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王子転生! ~王子は王子でも琉球第三王子!~  作者: 高見結
~王子は大和へ左遷王子~
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第100話 請願 

祝100回! って話が進まない!


1577年 天正5年 八月一日


  洛北に位置する大徳寺から鴨川に沿って下れば右手に上京、下京。信長らによって築地塀等が修復されたとはいえ、昔日の面影はなく、応仁の乱以降すっかり荒れ果てた御所を横目に対岸には都に流れ込んだ大勢の浮民に賑わう八坂神社周辺の河原が見える。

  東山の山裾に広がる伽藍群や、新緑の木陰から顔を出す清水の舞台を遠目に通り過ぎた真三郎は真牛に護衛役、三羽烏を道案内人、荷駄を曳き連れて醍醐寺のある山科の地へとたどり着いた。


  醍醐山の山塊に点在する上醍醐は山頂に本尊である薬師如来の薬師堂、中腹より上は女人結界の張られた修験道の霊場の一つ、西国三十三札所の第十一番。最も険しいと言われる修行の場であり、修行する山伏達が法螺貝を吹く音が峰々に木霊する。

  一方、仏教、真言宗の面が強い山裾に広がる大伽藍は応仁の戦火にいやおうなく巻き込まれ、五重塔唯一つを残して灰燼に帰しており、ようやく訪れた束の間の平和に復興の鎚の音が響いていた。


「お待ちしておりました。琉球王子様。大徳寺座主の古渓(こけい)様よりお便りはいただいております。本山の座主は唯今金剛輪院(こんごうりんいん)にて護摩を焚いております。大変失礼ながらそちらに直接ご案内するようにと」

   山門にずらりと並び出迎える僧侶達が真三郎達を金剛輪院。

   歴代院主が醍醐寺座主を兼ねていた歴史ある名刹三宝院。これが応仁の乱の戦火に巻き込まれ焼失した為、天正3年に義演が金剛輪院を再興。翌天正4年に第80世醍醐寺座主に就任したことから、猊座(座主が直接管理する寺院)として新たな修行の中心と化した寺院へと案内する。


   因みに後世、この義演が復興した金剛輪院が三宝院の名跡を継ぎ現在は国宝となっている。



「こちらにございます。座主は中で請願(せいがん)の経 蘇悉地羯羅経(そしつじからきょう)を唱えておられます」

   案内した二人の僧がお堂の扉を観音開きにギィーッと音を立てて開ける。堂内では巨大な護摩がパチパチと心地よい弾けるような音を立てながら焚かれていた。


  基壇の正面には五体の立像 五大明王である。仏敵を調伏し、また教化するという恐ろしい異形の仏像、憤怒尊(ふんぬそん)であり、東方を守護する阿閦如来(あしゅくにょらい)教令輪身(きょうりょうりんしん) 降三世明王(こうさんぜみょうおう)が異教とはいえ神であるヒンドゥー教の主神の一柱 破壊神シグァ神とその妻神パールパディー神を両足に踏み敷いている。


  調伏されたシグァ神とその妻神パールパディー神は仏教に改宗し、人化の法………ではなく、それぞれ大自在天(だいじざいてん)と、その神妃、烏摩妃(うまひ)として他のヒンドゥー教の諸神同様  仏法の守護天の一柱として祀られるのだが………閑話休題

 

 

金剛諸事応用天火焼木(ランラン背嚢は♪) |或苦錬或木取焼残屍火曽木《ランラン迦楼羅の羽♪》或白栴檀木(請願!請願!)

  両手を交差させ中指と薬指を曲げる印象的な降三世明王の印相(いんそう) 降三世印(こうさんぜいん)を結ぶ醍醐寺(DIGO)第八十世座主 義演が護摩木をくべながら請願(うぃっしゅ)請願(うぃっしゅ)!と高らかに声明を唱え続ける。



チリーン!

ぶわっ!

グワーン!!


