(7) 初恋
今は招平五年の四月だ。
俺が目覚めたのは三年前の招平二年。
力を失った大君が戦乱を嘆いて、平和を招くということで、招平という元号を採用したそうだ。
もっとも何の効果もなく、この国は大名、豪族、寺社、ありとあらゆる勢力が戦い続けてるらしい。
その戦乱がいよいよ、武連火村にも押し寄せてきた。
武連火村から南へ行くと、来萬村だ。
この来萬村も上瑠さんが開拓した村だ。
その南西にある度息村も同様だったりする。
開拓王だな。
その来萬村へは、行商人なら半分山道の街道を二日かければ到着する。
途中は野宿しないといけないから、五月~九月以外はまず誰も通らない。
まさに陸の孤島だった、武連火村は。
その代わり、治安は抜群にいい。
山賊など、一切でてこないのだ。
……こんなところに山賊がこもっても、獲物がなくてすぐに干上がるだろう。
注意するのは、熊、狼ということになる。
魔物が出てくる異世界でなくてよかったと、俺はつくづく思う。
街道は一本しかなくて、武連火村は関所を二箇所設けてある。
武連火村近くに街道の道幅が三間(約六メートル)ほどで、両横は崖になっている箇所がある。
関所はその箇所を土壁でふさいでいた。
壁の高さも三間で、真ん中には幅二間ほどの門を設けてある。
壁の前には幅二間深さ二間くらいの空堀を掘り、木造で幅約二間の橋をかけてあった。
そんな関所を約五十間(約百メートル)間隔で二箇所設けてあった。
万一の際、この関所を閉ざして、武連火村は守りに入る。
戦国時代だと小田原城や柳川城が、難攻不落で有名だった。
それほど大規模なものではないが、武連火村の守りやすさはいい勝負だと俺は思う。
たとえ十万の大軍でも、その利を生かせないのだ。
攻め口はこの関所のみ。
幅わずか三間のこの関所を突破しない限り、武連火村は落ちない。
ここに関所を作るように命じたのも上瑠さんだそうだ。
……完璧超人か、この人は。
その関所に、来萬村から十数人の村人が訪れたのだ。
家財道具一式を持って。
何でも、生活があまりに苦しいから、耐えかねたので移住したいそうだ。
関所から、じいちゃんの下にそういう内容の急報が入った。
それで、俺と父ちゃんが呼ばれたってわけだ。
「検分せねばならんな。大介、太郎、ついて参れ」
「かしこまりました、父上」
父ちゃんがさっと頭を下げるも、俺は面食らった。
「私はまだ子供ですが……?」
「太郎!」
父ちゃんが俺に注意するも、俺はじいちゃんから目を離さない。
どういう意味があるかは聞いておかないとな。
「太郎を呼ぶ理由を説明しよう。武連火村への移住を決断したのは、太郎が寒さをとりのぞいて、生活を楽にしてくれたのを聞いたからだそうだ」
「えっ……」
隣の来萬村にも俺のことが伝わってるのか。
行商人とか以外は、人の往来なんてないんだけどな。
「なので、太郎もついて来てもらう。よいな」
「かしこまりました、おじい様」
俺は頭を下げる。
そういう事なら、仕方ないだろう。
自分に関係があるなら、逃げるわけにいかないしな。
まだ少し寒いのに、チッ、めんどくせーな。
とかは一切思っていない。
じいちゃんと父ちゃんは馬で、俺と供二人は徒歩で関所に向かった。
馬といっても、競馬でみるサラブレッドじゃない。
もっと小さくていわゆるポニーだ。
体高は四尺(約百二十センチ)くらい。
がっしりしてて、寒さに強い。
武連火村にはぴったりの馬だ。
前世、日本の北海道で似たような馬の競馬があったような気がする。
馬に重い荷物をひかせて競争させるやつだ。
ダンジリ競馬だっけ? ドンジリ競馬?
