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第4部 いつまでも、一緒

 薄暗い廊下。壁には見るだけで吐き気を催してしまうほど気持ちの悪い絵画。後ろは永遠の闇。前は何もない。右にも何もない。左には?



 きっと、薄暗い廊下は普段なら明りが点いていて神秘的な空間を演出するだろう。

 きっと、壁にかけられた気持ち悪い絵画は普段なら素敵で心を揺さぶられるような素敵な絵画なのだろう。

 きっと、永遠の闇が続いている後ろは普段なら他のお客さんがいて、私のように絵画を見物しているだろう。

 きっと、何もない前は普段なら後ろと同じように人がいるだろう。

 きっと、何もない右は普段ならパパとママがいるだろう。

 きっと、左は普段なら――何もないだろう。



 では、普段じゃない今なら左には何があるのだろうか?



 私は気になってそちらを見る。そこには――。


「どうしたの? イヴ?」


 ――私の左手を握って首を傾げる貴方がいた。


(ああ、そうだった……)

 ずっと、私は貴方に救われてきた。助けられてきた。守られてきた。

 独りぼっちだった私と一緒に来てくれた。それだけでもよかったのに、貴方は私に優しくしてくれた。

「もう、変な子ね?」

 くすくすと笑う彼。顔は青ざめている。怖い物が苦手なようだ。

「ほら、早くこんな気持ち悪いところから出ましょ?」

 ぐいっと私の手を引っ張って彼が言う。

(貴方は……)

 それに素直に従いながら彼の大きな背中を見る。そして、想う。

(私の――)










「……」

 体を起こして虚空を見た。その次に時計を確認する。時刻は深夜3時。

「……はぁ」

 夢。あの時の夢。

(またか……)

 一人暮らしをするには少しばかり、広い部屋を見てため息を吐いた。そして、もう一度、ベッドに背中を預ける。

「ギャリー」

 ぼそっと彼の名を呼ぶが、それは部屋の中に響くばかりで何も起きない。

「……ふぅ」

 布団を引っ張って顔を覆う。真っ暗な世界がやって来た。それでも、瞼の裏には彼の姿。

(私って、こんな性格だったっけ?)

 自分でも知らなかった自分に戸惑う。1か月半前からどうも、私が私じゃなくなったような気分が抜けなくて困っていた。

「寝よ……」

 そう、呟いて私は眠りについた。











「あら、また来たの?」

 病室のドアがスライドされ、そちらを見るとイヴが立っていた。

「うん」

「全く……毎日、来なくてもいいのよ?」

「だって、心配だし……」

 2週間ほど前。アタシは10年前の記憶を取り戻した。しかし、その後の無理(『永遠の友達』を完成させたこと)が祟って体を壊してしまったのだ。そのため、病院に入院。それも期間は3週間だという。あまりにも長い入院生活に絶望していたが、こうやってイヴがお見舞いに来てくれるのならそんな生活も悪くないかもしれない。

「ただの過労だってば」

「そう、診断されただけでしょ?」

「まぁ、そうなんだけどね」

 医者は『過労』と診断した。確かに、あの頃は仕事も忙しくほとんど寝ていなかったため、そう判断されることも仕方ない事だと思う。でも、アタシとイヴはわかっていた。アタシが倒れた原因は10年前の記憶を取り戻したからだと。

「それで? 今日は何を持って来てくれたの?」

「今日はマカロンだよ」

「あら! イヴったら、イイ勘してるわね! 丁度、食べたかったの!」

 慣れた手付きで椅子をベッドの横に置いたイヴの手にはアタシが通うマカロンの美味しい店のロゴが描かれた紙袋があった。あそこに魅惑の果実が入っているに違いない。

「ギャリーに喜んで貰えてよかった」

「イヴが来るだけでも嬉しいのにまさか、マカロンまで来てくれるなんて! 日本ではこういうのって『カモがネギを背負って来る』って言うんでしょ?」

「うーん、そこまで日本には詳しくないからわからないかな?」

 少し苦笑気味に言う彼女。

 まだ、イヴには話していないが、どうしてここまでアタシの体が衰弱してしまったのか。一つだけ心当たりがある。

 それは『アタシが10年前の記憶を無意識に封じ込めてしまった』からだと思う。

 きっと、10年前のあの時。本来、ポケットの中に入っていた白いレースのハンカチを見た瞬間、イヴのことを思い出したに違いない。だが、アタシはそれを放棄した。イヴを思い出すということはあの怖い体験も思い出すことになる。それはアタシにとってとても辛い事だった。だから、本当に大切な物まで失くしてしまったのだ。

 そして、10年間の時を経てアタシは思い出した。しかし、10年という時間はあまりにも長すぎて記憶を思い出す時に体の一部を破壊してしまうほど、ダメージを受けてしまった。

 これがアタシなりに考えて導き出した答えだった。

「あ、そうそう。イヴに話があるの」

「え?」

 紅いマカロンを食べようとしていたイヴが不思議そうにアタシの目を見る。

「あの絵……『永遠の友達』、すごい評判がいいのよ」

「……もしかして、どこかに売るの?」

 どうやら、イヴは『評判がいい=高値で売れる=あの絵を売る』という式を組み立ててしまったようだ。

「そんな気は全くないわ! あれは宝物だもの! でも、写真を撮って同僚に見せたら……あれよあれよと色々なところに情報と写真が出回っちゃって、ね」

「あの絵はどうなるの?」

「どうもしないわ。どこかで発表するつもりもないし。アタシの家で輝き続けるわ」

 アタシの言葉で安心したのか、イヴがホッと安堵のため息を吐いた。

「でも、あの絵のおかげでアタシにたくさん、仕事が入って来たの」

「仕事?」

「そう! あの絵を見てアタシに是非、絵を描いてくれって言う人たちが出て来てね」

 昨日もこの病室で仕事相手の人と話をしたのだ。まぁ、今は入院中なのでしばらくは筆など握れないのだが、相手もそれは知っていたようでそれでも構わないと言って来たことには驚いた。

