プロローグ
幽体離脱。
最近の俺の趣味であり、唯一の楽しみだ。
幽体離脱と言っても本当に霊体になったりするわけではない。
明晰夢とも呼ばれているが、要するにリアルな夢を見ることだ。
普通は夢の中では夢であることを自覚できないが、幽体離脱の方法でやればそれを自覚して、好きなように操作しリアルに体感できる。
触感はもちろんのこと匂いや味もだ。五感すべてが現実と思えるほどに実感できる。
それを使えば、自分を最強の戦士にすることや、大金持ちになること、美少女とあれこれすることだって現実と見まごうばかりに体験できる夢の様な技術だ。
まさに、夢なのだが。
しかし、その夢だけが生きる意味であり生きる希望だ。
俺は現実が嫌いだ。
小さい頃からコミュニケーションが苦手で、いつも一人だった。
いじめを受けたりとか、周りから変な目で見られないように存在を消していた。
その時の楽しみが、妄想の中で冒険に出ることだ。
冒険小説、冒険アニメ、ファンタジーRPG、あとはゲームブックなんかも好きだ。
だから一人でいる事自体は苦しくない。
ただ机に座っているだけでも、妄想の中で英雄になったり冒険家になったり、広い世界に旅立つ事が出来る。
現実は厳しい。多くの人が俺に干渉しようとする。
突然の暴力、女性からの奇異の視線、ひそひそ話。
俺のためと言いながら色々と文句をつけてくる先生や両親。
俺は一人で大丈夫だ。妄想をしているだけで楽しいのだ。
なぜ、空気のように振舞っているのに、俺に関わってこようとするのか。
そんな仕打ちに耐えながら、なんとか最低ランクの大学に入った。
妄想ばかりして勉強なんてろくにしていないのだから当然だ、むしろ入れたことがありがたい。
大学に入った後は、すぐに一人暮らしを始めた。
親がなるべく関わらないように。
人とあまり関わらないアルバイトをして、自分の生活費は稼いだ。
大学の生活は快適だった。
いつも一人でいても問題はなかった。
しかし、いつまでも大学生という訳にはいかない。
仕方なく就職をした。
だが、仕事は今までで一番の地獄だった。
今まで以上にコミュニケーションが必要なのだ。
同僚や上司、クライアントなどコミュニケーションの必要な相手ばかりだ。
人とかかわらなくても仕事ができると思ってプログラマになってみたが、仕事ではどうしても人と関わる必要がある。
自分が偉いと思っているだけの上司や、わがままなクライアント、上辺だけの付き合いを求めてくる同僚、ミスしてばかりの無能な自分にも嫌気がさす。
俺は世の中に絶望した。
こんな状態で60年以上生きるなんて耐えられなかった。
自殺を考えた。
自殺サイトを探して色々なサイトを巡り、自殺の方法を調べた。
そんな、ネガティブな情報収集をしている時に見つけたのが、幽体離脱のやり方を紹介しているサイトだった。
はじめは全然うまくいかなかった。
でも、俺にとっては妄想の世界をリアルに体験が出来るという内容はあまりにも魅力的だった。
今まで頭の中で考えていた楽しい世界を現実の様に体験できるのだ。
手順を読み込み、体験談をあさり、精神統一や集中力を高める訓練もした。
子供の頃から妄想ばかりしていたから簡単にできると思った。
しかし、妄想をするのと幽体離脱をするのは違うらしい。
そして、幾つかの方法を試した末に幽体離脱を行う事ができた。
最近では割りと頻繁に幽体離脱を行っている。
毎週の休みの日には欠かさず夢の世界に行くようにしている。
明日は休日なので、いつものように好きなだけ幽体離脱が出来る。
好きなだけと言っても、長い時間、夢の中にいた時は大変だった。
金曜の夜に寝て、夢の世界で存分に楽しんで目を覚ました時には水曜日になっていた。
脱水症状で死ぬかと思ったし、仕事を無断欠勤して危うくクビになる所だった。
夢を見続けて、そのまま死ねるなら幸せなんじゃないかとも思う。
つらい現実を生きるくらいなら夢の中で死にたい。
でも、死んでしまったら楽しい夢も見ることはできなくなってしまう。
生きる希望である幽体離脱を手に入れてしまったために、死ぬのが惜しくなってしまった。
果たしてそれが幸せなことなんだろうか?
幸せな夢を見るために、つらい現実を生きなければならないというのも変な話だ。
家庭をもつというのも同じような感じだろうか、嫁や子供のためには嫌な仕事も我慢できるというしな。
家庭に夢を持ち過ぎかな?
まあいい、そんなことはどうでもいいんだ。
大切なのは明日は休日で、たっぷりと幽体離脱が出来るということだ。
ここ最近は毎週チャレンジしていたが、うまくいかなかった。
疲れすぎて全然眠れなかったり、眠れても普通に寝てしまったり、やっと幽体離脱に成功したと思ったら、すぐに目が覚めてしまったり。
だから今日こそは成功させる。
今週は仕事もあまりきつくなかった。
どんな夢を見ようかとあれこれ想像しながらワクワクする余裕すらあった。
同僚たちは妄想してニヤニヤと笑う俺を気味悪いと思ったのではないだろうか?
もしかしたら、彼女でも出来たかと思ったかもしれない。
いや、それはないか。
今日のために色々と妄想を考えて決めた夢は、【無敵の勇者になり魔王を倒して姫さまを助けて姫さまといいことをする】という夢だ。
……ちょっと、チープな発想な気がするのは仕方がない、俺が考えられる妄想なんてそんなもんだ。
しかし! この夢は素晴らしいはずだ。自分が勇者になりオレツエーを体験する事と共に美しいお姫様とくんずほぐれつ出来るんだからな!
…………
ちょっと虚しくなってきた。
いやいや、そんなことはない!
今週は憂鬱な仕事もあっという間に過ぎ去るほどの妄想力を発生させられた設定だ。
楽しい夢になることは間違いない。
俺は幽体離脱をするときには、設定をだけ決めて夢の中では自分の思い通りにしないようにしている。
その方が何が起きるかわからなくてワクワクするし、その世界を堪能できるからだ。
だから、自分の思い通りにならないことも沢山あるが、自分が普段思いつかないような体験をする事が出来る。
貧弱な想像力で夢を操作したらとたんにチープな夢になってしまう。
さあ、これから素晴らしい夢の世界に旅立つのだ!
そう決意しながら俺は布団の中に入った。
…………
ちょっと興奮しすぎて眠れない。
深呼吸をして心を落ち着かせる。深い眠りに落ちないように気をつけながら、睡眠状態に移行する。
グワンと意識が揺らいだ。
何かがいつもと違う気がする。
いつもならば、耳鳴りがして、耳鳴りに意識を集中しつつ深い眠りに落ちないように気をつけながら、睡眠状態に移行する。
今回は何かが違う。
目をつぶっているので分からないが、世界がぐるぐる回っているような気がする。
いわゆる、めまいというやつか?
ちょっと違うような気がするが、気持ちが悪い。
体調が悪かったんだろうか?
目を開けようとするが目は開かない。
すでに睡眠状態に入ってしまっているのだろうか?
しかし、目の前は真っ暗だ。
世界が回っている速さが加速していっている。
ぐるぐる世界が周る、船酔いのような気持ちわるさがどんどん強くなるが、目を覚ますことはできない。
落下するような感覚がして目が覚めた。
…………
…………
…………
気が付くと、知らない村の中に立っていた。