やっぱりこの世界はちょっと頭おかしいんじゃ
「ア、ア、ア、アレオラ王国の、ニプリス地方って……い、言って……、このニプリス山脈を堺に魔族の国があって……、ほ、ほとんど人は近づかないところなんです。……この辺のまも、魔物も強いし……」
「なるほど、でも俺は魔族なんて一度も見たことはないんですけど」
「たっ、たぶん……魔族も、に、人間を警戒してるからこの山に近づかないんだと思います」
毛皮を加工した掛ふとんに潜りながら、俺はミームさんからこの周辺についてのことを聞いていた。
アレオラ王国ニプリス地方、それが我が家のある場所の地名らしい。そしてこの山脈はニプリス山脈と言って、人間の国と魔族の国を隔てる境界線でもあるというのだ。
二十年ほど前に、人間と魔族との大きな戦争があった。数年続いた戦争は、辛うじて人間側の勝利で終わるものの、互いに疲労した両陣営は、結局戦争前と変わらずこの巨大な山脈を隔て睨み合っている。
そしてニプリス山を南下すれば、人間側の前線だったホゾの街へ。北へ降りれば、おそらくは魔族側の前線の街へ続いているのではないか、ということらしい。
「そしてミームさん達は、その戦争で活躍した"消えた英雄"を探してるってわけなんですね」
「は、はい」
青白い月明かりが、僅かに開いた窓の隙間から差し込む中、俺は粗末な布に包まった彼女をジッと見つめながら質問を続けた。
「実は一つ気になることがあって。気になる……というより俺の中ではおよそ確信に近いんですが、その"消えた英雄”……、というのはどんな感じの人達なんですか?」
答えを聞かずとも、確信に近い何かが俺の中で固まっていた。
『ミームさん達はええっと……、人を探しているんでしたっけ?』
『そ、そうです! 命を受けて、え、え、英雄ミミーナ様と慈父オーガル様を探してるんです!』
先の夕食の際の会話を思い出す。
俺に戦争の経験はない。だが狂気と凶器、逸脱した常識で、血で血を洗うような戦いだったことは容易に想像できる。
そんな中、人々から英雄と慈父と呼ばれた二人は愛し合い、終戦後に人知れずどこかへと消えた。
ミームさんによれば、ニプリス山の魔物はどれも強く一筋縄ではいかない。
人里から離れたニプリス山に住む俺達家族。
一筋縄ではいかない魔物を苦もなく狩る俺の母。
そしてオーガルという人物の、慈母ではなく慈父という二つ名。
英雄ミミーナと慈父オーガル。
女性である母が狩りに出て、男性である父が家を守る。そんな家庭が他にあるだろうか。
ここまでヒントを出されて、気が付かないほど俺は鈍感ではなかった。
ミームさん達が探しているのは、まず間違いなくうちの母と父なのだ。
「そ、そうですね。あ、あたしは見たことないんですが……、え、英雄ミミーナ様は戦神オナールの如く……」
「えっ? オナ? 何?」
禁止ワードが聞こえた気がして思わず話を遮ってしまった。
でもこの世界は前世ではないのだ。名称がちょっと違うのは当たり前。
「あ、あ、あの。戦神オナールです」
「ああ、そうですか。オナールね、そうそうオナール。うんうん」
決して卑猥な言葉ではないのだが、こういった時に前世の記憶と言うのは常々足を引っ張ってくれる。
しかしこれほど可憐な美少女の口からそういう単語がでるのはおじさん関心しないな。
まぁ、うちの母の見た目といえば、国技的な感じだし、その戦い方は強烈だ。あの巨体に似合わず恐ろしいほどの速度で剣を打ち込む。
あれを敵に向けたら戦神というのはピッタリかもしれない。
「そ、それでですね……。戦神オナールの如く、か、苛烈な戦い方であったと聞いてます。て、敵を千切っては投げ千切っては投げ! そ、それはそれは凄かったそうです! て、敵の大将をこうやってバババーンって! て、て、敵の大将はこんな感じで! ぐえーっ! ってなったそうですよ!」