「………勤行の刻に重なりましてお待たせしました。真里於!」

小さな鈴を鳴らした僧が護摩檀に粉末を投げ入れた瞬間に天井近くまで火焔が立ち上ぼり焔に照らされた明王像がまるで生きているかの様にギロリと表情をかえる。

「ま、まりお?」


真実(まじ) 琉球(りゅうきゅう) 王子(おうじ)。いやぁー醍醐寺第八十世座主。義演っす。母方の爺ちゃんは伏見宮貞敦親王ふしみのみやさだあつしんのうっす」

何故か万葉文字で言葉を略す軽い座主。

 袈裟付羅衣七条袈裟けさつくらいしいじょうけさ。現関白二条晴良(にじょうはるよし)の子息であるだけに育ちのよさそうな眉目秀麗な真三郎より二つ年上、齢十九の美僧が振り返る。

纏う豪華絢爛な金糸銀糸の僧衣装、袖は流れ星(スターダスト)をその意匠に取り入れたかのような細長い袈裟が七条どころか左右にそれぞれ二十条はひらひらと縫い付けられている。


「り、琉球国王 尚永が弟 大金武王子朝公にございます。 大和才府として大和と琉球の修好の役目で……」

旅装から地味な黒い琉球王子の正装に着替えた真三郎は見た目のインパクトに気圧される。

(本願寺には負けるけど、魏延の方じゃなくて、醍醐寺の醍醐かよ!)


「了解、了解。護摩も焚いて降三世明王に請願したし大丈夫っしゅ」


「っしゅ!」

切れのある動きで降三世印をびっしっと決める義演、真三郎もつい釣られるっしゅ


「おおっ!早速 尊敬(リスペクト)っすね、うちの寺も先の大戦で、あっ、もち応仁の乱の方ね。焼けちゃったから再建で半端なく大変なんだけど、寄進もあるし、大徳寺だけでなく、熊野の堀氏(ほりうじ)君からも文ももらったしね」


「く、熊野とは修験道で縁が深いと」


   つい、降三世印をとったことに赤面しながらも僧形姿に交じり三羽烏が当初着ていた様な山伏姿の修験者が隊列を組んで山に登って行くのを見た真三郎が訪ねる。

「そうそう、大徳寺は後醍醐天皇、熊野は修験道繋がりだね、山の方、上醍醐の深雪山は修験の霊場っすからね。御師も多いから琉球や南方からの薬にこの蝋燭は本気で助かるっすね」


   醍醐寺の本尊は医薬の仏 薬師如来 日本各地を回る修験者である御師の副業は薬売りとしても有名であり、ハブを干した反鼻(はんび)はよく効く精力剤としてあっという間に広がっていたのだ。

「今後は堺や都に才府としての琉球交易の窓口に薬種問屋卯屋としての支店を設けますので、こちらもよろしくお付き合いください」

  寄進の目録に三方に参考品(サンプル)として乗せた黒砂糖の塊に各種薬種、修験と聞いて加えた法螺貝も一つ、仏様に備える蝋燭だけは2000本程が現物で並ぶ。

「……で、都での伝手だが、関白である父にはともかく、帝に拝謁はなぁ」


義演の父 二条晴良

戦乱の世により鎌倉室町の世を持ちこたえた荘園を悉く武士に横領された公家。更に応仁の乱で焦土と化した京の都を帝ごとついに見捨てた貴族の多くが地方に下向し、駿府や山口、若狭や、西土佐等に雅な京の文化を伝える中、僅か12歳で関白、藤氏長者に就任。

五年で一旦他の摂家にその座を譲るも永禄11年に再登板。幕府以上に力を無くした朝廷ゆえ特筆すべき功績はなくとも陰日向に帝を支えてきた、まさに国家の柱石であった。


「しかし、こちらも琉球国の使節、正使として大和まで参っておりますし……」


「うーん、公家の世界は世土子せとし


「せとし?」


「ああ、前例踏襲主義ぜんれいとうしゅうしゅぎっすね。 義満公が明より日本国王の称号をもらったことがあるが、あれは幕府が交易目的で無断にやったことで朝廷では問題となったし、天竜船などはも尊氏公が天龍寺に命じて……」


「朝廷には利は流れなかったので?」


「うーん、その辺りの話は摂家である実家ならともかく……あくまで朝廷が外国(とつくに)と直接関わりあうことは……後は琉球が明の冊封を受けておることか、琉球や、明の官位相当で帝の御前に上がることが出来るか……」


