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王子転生! ~王子は王子でも琉球第三王子!~  作者: 高見結
~王子は大和へ左遷王子~
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第103話 嫁入記


1577年 天正五年 九月十八日


洛北 大徳寺聚光院


「失礼ながらなんというお約束を……大和の慣習に疎いとはいえ……はぁぁ……」

聚光院で菊隠(きくいん)引き合わされた有識故事に通じた新右衛門なる浪人。

氏素性を詮索しないよう注文を付けられたが、先祖代々大徳寺に縁があるという不惑(四十)を過ぎたぶっとい揉み上げが特徴的な武士が長浜での話を聞いて盛大な溜め息に絶句する。

「あのぅ、金武殿下、ひとつよろしいですかな?大和では八百万(ヤオオロズ)の神々が出雲に集う、所謂神無月(10月)の婚礼は不吉とされております。霜月から睦月にかけては祭祀も続きますし、年が明けてから、そうですな、梅も綻ぶ如月頃ではいかがでしょう?」

控えめながらきっぱりと神無月の挙式に駄目だしてくる。

「うーん、如月では琉球に戻る時を逃してしまう。新右衛門さん。羽柴様や織田家の都合もある。急だが今月中で婚礼に相応しい吉日はもうないのか?婚礼話は前からで結納の品等は既に安土に準備済みだと聞いたが……」

二月に挙式では信長にいつ面会出来るかわからないと困った真三郎が泣きつく。


「次の大安は……ポク、ポク、ポク、チーン!二十四日。となると出立の儀を行うのは二十三日。もう五日しかございません。ならば急ぎ羽柴様、新郎の細川様にご使者を。細川様には殿下ではなく、羽柴様の小姓、石田殿が御使者として向かわれるのがよろしいかと」

聚光院の隣にある大徳寺本堂から風に乗って聞こえてくる木魚や鈴に合わせるかのように両手で米神(こめかみ)をぐりぐり揉んでいた新右衛門が急に閃き、持ち込んだ(ひつ)から取り出した暦をパラパラとめくりながら指示を出す。


「なるほど、確かに殿が松永攻めに出陣、手柄を立てる為には余り期日を伸ばす訳にはいかないわ、私めにお任せを!」

秀吉に仕えて一年と半年。伸ばし始めてはいるが、まだ髷を結えない髪を稚児風に整え、女物にしか見えない色柄が華やかな小袖、うっすらと紅まで差した秀吉の寵臣、京で真三郎らの準備を手伝うよう命ぜられた小姓が新右衛門が代筆した文を受けとるや慌てて宇治槙島城に向かって飛び出していく。


「……と、ところで殿下、あの者は一体?」

密談に同席し、横で話を聞いていた菊隠が怪訝な表情で真三郎に問う。

「いや、和尚殿。どうやら近江長浜を治める大名にまでなった羽柴様じゃが。大名になられても衆道(アァーッ)を全く嗜まぬ大変態という噂だそうで」

浪人のはずが何故か都の情勢に詳しい新右衛門がニタリと笑いながら真三郎と寺に付き物な病には罹患していないらしい菊隠に小声で耳打ちする。

「ええっ、羽柴様が大変態?」

(えーと、この時代だと秀吉(ノーマル)が変態扱いかよ!)

「さようで、それ故に小姓のあの者、三成(ミッツ・ナーリ)と申すやからが率先して女装しましてな、男もいける口だとして噂を打ち消そうと……まぁなんとも忠義者なことで」

「くくくっ、それはまた……」

(って、三成(ミッツ)。お前って職業女装家かよ!)


「まぁ、それはそれてして。こちらは長浜の羽柴様、それから安土に居られるという弟御にも急ぎの文を、あぁ、此方に殿下の署名を」

下世話な噂話を交えながらも次々に婚礼に必要な儀礼や、準備した品の確認事項について文をしたためていく新右衛門。

「ああ………ふむぅ。これでよしっと、翔烏と、月烏!安土は警備が厳しいだろうが、これを急ぎで頼む」


婚礼の期日と準備を急がせる旨、槙島城の細川家に三成を向かわせたという内容を確認し金武王子と署名、三羽烏に密使を命ずる。

「「はっ!」」


「それより、殿下の行儀作法の指南役となりましたからには、短い間ですが精一杯勤めさせて頂きます。

婚礼の差配については別料金で頂くとして、嫁入記なる作法書が手元にありますのでこれに基づき指示をいたします。よろしいですかな?

