拠点ホゾとフェーリスと言う女
ホゾの街。
もともとは先の戦争に置いて前線としての役割を担ったただの拠点だったが、現在は街としてのハッテンも目覚ましく、魔族と睨み合いの続く緊張状態の中でも、街の人口増加は一向に衰える気配はない。
むしろ人口増加率で見ればアレオラ王国内でも他の追随を許さないであろう。
主要産業とも言えるものは、たったの二つ。
魔物から取れる良質な部位や、それを加工した品、武器、防具等。
……そして、人口増加の原因とも言えるのが魔石の産出である。
魔石の鉱脈が見つかったのは終戦直前のことだった。
当時の責任者はこの大規模な鉱脈の存在を隠蔽。
終戦後、未だ魔族の影響もある中、方面軍をニプリス地方から完全に撤収させ鉱脈の独占を図ろうとしたが、下級兵士による告発により発覚、死刑となる。
そしてこの大規模な魔石鉱脈の採掘は、国の一大事業となり、国から委託された貴族や商会の元に日々労働者という名の炭鉱婦(兼兵士)達が出稼ぎに。
人が増えれば需要が増え、需要が増えれば供給も増える。
更には炭鉱婦を目当てに個人商や娼夫が押し寄せ、ある者は家族を呼び、ある者は友人を誘う。そうしてここ数年のホゾの街はハッテンし、マジックストーンラッシュに沸きに沸いていた。
ただの前線拠点だったホゾは、その在り方を急激に変化させ、皮肉なことに戦争が終わってから始めて魔石を生み出す強固な街となったのである。
――魔石の価値は金よりも尊い。
魔法学の第一人者であるアリーナ・リリリの言葉だ。
元来魔法というものは、人間一人が行使できる現象ではない。
魔法を行使するために必要なのは魔石による胎内魔力部の安定、そして魔法を顕現させるための微細な魔力コントロールの才能とたゆまぬ努力。
それらがあってこそ、始めて魔法を行使し魔法士としての立場を得ることが出来る。
魔法士の数はそのまま軍事力へ還元し。
魔石の数はそのまま財力へ昇華する。
この世界の強国という存在は、いつの時代もそうやって作られてきたのだ。
■
「ふぅ……」
街の中央に建設された庁舎の一室。
よく言えば実務に長けた。悪く言えば質素な机に書類を積み重ねたフェーリス・モルは、やや乱暴に椅子の背もたれに体を預け、天井を仰ぎ見るなりため息を一つ付いた。
「全く……全部ワタシに仕事を預けて……。どうせまたお気に入りの娼館に行ったんだろう」
フェーリスのため息の中には、疲労感がこれでもかと詰め込まれているせいか重く長い。
彼女の上司はフェーリスに面倒な書類仕事を任せ「自分は街の現状を見るのが仕事である。故に現場は私に任せるがいい」と外に出たきり戻ってこない。
この街の最高責任者であるフェーリスの上司は有名人だ。
立場的なものは勿論のこと、そのメス豚のような甘いマスクと気さくな人柄が人気を呼ぶ。街によく出かけては住人と触れ合いを好み、仕事ぶりも好評。
下からの陳情には真剣に対応するし、国や貴族、商会などの上からの圧力ものらりくらりと躱す。
多くの人間にとってみれば理想の上司、とも言えるのだが。
ことフェーリスに限っては、こうして執務を押し付けられるため、尊敬はしていても少しは自分でやってくれという感情も無きにしも非ずといったところである。
余り表には出ない上司の悪癖、というのも近しい立場のせいかどうしても目についてしまう。
男癖が悪いのだ。
炭鉱婦の多いこの街では、ただでさえ少ない男が輪をかけて少ない。
だからこそ娼館が儲かるのだが、フェーリスの上司はどうも最近お気に入りの娼夫が見つかったようで、昼間から娼館に入り浸っていることが多くなってきた。
仕事しろ!
