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王子転生! ~王子は王子でも琉球第三王子!~  作者: 高見結
~王子は王子でも琉球第三王子~
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第8話 大宰相の死

 隆慶(りゅうけい)元年6月4日

 夏至の頃に梅雨明けを琉球に告げる強く乾いた南風、夏至南風(かーちーぺー)。この南風と黒潮に乗って東南アジアの国々との交易した船団がホイナン(ベトナム)、ルソン(フィリピン)、アユタヤ(タイ)から南方の珍しい荷を満載して琉球にやってくる。

 東海交易の中心に位置するのが琉球の港、久米唐営。

 その久米唐営で水等の補給や十分な急速を取り、風待ちをした後には黒潮の流れに乗り一気に博多や、平戸、坊津といった港を目指すことになる。

 中には四国沖や豊後の府内を経由、瀬戸内海を進んで大和交易の到着港、堺の街に直接向かう船や倭冦(わこう)のジャンク船すら立ち寄る賑わいの季節である。



「ま、真三郎様!い、一大事にございます!」

 南国とはいえ、亜熱帯の山中森を切り開いて作られた金武御殿(うどぅん)。朝靄もうっすら立ち込める早朝、日も昇らぬ内に真牛が真三郎の寝室に正しく駆け込んでくる。


「うわっ!なんだ真牛、一体何事?」

 起き抜けのはれぼったい目をこすりながら身をおこす。

 頭は兎も角、七歳の身体には十分な睡眠が必要なのだ。


「し、首里より早馬が、祖父君、大新城(うふあらぐすく)親方、新城安基(あんき)様、ご危篤とのこと!急ぎ首里行きの御準備を!」


「わっ、わかった!かんジィは?」

 真三郎に付けられた家宰ではあるが、長年兄である安基の留守を守り、采地である羽地(はねじ)間切の内務を司ってきたのだ。

 首里の王府で三司官筆頭にまで登り積めた原動力の一つが弟であるかんジィの無私の貢献、手腕であった。


「既に起きておりますよ、真三郎様。歳を取ると眠る時間はたいして必要なくなるんじゃよ!もうすぐたーっぷりと寝ることになるからじゃろぅて、ひょひょひょ!」

「かんジィ……」

 莞爾(かんじ)と笑うかんジィだか、その表情にいつものおどけた様子に力はない。


「……そうですか、兄上が、王府で相談役として政務に復帰したときから。

 まぁ、たまに吐血があったことは知っておりましたし、真三郎様の家宰を任された。金武に家宰として赴く事になった時、既に別れは済ませております。

 真三郎様は、急ぎ首里に向いなされ、後の事は、某と三良(さんらー)に任せてくさだされ!真牛、樽金(たるかね)!真三郎様にお供し、至急首里に登るように!」

 一報を受け、慌てて駆けつけた樽金と三良を顧みてかんジィが指示する。


 真三郎達は着の身着のままに近い有り様で慌てて出立するのであった。



 ◆


 隆慶元年6月6日早朝

 首里 新城安基 屋敷


「親父殿!孫の、大金武王子朝公様がお見えです。お気を確かに!」


  真牛の先導で馬に揺られて首里にたどり着いた真三郎達が見たのは、鶏ガラの様に痩せ細り、黒く萎びれた祖父、安基の姿だった。


真鍋(まなびぃ)!いや、ま、真三郎様か?……よう 来た……ち、ちこう」

 (しとね)の中から力なく僅かに手を伸ばす。


「お爺様!気を確かに!真鍋樽(ママさん)が息子、真三郎にございます!」

 伸ばした手を両手で握りしめた真三郎がその冷たさに息を呑む。

(つ、冷たい!皮膚は弛み、かなり黒ずんでいるし……それにこの臭い、これはまさか死臭か!)


「あ、安棟、すまぬが、しばし席を外せ」

 息子である羽地親方、池城安棟が背にいくつもの布団を挟み楽に身を起こせる様に介護するや真三郎と二人きりにしろと命じる。

「ですが、親父様…………わかりました。朝公様、そちらの水注(みずさし)に飲み薬が、暫し、隣の間にて控えております」

 大新城(うふあらぐしく)(うふ)の美称をつけて呼ばれる大政治家の貫禄に現三司官の一人でもある安棟も反論は出来ず素直に引き下がる。


「ま、真三郎様 ……すまぬが、ちと、背を擦ってくれぬか?」


「わかりました。お爺様!これで……」

  背を擦ろうと直ぐ横に近寄った真三郎の腕を危篤状態から意識を取り戻したばかり、爺とは思えない動きで、真三郎の腕を掴んだ安基は真三郎の顔をじっと睨む。


「そなた!一体何者じゃ?」


(えっ!爺ちゃん!呆けた?)

