にございます。一撫でおさわりくださいな。この柔肌を思わせる滑らかな肌触り、琉球の絹ではこうはいかぬでしょう」
「あー、ぼうは、さわらんといてなぁ」
手を伸ばそうとした真三郎を目敏く見付けた売り子が商品を引っ込める。
「ささっ!この刺繍の見事さ、まるで花園を閉じ込めたようでございましょう」
「こちらは、明の奥地、幻の冬虫夏草と大黄に天竺の薬種から調合された中薬にございますよ。これを服すれば、旦那様もまだまだいけますぞ。ブヒヒヒッ!」
「見てください、この景色、端渓石の硯にございますよ。これを使えばどんな悪筆も王義之もかくやといわれる腕前に!先ずは道具から」
「杭州は西湖の花鳥図にございます!まだ無名の新人ですがいずれ画聖と呼ばれる奇才の作でございますよ」
◆
「つ、疲れた。とてもじゃない高級品ばかりで、御殿の銭蔵を空にでもしないと何も買えんなぁ」
ほうほうの体で親見世を後にした御隠居さま一行、もとい真三郎一行は、シキバを見渡す木陰で休息していた。
「ひょ、ひょ、ひょ、あれは言い値じゃよ。欲しい品物があれば場所を代えて、奥の間で茶をじっくり飲みながらの交渉じゃよ」
「左様で、しかし、なかなか眼福な品揃えではあったが、参考になる様な、食指が伸びる様なものはなかったなぁ」
触ろうとすると店員が飛んできてブロックされる。特に高そうな品物は店の奥に置かれて商家の子弟にしか見えない格好の真三郎では見ることもできない。
「あれらの品の多くは、大和の船主らが大量に買っていきます。代金となりますのは白銀や、銅、刀や、扇子といった工芸品。
これに今度は琉球産の馬や硫黄を積んで明に行けば、三倍、四倍、物によってはなんと十倍の値になることもあります」
「倭冦商人が儲かるわけだ」
「いえ、親見世の品は正しく明の皇帝陛下より、御主への返礼の品。明の各地より皇帝陛下に納め足られた逸品や、朝鮮や、南越、わが琉球等への賜品として特別に作られた名品ばかりです。
一方、倭冦商人らの運ぶ品物は高級でも民間用の一段落ちる品です」
(確か、明か元とかの壺がオークションで何億になったとか、将来の財テク用に……まぁ、今は無理だな)
「まぁ、倭冦商人の品物の中にはご禁制の品も混ざっており、正しく玉石混淆、目利きのやり手が争う戦場ですよ!前年の楊理殿もそういった方の一人です」
「あれは実に助かった。今年は既に琉球に滞在中かな?」
(芋と竹も順調だ、飢饉に成らなかったのは、大きいいしな)
「さぁ。商店を冷やかしながら港に向かいますか?荷揚げ場に行けば停泊中の船も良く見えますし、人足に話もきけるでしょう。それに必要ならば、後程父に確認することもできます」
「そうだな、折角だから、久米ブラでもするか?」
◆
【以下中国語】
「なんじゃ、こいつは!」
「密航じゃ、積み荷に紛れておったぞ!」
荷揚げ用の小舟から浜に揚げた荷の中から漂うすえた臭いに不審に思った人足が黒い塊を引きずり出す。
「かぁー、っぺっ!臭っさぁ!こいつはなんだ!積み荷に手をつけてないか?」
「生きているのか?」
「いや、何も食っておらんよーだな?しっかし鶏ガラのように痩せこけたけったいな童やな?」
「しかし、どうする?今さら鮫の餌にするにも、もう琉球に着いとるからなぁ」
「琉球とはいえ役人にかかわり合うのはごめんだ。」
「けっ!金目のものはないか?売れるような面なら男でも酒の一杯の代金にでもならんかね?」
「なんじゃこりゃ、汚ねーなぁ」
童の懐から何か黒い塊を出したが、重さから金目のモノじゃないと判断したのか、ポイッと放り投げる。
