出会い
息を止める。
視界を絞るように狙いを定め、矢を放った。
矢は放射線ではなく、紙にペンで線を引いたような直線で、狙った獲物に吸い込まれていった。
「よしっ!」
早いものであれから三年経ち、俺は八歳になった。
初めての狩りの失敗を取り戻すように、ただひたすら罠を学び、弓と魔法を練習し、身体を鍛えた。
しかしいくら走り込んでも体に蓄えられた贅肉は全く減ることはなく、むしろ成長と共に蓄えられる贅肉も増えているように思う。
ただ不思議なことに、これほど太った体のくせに鍛えれば鍛えるだけ動きが精練されていくのだ。今や俺は、母も驚くほどの機敏さをみせるようになっていった。
仕留めた獲物は魔物である一角鹿。普通の鹿と違い肉食且つ獰猛。鹿のくせに群れではなく単身で行動する。
こいつの恐ろしいところは、広い感覚域にある。数キロ先からでも獲物を見つけるやいなや、すさまじい速度で駆け寄り鋭い一本角で串刺しにする。
むろん弓は数キロも届かないため、こいつを狩るためには敢えて発見され、弓の届く距離になってからの急所への一撃が必要なのだ。
走り寄ってくる魔物へ狙ったところに矢を放つことなど容易ではない。
だがたった三年で俺は一端の狩人になっていたのだった。
「ふんがっ……。おもっ……」
百キロ近い魔物を八歳児が担ぐ。
自分ですら何の冗談かと思うが、容姿以外は色々才能に恵まれてしまったようだ。
きっとこれがゲームであれば見た目以外ステータス全振り。そんな感じだろう。
一ヶ月前から既に、日常的な狩りは全て俺に任されている。
狩りが俺に任されたことで、母はここ最近は毎日巨大な剣を背負い、どこかへ出掛けているようだ。
たまに傷だらけで戻ってきては、父や俺から治癒魔法をかけて貰っている。何をしに出掛けているのか両親に聞いても笑いながら俺の頭を撫でるだけ。
「まぁ、子供には言いにくい話なんだろうな……」
よいしょ、と一角鹿を背負い直し帰路に着いた。
■
自慢ではないが俺は生まれてこの方、家族以外の人間を一度も見たことがない。自分達以外の人間はいるのか、どこにいるのか。両親にそう質問したこともある。
その時の両親の答えは、俺が大きくなったらいつか人の沢山いる街に連れて行ってあげようとのことだった。家族以外に人類は存在するのだと安心したものだが、両親含む己の容姿を知っている俺は、人の多いところで暮らすのはまあ色々と大変なんだろうな……といらぬ心配をしてしまったものだ。
むしろ結構当たってるのかもしれない。
人は貪欲なまでに差別の対象を見つけたがるものだからだ。
まぁ、そんなことはいいとして。
家族が作ったもの以外の人工物を見たのはたったの一度だ。つい先々月ほど前に、やたらとデカイ鳥が我が家まで手紙を運んできた。
妙に珍妙な彩飾の施された箱に入っていたものは両親に宛てた小さな手紙。思えばそれから母の様子が少しだけ変わったように思う。
俺の見たことのない巨大な剣を持ち出し、素振りをするようになった。
そして俺の目の前には、人生で二度目の人工物が目に入っている。
「……なんだろうなあれ」
狩りの帰りに通る獣道。左を見れば見上げるような崖、右を見ればおちんちんがひゅんひゅんなるような崖。
要するに崖と崖の間にできた僅かな獣道なのだが。
右の崖下に、明らかに人が作ったであろう大きめのバックパックが目に入った。まるでここから放り投げたかのように、口が解け中身が散乱している。
もちろん、あんなバックパックは俺も家族も使っていない。となれば、答えはたった一つだろう。
おいおいおいおい……。
まさかとは思うんだけど、滑落したのか? この崖を?
俺は急いで担いでいた一角鹿を下ろし、覗きこむように崖下を見る。
――……いた。
幸いにも崖の途中にある僅かな岩場に引っかかるようにして気を失っている人が一人。だが如何せんここからでは生死すらわからない。
しかも、岩場に引っかかっているのが服のせいか、徐々にずり落ちるように服が破けている。このまま放っておけば落ちてしまうのは明白だ。
家に帰り両親に知らせるか?
いや、それじゃ間に合わないだろう。
もし死んでないのならここから声を掛けて起こしてみるか?
