その呟きを知る者はなく
6 宿屋の娘、ミシェル
鐘が鳴り響いてから、しばらくして五時を告げる鐘がなった。
硬質だが重く、心に響く音色。 ミシェルは乾いた食器を棚に戻しながら、何事もありませんようにと祈っていた。
それは何故か? 鐘が鳴ったせいである。
この街には鐘は二つある。一つは時計塔の大時計。
そしてもう一つは資料館になってしまった教会の鐘だ。
最も教会の鐘は鳴らないように封印されてる。 厳重に鎖で扉を固定し、鍵を掛けている。 しかしその封印を破ることが可能な人物がいる。 黒の修道女たちだ。
彼女達はそうそう滅多に鐘を鳴らしに来るわけではない。しかし彼女達があの鐘を鳴らすのはある事をする合図だった。 その合図とは…『魔女狩り』。
法律で禁止されて五十年近くがたとうと言うのに、この地方では今だ魔女狩りが行われていた。それも習慣として。
つい七年前には公開裁判で、処刑された魔女もいたらしい。
各地の収容所に魔女たちは、隔離されているというが、それほど悪い存在には思えない。 何故それほどまでに魔女を憎まねばならぬのかと思い、ココットの泊まっている宿屋の娘、ミシェルはため息をついた。
コンコンコン…
ドアのノッカーが鳴らされる音を聞いて、急いでドアをあけに行った。 ココットさんが帰ってきたかもしれない。 そう思ってミシェルは気持ちを切り換えた。
「はぁ~い、今開けます!」
ガチャ…重たい音をさせて開いたドアの向こうにいたのは、ココットではなかった。
黒いケープ、黒い修道服。 黒の修道女が二人、外に立っていた。
「お前に聞きたい事がある。 中に入れておくれ?」
鼻のつぶれたような、のっぺりとした顔の老修道女がミシェルにそう言った。 もう一方は背の高いすらっとした、どこかのマダムのような気品ある修道女だった。
「ここにココットという名前の客が泊まっていないかね?」
ミシェルは二人の老婆がやけに恐ろしく感じられ、カウンターまで後退去った。 のっぺりした顔の修道女は
上にあるミシェルの顔を仰ぎ見るように再び聞いてきた。 それを後ろに立っていたマダム風の修道女が止める。
「マリー・ベルまずは挨拶をしなければ。 この子とはあまり面識がないのだから。 お嬢さん失礼しました。 私はマリナ・ルーベス。 こちはマリー・ベルです。 よろしくお嬢さん」
マリナ・ルーベスの挨拶に、ミシェルも少し気を緩めて挨拶した。
「私の名前はミシェル・バートです。 あの、私に何かご用でしょうか?」
うんうんと頷くマリー・ベルに不可解な感情を抱きながら、ミシェルは問うことができた。
「じつはここにココットという、女性が泊まっていただろう? 彼女は実は昔ここを逃げ出した魔女でね。 やっとの思いで捕まえて牢獄に放り込んである。 あんたにお願いしたいのはね、偽証だよ」
「偽証ってってもたいした事ないのよ? 筋書きはこう。
ココットは冬の森で遭難したところを、私達修道女が助ける。
そして偽者のココットをこの宿屋に返すから、探しに着た誰かに、本物か聞かれたとき、本物のココットですって言うんだよ。 できるね?」
マリー・ベルの後に、勢い込んで付け足すようにマリナ・ルーベスが言った。
「でっ、できます。 やります、私」
父親の事を思い出して、ミシェルは勢い良く、マリー・ベルの鼻面に向って言った。
「そうしたら、父の行方を教えてくれますか!?」
「考えておく、じゃあ頼んだよ。 あんたも父親が大事だろ?
くれぐれも馬鹿な真似はおしでないよ?」
ミシェルはエプロンの端を持って、「うん」と頷いた。
「いい返事だ。忘れるんじゃないよ、北の掟を。 永久に続く秘密の事を」
そう言い残して、二人の修道女は帰って行った。 ミシェルは途端膝から崩れ落ちた。 あの二人は魔女だ、心の中に魔物を飼ってる。 ミシェルにはそう感じられた。
ミシェルにはココットが魔女だなんて、信じられなかった。
それよりは二人の修道女の方が余程恐ろしい。
ミシェルは一人床に座り込んで膝を抱えた。
「父さん、早く帰ってきて…」
その呟きを誰も叶える者はいなかった。