第99話 大徳寺
淀川の渡しである渡辺津。瀬戸内海を航行する大型の帆船が少し淀川を遡れば入れる接合の港である。
ここで十石船や、三十石船と呼ばれる平底の川船に乗り換えれば京の都や安土に至る。さらに、遠くは淡海を横断し伊勢国鈴鹿関と美濃国不破関とともに古代三関関の一つに数えられた愛発関を超えると若狭国敦賀のある日本海にすら至る。
また真三郎達が歩いてきた道を戻るように陸路南に向かえば堺を通って紀伊、そして熊野にまで続くまさに流通の要地である。
畿内での紛争の震源地である織田家と本願寺が和睦し小康状態である今、活気に溢れたその港町から、本願寺光佐こと顕如から無事に解放された真三郎一行は五艘の十石船に分乗し京の都に向かっていた。
「顕如様のところに連れられた時は本当に肝を潰しました。法主様も琉球の王子様と親交を深めたかっただけの様でなによりにございます」
屈強な僧兵達に連れ拐われなかったものの、船宿で不安な一夜を過ごしていた油屋紹佐がほっとした笑顔で川船の後方に座る真三郎達に声をかける。
「あははは、余り深くは付き合いたくない、かな?商いだけにしとかないと」
『南無阿弥ーぃー』と甲高い声明を唱える一向宗、本願寺顕如の艶やかな僧衣姿を思い出して力なく答える真三郎がぶるっと震え上がる。
「寺とはいえ本願寺はあの石山の大伽藍だけでなく、十を数える寺内町を抱え、さらに加賀能登を中心に各地に門徒を抱える一大勢力、某ら商人の多くは法華や禅に帰依した者が多いのですが、商いの付き合いに区別はありませんぞ。
京の都には南蛮人の崇める基督教の南蛮寺も昨年に作られておりますし、日比屋さんとこは一家で基督教に改宗したそうで有名でございますよ」
「京にも南蛮人が、しかも南蛮寺……」
堺や長崎での交易交易は知っていた真三郎だか、京都に教会があるとの言葉にかなり驚く。
「はい、琉球では未だに来航禁止が続いておりますので?明からの品だけでなく、今では南蛮の珍しい品や菓子等もあるとか」
(ううっ、金平糖とかカステーラとか?宣教師が来てるってことは大和ではチート知識のアベレージがかなり減りそうだなぁ)
「あ、そうそう、紹佐殿。我らの船はあの大船でなくてこっちの小舟なのか?あれなら分乗しなくても……」
ピヨピヨピヨ!ピヨピヨピヨ!
川船から落ちそうな程ピヨピヨと落ち着かない現実様らを眺めて話を変える真三郎ですぞ。
が、指差す先には三十石船と呼ばれる大型の川船が荷を満載して川を遡っている。
「ああ、あれは伏見まで行く船です。桂川は都の方に近づきますと流れの速いところや、浅瀬も幾つかありますので荷を積んで上れるのは此の十石の大きさまで、さらに上流の保津まで上るとなると空船でも十人がかりで船を曳くことになります。此度は梅津で船を降りて、一泊し大徳寺までは翌日に歩くことになります」
途中で何度か接岸しては小休止をとるとはいえ、終日乗船という返事と足も十分に伸ばせぬ川船に心底うんざりする真三郎であった。
◆
「王子様、ご覧ください。向こうに見えるのが淀城。木津川、桂川、瀬田川が合流して淀川となるのですが、その要の地に築かれた河川の流通を押さえる要害ですなぁ。
そう、四年程前になりますか、三好三人衆の一人岩成友通様が織田様方に討たれた地でもあります」
川下から見ると流れを裂く様に突き出た半島の先に小高く盛り上がった地に石垣ではない土壁からなる小城が見える。
「淀城……」
(淀城ってあの有名な淀君の淀城?昔からあったんだ)
「織田様の旗下の羽柴様が城の大番二人を調略して、勝竜寺城の長岡様と大軍で包囲したとか、これら一連の戦で三好様の勢力はとうとう畿内から一掃されて、四国の阿波讃岐に追いやられました。
そして三年前にはついに公方様を都より追放。公方様は鞆にまで落ちてゆかれたとか……
かつては畿内と四国で合わせて九ヵ国をも治め長慶様の時代には天下人とまで呼ばれた三好の家も昨年にはついに堺と同じく織田様に臣従。
まぁ、これで畿内一帯も四国にも安寧が訪れるかと思われましたが、今年の四月にはなんと阿波で三好のご当主を継がれた長治様がなんとまぁ土佐の長宗我部様に討たれたよし、今は傍系の十河存康様が替わりに勝端城に入られ三好の名跡を継がれたとか」
徒歩や騎乗よりは楽で海よりは揺れぬ船旅、ついうとうとしそうな真三郎らに紹佐がなるべく興味を引きそうな畿内の情勢を端的に解説する。
「はるか琉球にまで音に聞こえた三好家がのう、正に諸行無常の響ありだな」
(は、羽柴?こ、これって、やっぱり秀吉キター――(゜∀゜)――!!)