それも却下だ。気がついた途端、間違いなくパニックになりむしろ危険だ。
なら、やることは一つしかない。俺は罠用の縄を取り出し、片方を張り出した岩に、片方を自身の腰へと括りつける。
四つん這いになり、崖下を見るとちんちんがひゅんってなった。
だが怖がってる場合ではない。心を決め、崖の淵に手をかけた。
■
時を少しだけ戻そう。
「ナマケ! 遅れてんじゃないよ!」
「ハァッ……ハァハァ……はははいい!」
人が踏み込むのを躊躇うような険しい山を彼女たち、レディガン調査団は息も絶え絶えに登っていた。調査団などとついているが、団員はたったの三人。
隊長であるレディガン・スルーズ。副隊長であるロロー・レミ。そして今レディガンから厳しい叱咤を受け、”ナマケ”と呼ばれたミーム・チェインである。
団というのもおこがましい、このたった三人の調査団の目的は唯一つ。それは十年ほど前に突如として姿を消した、英雄ミミーナ・ボルトと慈父オーガル・ミシーズの捜索だった。
魔族との戦いの中、戦神オナールの如き苛烈さで数々の魔将を討ち取った英雄ミミーナ。彼女はその苛烈な戦い方からは想像もつかぬほど、繊細で可憐な容姿だったという。
そして傷つき倒れた味方を聖父マリオのような慈悲と優しさ。奇跡の治癒魔法の数々で多くの人を救った慈父オーガル。彼もまた、神話に出てくるかのような美男だったと人々は口にする。
激化の一途を辿る戦いの中、当然のようにミミーナとオーガルは愛を交わし、誰もが二人を祝福したかに見えた。
――だが二人は終戦直後に姿を消すこととなる。
なぜ二人が姿を消したのかは様々な諸説があるが、英雄ミミーナはその功績を讃えられ第二王子との婚約。慈父オーガルはその美しさと稀少な治癒魔法に目をつけられ、貴族から求婚が殺到したため。二人はそれから逃げるかのように身を隠したのではないかとも言われている。
実際のところどれもが噂の域は出ないのだが、誰もが知る有名人同士のビッグカップル失踪は噂が噂を呼ぶ事態となってしまったのだった。
無論、国は大規模な捜索隊を派遣。その結果も虚しく、結局見つからずに今に至る。
だが近年、魔物の活発化や複数からなる魔族の目撃情報の頻発や対処に追われる騎士団に、とある有力筋からの情報が入ったのだ。
かつての英雄と慈父は北の山に居る、と。
しかし国や騎士たちの腰は重かった。もちろんかつての英雄を尊敬する者も信奉する者も多い。
だが”今”国を、民草を魔物の手から守っているのは誰だ!
たった十数年、されど十数年。時代も人も移り変わり、英雄も慈父も御伽の世界に。
そうした背景もあり、情報の真相を確かめるために騎士団から編成され、派遣されたのはたった三人の調査団だった。
「ナマケ! 遅い!」
「はっ、ははい!!」
”ナマケ”
名前負け。略してナマケ。
知と美の神ミームからそのまま名を授かったミームだったが、その名前とは裏腹に、金の髪は細く滑らかで、スッと通った鼻筋に大きな瞳、長い睫毛と細い手足。知と美の神ミームの美しさとは正反対の成長を遂げ、生来のドモり癖は抜けず、ついたアダ名は名前負け。
悲惨の一言に尽きるが、ミーム自身、大それた名前を貰ってしまったことに後ろ暗い気持ちがあるのか、何を言われても、何をされても、愛想笑いを浮かべるだけになってしまっていた。
「早く来い!!」
「はははいっ!」
レディガンの再三の叱咤に、ミームは三つの荷物を背負い直し険しい岩肌を早足に登るのだった。
北の山の魔物は強い。凶暴なのは当たり前、そしてタチの悪いことに平地の魔物に比べて遠目からでも獲物を執拗に追いかけてくるのだ。ある生物学者に言わせると、これは平地よりも厳しい環境故に餌を逃さないよう感覚が広く進化した為だと言うのだが。
変化が起きたのは、調査団が切り立った崖を目の前にした時である。
最初にそれを見つけたのは副隊長であるロロー。
「隊長、あれなんですかね?」
「あぁん?」
ロローの指をさす方には動物か何かが動いているのがわかった。ここから見てもまだかなり距離は離れているはずだ。
鹿……、のようにも見えた。だが、ただの鹿でないことは、その動物が顔を上げた瞬間に、レディガンの背筋に走る悪寒で気付くことになる。額から一本、酷く鋭利な角が生えていたのだ。
「まずいな、一角鹿だ。この距離ならまだ大丈夫だろうけど……、一応進路を変えたほうがいいかもしれない」
「そうですね、私もそれに賛成です」
「おいナマケ! 私達の荷物を寄越せ! 持ってやる!」
「ははははい!」
自分の持ち物なのに「持ってやる」と言うのは如何なものかとロローは思った。しかしロロー自身もミームに荷物を持たせているため口は挟まない。
ミームから荷物を受け取ると、レディガンはもう一度一角鹿のいる方向を見た。
「ん? いなくなったな、どこかへ行ったのか?」
先ほどまでいた場所には、既に一角鹿の姿は見当たらない。しかし、その瞬間ロローの引き攣った声が辺りに響き渡る。
「隊長! あ、あっち! あっちから来てます!!」
ロローの震える指先にレディガンとミームはゆっくりと視点を合わせた。
そこには、ほぼ垂直に近いであろう崖をいとも容易く降りてくる一角鹿の姿。鋭く凶悪な視線は調査団の三人を既に視界に捕らえており、一目散にこちらへ目掛け突進してくる。
あまりに速く、あまりに力強い一角鹿の猛進に、未だ距離が離れているのも忘れレディガンは叫んだ。
「に、逃げろ! 急げぇぇっぇ!!」