「やっぱり、ギャリーってすごい人だったんだね」

 目を輝かせてイヴが嬉しそうに言う。

「まだまだよ。今はチャンスが巡って来ただけ。これから、どうなるかわかったものじゃないわ。頑張らないと」

「でも、今は体を休めなきゃ。無理はしちゃ駄目だよ」

 先ほどまで嬉しそうだったのに今はムッとした表情でアタシを叱るイヴ。

「わかっているわよ……」

 その言葉は耳にたこが出来るほど聞いて来たのでそっぽを向いて頷く。こればかりは反論の余地もないからだ。

「ふふっ……」

 それを見てイヴがくすくすと微笑む。

「あ、そうそう。イヴ、ごめんなさい。実はこれから仕事の人が来るの」

「さっき言ってた人?」

「ううん。また、別な人。広告とかじゃなくて色々な人に絵を描いて貰ってそれを集めて、展示会を開きたいそうよ?」

「へぇ、それ何だか面白そう」

「でしょ? アタシもこの仕事は受けようと思ってね」

 色々な人が、自分の描きたい絵を描き、それを展示する。それは素敵なことだと思った。やはり、描くなら描きたい絵に限る。

「わかった。なら、もう行くね」

「ええ、助かるわ。マカロン、ありがとう」

「じゃあ、また明日ね」

「また、明日も来るの?」

「もちろん!」

 席を立ったイヴがニッコリと笑って病室を出て行く。

「……」

 それを見送り、彼女の姿が見えなくなった途端、体から力が抜けた。まだ、本調子ではないのだ。

(あの子の前だったら力が湧いて来るんだけどねぇ……)

 それは10年前もそうだった。怖かったけど、イヴと一緒なら怖くても動くことが出来た。


 ――コンコン


 そこまで考えていると病室のドアをノックする音が聞こえた。時計を見るとイヴが去ってから20分ほど経っている。少し、ボーっとしていたようだ。

「はい、どうぞ」

「すみません、ちょっと野暮用で遅れました」

 病室に入って来たのは中年の男性だった。

「大丈夫ですよ。どうぞ、おかけください」

 イヴが仕舞い忘れた椅子を勧める。

「ありがとうございます。お体の方は大丈夫ですか?」

 いきなり、仕事の話に入らない。この人はとてもいい人だとそれだけでわかった。

「ええ、順調です。ですが、まだ筆は持てないかもしれません」

「そうですか……無理しないように。あ、でも仕事を持って来た私から言えたことではありませんね」

 苦笑しながら男性。

「では、すみませんが仕事についてお話ししても?」

「ええ、構いません」

「ありがとうございます。先日、電話で話した通り、ギャリーさんに絵を描いて貰いたいのです。テーマは何でも構いません。自分の描きたい物を描いてくだされば結構です」

「えっと、それっていつまでですか?」

 この仕事で一番、気になっていた点を聞く。

「そうですね……まだ、この話は企画段階でほとんど決まっていないんですよ。なので、少なくとも半年は大丈夫だと思います」

「え? もしかして、この企画……最近、決まった物なんですか?」

「ええ、まぁ。ほんの1か月前ほどでしょうか?」

 それを聞いてアタシは吃驚してしまった。いつも、アタシに来る仕事は2週間から1か月の間に完成させなければならない物ばかりで、そこまで余裕があるとは思えなかったのだ。

「そんな段階でアタシに声をかけてもよかったんですか?」

「もちろんです! あの絵を見た瞬間に決めました!」

「……あの絵ってやっぱり、『永遠の友達』ですか?」

「はい、そうです」

 仕事相手は満面の笑顔で頷く。しかし、それに反比例するようにアタシの気分は落ちてしまう。

「? どうしかしましたか?」

 それに気付いた彼が質問して来た。

「……実は、あれアタシ一人で描いた物じゃないんです」

「え!? そうなんですか!?」

「はい……今日、話そうと思っていたのですが、あの絵に色を塗ったのは別の人なんです」

 アタシに筆を持つ握力が無くなってしまって、代わりに塗って貰ったと捕捉するのも忘れない。

「そうだったんですか……ですが、あの絵の下書きや配色は貴方が決めたんですよね?」

「え? あ、まぁ……」

「……もし、そのことで罪悪感を抱いてしまうのなら、その色を塗った人と一緒に描いてみてはいかがでしょう?」

「……はい!?」

 思わぬ提案に目を見開いて驚愕する。

「大切な絵を塗るのって他人にして欲しくありません。それは画家にとって当たり前のこと。しかし、あの絵に色を塗った人と貴方の間にはとても深い絆があるんじゃないんですか? それほど、信頼し合っているということだと私は思います」

 確かにイヴとは一言では言い表せない絆がある。

「でも、あの子にも聞いてみないと……」

「先ほども言ったようにこの企画はまだ、準備段階です。急がなくてもいいですよ。ゆっくり、相談してください」

「はい、わかりました」

「では、そろそろお暇させていただきます。今日はありがとうございました」

 そう言って仕事相手は慌てて病室を出て行った。まだ、仕事があるらしい。

(イヴと……一緒に)

「楽しそうね」

 イヴと一緒に1枚の絵を描く。それを想像するだけでワクワクした。









 薄暗い廊下。壁には気持ち悪い絵。後ろには永遠の闇。前には何もない。

「どうしたの? イブ?」

 右には金髪の女の子。

 左には――何もない。

「ほら! 早く、ここから出ましょ!」

 金髪の子が私の手を引く。

(でも、ギャリーが……)

 そこまで思ってハッとする。



 ――ギャリーって誰?