「はい、さようにございますなぁ。三好様と縁の深い油屋ですが、こと十河様の実父 実休様が先日堺でお泊りになられた大蘇鉄のあった妙国寺の土地を寄進してくれたお方になります」
真三郎の言に相槌を打った紹佐が感慨深げに懐かしむ。
「紹佐殿、複雑怪奇な機内の情勢についていろいろ教示賜り誠、忝い。ところで今話にでた羽柴殿とやらになにか伝手はござらんか?確か堺でも才人と名高い人たらしとの声も聴いた。織田様への取次には是非かの御仁をお願いしたい」
「羽柴様ですか?主人も特に付き合いの深い方ではないような……琉球国の使節として直接安土に文を届けるか、堺の代官松井様か、京の所司代の村井様。うむー、やはり大徳寺様からどなたか、織田様は御茶湯御政道と申しまして茶を大切にしております。茶禅の大徳寺様なら何かよき伝手もご相談もお出来かと……」
返事に窮した紹佐が舳先の揺れに舵を切ったのを感じてふいに話を変える。
「さぁ、ここを右手に進むと伏見、宇治、瀬田と通って安土まで、まぁ船は乗り換える必要がありますが。我らは此処を左、このまま桂川を溯上しまして京の都に向かいまする」
ピヨピヨピヨ!ピヨピヨピヨ!
◆
梅津
梅宮大社の門前町であり、丹波地方に産する材木を保津川(桂川)から流し、寺社仏閣に町家と一大消費地である京の都への揚陸地として栄えた川港である。
信長の京都支配により安定した洛中洛外では応仁の乱以降荒れ果てた都に復興の槌の音があちこちから響き渡り、室町幕府の最後の将軍である足利義昭の京都追放により反信長勢力側となった丹波からも途切れることなく材木が運ばれ、港周辺には引き上げられた材木から漂う清々しい杉や檜の木の香で溢れていた。
「王子様、あそこの目印に紅白の幟が立てられております桟橋から上陸いたします。今宵は此処の船宿でお休みになり、明朝には大徳寺へと」
琉球とは異なり、かなり広い幅の河原を持つ桂川。往復する川船が接岸し、荷揚げができるよる十五間程の桟橋がいくつも川の中までに突き出ている。
「ご到着、お待ちしておりましたなのら」
川船から桟橋に降りる真三郎の手を紅白の端切れを横縞に縫い合わせた上着を身に纏う好々爺がぐわしっと掴む。
「梅津の船宿真悟の主なのら、明日の馬の手配も済んでおるのら」
(うっ、嫌な予感が、ホラーな食事とか出ないよな)
「よ、よろしく頼むぞ」
色々と怯えていた真三郎ではあったが、特に何事もなく船宿の夜はふける。
◆
龍宝山 大徳寺
京の都を霊的に守る四神応相、玄武の象徴である船岡山の北、洛北の地に広大な寺領をもち、数多くの塔頭等からなる大伽藍で形成される臨済宗大徳寺派の大本山である。
建武の親政を行った南朝の後醍醐天皇が京都五山のさらに上位に位置すると綸旨を出したことが原因で後に政権を取った足利将軍家よりは冷遇され五山十刹のうち十刹の第九位と下位に位置付けられた大徳寺。
これに反発し座禅修業の場として在野的な林下の寺院として公家や大名だけでなく町衆にも多く支持を受けるようになった名刹。と、いうより一休さん 一休宗純を輩出した寺として名高い。
その大徳寺にある数多くの塔頭の一つ聚光院、大和に禅を学びに渡来した菊隠宗意が最初に師事した笑嶺宗訢が本堂の西隣に開山した寺院であり、笑嶺が堺の南宗寺二世となった現在は定まった住持もおらず、すっかり寂れたお堂であった。
