乳と名前
執務室のドアを開けて入ってきたのは、成人女性一人と数えで十にも満たない兄妹二人だった。
フェーリスの目に、まず入ったのは成人女性の一人。
調査団出発前に声を掛けたときは、ひどくオドオドしていたはずのその女。ミーム・チェイン。
彼女は軍属だったところを、調査団派遣のためフェーリスに引抜かれた。
引抜かれた、と聞けば語弊もあるが、要するに危険を顧みず任務をこなす能力もあり、尚且つ失っても腹の痛まない人材として提供されたのである。
フェーリスに提出されたミーム・チェインの評価は以下。
体力:優
剣技:優
知力:不可
備考:対人能力に重大な難有り
この場合の知力にはコミニュケーション能力も含まれる。
謂わば性格に問題有りとして、軍にしてみても持て余す存在だったのだろう。
体力にも剣技にも優れておりながら人と人とのコミニュケーションが苦手なためにつけられた不可。
徹底した縦社会と、規律を重んじる軍ではミーム・チェインの性格ないし挙動は、軍においてふさわしくなかった。そういった厳しい評価とも言える。
だがこうして集められた問題児三人で、結成されたのがレディガン調査団なのである。
そんな問題児の一人であるミームだったが、今フェーリスの目の前で見せる立ち振舞は出発前とは百八十度違い、その瞳の奥にはまるで歴戦の勇士のような強い光を放っていることにフェーリスは違和感を覚えた。
「レディガン調査団ミーム・チェイン。ただいま戻りました」
ミームは右手の拳を胸に置き、フェーリスですら思わず「ほぅ…」と関心するような礼をする。
「ご苦労だった。大変だっただろう? 疲れているところ悪いが先に報告を頼む」
「はっ、我々レディガン調査団はニプリス山脈において一角鹿の襲撃を受け、散り散りに。隊長及び副隊長の安否は現在不明。現地の民間人に助けを借り捜索中であります」
ミームの報告の中、フェーリスは現地の民間人に引っかかりを覚えた。チラリとミームの後ろにいる幼い兄妹に目を向けるも、フェーリスの位置からはその姿までは確認できない。
「……続けろ」
「はっ。隊長及び副隊長の捜索に辺り、ヌルヌルンイルヌルヌンゴナンゴのため一時帰投。その際に民間人の要請により二名を保護しました」
「ヌルヌルンイルヌルヌンゴナンゴだと!」
ミームのその報告に、フェーリスの叫び声が室内に響く。
………
……
…
上京した田舎者のようにあちらこちらをキョロキョロと見渡してしまう。
ニプリス山の麓にある街ということで、俺は無意識に寂れた農村みたいなイメージをしてしまっていたのだが、実際にホゾの街を見てちょっとびっくりしてしまった。
ゴードンの伝書鳩は街の外壁の外に俺達を降ろし、そのまま王都へと飛んでいった。
見上げるほどの街を守る防護壁。
十メートルもあろうその壁を俺は首を上に向け呆然と口を開いている最中だ。
「お兄ちゃん! すごいねぇ!! 大きいねえええ!」
テンションが上がりっぱなしの妹は、幼女に似つかわしくない丸太のような腕を振り回しはしゃいでいる。
「こんな大きな街だったんですね……」
「ホゾの街は今マジックストーンラッシュ……、魔石の採掘に沸いていますからね。日々ハッテンしています天使様」
エスナンの効果のせいか、普段よりクールさが百倍も増したミームさんがすかさず説明をしてくれる。
非常にありがたいが、おかげで俺の心臓の毛もだいぶ生えてしまったことだろう。
いつかその代償を身体で払っていただきたいものだ。
「魔石……?」
「行きましょう天使様」
魔石とはなんだろうかという疑問もあったが、ミームさんが俺達の手を取って街の入り口へ歩き出したためその疑問は喉につかえたままになってしまった。
大人の身の丈よりも三倍ほどある巨大な門の前に俺達は今立っている。
「それで、身分証は落としてしまったと」
「そうだ、この二人の天使はそこで保護した。それと何度もいうように、今のあたしはニプリスの蒼い疾風……ブルーミール」
だからそんなカビたオートミールみたいな……。
身分証を無くし、そのことを門番に問われるミームさん。完全に開き直ったような態度だがこれはエスナンの効果も大きい。
そのせいで女性の門番の方々と揉めている真っ最中だ。
「何度も言うようだがこの街にブルーミールという人間は確認されていない」
「フッ……このあたしを知らぬとはな」
いやミームさん、貴女それ飛び立った時に勝手に自分で言い始めただけですよね?
この街の人は誰も知らないと思うんですけど!
「……もう一度確認してみる。少し待て」
しかしミームさんのあまりに自信満々な態度のせいか、門番はまたしてもブルーミールなる人物の確認に向かうため踵を返す。
このままでは足止めを食らってしまう!