「っ……」

 ガバッと体を起こして周囲を見渡す。いつも通りの私の部屋だった。

「はぁ……はぁ……ふぅ」

 息を整えるために深呼吸。

(また、あの夢……)

 毎日のように見る夢。しかし、その内容はいつも微妙に違った。

「メアリー……」

 今日の夢にはあの子が出て来た。『永遠の友達』とそっくりなあの子。

 そして、夢の中の私はギャリーのことを忘れていた。

(何で、私……忘れてたんだろう?)

 夢の中の私に問いかけるも答える人はいない。

「寝よう」

 ベッドに背中を預け、布団に潜る。怖い夢を見ないことを祈りつつ――。


 でも、何より一番、恐かったのか夢の中の私がギャリーの存在を忘れていたことだった。









「え? 一緒に?」

 次の日、早速アタシはイヴに昨日の話をした。

「ええ! 一緒に描いてみない?」

「でも、私まだ絵は……」

 そう言えば、イヴは美大生。絵の勉強をしている真っ最中なのだ。

「イヴ! これはチャンスなのよ!」

「ちゃ、チャンス?」

「そう! デザインの世界って上手い下手はもちろんだけど、重要なのがキャリアなの!」

「キャリア?」

 アップルパイを切り分けながらイヴが首を傾げる。

「例えば、天才小学生が描いた絵とプロが描いたちょっと下手な絵。上手さはほとんど一緒。イヴ、貴女ならどっちの絵を使う?」

「そりゃ、プロの絵じゃない?」

「そう、それなのよ。この人が描いたからこの商品を買おうとか、この人の絵ならお客さんがたくさん、来るとか……そうやって、有名になった方がデザインの世界って有利なの」

「それは確かに……」

「そんでもって、今回のこの仕事の話! イヴは美大生なのにすでに絵の仕事が来てるの! これってすごいことなのよ!?」

 アタシの必死の説得を聞いてもイヴは微妙な表情を浮かべたままだった。

「だって、それはギャリーがいたからでしょ? そんなズルはしたくない」

「……アンタ、一つだけ勘違いしてるわよ?」

「え?」

「『永遠の友達』の下書きや配色を決めたのはアタシだわ……でもね? 絵って色を付けるのだってとても重要なことなの。筆の置き方や色を重ねる数、その他もろもろ。イヴじゃなくてアタシがあの絵に色を付けていたらあんなに素敵な作品にはならなかった」

 これは確信を持って言えた。元々、アタシは筆で描くのは得意ではない。最近、デジタルの仕事が多かったからだ。

「だから、あの作品はアタシとイヴの合作なの……わかる?」

「……うん」

「貴女、一生懸命に筆を動かしていたわ。あの子のことを想って……だからこそ、あんなに素敵な絵になった。アタシはそう思うの」

 いつの間にかイヴの手が止まっている。それでもアタシの口は止まらなかった。

「イヴ、お願い。もう一度だけ一緒に描きましょ?」

「……私なんかでいいの?」

「逆にイヴ以外と組むつもりなんてないわ」

 紅い瞳がアタシの目を見る。まるで、アタシの心の中を覗き込もうとしているかのように。

「……なら、一緒に描く」

「ホント!?」

「うん、アタシもギャリーと絵、描きたい」

「よかった! 頑張りましょうね、イヴ!」

「うん!」

 笑顔で頷いたイヴの顔にはもう、迷いはなかった。









 薄暗い廊下。見慣れた壁。

「……」

 もう、何度目だろうか? この廊下を歩くのは?

 ひたすら、歩いて、逃げて、休んで、また歩いて――。これを繰り返して来た。たった、独りで。

(誰も……いないの?)

 私がここに来てどれくらい経ったのかさえ、分からなくなって来た。いや、もしかしたら私は最初からここにいたのかもしれない。そう、錯覚してしまうほど、私の精神は壊れていた。

「誰か……」

 一人でに漏れた言葉に答えるように背後で物音がする。それは、決して私が望んでいた物ではない。

 振り返ると赤い服を着た女の絵が這い寄ってきている。その横には顔のないマネキン。

(また……)

 ため息を吐いて、私は走り始める。何もない闇に向かって――。









「……」

 美術館の夢。もう、この夢を見るのは何度目だろうか? でも、また内容が微妙に違う。

(私、独りだった……)

 ギャリーもメアリーもいなかった。私、独り。

 私があの美術館の世界に迷い込んですぐにギャリーに出会えたから良かったものの、本当にあんな場所で独りで居続けるのはものすごく辛いことだと思う。いや、辛いじゃすまされない。それこそ、精神が崩壊してしまうだろう。