そんな言葉がフェーリスの心の中で湧き上がるが、決してそれだけではなく、
「ワタシだって……こんな顔じゃなければ……」
嫉妬、羨望といった感情。
フェーリスの、細く長い指先が己の頬を撫でる。
押せばすぐ戻るようなハリのある褐色の肌。切れ長の瞳は大きく、シャープな顎のラインは小顔を更に強調している。
短く切りそろえた銀糸の髪の合間から長い耳が覗き、精一杯のお洒落のつもりでつけた魔石のピアスが耳の先端で滑稽に淡く光る。
そう、彼女はエルフと呼ばれる種族。
その中でも最も醜いと称されるダークエルフだった。
魔法に長けているため表立っては蔑まれないものの、動物では馬や狼に例えられ揶揄されることも多く、神話の時代から結婚したくないナンバーワンに選出されるなど、ある意味数々の偉業を打ち立てた種族なのである。
「とは言え例え顔がよかったところで、この体じゃ無理か」
フェーリスが目を落とすと、醜く張り出し、突出した胸が目に入る。
立った状態で下を見れば足元が胸で邪魔され何も見えないほどだ。
これが腹まで出ていればその評価が逆転するのだが、残念ながらフェーリス達エルフ族にそういった者は殆どいない。
顔でも体でも、どこか一つ自慢できるところがあったならば、自分はこの歳まで処女を貫いてはいなかっただろう。
まだ駆け出しだった頃。初給与を握りしめ、高鳴る胸を押さえながら店に赴いたものの、娼夫に拒否された惨めなトラウマを抱えることもなかったはずだ。
上司の口利きがあれば、商売男を抱くことも出来るかもしれないが、もはやこの歳になってまで、子鹿のように震えながら初めての情事で恥をかきたいとも思わなくなっていた。
「このままでは気持ちが沈んでしまいそうだな」
ただただ、憂鬱になる思考を振り払い、目の前に積まれた書類の一枚を手にした。
「商業区の区画拡張とそれに伴う防衛壁の増築、ね……、さて、仕事でもするか」
ポツリと溢すように言葉を繋ぎ、フェーリスは羽根ペンを手にとった。
■
日が落ち始め、窓から見える人並みにちらほらと仕事終わりの炭鉱婦が混ざり始めた頃。
フェーリスはようやく三分の一ほどに減った机の上の書類を一瞥し、冷めた紅茶の入ったカップを口に運んだ。
彼女の上司はまだ戻らない。
恐らくこのまま娼館にでも泊まり、明日の朝何事もなかったかのように来庁してくるのだろう。
羨ましくなんかない。
嫉妬ないんかしていない。
彼氏なんかほしくない。
いちゃいちゃ甘々な生活なんて……なんて……。
「うぐぐぐぐ……」
込み上げる感情を抑えきれず、カップにヒビが入る。
その時だった。
――トントン。
ノックの音。すぐさまフェーリスは思考を切り替え応答する。
「入れ」
室内に入ってきたのは部下の一人である。いつも真面目な勤務態度からフェーリスの印象は良い。
しかしフェーリスは敢えて少しだけ不機嫌な返事をする。部下の前では、眉間に皺を寄せ、出来うる限り硬く芯の入った態度をしないと舐められてしまうとフェーリスは考えていた為だ。
「失礼します。その……、以前発ったレディガン調査団の一人が戻りまして……」
「――!? 一人で戻ってきただと? どういうことだ?」
「正確には一人ではないのですが」
部下の報告に、思わずフェーリスはガタリと椅子から立ち上がった。
何を隠そう上司の反対を押し切ってレディガン調査団を結成し、件の捜索を任せたのはフェーリス自身。
だが派遣したのは三人。
一人で戻ってきたというのはどういったことだろうか。
調査の成果よりも、調査団の人数と安否を気に掛けるのはフェーリスが人格者であり、レディガン、ロロー、ミームのたった三人に危険を承知で僻地へと向かわせた後悔の念が先立ったからかもしれない。
「どういうことだ?」
「いえ、それが……調査団で戻ってきたのは一人なんですが、ニプリス山であったという幼い兄妹と一緒でして」
「兄妹……だと?」
有力者からの情報がなければ、あんなところに人など住んでいるものか、とフェーリスも一蹴しただろう。
それほど険しく過酷な山なのだが。
今の短い報告を聞く限り、ニプリス山には情報通りに人が住んでいたことになる。しかし英雄と慈父ではなく幼い兄妹ということは。
「と、とにかく本人達から話を聞いたほうが早いと思われます」
「わかった。ここに案内してくれ」
部下が部屋から出ていき、フェーリスは自分が立ち上がっていたことに始めて気づく。
憧れて止まない"消えた英雄と慈父"。
見つかったのだろうか――。いや、それよりも調査団の安否確認だ。残る二人のことを聞き、もしまだ生きている可能性があるのならば救助隊を出さなければなるまい。
山で会ったという兄妹は何者なのか。魔族ではないだろうな。
様々な思考が一瞬にして流れるフェーリスは、ヒビの割れたカップをまた手に取り、冷めた紅茶で乾いてしまった口の中を濯ぐように飲み干した。
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