「……義演様、前例と言えば平城の都があった古には三韓(朝鮮半島)とも交流があったと聞き及んでおりますが」


「おっ、知識量半端ないっしゅ!うん、確か、都を京に移した天智帝の御代に百済の余豊章(よほうしょう)王子が質として都に滞在していたな」


  唐・新羅の連合軍に滅ぼされた百済の王子予豊章。扶予豊璋ともいう。質とはいえ賓客扱いで後に大和の援助で一時は百済を復興し王位につくもすぐに滅ぼされた悲運の王子。一説には日本に養蜂の業を伝えたとも言われている。


「それに確か陰位(おんい)の制では諸王の子は従五位下が相当の官位。琉球国の王子として従五位に叙任すれば昇殿は可能だな。うー請願(うぃっしゅ)!」


請願(うぃっしゅ)!」

シャキーンと音を立てるかのように降三世印を決める二人。





  醍醐寺八十世義演との会談の結果、朝廷工作に一定の目途をつけた真三郎。

時の関白二条晴良の進言があるも、琉球使節団の謁見は天下人たる信長の対応方針を最終確認し内諾を得てからとまさしく日和見、先伸ばしの結論を付けた朝廷であった。




 

三良(さんらー)飛蓮(フェーレン)を中心に行っていた移動販売屋台による伽哩屋(カリー)が順調に都で評判を上げており、堺と京には伽哩屋(カリー)何処壱(どこいち)大和支店を初めとする飲食店舗候補を数軒見繕い、さらに琉球の特産物を卸販売するための琉球館(アンテナショップ) 倭使多(わした)館と隣接すべき塔頭の作事を始めていた。


  移動販売の伽哩は都でも異国の香りがする珍味として評判を得だしており都の貴人達もこっそり食していると噂である。

実際精進料理である野菜伽俐(ベジタブルカレー)はお釈迦様も食した天竺(いんど)由来の御馳走として盆地独特の暑さに遣られる真三郎達だけでなく大徳寺や醍醐寺の僧侶達の間でも大好評であったのだ。

  真三郎も琉球の産物のデモンストレーションとして大和まで運ぶ手間も考慮の上、赤字にはならぬ程度に押さえた価格で割りきって販売していた。




「座主様より塔頭だけであれば聚光院(じゅこういん)の隣でもとのお言葉をいただいたのですが、倭使多館を兼ねるとなると商人の出入りに馬や、殿下のお飼いの怪鳥に納屋など寺にはふさわしくない施設も建てる必要があります。そこで戦火で焼けた今宮神社との間、この一町歩程の土地はどうかと」


大徳寺の前堂主座菊隠宗意(きくいんそうい)が荒れ果てた一画を指し示す。


「菊隠様。ありがとうございます。素案はできております。塀は首里城のように白い石灰岩で琉球風に美しく。屋根瓦はこちらは禅寺ですので隣接する倭使多館のように赤瓦ではなく燻した黒瓦。流石に植栽を琉球風に改めるのは都の天候からみても難しいところもありますが、禅庭だけならせめて琉球の風を感じたく」


「ふむ、よき供養になりましょう。しかし琉球のようなま白き石材が大和で手に入るでしょうか?」


「樽金、隆成が大和の石工衆と連絡をつけました。織田様の加賀能登出兵に伴いまして安土城総奉行の丹羽様も従軍して作事も中断しておると。

お城の石垣等は終わっておりますが、配下の武将様のお屋敷などが中断、石工達が暇を持て余しているそうで。

  餅は餅屋、石は石屋。明日にでも近江の堅田に使いを出そうかと。織田様の本陣が後詰として出陣の準備で安土方面には近づけないようですか」


「そうであるが、堅田は天台叡山のお膝元であったが、今は織田様の重臣明智様が近くの坂本にお城を築いて善政を敷いておるようじゃ。此度の北伐では留守居役で在城のはず。何やらお気に召されぬようですが、気が向かれましたら繋がれてみては?」

(いや、だから明智はNGだってば!)




降三世印! よければネットで画像を探すっす!笑

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