「もう、本当に何なの……」

 この夢は私に何を伝えたいのだろうか。それこそ、どうして内容が毎回、違うのか。

 そんな疑問ばかり頭の中で駆け巡る。でも、その答えを持っている人などどこにもいない。

「はぁ」

 ため息を吐いて、布団をかけ直した。そして、すぐに眠りにつく。

 目が覚めたらギャリーに会いに行こうと決心して――。









「うーん! やっぱり、外の空気っていいわね!」

 ギャリーが入院してから約3週間。やっと、彼は退院出来た。自動ドアを潜り抜けたギャリーは両腕をうーんと空に向かって伸びをする。

「ギャリー、退院おめでとう!」

「ありがと、イヴ。アンタのおかげで入院生活も退屈しなかったわ」

「ううん、そんなことないよ」

 私はギャリーの顔が見たかったからお見舞いに来ていただけだ。

「握力も戻って来たし、やっと絵が描けるわね」

 そう呟きながら私を見て微笑む。本当に合作を描きたくて描きたくてたまらないようだ。

「なら、急いで家に戻らないとね」

 実を言うと私も楽しみで仕方ない。あの時は必死過ぎて何も考えられなかったからだ。

「そうね。それじゃ、行きましょ?」

「うん!」

 私たちは笑顔で頷き合い、ほぼ同時に歩き始めた。









「いい? アタシが話すからアンタは聞かれたことだけ答えてね?」

「うん、わかった」

 アタシが退院してから数日が経った。今日は例の仕事の話をするためにイヴを連れだってとある喫茶店にやって来ていた。

「それじゃ行くわよ?」

「はーい」

 待ち合わせは喫茶店の近くにある駅。喫茶店まで歩いて10分ほどだ。イヴにとって初めての仕事。もし、緊張していたらその間にお喋りして気を紛らわせようと思ったのだが、彼女はあまり緊張していないようだ。

「落ち着いてるわね?」

「パパがこういう仕事をしてたからミーティングの様子は何回も見て来たの」

「あら、そうだったの」

 しかし、それは杞憂で終わったようだ。

「……」

「イヴ? どうしたの?」

 そこでイヴの表情が優れていないことに気付いた。

「え? 何が?」

「何か、具合悪そうだけど?」

「そう、かな?」

 一瞬だけ言葉を詰まらせた。何かあったようだ。

「何があったの?」

「ううん、何もないよ?」

「……そう?」

 追究しようとしたが、彼女の困った顔を見てやめた。本当に話したくないことらしい。

(まぁ、イヴも女の子だし、色々あるんでしょうね……)

 それから他愛もない話をしながら喫茶店に向かった。








「ギャリー、いた?」

「待ってね……あ、いたいた」

 喫茶店は思いのほか、混雑していて仕事相手の人を探すのに手間取ってしまう。

「え? どこ?」

「イヴの背丈じゃ見えないかもね」

 10年前より大きくなったとはいえ、イヴの身長はアタシの肩ほどしかない。仕事相手の人は壁際にいるのでイヴの目線だと壁が邪魔になり、見えない。アタシは背が高いため、上から覗き込むような感じで彼の姿を確認出来たわけだ。

「それじゃ、行きましょ?」

「うん」

 もう一度、イヴの顔を見るがいつも通りだった。緊張もしていないし、先ほどみたいに具合も悪いらしい。それを確認して歩みを進めた。

「すみません、お待たせしました」

「あ、こちらこそ、退院したばかりなのにすみま……え?」

 アタシの声でこちらを見た彼は途中で変な声を漏らす。

「どうかしましたか?」

 それを不思議に思いながら彼の視線を辿るとアタシの隣にいるイヴに行きつく。イヴも驚いた表情を浮かべていた。

「ど、どうしたの? イヴ?」

 アタシの声が聞こえていないのか、イヴは何も反応を示さない。

「「……」」

 見つめ合う二人。アタシはただ、それを見守るしかなかった。

 そして、二人同時に呟く。


「……イヴ」「……パパ」


「……は?」

 それを聞いたアタシは間抜けな声を漏らすことになった。




「いやー、まさかギャリーさんのパートナーがイヴだったとは!」

 コーヒーが入ったカップを置いて仕事相手の人――イヴパパが大笑いする。

「もうパパ、はしたないよ」

「いやいや、すまん。まさか、娘と仕事の話をする時が来るとは思わなくて」

「もう……」

 イヴは少しだけ頬を紅く染めて紅茶を啜る。恥ずかしいようだ。

「アタシもまさか、イヴパパだとは思わなかったわ……」

「ギャリー、パパの名前を聞いて私の父親だと思わなかったの?」

「……あら」

 そこでやっと、イヴとイヴパパのラストネームが同じだったことに気付いた。

「全く……」

 イヴは不貞腐れてしまったようだ。

「ごめんなさいね」

「ふん」

「こら、イヴ。ギャリーさんに失礼だろう」

「だって……」

 微笑ましい親子の会話を聞きながら『イヴパパの前だとイヴもちゃんと子供になるんだな』とのん気に思った。

「では、気を取り直して仕事の話をしましょうか……って、あの絵に色を塗ったのお前か!?」

 一度は真面目モードに入ったイヴパパだったがすぐに素に戻ってしまった。

「そうだよ」

「お前が…………成長したんだな」

「……うん」

 え? 何、この空気。ちょっと置いてきぼりは寂しいんだけど。

「そ、それで? 詳しい話はどうなったんですか?」

 孤独感を抱く前に親子空間を破壊しにかかる。

「おっと、すみませんでした。準備は順調です。後は絵を描いてくれる画家を集めたり、会場を押さえたりすれば大丈夫ですよ」

「会場、まだ決まってないの?」

「ああ、これから決めようと思うんだ」

 それを聞いたイヴはアタシの目を見た。何かを訴えるかのように。

 アタシもイヴと同じことを考えている。

「あの、その会場なんですけど……2か月ほど前、ワイズ・ゲルテナ展を開いたあの美術館はどうでしょう?」

「え? あそこですか?」

「はい、少し小さい美術館ですが綺麗で、いいところなんです」

「まぁ、私もあそこには何度も足を運んでいますが……」

「パパ、駄目?」

「いいでしょう、そこに決めました」

 イヴパパ、ちょろい!

