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転生すれば俺も

 ボヤける視界に写る、大きな手が俺の頭を撫でた。

 その手から感じる愛しさと、慈しむような優しさは、まるで母に抱かれる幼子になったかのような錯覚さえ覚えてしまう。

 ふわりと、頬をかする羽毛のような感触。それがまた心地よく、暖かな体温を感じさせてくれた。


 俺は一体……どうなったんだっけ……。なんだろう、すごく……眠い……。

 ああ、そうだ。俺は……。


「ふふ、寝てしまったな……」


 声が遠くに聞こえ、そのまま俺の意識は霞の中へと消えていった。


 ………

 ……

 …


 輪廻転生を信じるかと言われたら、答えはノーだった。

 そう言った宗教を信仰しているのならば、イエスと答えたかもしれないが、残念ながら現代日本人の多くはこれといった宗教を信仰している人は少ないだろう。例に漏れず、俺もその手の人間だったものだ。


 だが輪廻転生があればいいと思うか? と質問を変えられたなら答えはイエス。

 輪廻転生を信じるか信じないかは別として、死とは恐怖であり、生を全うする中で不満のない人間は少ない。もしも、次の人生というものがあれば、それにすがりたくなる気持ちは誰にだってある。

 今の生を失う代わりに、新しい世界。或いは新しい環境。或いは新しい肉体で人生をやり直す。

 そういった生まれ変わりや変身願望とも言える欲は、人々の創作物といった形で如実に現れているのがわかるものだ。


 例えば前世の悲恋。お互い生まれ変わってからの新たな恋の芽生え。

 例えば世界を超えた魂の繋がり。召喚され新たなる環境での活躍。

 例えば来世への旅立ち。新しい世界と新しい肉体。


 そのどれもが、人の妄想として様々な創作物に現れる。


 誰だって主人公になりたいものだ。環境を変え世界を変え肉体を変え、今までの自分の一切をやり直す。

 そんな願望は必ずしも心の隅にあるものだと、そう思っている。

 

 主人公になれるのなら、俺だってなりたい。


 イケメンに生まれ変わり、チートとも言える力を与えられて美少女に囲まれて……幸せになりたい。


 なぜこんなモノローグなのか、そう聞かれたらこう答えるしかあるまい。

 俺は今まさに、生まれ変わりというものを体験している真っ只中であるからだ。


……

………


「ほんぎゃああああああぁぁぁ! ほんぎゃあああああぁぁぁ!」


 今の俺は乳児だ!

 見るがいい、この小さな手を!

 聞くがいい、この可愛らしい泣き声を!


 シモの世話をされるのは当初、屈辱的であったものの数日もすれば慣れた。

 そして乳児の体というものは思いの外すぐに腹が減る。

 数時間おきに乳を貰わないと飢餓感でどうにかなりそうだった。


 だから今、俺に乳を与えてくれと大声で呼んでいる最中なのだが。

 声を出そうとしてもバブバブしか言えないので、出来る限りの大声で泣きわめくしかない。シモの世話をされるのと一緒で、当初は恥ずかしかったものの、その羞恥も慣れたもの。有らん限りの声で泣き叫ぶ。


 そう、転生物の小説やなんかであれば、これから美しい母の乳に貪りつくところだ!


 うらやましいか?

 うらやましいだろう?