前世のことなんて忘れても問題ないな、うん。
頑丈な代わり、サラブレッドほど速くないようだ。
もうすぐ、乗馬の練習もするんだよな。
次から次へとやることが増えるぞ。
チッ、めんどくせーな。
とかは、少し思っている。
くだらない事を考えながら、俺達は外の関所に到着した。
外の関所ってのは来萬村に近い方の関所だ。
まだ、村内に入れるわけにはいかないから、関所の外で待たせてたわけだ。
じいちゃんや父ちゃんが早速、関所の外で座らせた村人達を検分して聞き取りを行う。
俺は黙って横にいた。
特に口出しすることもないし。
子供にあれこれ言われても、相手の人は気を悪くするだろう。
ある瞬間、ほんの少し適当だった俺の脳に衝撃が走った。
移住を希望してる村人達の中にいた一人の女の子が、俺の目に入る。
とても綺麗な女の子だ。
大きくてくりっとした目、すらりと通った鼻筋、すっと上がった口角の唇。
色白で肩口まで伸ばされたさらりとした黒髪。
同い年の八歳か九歳くらいだろうか。
背丈も同じくらいだ。
俺はあの女の子を見ている内に、みるみる心拍数が上がるのを自覚した。
80、90、100、150……はいかないか。
(こんな綺麗な女の子が実在するのか……)
女の子を凝視していたのに気づき、やばいと思って、俺はちら見に変える。
景色、女の子、景色、女の子、景色。
チラッ、チラッ、チラッ、チラッ。
不審人物じゃねぇか。
とはいうものの、気になって仕方がない。
俺の中で囁きが走った。
天使はこう語る。
『なぁ、よく考えろよ。お前は前世だと二十三歳。中身は二十三歳なんだぞ。ロリはいけないよ。愛でるだけならいいとしても、本当に恋したらダメだ』
悪魔はこう語る。
『お前は今、八歳なんだ。前世は前世、今は今だ。相手も同い年くらいだろう。同い年なんだ。だから、ロリコンじゃない。むしろ、正常なんだ。このまま見過ごしたら、一生後悔するぞ』
俺の中で天使と悪魔が、無制限デスマッチを繰り広げる。
天使は早速、金属バットを持ち出して、悪魔に殴りつけた。
天使とは思えない所業だ。
悪魔はそれをひらりとかわし、天使にハイキックをぶちかます。
天使はバットを落として、よろめいた。
チャンスとみた悪魔が後ろに回って、バックドロップ。
ほぼ気を失った天使を、悪魔はジャイアントスイングでリングから叩き出した。
かーんかーんかーん!
俺の中で悪魔が勝利をおさめる。
『太郎、行動しないと女の子は手に入らないぞ。がんばれよ、グッドラック』
悪魔がウインクして消え去った。
よく考えたら、前世の俺は三次元でも二次元でも、かわいいとかきれいとかやりたいとかは思ったことがある。
でも、女の子を好きになったことはなかったな。
これが俺の初恋かもしれない。
「せっかくだ。太郎、意見を述べてみよ」
じいちゃんが俺に声をかけてきた。
俺は天使と悪魔の戦いに忙しくて、やりとりを聞いてなかった。
まぁ、意見というからには、この村人達を受け入れるかどうかだろう。
なら、もう俺の意見は決まっていた。
「義を見てせざるは勇無きなり。皆さんは我々に受け入れを断られれば、どこにもいけぬでしょう。武連火村で暮らしていただくべきです」
村人達の表情が一気に明るくなる。
俺はちらっと女の子を凝視した。
矛盾してるようだが、そんな感じだ。
女の子が笑っていた。
かわいーーー!
いやっほーー!
