蒼い疾風―プロローグ終了
「鳥さんしゃべれるの! すごいねぇ!」
「な、な、なぁー!!」
思わぬ急な出来事に、俺の毛の生えた心臓が飛び上がり思わず尻もちをつくが、豊富な脂肪のお陰でダメージはない。
「あははは! お兄ちゃんびっくりしてる!」
あははは、じゃないよ妹よ。
なんでナチュナルに受け入れてるんだ。
尻もち状態のまま後退り、様子を見ることにした。
ゴードンの伝書鳩、というくらいだからゴードンさんという人に飼われており、人に危害は加えないだろうことはわかるのだが……、やっぱり鳥獣が人の言葉を話すという光景は、思いの外俺に驚きと恐怖を与えてくれたのだ。
「鳥さんはおしゃべりできるの!」
「ぞッス」
「すごいねぇ!!」
「ぞッス」
妹はゴードンの伝書鳩が人語を話せると知るや、楽しそうにせっせと話しかけては軽くあしらわれている。
しばらくその光景を見つめていると、両親が俺達を呼ぶ声が聞こえた。
■
両手を固く握り、真剣な面持ちで俺達兄妹を見つめる母。
悲しそうに、それでいて強い決意を秘めたような瞳の父。
一体何を告げられるのか見当も付かないが、その雰囲気に当てられ自然と一筋の汗が俺の頬を伝った。
「……息子、娘。大事な話よ、よく聞いて。あなた達は今からこの山を降りて、しばらく街で暮らしなさい」
唐突に、そんなことを言い出す母に思わず聞き返す。
「ど、どういうこと?」
「……ここは危険な場所になるからよ」
危険……?
シンプルな説明だったが、昨日ミームさんからいろいろ聞いていたためか、魔族が攻めてくるのだろうかという疑問が自然と浮かぶ。
唯ならない母と父の様子を見れば、もしかすればそれは正解かもしれない。
仮にそうならば、俺達に街へと避難しろと言っているようなものだ。
だが、両親は?
「母さんと父さんは一緒じゃないの?」
「俺達はここへ残らないといけない。幼い子供たちと一緒にいけないのは心苦しいが、わかってほしい。……愛してるよ二人とも」
人里へ降りる憧れはあった。だがそれはあくまで家族全員でだ。
同時に、今まで平和に暮らしていたのにどうして急に、という思いが胸の中へ湧き上がる。
そして父の言葉を聴き、不便すぎるこの住み慣れた土地を俺は気に入っていたんだなと今更ながらに気付かされてしまった。
「おかあさんとおとさあんとバイバイするの? なんで?」
話の飲み込めない幼い妹は、母と父を交互に見つめ目に涙を浮かべている。
納得出来ない俺も妹の言葉にかぶせるように疑問を投げつけた。
「どうして? 何が危険なの? 納得出来ないよ母さん!」
ここまで俺が感情を出したのも、両親に食い下がったのも初めてかもしれない。
転生というものを経験し、ある意味どこかで自分とこの世界のつながりというものが希薄に感じられていたのは事実だ。
この世界の人間ではないという俯瞰した視点。本当の両親ではないという楽観した欺瞞。
俺は生まれ変わったときから既にこの世界の住人なのに。
八年だ。
八年もここで暮らし、面倒を見てもらっていたのに本当に今更そんなことに気付くなんて。
ガシリ、と俺の肩が掴まれた。
「息子……。あなたは賢い。これから言うことをよく聞くの。いい? ゴードン・マンフィロドがこれからあなた達の面倒を見てくれることになると思うわ。ちゃんと彼の言うことを聞きなさい。一度ホゾの街で準備を整えてから王都へ向かうの。ミームさんに案内を頼んであるわ」
「違う! そうじゃない! なんで母さんと父さんは一緒にいけないか聞きたいんだ!」
「ここでやることがあるの」
「何をだよ! そんなのじゃ納得できない!」
激昂した俺をなだめるかのように横から父が割って入る。
「坊やの気持ちはよくわかる。でも必ずいつか二人を迎えに行く。それまで待っていてくれるね?」
優しく語りかけるその声色は、皮肉にも俺が生まれて始めて声を聞いた時のような安心感をもたらし、頭に登っていた血がスッと引いていく。
「魔族が攻めてくるの?」
「…………」
無言。父が唇を軽く噛む。
心配をさせたくないのか、或いは別の理由からなのか。
「……理由は言えないの?」
「……ヌルヌルンイルヌルヌンゴナンゴがくる」
「え?!」
声を出したのは俺ではない。
父の掠るような小さな言葉に反応したのは妹だった。
「そう、これはあなた達に伝えないことにしようと思ってたのだけど……ヌルヌルンイルヌルヌンゴナンゴよ……」
ヌルヌルンイルヌルヌンゴナンゴ?
