休暇〜揺さぶられた記憶
4 休暇一日目・剣舞会
結局美術館に行くのを諦め、剣舞会の開かれる闘技場へとココットは足を伸ばした。
闘技場は王城を東に少し歩くと着く広大なコロッセウムで、高く、真中で区画を区切られているのが貴賓席で、それから南と北が一般区画だ。
北側は陰になり、冷えるので料金が安くなっている。 その北側の席を買って、ココットは貴賓席を見上げた。
扇の中であくびをしているハーネストが国王の陰から見えた。
その視線に気付いて、ハーネストもきょろきょろし、軽く手を振ったココットを見つけた。
ココットは空いている席に座り、騎士たちの行進を見守った。
オープニングセレモニーは、王城から騎士達が整列してこの闘技場まで行進してくる。 商店街を横切って隊列を崩さず、前のみを見据える騎士達の姿は圧巻だ。
その先頭を行くのが、三騎士の称号に選ばれた騎士である。ティティスは緑の鎧に身を包み、国旗を持って先頭で旗手をしていた。その後から左右に、二人の赤い鎧の騎士と、紺の鎧の騎士とが並んで行進していた。キクロスとユリウェスの称号の騎士だろう。
隊列が全員闘技場内に入ると、ティティスが国王夫妻のいる貴賓席のほうに国旗を掲揚した。
そのティティスの両脇から、威厳ある足取りで赤の騎士と、紺の騎士が出てきて宣誓を始めた。
『宣誓! 私達騎士は、騎士道の正義と公平に則り、全力を尽くして公平な勝負に臨む所存であります!』
最初の宣誓を二人が言い終えてから、ティティスが
「ティルノスの称号を頂いたティティス・ウィンコットここに誓います!」
「同じく、ユリウェスの称号を頂いたサイトネス・クロフォード、ここに誓います」
「同じく、キクロスの称号を頂いたクロイス・ウォーホル、ここに誓います」
三人の宣誓が終った後、国旗を掲揚係に渡し、空にはためかせたティティスは、一旦闘技場から出て行った。
まだ耳元に残る、腹の底からの大きな声での宣誓に、誰もが余韻に浸っていた。ココットもその一人だった。
ティティスが三騎士に……、それは伝説と同じ隻眼という共通点のみならず、他の騎士様達ですら伝説の三騎士に似ているという。
なんとも因果を感じられた。
それから間もなくして、闘技場で誰かが誰かに挑戦するし合い挑戦試合が始まった。
試合には、誰かを指名して挑戦する挑戦試合と、勝ちあがり形式で試合するトーナメントの二種類があった。
祭りの七日間中三日間が挑戦試合、残る四日のうち二日かけてトーナメントは行われる。
ちょうどお昼になった頃、一人の騎士がココットに近づいてきた。銀色のプレートに銀の長靴、一般的な騎士の鎧での正装だ。
ココットは席の隅っこにいたので、何故その鎧が近づいてくるのか分からなかった。
「ココット」
くぐもり、中で反響する声に、ココットはあっと思い当たって、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「お兄ちゃん!」
「なんだよ、ココット、そんな声上げなくてもいいじゃないか…」
少し傷ついたようにメットの目隠しを上に押し上げると、兄の目の回りが露になった。
灰色のもみ上げが輪郭の横からはみ出している。 父親譲りの団栗のようにくりくりとした、人懐こそうな薄いブルーの瞳が見えた。
体格は大柄で、身長も結構ある。
横に席を詰めたココットは、兄・ディグノーの来訪によって少し見られているのを感じた。
「お兄ちゃん今日試合でるの?」
「おう、午後三時頃にな。 ボザック隊長を指名している。 あの人とは一度剣を交えて見たかったんだ」
昼の休みに入り、みんなお弁当を買いに行ったり、持ってきた弁当を開いている客があちこちに見られた。
「お兄ちゃんご飯は? もう食べた?」
「いや、食べずに臨む。 いざって時に動けなかったら困るからな、軽くなんか腹には入れるだろうけど、一食食べるほどではないな」
兄の顔を伺い見ると、厳しい真剣な表情をしていた。 それでココットは何を言おうか困って、闘技場に目をむける。
「お前何か食べないと持たないぞ? 兄ちゃんが席取っておいてやるから、食べてきてもいいし」
「目立つからいい。 それにもう見たい人は、今日はでてこないだろうし、だから私帰って荷造りする。 明日から旅行だもん」
その言葉にディグノーは悲しげに目を細めた。