 しかし現実は厳しいものだった……。


 パタパタと小気味のいい音をさせ、巨大な何かが近寄ってくると、おもむろに俺を抱き上げた。


「はいはい、可愛い可愛い俺の天使……。オムツかな? それともおっぱいかな? なんだお腹が空いたのか……ほら、たんと飲んで元気に育つんだぞ」


 この野太い声の主は俺の父と思われる人物だ。顔も髭だらけで、まるで猪と熊を足して2で割ったものを、そのまま人間にしたかのような、とてもとても不細工な容姿。


 はっきり言おう。オークに似ている。

 もちろん前世での知識がベースになるんだが、これで髭がなく、肌が緑色だったのなら間違いなくオークとしか認識できなかった。


 俺は、そんなオーク似の父に丸太のような腕で抱かれていた。父が猫撫で声を出しながら俺をあやし、はらりと胸元の服を捲る。

 眼前に突き付けられているのは、逞しい胸板。そしてそれを覆う密林のような胸毛である。


 ゆっくりと、確実に近づいてくる父の乳頭、そこから白い液が出ているのがわかる。

 父乳だ。決していやらしい汁ではない。


 父の乳……なんつって。


 いやそんなバカなことを考えている場合ではない。


「ほら、飲まないのか?」


 顔を背ける俺に、父は無理やり白い液を吸わせようとする。

 胸毛に顔が覆われ、異臭……。むわりとした強烈な男臭さが脳を支配した。くさい。とてもくさい。


 しかし背に腹は変えられず、腹の減っている俺はそんな男臭い白い液体に口をつけ吸い始める。

 乳首の周辺の毛も一緒に口の中に入ってくるのが正直気持ち悪い。

 シモの世話も大泣きするのも慣れたものだが、こればかりはなかなか慣れそうにもなかった。


「んっ……///」


 一応、父の名誉のために言っておく。

 この一連の行為は、虐待ではないのだと。


 子供を育てるために必要なこと。

 元の世界。いや前世と呼んだ方がいいのかもしれない。

 前世では母の役割だったはずの授乳という行為だった。


 この世界に生まれ変わり、始めて感じた大きな手。あれは父の手だ。

 そして羽毛のような暖かな体温。あれは父の腕毛だった。


 不思議なことにこの世界。この家庭だけかもしれないが……。男女の役割は、前世と逆転しているように見えた。


 少なくともこの家庭は、母は食糧となる獲物を取りに山へ、父は子供と家を守る。

 そんな役割分担になっているのを、ここ数日の観察で結論付けることにした。


 普通なら!

 普通の転生物なら!

 美しい母親の胸に顔を埋めるはず!


 だが俺の輪廻転生というものは、雄臭い巨漢の男の乳首を、乳首毛ごと異臭に耐えながら貪るところから始まったのだった。



 ■


 授乳も一息つき、背中をトントン叩かれ気前のいいゲップをだしたあとに、前世からは考え付かないほど粗末なベッドに寝かされた。綿の入っていない、藁に布を被せただけのようなベッドである。

 この世界の生活水準からすれば、これが当たり前なのかもしれない。周りをみれば棚やテーブル、椅子ですら手作り感に溢れた家具ばかりなのだから。


 息をすると口の周りにこびりつく雄臭い香りが漂う。くさい。

 だが、やはり今の俺は赤ん坊のせいか、腹が膨れたらすぐに眠気がきてしまうのがせめてもの救いといったところか。


 ウトウトとし始めたところのことだった。


 外からズシンッズシンッ、と重量感のある足音。

 おそらく、俺の母が帰ってきたのだ。


「ただいまダーリン! 今日は大きなヒトデが狩れたわ!」


 ヒトデ?

 ヒトデって狩るものだっけ……。


「おかえりなさいハニー、なんて大きいヒトデだ! さすがじゃないか、今日はヒトデー料理にしよう」


 ヒトデー料理って。

 ヒトデって食えるのか?


 いまいちよくわからない会話に聞き耳をたてる。


「私達の可愛い天使はいい子にしていたかしら?」

「ああ、さっきおっぱいを沢山飲んだからな。今はすやすやと寝ているところだ」

「ふふ、なら可愛い寝顔を見にいこうかしら」


 そう母が言い、こちらに歩いてくる気配。歩くたびに床が軋む音がする。


 ぬっ、と俺に影が被さった。視界を埋め尽くす顔。


「ばぶっ」

「あら、この子起きてるわ!」


 美女と野獣という言葉がある。

 多くの物語において、例え男性が不細工でも、それに対するパートナーは美女という決まりがあるはずだ。

 得てしてそういった夫婦には、母親似の容姿のいい子供に恵まれる。


 それは決して揺るがない。まさに神が定めたルールとも言えよう。


 初めて父をみたとき、俺もそんな淡い期待があった。きっと母は美女で、俺はそんな母に似てイケメンに生まれたのだろうという淡い期待。


 俺を満面の笑みで覗き込む母。

 その笑顔はまさに朝青龍。


 何度見ても、完膚なきまでに俺の淡い期待を打ち砕く、そんな笑顔だったチクショウ……。



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