「それでギャリーさんはイヴと組むんですよね?」

「ええ、そのつもりです」

「イヴ、出来るのか? 美大に通いながら絵を描くって精神的にかなり来るぞ?」

 この言葉は仕事相手としてではなく、父親としての言葉だとすぐにわかった。

「大丈夫。私、ギャリーがいれば頑張れるから」

 イヴがそう断言する。ちょっと照れくさかった。

「そうか……期限は約3か月後です。準備がスムーズに進んだので最初に言っていた期間より短くなってしまいましたが、大丈夫ですか?」

「「大丈夫です!!」」

 アタシとイヴは同時に頷く。

「……二人の熱意はわかりました。では、よろしくお願いします」

「「はい!」」

 返事をしてイヴを見ると向こうもアタシを見て来た。そして、同じタイミングで笑顔になる。

「……」

 見つめ合っているとふとイヴパパから変な気配を感じ、チラ見する。そこには何かを悟ったような表情を浮かべてイヴを見ている彼の姿が目に入った。

(ん?)

 更にその表情の中に嬉しさもあれば、悲しさもある。寂しさもあれば愛しさもあるような曖昧な色が見えた。

(どうしたんだろう?)

「それでは、私はあの美術館の予約をしなくてはなりませんのでこれで。イヴ? ギャリーさんに迷惑かけるなよ?」

「私、もう大人だよ?」

「……そうだったな」

 そう呟いてイヴパパは去って行った。

「……?」

「ねぇ、ギャリー。どんな絵を描く?」

「そうねぇ……まぁ、それはゆっくり考えましょ? あ、そうだ! ミーティングもかねてお茶会しない?」

「する! ギャリーの家で!」

「え!? アタシの家!? いいけど……」

 まさか、イヴがそう言うとは思わなかったので吃驚してしまった。

「じゃあ、行こ?」

「ええ、行きましょ」

 どうやら、会計はイヴパパが持ってくれたようなのでアタシ達は喫茶店を出て、アタシの家に向かった。











 薄暗い廊下……ではなかった。

(え?)

 その時点で私は放心してしまう。珍しく、夢の世界にいるとわかっていた(このような夢を明晰夢という)ので、どんな恐ろしい体験をするのかビビっていたが、拍子抜けてしまった。

「ここは……」

 キョロキョロと辺りを見渡すと私の他にもお客さんがいた。そして、展示されているのはゲルテナ氏が手掛けた美術作品。そう、ここは10年前のワイズ・ゲルテナ展だ。

(じゃあ、この夢は……あの世界に行く前か出て来た後の?)

 念のためにポケットを探る。すると、そこにはギャリーが持っていたライターが入っていた。

(これ、ギャリーの!?)

 ならば、今は私があの世界から出て来た時の夢だ。更に私はギャリーのことを覚えている。つまり、このまま、ギャリーに会えば――。

「ギャリー」

 無意識の内にそう呟いていた。心臓がバクバクしている。体は9歳でも心はもう大人。今よりも若いギャリーを見たら私、どうなってしまうのだろう?

(……どうなる?)

 いや、どうもしないはずだ。だって、ギャリーは命の恩人で、友達。それは変わらない。それなのに、今私は何を考えていたのだろうか?

「とにかく、今はギャリーを探さないと」

 美術館では静かにしなくてはいけない。そのため、走るなど言語道断である。出来るだけ足音を立てず、尚且つ、早歩きでギャリーを探した。

「……いない」

 しかし、お客さんの中にギャリーの姿を見つけることが出来ない。そこまで混んでいるわけではないので私が見逃したか、もうすでにギャリーは帰ってしまったかのどちらかだ。出来れば、前者であって欲しい。

「よし!」

 もう一度、探し直そうと歩き始めた。そして、私は見てしまう。


 額縁の中に佇む紫色の髪の毛を持った男性を。


「……え?」

 最初は意味がわからなかった。その次に光の具合で絵の具が紫に見えているのかと思った。しかし、そんなことあり得ないと自己解決し、その真相を確かめる為にその絵に近づく。その絵が近づくにつれ、私の血の気が引いて行くのがわかった。

「う、嘘……」

 私の目の前にあるのは絵画。その両サイドにも絵がある。でも。しかし。だが――。

「ギャリー?」


 ――その絵画はギャリーだった。目を瞑って静かに眠っている彼の姿がそこに描かれていた。


「な、何? これ……」

 私は思わず、その姿に見とれてしまった。細身だが、意外に力がある体。男なのに綺麗な肌。眠っていてもわかる釣り上がった目。そして――。

「ギャリー……ギャリー!!」



 ――その腕に抱かれた花びらの散った薔薇。



 それが示す意味は私が一番、わかっている。そう、わかってしまっている。だから、だからこそ彼が今、どうなってこうなっているのかわかってしまった。

「ギャリー!! ギャリー!!!」

 絵画の世界に飛び込む勢いで私は彼の名を呼びながらその絵に手を伸ばす。


 でも、その手は届かなかった。


 手首を掴んでいるのは小さな手。私と同じぐらい幼い手。

「駄目だよ? 展示品に触っちゃ?」

 その言葉を聞いて私は背筋が凍ってしまった。ゆっくりとその声がした方を見る。

「ねぇ? イヴ、この絵が好きなの? 私は……嫌い。だって」

「ひっ……」


「貴女が私をこんなにした理由ってこの絵のせいでしょ?」


 私の手を掴んでいたのは全身が黒こげになりながら笑っているメアリーだった。








「はぁ……はぁ……はぁ……」

 目を覚ました瞬間の記憶がない。気付いたら、体を起こして息を荒くしていた。

「はぁ、はぁ……」

 駄目だ。いくら、酸素を取り入れても落ち着かない。治まってくれない。

(な、何!? 今の……)