「真三郎様! いや、琉球国大金武王子朝公様。ご健勝のご様子。お久しゅうございます」
禅寺だけにあって質素ながらも清潔に保たれていた一室に案内された真三郎ら一行。その前に現れた墨染の僧衣も涼やかな端正な面持ちの僧が丁寧に頭を下げる。
「おお、智蔵様。いや、前堂首座(修行僧のリーダー)となり、大徳寺117世の古渓宗陳様より号を授かり菊隠と号されたと聞き及んでおります。菊隠様 お久しゅうございまする」
「はは、殿下は相変わらず口達者なのご様子で、そう、琉球国を出てから早十一年。拙僧が渡海の費用は先王、尚元王様が首里円覚寺に寄進された物にございまする。また短い期間とは言え殿下に禅や書をお教えした縁もございます。拙僧でお力になれることがございましたらなんなりと」
「それは助かる。真牛、三良。お前らも挨拶せい」
「お、三良改め、漢那可良と名乗っております」
「真牛にございます。今は座波正臣と」
琉球の官吏用の正装姿の三良と武官姿の真牛が進み出て頭を下げる。
「ふむ、壮健そうでなによりじゃ。おや?あの秀才、久米の」
「樽金こと程隆成は今、堺で残務を行っております。もう旬日は遅れてこちらに参るかと」
「おお、そうかそうか。四人仲良く大和まで参るとは、ふふっ大儀じゃな」
「はい、それからこちらが首里天加那志より、菊隠様に宛てた書状になります。畿内を手中にした織田様と大和の帝に対する琉球使節団に加わって欲しいとの意になっております」
三良がそっと差し出した黒塗りの文箱を開けて親書を差し出す。
「そうですか、尽力は致すが、拙僧も大徳寺にて一宇を預かる身、正式に琉球国使節団に加われるかは座主とも相談の後でよろしいか?」
事前に連絡が入っているためか、ちらりと内容を検めただけの菊隠が念を押す。
「もちろんです」
「この聚光院は拙僧が最初に師事し、今は堺におられる笑嶺様より預かっておる。この院は三好家と縁が深く三好長慶様始めご一門の菩提寺なのじゃ。来る途中で油屋殿よりきいておるやもしれんが、阿波の十河存康様の実父 実休様の位牌も祀ってある。先年三好様が織田様に臣従なされたとはいえ、長らく閉め切られておった。少し不具合があるやもしれんが、都におられる間はご随意に使われよ」
「それはありがとうございます。真牛!こちらは大徳寺の座主様に琉球で作られた蝋燭に堺の油屋の手形による米と大豆、合わせて四十石分の目録になります。些少ながらお納めください。
それと大徳寺周辺には琉球より参った商人も多く、慣れぬ大和の地で病に果てる者もいるとか、ご許可がいただければ塔頭を一つ寄進させて頂き、菊隠様にはそこで同郷の者たちの冥福をひとつ」
「それはありがたい。有り難い話だが琉球にそれほどの余裕が?」
貧しい琉球の国情を思いやって怪訝な表情の菊隠
「菊隠様、こちらは我が采地で作られた黒砂糖にございます。今は南方や、明の品を大和に運ぶだけでなく、琉球の産物も高く売れております。樽、 隆成もその商いで卯屋の仕事を堺で、この十年で琉球も様替わりしております。それに大和における明の福州の柔遠駅(琉球館 大使館)の様な役割もと」
勝手に大徳寺の権威も利用した駐大和琉球大使館を建ててしまおうと企む真三郎が黒く笑う。