「真三郎ですよ!お爺様!」


「いや、そうではない、お主は本当に我が血を受け継ぎし孫か?」


(え!え!えー!まさかやぁ転生がばれたぁ!どうする?どうなる俺?)

「え、あ、や、あ、」


「いや。落ち着け、そうではない。 ふむー

 確かに、今そなたを改めて観相(かんそう)しても王気(おうき)は微塵も感じぬか……」


「王気?」


「ふむ、そうじゃな、こんな話は安棟にもしとらんが……真三郎様、すまぬが薬湯ではなく、白湯を一杯」


 真三郎が差し出した白湯と勧められた薬湯を一瞥し、茶碗に半分づつ飲んだ安基がにわかに語りだす。


「そうさなぁ、儂が今帰仁ノロの血をひく神高(かんだかー)な産まれであることは知っておるか?」


「か、神高?初耳でございます」


「そうか……………儂はのぅ、先々代の国王尚真(しょうしん)王。そう、かの宇喜也嘉(おぎやか)様が長男王子を廃嫡するという強引な手法で王位に付け、王統が二つに分かれる原因となった王じゃな。

 その王が神女(ノロ)である今帰仁ノロ、当時の阿応理屋恵(あおりやえ)様に手を付けて産まれた子なのじゃよ。

 そして儂を(はら)んで母はその霊威(セジ)の一切を失い、ノロの座を降り只人となったが……その霊威はワシは引き継いだのじゃ」


(えっ、なに?まさかスピリチュアルなことがある世界?)


「儂は、公には認められぬが尚王家の血を引くものとして、又母から引き継いだ霊力によって、尚元様がもつ王気を観相(かんそう)し、国王として即位することや、三司官として仕える道を、職責を全うしてきた」

 先程までの衰弱が嘘のように言の葉に力が入り、とくとくと語り出す安基。


「今、王気は尚元様、次代、つぎの王は兄王子の阿応理屋恵(あおりやえ)王子にある。そなたは摩訶不思議(まかふしぎ)な、常ならぬ相をもっているのは確かじゃし、その年で金武間切での(かまど)の普及や、農具工具の改良を行う等非凡な才を発揮させておるようじゃが、残念ながら王気は微塵も感じられぬ」


「王気って麒麟(きりん)かよ!」


「き?麒麟?と、ともかく御主(うしゅ)に、兄王子が継ぐであろう首里天加那志(すいてんがなし)に変わらぬ忠節を尽くしてくれ」


「はい、お爺様!もちろんにございます。生涯変わらぬ忠節を!」

 真三郎の手を、萎びた爪が食い込まんばかりに強く握る安基の威に気圧され痛さも感じぬように誓う。

善哉(よきかな)、善哉。真三郎様、いや朝公様。この屋敷は儂からの形見じゃ、首里の屋敷としてでもお使いなされ、国政を総覧(そうらん)していた頃の書物や、珍しい異国の本もある。屋敷の家人についても安棟か、李。古波蔵(こはぐら)に婿入りしたが、安昔(あんしゃく)の三人の叔父らを頼るがよい」


「……それから安垣は性は善、まさしく得難い弟じゃった。なにも報いることが出来なかったが……あやつももう年じゃが最後まで使ってくれ」


「はい!何かとかんジィには何かと助けられております!」


「ふっ、そうか、かんジィとな……ちと疲れた。しばし横になる。真三郎様も金武から急ぎの旅で疲れたであろう。奥か、安棟の屋敷を借りて休まれよ」


「はい、お爺様!」


 これが、祖父安基との最後の会話となった。




 大新城安基 国王の右腕として三司官を長きに渡り勤め、(うふ)の美称を冠し、琉球王国の繁栄と、(もう)氏池城家の礎を一代で築き上げた俊英は、眠るように息を引き取った。

 号は雲心(うんしん) 功臣であり、尚元が琉球の王として龍の様に昇るを輔した雲の様な存在であり、王の岳父でもある安基の葬儀は実に盛大なものであったという。




 ◆


 隆慶(りゅうけい)元年8月

 安基の死から半年、長年の領地である羽地(はねじ)間切に埋葬され、真三郎は首里の屋敷を正式に引き継ぐ為に首里に来ていた。


「まじ?博多?会えるのか?」


「風待ちと補給でありますが、親見世(おやみせ)に進貢用の蘇木(そぼく)を納めるために天使館(てんしかん)に滞在しております。

 父、羽友(うゆう)の手引きで、お会いできます!」

(博多の商人かぁ、堺の方が信長や、秀吉あたりか、戦国時代の前半かわかるんだけどなぁ)