 ギャリーが絵になっていて、メアリーが黒焦げで。

 あれじゃ、まるであの世界でギャリーもメアリーも死んでしまったかのような。

「っ!? ~~~~~~~~ッ!!」

 そこまで想像した刹那、凄まじい吐き気を催し――吐いた。夕食に食べた物が全て、外に吐き出される。ギリギリ、ベッドから顔を背けて床に吐いたのでベッドは汚れなかった。

「はぁ……はぁ……」

 ここまで来たらもう、異常である。この数日であの夢――いや、悪夢は私の精神を確実に蝕んでいた。

(これからなのに……)

 今日、私は講義がない。なので、一日中、ギャリーの家でパパが開催する展示会の絵を描く予定なのだ。

「はぁ……はぁ……すぅ~、はぁ~」

 何とか、落ち着きを取り戻す。そう言えば、悪夢のせいで最近、まともに寝ていない。

「うぅ……」

 その時、異臭に気付いた。そう、嘔吐物である。

「はぁ」

 ため息を吐いた私は嘔吐物を踏まないようにベッドから降りて、雑巾とバケツを持って来る。時計を見れば朝の4時。多分、今日はもう、寝られないだろう。それぐらい、すぐにわかった。









 はっきり言おう。イヴの様子がおかしい。

 先ほど、彼女が好きなオムライスを作ってあげたのだが、半分以上残してしまったのだ(その時、イヴはめちゃくちゃ申し訳なさそうな顔をしていたのでイヴの髪の毛がぐちゃぐちゃになるぐらい頭を撫でた)。それに化粧で上手く隠しているが目の下にクマがある。アタシにはお見通しだ。

「イヴ、何かあった?」

「……何もないよ?」

 なら、目を逸らさないで。

「何かあったんでしょ?」

「ないってば」

「そう、アタシにも言えないこと?」

「……うん」

「……そっか」

 なら、仕方ない。イヴは女の子である。男のアタシにも言えないことの一つや二つあるだろう。

「でも、何かあったら教えてね?」

「うん、ありがと」

「お礼は言うの良いんだけど……鉛筆、折れてるわよ?」

「え? あ!?」

 鉛筆の芯が折れているのに気付かなかったのか折れたまま、描いていたので黒い線ではなく透明な線しか引いていない。

「あー……やりなおしかな?」

「まぁ、そのまま、描いても色付けで失敗するわね。線が浮かんで見えちゃうし」

「はぁ……」

 ため息を吐きながらイヴはスケッチブックを捲って次のページを開いた。

 因みに、今やっているのはアタシ達が描く絵のアイディアを適当に描いて行く作業だ。アタシもイヴも良いのが思いつかなかったので思い付いた物を描いていいのがあったらそれを採用する、という作戦に出たのである。


 アタシは、イヴを描いています。


「ギャリーは何、描いてるの?」

「うーん、一番、好きな物かしらね?」

 ちょっと言葉を濁した。

「ギャリーの好きな物? レモンキャンディー?」

「何で、あんな物を描かなきゃいけないのよ。それ、完全に落書きじゃない」

「それじゃ、あの青いにんぎょ――」

「それ以上、言ったら例え、イヴでも容赦しないわ」

「ごめんなさい」

 こんな風にお喋りしながら絵を描くのは楽しい。

「……」

 だが、やはり喋っていてもイヴの表情は暗い。被写体なのですぐにわかった。

「イヴ?」

「ん?」

「大丈夫?」

「……え?」

「いや、何となくだけど……イヴに何か起こってるような気がして」

 これはただの勘だ。でも、今回は当たっているような気がする。

「何もないよ」

 引き攣った笑顔で言われても説得力なんざありゃしない。

 そう言おうと立ち上がった。その時――。

「あれ……」

 不意にイヴの手から鉛筆が零れ落ち、床に転がった。

「お、おかしいな……あ、あれ?」

 様子がおかしいことなど、一発でわかる。だって、どんどんイヴの顔から生気が抜けて行くのが見えたから。

「い、イヴ!?」

 アタシは持っていたスケッチブックを放り投げてイヴへ駆け寄る。

「ぎゃ、りー……」

 焦点の合わない目でアタシを見たイヴはそのまま、ぐらりと背中から倒れ始めた。

「イヴ! しっかりしなさい! イヴ!!」

 床と衝突する前に何とか、受け止めて体を揺らす。しかし、イヴはすでに気を失っていた。すぐにイヴの額に手を当てる。

「熱い……」

 すごい熱だ。息も荒い。体も震えている。これはマズイ状況だ。

「急がなきゃ!」

 イヴをお姫様抱っこでして一度、アタシが使っているベッドまで運び、寝かせる。

(さすがにこのまま、動かせないわね……)

 気絶するほどの熱となると外の冷気でも命に関わる。仕方なく、ここまで医者に来てもらうしかないようだ。丁度、アタシの知り合いに訪問診察をしている医者がいるので寝室で充電中だった携帯を掴んで電話をかける。

「もう少しの我慢よ、イヴ!」

 コールの途中で今にも花びらを散らしてしまいそうな彼女に呼びかけた。















 目を開けるとそこは美術館。薄暗くない綺麗な美術館。誰もいない美術館。

(誰もいない?)