俺の顔はぽーーーっとなった。
「では太郎、どうやって養っていくつもりだ?」
じいちゃんが追撃をかけてきた。
「武連火家所有地を貸し出しましょう。冬の間、私は森林を暖めて、開拓できるようにいたします。冬の間に農地を切り開ければ、それを与え、武連火家所有地を返却してもらえばよいのです」
自分ではきりっとしたつもりで、意見を述べる。
これは、次の冬から実際にやろうと思っていたことだ。
肥料が不十分なまま、冬も栽培するより、新しく農地を開拓したほうがよいと考えていた。
「た、太郎! 所有地については殿の専権事項だぞ!」
父ちゃんが慌てたように言ってくる。
公の場なので、じいちゃんを父上と呼ばず、殿と呼んでいた。
じいちゃんがまたあの眼光で俺に襲いかかる。
しかし、今日の俺はひるまない。
俺にはあの女の子を村に招くという使命があるのだ。
「あくまでも私の意見にすぎません。殿が意見を採用するかどうかは別の問題ですが、きっと採用してくださると考えております」
「この者達を受け入れれば、来萬家とは争いになるかもしれぬ。それでも、なぜわしが採用すると思うのか、申し述べてみよ」
来萬家は来萬村を治めている。
身代は千五百石ほどだ。
実をいうと、上瑠様の三男が創設した家であり、武連火家とは縁戚であった。
もっとも、血が別れてから、四百年もたっている。
過去には何回も婚姻が結ばれてるそうだ。
じいちゃんのプレッシャーがすごい。
でたらめなことを言えば、殺されそうだ。
だが、俺には悪魔もついている。負けはしないさ。
「武連火村からは一人も逃散しておりませぬ。現在では人買いに人を売ることもなくなりました」
そう、俺が五歳、六歳の頃は、貧しい村人が何人も子供を人買いに売っていた。
五月~九月には、行商人の他に人買いもやってくるのだ。
俺はさすがに気がとがめて、じいちゃんに話をしたがだめだった。
この世界ではどうしても多産になる。
生まれてからすぐに亡くなる子供がいるので、何人も子供を生むようになる。
また、他に娯楽がないのも大きい。
夜となると、あれしかやることがないのだ。
なので、四人しか養えない家が子供をたくさん産んで、幼少で死ななければ養えないようになる。
じいちゃんいわく、そんな子供を全員養うだけの力は武連火家にはない、と。
俺はその言葉に反論できなかった。
事実だからだ。
極寒のこの地では生産性がどうしても低い。
冷害に備えて、倉に食糧を備蓄する必要もある。
養える人数に限りがあるのだ。
事実、六歳の時はやや冷害で、収穫高がおちこんでいた。
倉への備蓄がなければ、餓死者が出ていたかもしれない。
だが、ついに七歳の時からは人買いに子供を売らなくてもすむようになった。
千歯扱き、腐葉土の肥料、冬でも栽培できる農地、これらの効果が一気に出てきた。
武連火村は、今では実質二千二百石はあるだろう。
もう、この村人達を招き入れても何の問題もないのだ。
それに、前世の記憶がある俺には、あの女の子のことがなくても、逃散を出す来萬家によい感情は持っていない。
「そう、武連火村のように、領主には民によりよい生活を提供する義務があります」
どよめきの声が周りからあがる。
俺は一区切りして、周りの様子を確かめた。
父ちゃん含め、みんな、驚いてるようだ。
だろうな。
異世界とはいえ、こんな統治形式の国の考え方でもないし、言うべき言葉でもない。
当主候補の立場だから言えたけども、異邦人とかなら、絶対に言ってない。
最悪の場合、捕まって殺されそうだ。
でも、じいちゃんだけは驚かずに俺を見つめていた。
じいちゃんはどうやったら驚くんだろうな。
さて、続きの話をするか。
「なので、村人を逃散においやった来萬家に非があります」
「来萬家が悪だから、かくまうというのか?」
じいちゃんが口を挟む。
「いえ、善悪の問題ではありません。村人を逃散に追いやる来萬家と対立しても、怖くないのです。民の気持ちがそれだけ離れていれば、何もできないでしょう。手足がない頭など、敵にはなりませぬ」
さぁ、言い切ったぞ、おい。
これでじいちゃんが納得してもらわなければ、あの女の子が行ってしまう。
そうなったら、どうしよう。
俺がどきどきしながら、じいちゃんを見つめる。
ええっ!?
俺は驚いた。
じいちゃん、微笑んでるのか?
声をあげての笑いじゃないが、ほんの少し微笑んでるように、俺には見えた。
「太郎、そこまで言い切ったからには責任をもって、この村人達の面倒を見られるな?」
「はい、私が面倒をみます」
八歳の俺に面倒を見させるのかよ。
とはいっても、道理だし、いいきるしかなかった。
「よかろう。大介に助言を仰げ」
「かしこまりました。父上、お願いいたします」
「あ、ああ」
父上は狐につままれたような顔をしていた。
俺もよくわからんが、最高の結果だ。
面倒を俺が見るって事は、あの女の子の面倒は俺が見るってことだよな。
ひゃっほーーい!