「お前もう帰っちゃうのか? 兄ちゃんの試合見て行けよ。 兄ちゃん頑張るからさ。 それより、さっきの見たい人ってなんだ?そんな人いるのか?」
「うーん。 内緒」
最後だけは茶目っ気たっぷりに笑って、ココットは席を立った。
「もう行くのか?」
「うん、じゃあ頑張ってね、お兄ちゃん。 簡単に負けちゃ駄目だからね?」
紺色のコートを羽織り、白い長袖のセーターと茶色で裾に花の刺繍がされたスカートをはいたココットは、兄の前を横切って出口に向う。 一瞬見た貴賓席にはハーネストの姿はなかった。
立ち去るココットの背中を見ながら、ディグノーはやれやれとため息をつきながら、待機場所に向った。
それからココットは出店を見て回り、小さなカフェで軽食を食べ、やっぱり諦めていた美術館に立ち寄った。
美術館の休館日と重なっていたと思ったが、美術館は開いていて、中に入ることができた。
館内には三騎士にまつわる肖像画や、貴族の令嬢の肖像画、庭園の風景の油絵などが多数展示されており、石灰岩を削っていった男性の彫刻もあった。
回廊のちょうど中央、その絵は今も安置されていた。
天空から舞い降りる天使、その差し伸べられた手の先に佇む三人の騎士。 緑、紺、赤の鎧を着た騎士が絵の中央にいる。 ちなみに緑の騎士が中央だ。
ココットが懐かしく、悲しいとすら感じる絵。絵の題名は『祝福の三騎士』。
ココットはあまり思い出したくない何かを、思い出しそうで、この絵が大っ嫌いであった。 しかし妙にこの絵に惹かれるのも事実だった。 しばらくその絵の前で立ち止まり、ココットは微動だ似せずに、絵に食い入るように見詰めていた。
そしてはっと我に帰り、その場を気まずげに後にした。
美術館から出たココットは、その足で寄宿舎に戻り、荷物の整理をした。
寄宿舎は城の隅っこにひっそりとある、二階建ての建物が二棟、その二階にココットの部屋はある。 風呂、食事、洗濯は共同だが、南向きの日当たりの良いベランダのある個室なので結構評判は良い。
ちなみに囲いに囲まれているので、普通に歩いているだけでは中の様子は見えない。
タンスつきの机、椅子ベッドしか置けない狭い空間のなかでも、クローゼットが別にあるのは嬉しかった。引き戸を開けると、ハンガーにかかった季節の服。そして旅行用に準備していたボストンバック。 ココットは必要と思われるものを、手際良く詰めていき、あっという間に準備は整った。
そしてを着ると、城に出かけていって夕暮れまで働いてまた寄宿舎に帰ってきた。
「ふぅ~」
ドアを閉めると、肩をとんとんと叩きながらため息をつくココットがいた。まぁ休日なのに働きに出るココットもココットである。取敢えずこんな調子なのがココットの休日の過ごし方である。
(明日はいよいよ北に出発だ。)
ココットは蒲団に潜り込んで、静かに目を閉じた。
翌日、ココットは朝の八時にこの街を出る馬車を予約していたので、街全体を囲っている外壁の北門近くにある、乗り合い馬車の駅に行った。
街から出る人は少ないが、街に入って来る人で駅はごった返していた。
「北領、ストルークス、エレミカ行きのお客様―!こちらにいらしてください!」
御者の呼び声にココットは立ち上がり、御者の元に行くと、人の良さそうな中年の御者だった。
「馬車はこちらです!どうぞ!」
ココットは茶色い四頭だての馬が引く馬車に乗り込んだ。
馬車はゆっくりと走り出し、次第にスピードを増していく。
北部地方は遠く100kmほど離れていて、雪かきされているとは言え山岳地帯が多く、冬になると雪に閉ざされることも稀ではない、という場所である。
一日かけてココットの目的地、北領の最北端の街エレミカに着いたのは、夜の八時を回っている頃だった。
赤い煉瓦造りの頑丈そうな家々が立ち並んでいる。
ココットはまったく記憶にないこの街に何故か懐かしさを感じた。
道路の雪は土砂に汚れ、溶けかけてぐしょぐしょになっている、お世辞にも美しい雪景色とは言えないこの街を、ココットははしゃぎながら見まわった。
大きく深呼吸すると、水気を含んだ冷たい空気がココットの肺を満たす。
「さぁて、宿を探しに行こうっと」
道路で固まっている雪のシャーベットを、注意深く踏みしめて歩くと、ちょうど街の広場に、白い壁にかかった大きな看板がランプに照らされていた。