まぁ、それよりまず殿下は、大和風の立ち振舞いの基礎から、側近の方々もいかがです?殿下も御一人ではなく、誰かと一緒の方が上達も早いでしょうし、何かの折りに役立つでしょう。折角の機会です、さぁ!」


いつの間にか逃げおおせた飛漣(フェーレン)を除き、樽金ら三人も短期集中講義(レッスン)を受ける羽目になったのである。




 遥か北方、加賀の地において日ノ本の歴史を揺るがしかねない大合戦が繰り広げられていた頃、山城の南、巨椋(おぐら)池の東端に浮かぶ浮島 槙島にある山城国守護所では管領細川京兆(けいちょう)家当主細川昭元(あきもと) 御年39歳と 織田内府信長が妹 お犬の方 27歳の婚礼が盛大に取り行われようとしていた。


  もちろんお二人とも初婚ではない。おそらく昭元の長子の元勝はこのとき既に16歳であるので前妻の子。お犬の方が生んだ二人の娘の内の一人が、先年天正4年に生まれたばかりの出羽国の大名秋田 実季(さねすね)の室となる円光院であろう。


  ちなみにお犬の方は当初信長の政略結婚として尾張南部知多半島大野城主で水軍を擁する佐治信方(のぶかた)に姉さん女房として嫁ぎ、一成、秀休の二人の男子に恵まれる。だが、天正二年に行われた一向一揆伊勢長島攻めにおいて夫信方はわずか22歳で討ち死してしまう。

そして長子の一成がわずか7歳で家臣の補佐を受け佐治家を継ぐことになった。

戦国の世の習い。幼い子らと離れされたお犬の方はまたもや政略結婚の駒として嫁ぐことになったのである。



閑話休題

 


「いやぁ 助かりもうした朝公殿。流石は格式高き細川京兆家。危うく上様にも恥をかかせるところでしたぁ

 上様からのご指示で春先より花嫁衣裳等の婚礼の準備は進めておったが、これほど細かな儀礼や、日時の指定があるとは、農民上がりの儂にはとても、とても」

槙島城の一室で織田家の重臣代表として参列する秀吉が大紋の直垂を着込みながら頭を下げる。


「お顔をお上げくだされ、いやぁ、これも大徳寺の古渓(こけい)様が大和の慣習に不慣れな某に伊勢礼法に詳しい者を紹介してくださったお陰。

まさか、神無月(十月)に入ると例え吉日といえども婚礼は不適とか、明の大統暦を用いる琉球国とは慣習も違いますなぁ」

( うむぅー流石は秀吉。これが実るほど頭を垂れるってやつか?偉くなる訳だ)

「さようですな。また、お犬様が伊勢の安濃津ではなく、安土の信包(信長の弟の一人)様の屋敷に既に入られておったのもよかった。伊勢におったら年が明ることになる所であった、それに……」


「ん?どうなされました?羽柴様。何やらお顔が赤く……」


「ぐっ、オホン!いやや、なんでもにゃーて、朝公殿」

女盛りのお犬の方ではなく、同じく信包の屋敷に滞在していた八歳程の幼女が向けた蔑ずむような冷たい視線を思い出して身もだえる秀吉、やはり事案に相当する大変態である。


「あ、はい」


「オホン!いやぁ、実は室町の礼式の本家。政所(まんどころ)の伊勢家当代殿は山城におるのだが。明智殿の与力に付けられておりましてな。まぁ、まだご本人は齢十五とお若くて、それほど故事礼法に詳しくはないというお話しじゃったのじゃ。

のう朝公殿。その知恵者とやらを儂に紹介して下さらんか?朝公殿はやがて琉球に戻られる身、仕官する気があれば是非当家にと」


一時は京の所司代の一人として公家や幕閣、寺社との交渉に苦労した秀吉。

その時は信長がわざと学のない農民上がりの秀吉を京での代理人に充て、幕閣、公家らの古い慣習を無知なことと、織田の武力を盾にして横紙破りをさせてきたのだが、足利義昭を京から追放し実権を握った今は老獪な村井貞勝をその職に充てている。


元々幕臣でもあり、故事礼法にも精通している風流人たる明智光秀は現在、丹波方面を主に攻略している。其故に山城北部や丹波を領地としていた旧幕臣の内、都から追放された足利義昭に従い備後の鞆に移らなかった者を調略、旗下に多く召し抱えている。

足利将軍位争いの余波を受け、わずか八歳で義昭より家職である政所に任ぜられた伊勢貞興(さだおき)も明智の下に下った一人であった。


「いやぁ、某も琉球に戻るまで最大半年、月に銀子五貫の禄で公家との文や大和の儀礼をご教示願ってる身でして。恐らく元は高貴な方と思っておるのですが詮索不要と。隠居費用を俺からせしめて春にはどこぞの田舎に下向予定するだとか」