そう思った俺は門番に声を掛けた。
「すいません門番さん! ミーム・チェインという名前で調べていただけないですか」
「……ミーム・チェイン?」
「そうです。ブルーミールではなくミーム・チェインという名前で登録されているはずなので」
俺がそう伝えると、門番達は何やら集まってぼそぼそと話し合いを始めた。
「……マケ……こと……な?」
「ナマ……言えば……ブサイ……見たことある……」
「一緒に……貴族の子息……もし……」
小声で話し合う門番はチラチラとミームさんと俺達兄妹を見る。
一方のミームさんはこれでもかという程の仁王立ちだ。
その美少女さも相まって、まるで某騎士王を連想させた。
「お前がミーム・チェインならばまぁ確かに確認出来んこともないが……」
「フッ……、何度も言ってるだろう? 今のあたしはニプリスを翔ける蒼い「ミーム・チェインその人です、この顔に見覚えがあるでしょう?」ールだ!」
ニプリスを翔ける一陣の風、ブルーミールという邪気眼全開な妄想に被せるようにして門番に問う。
門番達は互いに顔を見合わせ「ま、確かにそんな人相ならな……」と、やっとのことで通行を認めてくれた。
■
「庁舎に報告にいかなくてはなりません」
というミームさんの言葉に街に入った俺達は、着の身着のまま庁舎を目指した。
辺りを見渡せば、なかなか綺麗な町並みだ。道路は広く取られ、馬車や人々が往来し賑やかな雰囲気。
んー?
なんかやたらと女性が多い気がするなぁ。
そんなことを考えているうちに俺達は目的地に着いた。
街の中央に建つ庁舎、ここが市役所のような場所になるらしい。
「すごいねぇ!! 大きいねええ!!」
しきりに感心する妹の手を引きながら、建屋に入ると一人の受付嬢を見つけた。
「あたしはブルーミー「この方はミーム・チェインさん、調査団の一員らしいんですが責任者の方はいらっしゃいますか?」……天使様?」
「しょ、少々お待ちください!」
受付嬢の女性は、そのままパタパタと奥へと引っ込んだ。
俺はミームさんに向き直り、一つ助言をする。
「いいですかミームさん、蒼い疾風ブルーミールという真名は軽々しく名乗っていいものではありません。何かを為したその時に名乗るのがカッコイイんです」
「――!?」
その発想はなかった!
といわんばかりの表情をするミームさん。
……なんかエスナン中の彼女の扱い方がわかってきた気がする。
…
……
………
「お待たせしました。どうぞ中へ」
質素とも思えるドアを開け、俺達は執務室と書かれた部屋の中へと入った。
俺と妹も、ミームさんの後ろに着くように待機し、室内を見渡す。
本当に仕事のためだけにあるような機能的な部屋である。まだ建屋自体が新しいのか、木の香りが室内に漂い心地いい。
「レディガン調査団ミーム・チェイン。ただいま戻りました」
やだカッコイイ……。
胸に手をあて、足を揃えて敬礼をする彼女に思わず見とれてしまう。
「ご苦労だった。大変だっただろう? 疲れているところ悪いが先に報告を頼む」
艶のある声が響いた。
思わずハッとし、声の主へと視線を向ける。
「……――――に助けを借り捜索中であります」
褐色の肌に切れ長の瞳をミームさんに向け腕を組んでいる女性。
ミームさんが美少女だとするのなら、その女性は絶世の美女とも言えた。
簡易的な肩から掛けた青い服に身を包み、胸元がはだけているのが見える。
……でけえ!
何がとは言わないがでけえ!!
パンッパッンだパンッパッン!
何が入ってるんだってくらいパンパンだ!
その衝撃にしばし硬直。
あまりの神々しさに、拝み倒したくなる衝動を抑え、なんとか視線を上げると一部おかしなことに気がついた。
「……――――間人の要請により二名を保護しました」
「……――――ゴナンゴだと!」
耳が長い……?
髪の毛からはみ出た耳は尖っており、その先端ではピアスが光っていた。
耳が長くて、褐色といえば、ダ、ダークエルフ……?
ダークエルフだ!!
「……――――?!」
「……―――!」
間違いない!
一気にテンションが上がり、胸の中に埋め込まれた俺のロマン回路が唸りを上げた。
この世界へ来てよかった……。
そう思ったのはミームさんと出会い、そしてこのダークエルフとの出会い。
神がいるのかはわからないが、今この時だけは神に感謝したい。
「ところで、そちらの兄妹も紹介してくれるか?」
「はっ」
まずい、色々熱中しすぎて話を聞いてなかった。
俺が一歩前へ出ると、ダークエルフの女性は何かに気付いたようにハッとし、それから少しだけ顔を赤らめた。
「はじめまして……。ワタシはフェーリス・モルと言う。君達兄妹はニプリス山に住んでいたのか?」
「はじめましてフェーリスさん。そうです、あの山で暮らしていました」
「つ、つかぬことを聞くが、その……。ご両親の名前を教えてくれないか?」
両親の名前……だと……。
そう言えば、両親の名前も俺と妹の名前も聞く前に出てきてしまった。
これはいけない。なんて答えるべきか。
ミームさんの英雄話と照らしあわせても、間違いなくうちの両親はその英雄や慈父とやらではない。
「ハニーとダーリンです!」
俺が思考の海に陥っている間に、元気よく答えたのは隣にいる妹だった。
「そ、そうか……。違うのか……。そうだ、君達の名前も教えてくれるか?」
フェーリスさんの明らかに落胆したような声。
それもそのはずだ。英雄と慈父を探しにわざわざ調査団を派遣したのだから。
ところで俺達の名前を聞かれても答えられないんだよな。
両親はハニーとダーリンで呼び合っていたので、それをそのまま伝えればいいだけだが、俺達は息子や娘と呼ばれ……。
「はい! ピョンケルとシロコダインです!!」
――?!
い、妹……?
お前あの時起きてたのか……?
いやそれより! その名前はつらい!
主人公にあるまじき名前だ!
「い、いやフェーリスさんちが……」
「そうか、いい名前だな二人とも」
よくねぇよ!
訂正する間もなく俺達の名前が決まった。