「ふん、そんな死に損ないにかまうな。この荷を琉球で売りさばけば銀五十両にはなるぞ。時間がもったいねぇ」
「ちげぇねぇや」
「ぐっ」
懐を漁った男が猫のように襟首を掴んで砂浜に投げ出した。
【琉球語】
「これこれ、一体何をやっているのだ?まだ幼い子供じゃないか?」
足元に転がって来た黒い塊、その飛んで来た方をみた真三郎が、騒動の主に声をかける。
「ニーハオ?」
「イーアルサンスウウーリューチー!」
「樽金、ごめん通訳」
「忙しい、何か用かと」
樽金が、人足らしき五人組に真三郎の言葉を官話に翻訳して声をかける。
「いや、そうじゃなくて、こんな子供に何やってるかと?」
「トーナンシャーぺーダイサンゲン!」
「密航者らしいです。荷物に紛れてたと」
「密航?どうなる?明から流れて来たのかな?」
「残念ながら棄民として、このままだと野垂れ死ぬかと」
樽金が唇を噛んで伏し目がちに答える。明は海禁、勝手に臣民が渡海するを認めておらず、賄賂で官憲の目を眩ませる倭冦商人も巡撫師が替われば打ち首の憂き目に会うのだ。
漂着した漁民を琉球が保護して送還することはあれど明らかな密航者である。
「ひょ、ひょ、ひょ、どうなさる真三郎様?」
「関わりあったからには寝覚めが悪いじゃないか!助けよう。通訳!」
「ペキンシャンハイテンシンシーアン、束に……」
「銀一両払えと、」
「何いってるんだコイツら!さっき投げ捨ててただろ!」
三良が声を挙げると、人足らが腕を捲り、関節をパキパキと鳴らす。薄ら笑いを浮かべながら、真三郎達五人をぐるりと取り囲む。
人数は互角だか、ジジィに子供、樽金もヒョロヒョロである。
「牛さん、三さん!やっておしまい!」
「はっ!」
「へっ!いや、俺も?」
バキッ!ティ!ハッ!グキッ!
あっと言う間に真牛の手が四人を投げ飛ばし、三良が一人と寝技の掛け合いで浜に転がっている。
「ふん、それぐらいでいいでしょう!」
「皆の者!控えおろぅ!こちらにおわすお方をどなたと心得る!おそれ多くも、琉球王国の王族ぞ!樽金、通訳!」
真三郎が、かんジィを前に出し、懐から黄金の簪を取り出して真牛が押さえつけているリーダー格の男に見せつけた!
(くぅー!印籠じゃないけど、一度やってみたかったぁ!)
【中国語】
「ヤベェ、ありゃ本物の黄金だ!」
「金の簪は、王族だぞ!」
「間違げぇねぇ!ヤバイぞ、小国とはいえ役人に絡まれると厄介だ!船主にどやされる!」
「けっ、だから、あんな糞ガキほっときゃよかったんだ!」
「と、とりあえず、あの餓鬼を渡してやれ」
【日本語】
「真三郎様、とりあえず子供はこちらに引渡してくれるそうです。保護しますか?」
「あぁ、オーイ!大丈夫か?水飲めるか?名前は?」
真三郎より、かなり小さい、五、六歳だろうかカッサカサのひび割れた唇に三良が、水筒の水を布に含ませて押し充てる。
「と、図南……」
「トナン?名前か?」
「いや、南にいきたいといったのかと、」
「うむ、まぁいい、三良、担いで。とりあえず、羽友屋敷に戻ろう。余り騒ぎを大きくしたくない。」
「えっ、俺がですか?うっ、うっ、クサッ…… しくしく」
人足の一人と取っ組み合ったものの結局は押さえ込まれていい所なしの三良が臭い仕事を押し付けられる。
「まぁ、なんだ、人生いろいろあるわけさぁ、楽しいこともなっ」
一行の一番後ろを歩く樽金が、真三郎の足元に転がっていた黒い塊を拾うと、匂いを嗅いだあと、首を軽く傾げると、布にソッと包むと懐にしまったのだった。
えーと、JASなんとか、大丈夫ですよね?