あれだけの学識がありながら浪人、しかも織田家に仕官する気はないと聞いていた真三郎は新右衛門の紹介をやんわり断る。もっとも真三郎に身許の心当たりすらないのだが


「落ちぶれた公家か、元幕閣……いや、惜しいが詮索はやめておこう」


「しかし、花嫁の送り役として羽柴様自ら安土より船を仕立てて参られるとは」

   秀吉も三日目、披露宴のみの参列と見込んで、伏見稲荷に鳥居を奉納してみたり、平等院鳳凰堂を見物したりと伏見宇治エリアをのんびり観光していた真三郎を十分に慌てさせていた。


「何、近江長浜を与えられたとはいえ、織田家の家臣の一人じゃ。それより今宵はいよいよ三日目の披露宴じゃ。上様も宴までには槙島入りの予定じゃ、対する趣向は?琉球伝統の舞か何か?上様が舞を披露するので余興の被りは出来れば避けたいのじゃが」

  信長の舞と聞いてピーンと来た真三郎をよそに思案する秀吉。

「いえ、琉球の婚礼の舞である『かぎやで風』は確かに異国情緒溢れるかもしれませんが、ちと大和の趣向に合わないというか、某を大逆騒ぎに巻き込んだ曰く付きの舞というかなんちゅーうか……」

疑獄騒ぎの結果、大和才府としてここにいる真三郎が、口の中でぼそぼそと欠き消える声で呟く。


「いや、いや!それこそ心配御無用!某におまかせあれ!!」

   秀吉のお株を奪う台詞と勢いで叫ぶ真三郎であった。




三日は続く格式高い武家の正式な婚礼の儀について若干、刻を遡り説明しよう。



初日は出立の儀 

  本来、遠方の大名同士の場合は事前に新郎方の重臣の屋敷等に仮入りするのだが、妹思い(シスコン)で、派手好きな信長はわざわざ新郎たる細川家の家臣をお犬の方が最初の夫の死後、その身を寄せていた七つ上の兄、信包の安土屋敷にまで新婦を迎えにこらせていた。

出立に際し信長は安土の城下から船付き場にかけて盛大な篝火を門火として並べて焚き。

  見送り役の秀吉は大枚をはたいて整えた婚礼の品々、それを積んだ三艘の大船に紅白の幕や信長好みの派手な吹き流しできらびやかに飾りつける。

  音曲を奏でながら淡海より流れ出す瀬田川を一行はゆったりと下り、その日の夜遅くには宇治槙島城に入っていた。


二日目が結婚の儀 

  新郎方のみの儀礼であり、正装の花婿に白無垢姿の花嫁。三々九度もとり行われる正に婚礼の儀式であり、新婦方である織田家からは唯一送り役である秀吉のみが一番下座で見届け役として参列していた。

  そして、その夜に行われるのがお床入りの儀……所謂 初夜(・・)である。キャー


そして最終日、御披露目の儀  

1577年 天正五年九月二十五日 夕刻


  現代の披露宴に相当する酒宴の席である。花嫁も白無垢ではなく、お色直しに秀吉が準備した華やかな辻が花染の衣装を身に纏い、槙島城の御殿 板敷の大広間には新郎新婦と右手、織田家側の一番高貴な席にのみ真新しい畳が敷かれ、細川家、織田家の重臣達がそれぞれ勢ぞろいしていた。

最も各地で戦の最中の織田家、信長の側近の他に軍団長クラスの重臣は秀吉のみの参列であった。

 「この度は、恙なくご結婚の儀が執り行われた由、誠お目出度く、これにて、織田家、細川家の繁栄もますます、まことに、執着至極に存知たてまつり候」

   細川家の筆頭家老が主賓席ににじり出ると高々と祝儀のあいさつを述べ宴会が始まる。


   格式高い武家の婚礼の宴席における饗膳、嫁入記(マニュアル本)によると初めに野鳥を具にした雑煮が出て酒は濁り酒の燗酒。塗盃で宴を行い十二組の菓子を出すとある。


  大広間の下座、新婦の織田方の列に宇治周辺にわずかばかりの荘園をもつ公家らに交じり、貴人の立場で参加した真三郎。琉装姿でかなり浮いてはいたが、めでたき席に異邦人の稀人(まれびと)の参列は洋の東西を問わず歓迎されていたのである。

 

  十一組の菓子。炒り豆や(スルメ)、餅を油で揚げ塩を振っただけの甘くない、所謂酒飲み用のつまみの様な菓子に干し柿やまくわ瓜、アケビといったまさしく夏から秋にかけての水菓子(果物)が膳に並ぶ中、左に細川京兆家の松笠紋、右に織田家の木瓜紋が朱で鮮やかに押された和紙をのしとして紅白の水引で巻いた杉の板箱が十二番目の菓子として各膳の横に並ぶ。


 「ほう、これはまた面妖な」

 「はて?なんでおじゃろう」

 「さてさて」


 「は、羽柴様!あのぅ、その、内府様のお姿が……」

   訝る真三郎の声を他所に、次々と参列者に酒を注いで回る秀吉に慌てて小声で囁く。

 「なに、安心めされいっ。既に城の中じゃ、余興の舞の準備を控えの間でしているところじゃて、ふむ、そろそろ頃合いかのぅ、出しますぞ朝公殿」

 

 パン!パン!!