「ほほー、すごいですね」
話すうちに、身振り手振りが付き、興奮していくミームさんは憧れの英雄譚を語る子供のようにも見えた。正直かわいすぎて抱きしめたい。
しかしあれだな、もしうちの母がその英雄かも、なんて話をしたらがっかりしてしまうんじゃないか。
そんないらぬ不安が胸をよぎる。確かに武器を手に取ればかっこいいのだが、普段はただのハッケヨイだし。
尻掻きながらおならをするなんてのも日常茶飯事だし、水浴びのあとはタオル(というか布切れ)を背中にパンパン。股ぐらにッパーン! ってするのが癖だし……。妙におっさんくさすぎてな。
英雄譚を信じてるミームさんの幻想を壊すのも正直なところ嫌なのである。
この美少女にがっかりさせるような顔はできるだけさせたくないんだよなあ。
でもミームさんも命を受けてこんな人外魔境へと探索してきているというのを考えると、やはりこの人に協力してあげたい。
やはりうちの両親がその英雄と慈父だってことを伝えたほうがいい。
よし、俺の腹は決まった。
更に身振り手振りが激しくなり、顔に熱も帯びて興奮が最高潮に達するミームさん。
「で、で、でも! そんなすごい戦い方をするのに繊細で可憐な人だったと聞いてます! み、み、見たことある男性はその可憐さに一目惚れしてしまう人が、ほ、殆どだったとか!!」
………。
……あれ?
「じ、慈父オーガル様も、ま、ま、まるで神話にでてくるような美しい男性であったと!!」
……あれぇ?
「い、い、色々な逸話があるんですがその中でも隣国の女王様がオーガル様のそのお姿をみて、く、く、国中の芸術家を集めてオーガル様そっくりの銅像を作れと命じたとか命じないとか!」
んんんんんんんんっ?!!
違う!?
違いますぞー!
うちの両親は繊細で可憐な女性でもなければ、神話に出てくるような美しい男性でもないですぞー!
朝青龍の顔面を、助走をつけて百回ぶん殴ったような感じの母の容姿と、熊と豚とオークを足して三で割ったところに、ゴブリンの下顎をエッセンスに加えたような父の姿を思い出しながら、俺は少し前に自分で言ってしまった台詞を思い返していた。
実は……、気になることがあって。
というより俺の中ではおよそ確信に近いんですが。
そんな両親の遺伝子を受け継いだキングオブブサイクである俺が、精一杯の流し目を使い、かっこつけたのにこれはいけない。
「そ、そ、それで! 確信っていうのはなんですか?!」
「い、いや……その……」
目を逸らすしかなかった。
■
翌朝、まだ外が薄暗いうちから捜索準備を始めるため寝床から起きる。
既に両親とミームさんは準備を初めているようで、何やら隣の部屋で話し合っている声が聴こえる。
俺は眠気の覚めやらない体を起こし、隣で寝ている妹の肩に手を置く。
「妹、おはよう。起きろー」
「ん……、んっう……。お兄ちゃんまだお外暗いよぉ……」
「今日はミームさんの仲間を探すんだからいつもよりちょっとはやく起きるんだよ」
――ガバッ!
「おきた! わたしおきた! おはようお兄ちゃん!」
妹くらいの年齢の子供にしてみれば、きっと事の重大さなどは関係なく、皆でピクニックに行くくらいの感覚なんだろうな……、と朝から少しだけ癒される。
「ああ、おはよう妹。準備しようか」
「うん!」
「ということで、昨日言った通り私は北を、ダーリンと娘は南を、ミームさんと息子は東を探すこと。小さな手がかりも見逃さないようにね。魔物が出ても……、まあ大丈夫でしょうけど、出来れば戦闘は避けること。いいわね!」
母の指示に全員で頷く。
俺はいつもの弓とナイフを手にし、荷物を全て失ったミームさんに予備のナイフを手渡す。
人命が掛かっているせいか、いつもよりも気持ちが引き締まる気がする。
朝の新鮮な空気を肺に一杯詰め。ふぅ、と短く息を吐き出し空を仰ぐ。
……ん?