 誰一人いなかった。パパも。ママも。受付の人も。他のお客さんも。

 それだけで寂しい気持ちになり、その寂しさが孤独になった。そして、最後に孤独が恐怖へと変化する。

「だ、誰か!?」

 9歳の私は慌てて、駆け出す。美術館で走ってはいけないのだが、そんな余裕、私にはなかった。

「誰か! 誰かいませんか!! パパ! ママ!!」

 頭のないマネキン。紅い薔薇の彫刻。紅い服を着た女の人の絵。吊るされた男の絵。

 私の声はここにいる美術品にしか届いていなかった。

「誰か……誰か、いないの?」

 怖い。怖い。怖い。怖い。

 一人になるのが怖かった。美術品を見るのが怖かった。美術館にいるのが怖かった。金髪のあの子を思い出すのが怖かった。薔薇を見るのが怖かった。薄暗いのが怖かった。明るいのが怖かった。怖かった。怖かった。怖かった。

 そんな恐怖心が私の精神を蝕み、どんどん思考する気持ちを削り取る。

(あ、そっか……考えなきゃいいのか)

 そうだよ。心さえなきゃ私は恐怖する必要がないのだ。

 それでいいじゃないか。だって、どうせ一人なんだから。誰も見ていないのなら私は存在していないのと同じ。ならば、心がなくたって同じだ。

「壊そう」

 そう呟いたら、目の前に紅い薔薇が現れる。その薔薇は枯れており、もう花びらは1枚しかなかった。

 この花びらを千切ればどうなるか。どうなってしまうのか、私にはわかっていた。

 だからこそ、躊躇なく薔薇を持ち、花びらを摘まむ。

「さよなら、私……」

 たった一人のさよならを聞いた私は指に力を入れて花びらを千切ろうとした。




「イヴッ!!」




「っ――」

 美術館の廊下に響き渡る声。そちらを見ると走って来たのか肩で息をした男の人が立っていた。

「ま、待ちなさいよ……」

 男の人が私を止める。

「貴方は、誰?」

 この質問をした途端、心がチクリと痛んだ。理由は、わからない。

「何よ。アタシのこと、忘れちゃったの? あれを一緒に体験したのに。アンタ、意外に図太いのね」

「え? ええ?」

 この男の人は私を知っている? あれとは一体、何だ?

「思い出して、イヴ。アタシよ。ギャリーよ!」

「ギャリー?」

 男の人の名前を呟いた途端、私が持っていた薔薇の花びらが1枚、増えた。

「そう、ギャリー! ゲルテナ作品たちが彷徨っていた地獄のような世界で一緒に戦った仲間で友達じゃない!!」

「仲間……友達……」

 また、花びらが増える。これで3枚だ。

「パパとママに会いたかったんでしょ! メアリーの分まで生きるんでしょ!!」

「パパ、ママ……メアリー……」

 花びらは4枚。

「アンタがくれたこのハンカチ! とっても嬉しかったの! アンタがアタシを助けてくれた! 孤独の中から救ってくれた!」

「……違う!」

「え?」

 私が反論するとは思わなかったのか、ギャリーは目を見開いた。

「私だって、貴方に何度も救われたの! 寂しかった私と一緒に歩いてくれて、優しくしてくれて、笑顔を向けてくれて、『一緒に出たらマカロン、食べに行きましょ?』って誘ってくれたこと!! 私、すごく嬉しかった!」

「イヴ……」

「ねぇ、ギャリー……もう、どこにも行かない? 私を独りにしない? 私の……私の傍にいてくれる?」

 5枚の花びらを付けた綺麗な薔薇を握りしめる。棘はなかった。

「ギャリー……お願い、独りにしないで。だって、私……貴方のことが――」













「――好きなの!!」













「うわっ!?」

 目の前にいたのは顔を紅くしたギャリーだった。

「……え?」

 私は意味がわからなかった。だって、先ほどまで美術館にいたのにいつの間にかギャリーの家にいるし、私の体も大きくなっているし、ギャリーも10年前よりもかっこよくなっていた。