ココットはその宿に着の身着のままに、その中に入る。
中はこぢんまりとしていて、さっぱりしていた、こういうところは副業として大抵の場合は、酒場などをやっているのだが、この宿は行っていないようだ。
いまどき珍しいほどにシンプルなところである。
二階建てで、一階と二階にドアが四つずつ並んでいる。
部屋も一階、二階とも左右に階段の左右に二つずつ並んでいる。
部屋の位置は一階の天井を挟んで上下対称になっているし、階段を挟んでも左右対称だ。
左の部屋の手前にカウンターに呼び鈴が置いてある。
ココットがその呼び鈴を二階ほど、リーンリーンと鳴らすと、しばらくして赤茶色の髪の毛の十五、六歳の女の子がやってきた。
「いらっしゃいませ。 お一人様ですか?」
そばかすの残る顔に笑みを浮かべて言った。
「…あぁ、一人です。 今晩泊まりたいんですけど、部屋は空いてますか?」
「えぇ、空いてますよ。 大丈夫です、食事はどうしましょうか?」
にっこりと笑って女の子が言った。 さっきからココットのお腹がグー…と鳴っているのが聞こえたのかもしれない。
「はい、お願いします…」
恥ずかしさに顔が赤らむのを自覚しながら、ココットは苦笑いをしながらそう述べた。
「お部屋は五号室を使ってください。 階段を上がられて左になります。 お食事はお部屋に運びますので、少々お待ちください」
接客と受け答えが板についていて、鍵やカンテラをテキパキと用意する、自分よりも年下の女の子を見て、ココットはこれくらい自分もできればと思った。
実際に同じ事を何度も言ったり、ぼーっとしていて少し間の抜けたところがあるので、こうも心配させるのだろが…。
ココットは荷物を持って二階に上がり、左に曲がってドアのプレートを確認して鍵を開ける。
中には正面に窓、右手に暖炉と薪箱、左手手前にクローゼット、左奥にベッドと小さな丸机と椅子、そして燭台がある。
まずココットは冷え切った室内を暖める為に、暖炉に火を入れた。
最初に薪箱から薪を取りだし、暖炉に組み上げ、新聞紙をねじって火を着ける。
火は徐々に大きくなり、薪に燃え移って部屋を赤々と照らし出した。 そしてココットは、ベッドのそばの丸机にある燭台にカンテラからも火を移す。 深緑ののカーテンを少し引いて外を眺める。
松明に照らされた雪の街は、その場に歩いていた時よりココットには美しく思えた。
ココットは満足のいくまで景色を堪能していると、ドアがコンコンとノックされた。
ドアを開けると、夕食をお盆にのせて運んで来てくれた。
「ありがとうございます」
お礼を言ってお盆を受け取ると、女の子はにっこりと微笑んで言った。
「いえ、お風呂はだいぶ後になってもよろしいですか? お湯を沸かすのに少し時間がかかるので…。 室内でできますから待っておいてください」
お辞儀して女の子は階段を駆け下りていく、ココットはそれを見送って一人食事をする。
料理は作りたてで、どれもおいしかった。
特に特製のタレをかけ、薄くスライスした肉で、野菜を巻いたものは、レシピを覚えたいなぁ…とココットが舌鼓を打つほどであった。 ひっそりと食事を終えたココットは、食器とお盆を持って下の階に降りた。
階段横の部屋はどうやら厨房であったらしく、半開きになっていたドアからは、女の子が見えていた。
コンコンと半開きのドアをノックして厨房に入ると、女の子は驚いた顔をして深深と頭を下げた。
「申し訳ございません! お客様にこのようなことをさせて…」
「ううん、ただ、したかったから、やっただけだし、一人みたいなのに大変だと思って」
ココットが笑顔でそう言うと、女の子も「ありがとうございます」と言って微笑んだ。
「待っててくださいね、お皿洗ったらお風呂の用意しますから…。
それまでお部屋で寛いで待っていてください」
女の子の言葉にココットは、頷いて部屋に戻った。
火掻き棒で暖炉の火を調節し、薪を足した。
ココットはうーんと伸びして部屋の隅にある長細い鏡を見る。
淡い緑の腰まである髪、茶色の目の少女、厚手のズボンに黒のコートと長袖にセーターを着たココットが移っている。
「コートはクローゼットにしまっておこう…」
そう言ってハンガーにかけてクローゼットにしまう。
それにしてもココットは暇になってしまった、今の季節だと昼でも雪に埋まったこの地方は、観光する場所もない。