あの鳥って……。
前に一度、手紙を運んできた鳥じゃないか?
遠目からでもはっきりとわかるその巨大な鳥は、まっすぐにこちらへと向かってきている。
その様子に気付いた妹が無邪気にはしゃいだ。
「鳥さんだ! でっかい鳥さん!」
「ねぇ、母さん父さん、あの鳥って」
俺も妹と同じように空を指さし、例の巨鳥に意識を促す。
「む、あれは……」
「……ゴードンの伝書鳩ね」
あんなデカイ鳩がいてたまるか。
というツッコミは胸の中へとしまい、出発する間際だった俺たちは出鼻をくじかれるようにして巨鳥の到着を待った。
■
時として、状況というものは急激に流れを変えるものである。
あまりの急激な変化にパニックに陥る者もいれば、それをみて逆に落ち着く者。全く動じず、冷静に状況を見極める者。
その反応は様々だが、俺はエスナンの効果で心臓に毛が生えたせいか、それほどの動揺はなかった。が、動揺しなかったからといって状況を見極められたわけでもない。
ていうか俺と妹に関しては完全に置いてけぼりをくらっている状態。
ゴードンの伝書鳩と兄妹仲良く遊んでいます。
こいつまじでけえ。羽を広げれば十五メートルもあるんじゃなかろうか……。
鳩のくせに全然平和の象徴には見えないわ。むしろ街を襲いそう。
なんてことは扠置き。
俺がわかる範囲で現在の状況を整理してみよう。
ゴードンの伝書鳩と呼ばれる巨鳥が持ってきたものは、案の定いつかの珍妙な箱に入った手紙だった。
母がその場で手紙の封を切り、目を通すと一瞬で剣気な雰囲気へと一変。
その様子をおかしく思った父が、肩越しに手紙に目を通す。見る見る父の眉間に深い皺が刻まれ、手紙を読み終えた母は、出発を遅らせると一言いい、家の中へと入っていった。
状況が飲み込めない俺達三人が顔を見合わせていると、父は俺達兄妹に対し、ゴードンの伝書鳩に餌を与えるように伝え、ミームさんと真剣な面持ちで話し始めたのだ。
そんなことがあって、俺と妹は完全に蚊帳の外でゴードンの伝書鳩に餌を与えているところだ。
まあ子供に話せる内容じゃないっぽいし、仕方ないだろう。
ちなみに餌は鳩のくせに肉食らしい。
なので昨日狩った一角鹿を差し出したら美味しそうにつつき始めた。
「なあ、お前。何があったかわかるか?」
その様子を見ながら、わかるわけがないよなーと思いつつも、一角鹿の切り身貪っているゴードンの伝書鳩に話しかける。
「いや自分はわかんないッスね」
「だよな、巨鳥に話しかけて何してんだろ俺……」
――?
あれ、俺今誰と会話した。
「妹、今なんか喋った?」
ゴードンの伝書鳩が餌を食べるところをニコニコと見ていた妹に話しかける。
「え? なぁにお兄ちゃん? ほらみてみて! すごい食べてるよぉ! すごいねぇ! 大きいねぇ!」
「お、ほんとだ。これだけ大きい鳥だもんなー、一角鹿くらいはぺろりと平らげちゃいそうだよな」
妹じゃないみたいだ。空耳かな?
「いや自分これでも少食なんスよね」
いやいやいやいや。
いやいやいや!!!
顔をあげたらゴードンの伝書鳩と目があった。
「お兄さんむっちゃ美人ッスね。やっぱあの人らの子供だわー」
シャベッタアアアアアアアアアアアアア!!!!