かくして、村人達は入村を認められた。
村人達は口々にお礼を言ってくる。
俺は鷹揚に頷いた。
正直、おじさんおばさん達はどうでもよかった。
あの女の子が近づいてくるのを俺は待っていた。
お礼を言ってくれるのかな。
わくわくどきどき。
ついに近づいてきて、俺の前で止まる。
やっぱり、かわいい……
「どうも、ありがとうございました。太郎様」
女の子が頭を下げる。
「……いや、当然のことをしたまでだ」
「このご恩は忘れませぬ」
「いやいや」
俺は顔がにやつくのを必死で止める。
「見たところ、同じような歳だな。俺は八歳だが、いくつだ?」
「九歳になります。太郎様」
「そうか」
おお、九歳か。一つ上だな。
今のうちに聞いてしまおう。
「これからは私が面倒を見ることになる。名を聞いておこう」
「お初と申します」
「お初か、いい名前だ。よろしく頼むぞ」
「はい、よろしくお願いします」
ここらで、俺はきりあげた。
長話しすぎると、目立つだろうしな。
年齢も名前も聞いたし、今日はこれでいい。
それにしても、お初ちゃんか。
うんうん、名前もかわいい。
俺はまさに天にも昇るかのような心地であった。
◇ ◇
村への帰り道、武連火大介は父である権蔵の馬に横付けし、問いただす。
「父上、これでよろしかったのでしょうか? 塩の荷などを止められるかもしれませぬぞ」
心配げな顔をして、大介は心境を吐露した。
武連火村は塩などいくつかの品物を外から購入している。
来萬村への街道を止められると、厄介な事になるのだ。
「構わぬ。これでよい」
権蔵の答えは短い。
「……父上がそうおっしゃられるなら、問題ないのでしょう。ですが、私にも父上のお考えをお聞かせいただけませぬか」
大介は嫡男の太郎に接している時とは違い、切羽詰った表情をしていた。
「いずれ話す。話す前に見えてもらいたいものではあるがな」
「……不肖の子で申し訳ありませぬ」
「そう卑下するな。お主も太郎も見えておらぬ。だが、わしは見えていてもお主や太郎に及ばぬところがある」
権蔵は韜晦するような表情であった。
「どういう意味でしょう。父上、教えて下さい」
「お主は太郎をどう思う?」
「太郎ですか。かわいい我が子です。文武ともに資質高く、父として喜ばしく思っております。まさか仙力まで発現するとは思いませなんだが」
「神童、麒麟児、上瑠様の再来とも呼ばれておるな。そのことについては?」
「年にしてはできすぎておるように思えます。しかし、時には子供のように間が抜けております。弟の次郎や三郎も遊んでもらって慕っているようです」
父子は馬上で語らう。
権蔵の背筋は馬上であるにも関わらず、極めて安定していた。
「では、お主は?」
「太郎はすでに私よりも武連火家に貢献しております。ゆえにそう言われても不思議はありませぬ。ですがそれ以前に、太郎はわが子であり、かわいく思っております。不肖の身ではありますが、何かあれば、身を賭して守るでしょう」
真摯な大介に対して、権蔵は薄く笑う。
「太郎の仙力、お主の嫉妬心の少なさ、いずれもわしでは及ばぬ。人には人のよさがある。それを伸ばせばよい」
「……父上はまさか……太郎に嫉妬しておられると?」
言葉に出すのを少しはばかったが、大介は聞く誘惑に負けた。
「自分が幼少の頃に火の仙力を持っておれば、と考えたことはある。だが、むろん、太郎をどうこうするつもりはない。太郎はかわいい孫であり、将来は武連火の当主だ」
「……そうでありましたか」
「嫉妬せず、太郎の父親をやれるだけで大介は大したものよ。わしはお主を見損なっておった。すまなんだな」
「いえ、滅相もありませぬ」
大介は頭を下げた。
「これからは、お主にも働いてもらうことになる。心しておくがよい」
「かしこまりました、父上」
権蔵は大介から目を離し、前を向く。
大介は父の意をくみ、馬を後ろへと下げた。
大介は父である権蔵が何を考えているのか気になるも、父を強く信頼していた。
武連火権蔵は武連火家の頼もしき当主なのだから。