「え? ええ?」

「きゅ、急に何言ってんのよ!!」

 顔を真っ赤にしてギャリーが叫んだ。

「えっと、ここは?」

「ここは、アタシの寝室! イヴ、熱で倒れたからここまで運んだのよ! でも、動かすのも危険な状況だからここに医者を呼んで診察して貰ったわけ!」

 そう言えば、最近、寝られなかった。そのせいで体力が落ちてしまい、風邪をこじらせて熱が出てしまったようだ。

「……あ、あの」

 正直、そんなことはどうでもいい。私には早急に確認しなければならないことがある。

「……何よ?」

「ギャリー、何か聞いた?」

「聞いたに決まってんでしょうが!! あんなにはっきりとした寝言、初めて聞いたわよ!!」

「ひぅ……」

 ギャリーはもうすごい顔になっていた。この顔を説明するために原稿用紙3枚ほど使うだろう。

「イヴ、最近寝られなかったんでしょ?」

「……え?」

「だって、目の下にクマ出来ていたし」

「え!? 嘘!?」

 メイクで誤魔化していたはずなのにばれていた。

「アタシにはお見通しよ……それにほとんど食べられなかったんじゃない?」

「うっ……」

 確かに、昨日は吐いてしまったし、大好物のオムライスだって残してしまった。今思えば、最近、あまり食欲がなかった。

「だから、アタシ、心配でずっと看病してたんだけど……突然、喋り出したのよ? この子、とうとう気でも狂ったかって思ったわ」

「な、何かギャリーの言葉が鋭利な剣のように私の心をズタズタに切り刻むんですが……」

「わざとだから、気にしないで」

「わざとなの!?」

 ギャリーさん、ご乱心です。

「そんなこと、どうでもいいのよ。何だろうって近づいたら……言う?」

「ね、念のためにお願いします……」

「……『ギャリー……お願い、独りにしないで。だって、私……貴方のことが――』」

「それ以上は結構ですので早急に口を閉じてください」

 駄目だ、もう私、駄目。

「何かの冗談かと思ったけど、その様子だと本音みたいね……」

「あぅ……」

 顔から火が出そうだ。消防の人が来ないことを願う。

「……ふふ」

 しかし、私は思わず、笑ってしまった。自虐的笑いなのかもしれないし、今まで悪夢を見ていた私を滑稽に思っているのかもしれない。

「どうしたの?」

「ううん、何でもない。ねぇ? ギャリー?」

 あの夢は確かに悪夢だった。いつも私は薄暗い廊下を歩いていた。

「ん? 何よ?」





「好きです。私と付き合ってください」





 でも、現実は違う。目の前には本物のギャリーがいる。私にとってそれだけでよかったのだ。それだけで、十分だった。こんなことにも気づかないなんて私は相当、バカだったみたい。

「……ええ。こちらこそ、お願いするわ」

 一瞬、目を見開いたギャリーだったが、すぐに微笑んで頷いてくれた。

「何だか、ここまで来るのにものすごく、遠回りしたような気がするの」

「あら、奇遇ね。アタシもよ」

「でも、私はこれでよかったんだと思う」

「どうしてかしら?」



「だって私、今、笑ってるから」



 こうして、私たちは恋人となった。












「おお……」

 男は思わず、感嘆の声を漏らしてしまう。

「これは」

 言葉を失ってしまうとはこのことだろう。そう思いながらその絵を凝視する。まるで、いつまでも記憶に残しておこうとしているかのように。

「おや? 貴方もこの絵が気になったのですか?」

 不意に横から声をかけられる。そちらを見ると胸のところにこの展示会を企画した人と同じ名前が書かれている。つまり、この人がこの展示会を企画したのだろう。男はそう、思った。

「ええ……すごいですね」

「私もこれを見た時は目を疑いました。ここまで心に響く絵があるのか、と」

「俺もそう思います……ここに来たのは本当に些細なことだったのですが、この作品を見るために今日まで生きて来たんだなって思ってしまうほどです」

 因みに男がこの展示会に来た理由は友人がこの展示会のチケットを持っていたのだが、用事で来られなくなったため、譲り受けたという本当に些細なことだった。

「知っていますか? この絵、一人で描いた物じゃないんです」

「え!? だって、これ……」

「ええ、そうなんです。この絵を描いた人たちは、本当に素晴らしい人たちです。だって……」

 そう言いながら企画者は幸せそうにもう一度、絵を見る。



「こんなに好きな人を美しく描けるなんて素敵だとは思いませんか?」



「……はい」

 男も頷いた。

 最初は合作だとは信じられなかった。でも、今は断言できる。

 この絵は二人で描いた物だと。それだけではない。描いた二人は恋人同士で、お互いに描き合いっこしたのだと。

 男が女を描いて、女が男を描いて。

 そうじゃなければ、ここまで美しくお互いを描ける人など、いない。

「恋は盲目と言いますが……これは良い意味で盲目ですね。お互いの良いところも悪いところも全て、受け入れた上で描いたって感じがします」

「おお、そこまでわかりますか! 実は……これを描いたのは私の娘でして」

「えええええ!? じゃあ、この綺麗な女の人は!?」

「はい、私の娘です」

 企画者は照れながら肯定した。それを聞いて男は驚いてしまう。

「そうですね……貴方とはいいお話し相手になれそうです。どうですか? この近くに美味しいマカロンの店があるんですよ」

「俺はいいですけど……どうして、マカロンなんですか?」

「私の娘の恋人が大の甘い物好きでして私も連行されたんですよ」

「あ、そうだったんですか」

 男はそう言うとチラリと絵を見る。そこには幸せそうに笑っている男が描かれている。正直言ってこの顔で甘い物が好きと言われると疑ってしまう。

「そこら辺もお話ししますよ。とても面白いですよ? 私の娘とその恋人は。もう、運命と言っても過言ではないほど、貴重な体験をしているそうなんです」

「へぇ……じゃあ、その店でマカロンを食べながらゆっくり聞かせて貰います」

「では、そうと決まれば早速、行きましょう!」

 企画者は男を連れだって美術館を後にした。しかし、この2人がいなくなっても美術館に来た人は必ずと言っていいほどこの絵の前で立ち止まる。




 紫色の髪を持った男と、茶髪で長い髪を持った女。


 三白眼だが、不思議と威圧感を感じない男の目と全てを魅了してしまうのではないかと疑ってしまうほど美しい綺麗な紅い瞳を持った女。


 そんな二人が幸せそうにお互いを見つめ合い、微笑み合い、手を握り合い、愛を語り合っていた。


 それを祝福するかのように二人の周囲には花びらが散っている。詳しく見ればその花びらは薔薇の物だとわかるだろう。


 その薔薇の色は赤、青。そして――黄色の3色。


 その絵を見た人はきっと、全員が同じことを思うだろう。



『幸せそうだ』



 実際、二人は幸せだった。今頃、次の絵を描くために男の部屋で笑いながら手を動かしているに違いない。


 そして、この絵を見た人たちは思い出したかのようにタイトルを見る。





『いつまでも、一緒』





 それがこの作品のタイトルだった。


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