一体何の話をしてるんだろうこの人達は……。
全くよくわからない俺を置き去りにして両親と妹は話を続ける。
さっきまでのシリアスっぽい茶番はなんだったのか。
「おかあさんおとうさん! だいじょうぶなの? ジメジメンモルジメヌンゴンゴじゃないの!」
おっと早くも新しい名称が出てきましたよ。
ジメジメンモルジメヌンゴンゴって。ヌルヌルなんとかもそうだがその名称考えた奴ちょっとセンスないと思うね俺は。
「いや大丈夫よ……娘。息子もそういうことだからヌルヌルンイルヌルヌンゴナンゴが解決するまで街に降りていて欲しいの……。ミームさんの仲間は私達で捜索しておくわ。心配しないで」
「そのヌルヌルローションヌルヌルンゴなんとかを済ませるまでどのくらいかかるの?」
「ヌルヌルンイルヌルヌンゴナンゴなら、もしかしたら数年以上は……。だから妹をしっかり守ってあげてほしい」
この世界とのつながりの希薄さを一瞬で再確認した俺は、もうどうでもいいやとばかりに何度も頷いたあとにミームさんにボソリと質問した。
「ミームさん、ヌルヌルンイルヌルヌンゴナンゴって何ですか?」
「ヌ、ヌ、ヌルヌルンイルヌルヌンゴナンゴはイルヌル系のヌルヌル側で……、ジ、ジ、ジメ、ジメジメンモルジメヌンゴンゴはその名の通りメヌンゴなんです」
よし。
ミームさんですら全く説明になっていないな。
ならばまともそうな人に聞けばいいのだ。
――ゴードン・マンフィドロ。
その人物がどういった人物なのか俺は知らない。だが、間違いなく今聞いた説明よりもちゃんと理解できる人語を話してくれるはずだ。
理由を知り、解決策を考える。
知ったところで俺にどうにかなんて出来ないかもしれないが。
それでも家族の安寧を取り戻すためならば、努力はしてみたい。そう心に決めた。
「じゃあこれをゴードンに渡して頂戴」
「ぞぉッス!」
「それとくれぐれも子供達のことをよろしくと伝えて」
「ぞぉーッス!」
ゴードンの伝書鳩が母から手紙を受け取り、体育会系の返事をする横で、俺とミームさんは両親から渡された旅費という大金の入った袋を確認したり、ゴードンの伝書鳩に取り付けるための手綱を準備していた。
「そ、そ、空を飛ぶなんて、は、はじめてです」
「俺もですよ。緊張しますね」
ホゾの街まではゴードンの伝書鳩に乗って空の旅になる。
ミームさんはそこで一時所属部隊へと報告し、ホゾの街から王都までの護衛を個人的にお願いするという手筈だ。
ちなみにホゾの街から王都まで徒歩か馬車での移動になる。
旅費として手渡された金額の多さを考えれば、馬などの購入も考えてもいいかもしれないな。
手綱を取り付け終え、簡単に纏められた荷物を背負い、妹を先に乗せてから母と父に振り返った。
「じゃあ……」
「ええ、元気でね子供達……。私達のことは心配しなくていいから」
「坊や、病気や怪我に気をつけるのよ……」
挨拶もほどほどに、俺はゴードンの伝書鳩へと跨った。
さあ出発だ。
「自分、いいスか?」
「ああ、いつでも」
――バサリ。
ゴードンの伝書鳩。その巨大な翼が広げられ、羽ばたいた。
ふわりとした浮遊感。急激に地面から離れていくその感覚は、何とも形容できないほどに新鮮な感覚である。
「うわぁ! 飛んだ! 飛んだよお兄ちゃん!」
妹ははしゃぎ、
「ひっぃぃぃぃぃ……」
ミームさんは顔を引きつらせ、俺達は住み慣れた家を後にした。
■
飛び始めてからほんの数分でミームさんの様子がおかしいことに気付く。
「ひぃぃぃぃぃ……! はぁぁぁぁぁぁ……!」
ぎゅっと目を瞑っているのだが、手綱を持つ手は震え、足をバタバタとさせて息を漏らすような小さな悲鳴を上げている。
「ひいいいぃぃぃぃぃぃ……!」
これはもしかすると充電中(※ 1.子供が泣くエネルギーを蓄えること。 2.現実から逃げ出すことに備える。)なのではないか。
こんなところでいつかのように逃げ出そうとしたらまずい。
バランスを崩して全員真っ逆さまなんてこともあり得るのだ。
俺は有事に備え、右手だけはいつでも出せるように準備をし、ミームさんを安心させるように話しかける。
「ミームさん、ホゾの街ってどんなところなんですか」
「はああああああぁぁぁぁぁ……!」
「ミームさん、王都へは行ったことあるんですか」
「ひいいいいいいいいいいい……!」
だめだ、全く聞いていない。
ゴードンの伝書鳩に顔を埋めるように恐怖に慄いている。
飛行機なんかでも乗る前は余裕だったような人が、飛行機が離陸した途端にパニックになるなんて事例もあるくらいだ。
生身で外気に触れている分、飛行機よりも確かに怖い。
これはそろそろ放電が近い気がする。
「ミームさん、大丈夫。大丈夫ですよ! あっ、危ないので足をバタバタさせないで!」
「はああああああああああああぁぁぁ! うわあああああああ「エスナン!」ああああああぁぁぁ……ぁぁん。――風がとても気持ちいい」
「そうですか」
「そう、今のあたしはニプリスを翔ける一陣の蒼い疾風。――ブルーミールとでも呼んで」
そんなオートミールみたいな。
ていうか最初からエスナンかけておけばよかった。
プロローグはここまでです。