「よし、三良(さんらー)は悪いが屋敷で留守番ね、樽金(たるかね)と護衛の真牛(まうし)はついてきて!」


「そ、そんなぁ」

 面白そうな夜の久米唐営に置いてけぼりと聞いてがっくり項垂れる三良である。



「これはこれは、大金武王子殿下。

 私めは、博多は神屋紹策(かみや じょうさく)が手代、吉右衛門(きちえもん)と申す者にございます」

 ベトナム帰りらしく真っ黒に焼けた吉右衛門は海賊のような風貌なのに時代劇の商人のように、手を揉みながら年端もいかない真三郎に低姿勢で挨拶する。


「王子といっても高々2000石の按司(あじ)じゃ。大した買い物も出来ぬがよろしく頼む」

 資金はこころもとないが、今は何年か、基準の1600年の関ヶ原の前か後かを探る為の情報収集は必須である。

「吉右衛門殿、今後も琉球が博多との取引を盛んにする方法を聞きたいが、今、博多の港を治めてるのはだれじゃ?」

「今、博多は豊後の大友家が治めております。当主の左衛門督(さえもんのすけ)義鎮(よししげ)様は名君で、今や九州の大半を治めております。

 もっとも当家は中国の毛利様との縁が深く、石見で産する銀をもって南蛮の財を商っております。

 日ノ本の船は明の湊に直接入ることが叶いませぬゆえ、白銀や工芸細工物を持ち込み、琉球が進貢で得た明の生糸絹織物や、陶磁器等の産物を買っております。」


 (大友……大友宗麟(そうりん)なら知ってるけど義鎮?親父か?宗麟の息子の代には既に没落していたはずだし、毛利の当主は誰かな?)

「中国の毛利とは毛利元就(もとなり)殿か?」


「はい、流石、毛利右馬頭(うまのかみ)元就様の御名前は遥か琉球にまで広がっておるようですなぁ。

 齢七十になりますが、その知略を以て一国人から中国から九州に至る広大な領地を手にし、常に他家の動きを制肘することから(ひじ)神とも(ぼう)神とも呼ばれるお方でございます。

  嫡男の隆元(たかもと)様が尼子(あまご)攻めの最中に早世なされ、孫にあたる輝元(てるもと)様はまだまだ若輩……あ、日ノ本は、戦の絶えぬ戦国の世ゆえでございますが、実権を握っておいでです。

 博多は大友が代官を置いておれど独立独歩(どくりつどっぽ)、商人の町。もちろん当家は大友様とも取引はございますし、吉川、小早川の二人の両川と呼ばれる輝元様の叔父達がおりますゆえ、毛利、引いては神屋は今後も安泰にございます」


(毛利。元就、輝元?やっぱり戦国末あたりか?信長や秀吉とかはいないのかな?)


「あーなんだ、大和の京の都や堺の様子はどうじゃ?」


「京の都にございますか?

  都は三年程前に三好長慶(ちょうけい)様が病没。その後三好三人衆の内紛で東大寺の大仏まで焼け落ちる程混迷を極めております。

  そうそう、足利将軍家の縁戚でもある駿河の今川様を破ったという尾張の織田上総介(かずさのすけ)様が美濃、伊勢。近江には縁組にて手中にし、いよいよ上洛の兆しありとか」


「織田って、信長?」


「はい。さようでございます。上総介様のお名前は確かに信長様ですが」


「うひょー!信長キターぁぁぁ!」


「「ま、真三郎様?」」

「来た?」


「あ、いや、なんでもない。そうか、織田かぁ」

(おおっ!ビンゴだよ!やっぱり戦国時代キタァー!これは信長と御近づきになっとくべき?やっぱり第六天魔王は恐いか……んー迷うなぁ)

「吉右衛門殿、大和の貴重な動向忝ない、父上や、叔父池城安棟にもよしなに伝えるゆえに、今後もよろしく頼む。そうだな、母への土産にこの大和の扇子、後、南方の胡椒を少し頂こうか」



(信長全盛期、上洛前ってことは琉球侵攻まで後10年や20年は余裕あるかな?ヨーロッパ人掴まえて西暦も確認してみないと詳しくはわからないけど、内政チートの時間は十分ありそうだなぁ)


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― 新着の感想 ―
今更この作品の存在を知り、興味を惹かれる題材と着眼点な時代と場所の作品で、読みやすい地の文とでここ迄とても楽しんで読ませて頂きましたが、 唐突に文章にぶち込まれる主人公の俗物過ぎたり気が◯ったかの様な…
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