「おおっ!」

「なんじゃあれは?」

  控えの間より一抱えはある、三段に重ねられた巨大な白い塊が螺鈿細工に朱塗りの盆に乗せられて主役たる新郎新婦の前に運ばれる。


 「さて、さて、皆様方!これなる菓子はこちらにおられます琉球国の王子、大和才府(やまとさいふ)としてはるばる大和に参られた 大金武王子朝公様より、細川家、織田家の祝言を祝うためにとご用意された珍しき品じゃ、琉球王子様、よろしければご説明を」

一瞬で場の耳目を集めた秀吉が真三郎に話を振る。


「はいっ!あー細川京兆家、織田内府家の婚礼の席に招いて頂き、誠に忝い。某、遠く琉球国の国王、尚永王より、琉球と大和との絆を結び、交易を盛んにせんと大和才府なるお役目に任ぜられて、この地に参った者、大金武王子 朝公と申す者にございまする。

  畿内のみならず日ノ本の安定と平和は一重にこの両家が手を携えることで果たされると思い、琉球の珍しき砂糖をふんだんに使用した甘き焼き菓子を土産、このめでたき席にふさわしき趣向の一つとしての持ち込みましてございます!」


「ほう、琉球から」

「はて、どのあたりじゃ」

「南蛮の」

「薩摩より南の果てであろう」


「えー夫婦の共同作業は昨夜で既に終えておりましょうが、ぐへへへへ オホン!お二人で手を取り合いまして菓子に入刀、来席の皆様方に幸福のおすそ分けをお願いしたく存じます」

  どこかの親戚のおっさんのような下卑た笑いを飲み込むと菓子を広間に運んだ小姓が紅白の懐紙をリボンの様に結び華やかに飾り付けた小刀を主役の二人に差し出す。

 

  小麦粉に卵、茶砂糖、そしてバターの代わりにとゴマ油、クルミを滑らかになるまですり潰した生地を真竹の芯に掛ける作業を何度も繰り返し、じっくりと特製の窯で焼き上げた菓子の土台。

  さらに琉球では未だ精製が不十分で茶色い砂糖しか出来ていなかった為、堺の油屋を通して急ぎ手に入れた南蛮の真白き白砂糖、これを惜しげもなく卵白を泡立てたメレンゲに加えて作ったアイシングでコーティングした珠玉の逸品である。


  二人が入刀し、小姓らの手により更に切り分けられ、銘々皿に乗せて配られた菓子の一切れが与える歯が疼かんばかりの甘さに驚愕する面々。


「これは年輪酥(ねんりんす)(バウムクーヘン)と申します。夫婦が一緒に甘く木の年輪のように仲良く年を重ねることを願う菓子にございます。

皆様の膳の隣に置かれた小箱にも同じ物が納められております。明日までは十分日持ちいたしまする。甘いのを好まぬ、お酒のほうがよろしい方は是非持ち帰り、ご内儀やお子様にでもお土産になさってください。ご酒の他に琉球の赤花(アカバナー)(ハイビスカス)に茶等を加えた祝い席にふさわしい目出度き祝茶もございます」

  真三郎の合図で銀製の急須から小姓達が硝子の杯に目にも鮮やかな真っ赤な茶を注ぎ供していく。



  祝いの席は珍しき琉球?の趣向に夜が更けるにつれ益々盛り上がっていくのであった。

新右衛門 蜷川新右衛門親長

室町幕府の政所代足利義輝がボンバーマンに弑された時に丹波の居城を奪われる。父は出羽に下向かし再起を図るが失意の内に死去、親世は1574年頃まで九年程丹波や山城で再起を図ろうとぶらぶらするが織田や明智に仕えず、結局縁戚たる四国の長宗我部元親に仕える。

長宗我部では京の交友関係を生かして外交を担う。

ちなみに明智の重臣斎藤利三、元親とは妻同士が兄弟……元上司の伊勢家も明智の部下 将来的にいろいろ怪しい人物ではある。

祖先はモチロンあの新右衛門さん。代々新右衛門だそうです。



幼女 当然あの三姉妹の長女です。



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