「むしろ何故来たんだろう?」と自問自答した。
その後入浴して、「おやすみなさい」と言って、早々にその日を終わらせた。
ココットは朝起きて服を着替え、下に下りた。
「おはよーございます…」
朝に弱いココットは、間お抜けた挨拶をする。
「おはようございます、朝食の用意ができていますよ。 とられますか?」
「はい、いただきます…」
寝ぼけた感の否めないココットを、くすりと微笑ましく思い女の子は笑みを浮かべた。
そう言って小さい食卓で食事を済ませる。
「あのー、ここら辺りに何処か、観光できるような所ありますか?」
食事を済ませた後、ココットは観光の為に何処か良い場所がないか尋ねてみた。
下調べもなしに、ここに来てしまったのだ。
行き当たりばったりではあるが、現地のことは現地の人に尋ねるのが一番であろう。
「それなら資料館が良いと思いますよ? 他には…カフェやバーですかね…」
女の子は眉間に皺を寄せて、唸り、ぱっと顔を上げていった。
「へぇー…、何の資料館なの?」
興味本位で尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「それは三騎士伝説と魔女狩りの資料館ですよ」
「まっ魔女狩り…?」
ココットは、何故か得も言われぬ恐怖と寒気、震えが全身を襲った。
「あぁ、今は当然やってませんよ? でも昔はあったんだそうです。特にこの地方は法律で禁止されてからは、不当な魔女狩りを恥どんな悲惨なことが行われていたのか、を伝えるために造られたんですよ」
女の子の話を聞いたココットは、その心の中で即座に否定した。
ココットは何故か断言できた。
それは何かはっきりと耳に残るしゃがれた声が、頭の中で呟いていたからである。
『あの資料館が建てられたのは、魔女狩りの悲惨さを忘れない為なんかじゃない。 本当の理由は、自分達の生きる理由と罪を忘れないため、そしてこの北部カナスニード地方の住民に魔女狩りの継続を忘れないための、象徴さ。』
ココットは、「そんなことを言っていた人がいた」ということはうろ覚えだがわかった。 しかし、何処でそんな言葉を聞いたのか、誰から聞いたのかはまったく思い出せなかった。
そんなことを考えるのをやめて、とりあえず行ってみることにした。 街の中心から少し外れた、空き地の中にある大きな建物で、泊まったホテルからはすぐにたどり着くことができた。
もともとは修道院であったところを、そのまま改装して資料館にしたそうだ。
ココットは正面の入り口から中に入った。
一階にはいきなり生々しいものばかりが展示されていた。
さらに室内は暗く、今にも死んでいった人々が出てきそうなほど恐ろしかった。
鎖を隔てた向こうに立ち並ぶのは、ギロチンや、中に人を入れて蓋を閉めると針が中に入った人を刺すという拷問器具ばかりであった。 主に魔女と呼ばれた人々に実際使用していた物ばかりである。
たくさんの拷問器具と銅版の説明文を読みもせずに、ココットは足早にその場を立ち去った。
吐き気と悪寒がして、ココットは早くこの場から逃げたかった。
ココットは早くここから出ようとしたが、二階に行く階段を見つけると、体は自然と二階に向っていた。
一階とはまったく違う明るい室内、二階は白一色で統一されていた。
伝説の詳しい内容や、かなり古い肖像画が飾ってある。
紺色の鎧に身を包んだユリウェス、緋色の鎧に身を包んだキクロス、そして緑色の鎧に身を包んだティルノス。
三人の肖像画はかなり古いらしく。鎧のみが修復されて、かつての色彩を取り戻していたが、三人の顔はわからなかった。
ココットは三騎士の肖像を見た時、言いようもない悲しさと怒りを感じた。 その感情は何か途方もないもので、ココットにはどうしようもなく悲しい気がした。
ココットは一階の時と同様三騎士の残した遺品や、詳しい説明文も読まずに資料館を後にした。
街の中を宛てもなくさ迷ったココットは街の中心から随分と離れた小さな広場に出た。
広場にぽつんとある銅像の下に立って街の人々を街の見る。
人々は誰もが誰も、互いに無関心で足早に何処かに去っていく。
ココットはふと一人疎外され、取り残されたような錯覚に陥った。
ココットはしばらく銅像にもたれて、街の外の汚されていない真っ白な雪を見ていた。