「ははは、流石は殿下。やはり只者ではないな。 ふむぅ 拙僧が琉球を発つ前に公案を出したのを覚えておるか?」
「えーと、」
背後に並ぶ二人に救いを求める真三郎。慌てて目をそらす真牛に三良
「では新に公案を一つ出そう、琉球に戻る前までに考えを纏めよ。樽金が参れば四人に課題じゃ。ふむぅそうじゃな、では
ある修行者が問うた。『猫は液体であるか』と
和尚は答えた『然り』と
さぁ、その真意はなんじゃ。これが課題じゃ。」
◆
大徳寺 聚光院を宿坊として利用しだして早十日、樽金ら堺組も合流し尚永王よりの使命を果たすべく情報収集に余念が無かった。
1577年 天正5年 7月25日
「安土方面を確認してまいりました。が、織田様は北陸上杉攻めに能登に出兵するそうで町は喧騒の渦。総勢四万を越す大軍で兵糧の手配で淡海の船は全て押さえられております。取次役として確認するよう下命のありました羽柴様も出陣のご様子」
三羽烏を使い畿内、特に安土方面の情報収集を任せていた三良が報告を上げる。
「北伐の先陣大将は柴田様。他に羽柴様、滝川様。建設中の安土のお城の総奉行である丹羽様までも従軍なさり、織田内府様自ら後詰めとしてご出陣の予定とか、上杉との戦が終わるまでは面会は難しいのでは?」
「おそらく八月初めには越前・能登に入る予定かと、若狭の組屋様と連絡がついたのですが、兵糧の手配で忙しく北国の産物の取引については来月以降にと返書が」
堺経由で商いの話から北陸の情勢を手に入れた樽金が報告する。
「十一月、峠に雪が降る前には決着をつけて凱旋するであろう。その後だな。」
織田に周辺大名の勢力圏が色塗られた地図を指さし確認する真三郎。
「安土、畿内の抑えには重臣のお一人明智様が坂本。家督を継がれましたご長男の信忠様が岐阜に。所司代の村井様が軽すぎとあらば、どちらか取り次ぎをお願いなされては?」
話を聞いていた真牛が提案する。
「明智?いやいやいや明智は駄目、絶対!それ絶対フラグだから」
松永ボンバー弾正以上に近づきたくない相手。死亡フラグの塊、明智ユダ日向守。全力で断る真三郎である。
「「フラー(馬鹿)グ?」」
「朝廷については薩摩に下向し、織田様の内内の意向を受けて島津と大友、伊東、相良らの調停を行っていたらしい先の関白近衛様ですが、九州の調停はどうやら不首尾に終わったようです。しかし先日、二十日に再出仕なされたようです」
京、特に朝廷関係を探らせていた樽金がいつもの事と真三郎の発言を無視して報告を上げる。
「近衛様の再出仕に不満な現関白の二条晴良様ですが、この大徳寺と後醍醐天皇の御代より縁の深い山科の醍醐寺の座主義演様は第三子。古渓様よりご紹介いただけると」
菊隠が座主同士の交流から得た話を上げる。
「醍醐寺?確か熊野の堀内殿から頂いた都の伝手の中に?」
(ぎえんか、なんか色々裏切りそうで、いやアレは演義の中の話で実際は優秀で単に孔明が嫌ったせいだったとか聞いたような)
「はい、臨済と真言で宗派は異なりますが、醍醐寺は真言系で修験道と関わりが深く、確かに熊野三山とも交流があります」
三良の後ろに控える三羽烏がうんうんと頷く。
「五摂家間の争いを利用するのも一つの手だな。織田様と接することが困難だし、とりあえず朝廷工作から進めるか」
「「「はっ!!」」」
真三郎達の京での暗躍が始まろうとしていた。




