(2) 迫り来る冬
歩き続けると、ようやく星濡川が見えてきた。
唯一かけられている木造の橋の上から、川を見る。
川幅は五~六町くらいか。
一町は約百メートルくらいだ。
当然だが、正確な長さはわからない。
測量機器なんてもってないし。
きれいな水だった。
川底が透けて見える。
このまま飲めそうだ。
というか、飲んでいるようだ。
おっ、ぽちゃっと音がした。
魚が飛び跳ねた音だ。
何の魚かわからないが、いっぱい泳いでいた。
少し離れたところで、釣りをしている人達がいるなぁ。
俺もいつか釣りをしよう。
これだけ魚がいるんだ。
たくさん釣れるに違いない。
約四百年ほど昔、武連火家の当主だった武連火上瑠がこの地にたどりつき、開拓したらしい。
だから、武連火家は少なくとも四百年は続いていることになる。
この地に腰を落ち着けたのは、この星濡川があったからだそうだ。
ちなみに星濡川と名づけたのは、武連火上瑠さん。
生きていくためにも、稲作をするにも、水が必要だからなぁ。
なので、用水路をたくさん作って、田んぼに水を流している。
用水路……
俺は前世での嫌な出来事を思い出す。
忘れることにしよう。
過去は断ち切らないとダメだ。
武連火家はこの武連火村の領主で、石高は二千石。
米一石で人間一人を養える。
つまり、領民が約二千人いる土豪、豪族だ。
その領主になるのか。
責任重大だな。
だが、俺も成長するだろうし、きっと何とかなるだろう。
前世での就職は何ともならなかったな……
忘れることにしよう。
過去は断ち切らないとダメだ。
日が暮れてきた。
空が少しだけ、赤く焼けてきたなぁ。
うん、いい景色だ。
周り一面見渡しても、森と山ばかりだけど。
……ぱっと見、ここは孤立してるように見える。
だって、大きな街道とかないしな。
二千人しか住んでないなら、大きな商家なんて成り立たないだろうなぁ。
買い手がいなければ、物なんて売れないし。
俺はふと思う。
もしかして、超ド田舎じゃないのか、ここ。
シティーボーイの俺にとっては、都近くがよかったな。
娼婦とかもいるだろうし、成長したら、グフフ。
でも、今は戦乱がすごいらしいんだったか。
ここは平和そうだし、ここでいいか。
殺し合いなんて、嫌だし。
田舎だけど、ここは少なくとも、空気はうまい。
俺は深呼吸した。
最高の空気だな。
きっと、そうに違いない。
俺が清涼な空気を満喫していると、供の若侍が声をかけてくる。
「若様、そろそろ戻りましょう」
「そうだな。今日はありがとう。私は領内をよく知るためにも、これから視察を続けたい。また、よろしく頼む」
現状を把握しないと、何もできないからな。
「それがしでよければ、喜んでお供つかまつります。若様はきっと英主になられますぞ」
「おだてるな。では戻ろう」
「世辞ではありませぬぞ。では、先導いたします」
若侍の顔を見たが、けっこうマジな表情に見える。
五歳にしては大人びてたかな。
いや、これくらいじゃないと、じいちゃんに警策でびしっとやられるし。
前世の記憶が戻る前の俺は、何度も叩かれてたようだ。
といっても、力は加減してるようで、身体に傷跡は残ってない。
当たり前か。そうでなければ、児童虐待だし。
でも痛いのは嫌だ。いい子にしてよう。
あれって、座禅の時に使う棒だよな。
この世界にも座禅とかあるんだろうか。
時間ができたら、おいおい調べていこう。
まぁ、今日はこんなところか。
俺達は屋敷に戻った。
あれから、一週間ばかり過ごした。
一週間は七日、一月は三十日か三十一日、一年は三百六十五日って概念も地球と同じなんだよな。
わかりやすくていいな。
俺が出した結論はそれだけだ。
ちなみに習い事として経史が増えた。
簡単に言えば、歴史や一般教養の勉強だ。
俺が受けてる教育って、現代でいえば英才教育だよな。
五歳にしては、勉強量が多いし、拘束時間が長すぎる……
情報が仕入れられるのはありがたいけど、少し疲れるなぁ。
でも、背中を押してもらわないとだらけてしまう俺には、ちょうどいいかも。
ニート……じゃなくて家事手伝いになったのは、そのせいだし。
前世では「俺はやればできる」と主張してきたが、誰も信じてくれなかった。
今度こそ、やればできる子なんだって実証してやろうじゃないか。
やらないと、警策でびしっとやられそうだし……
さらに一週間ほどたつ。
かなり寒くなってきた。
まだ十月末だってのに、もう真冬みたいだ。
俺は一大決心をして、父ちゃんに提案する。
「父上、もう少し厚い衣はありませんか。寒くなって参りました」
寒いんだよ、とにかく。
俺は待遇改善を要求した。
「あるにはあるが、まだ十月だからな。十一月まで待ってくれ。でないと、父上に見つかれば、俺もやばいんだ。甘やかすなって言われてるし」
「……父上のお力でどうにか」
「なると思うのか?」
「……我慢いたします」
「すまんな。俺も寒いのを我慢してるんだ」
父ちゃんが苦笑する。
父ちゃんは親しみやすくて、口調も雰囲気も軽い。
なじみやすくてよかった。
全員がじいちゃんのようだと、俺はきっと萎縮していただろう。
やむなく、俺は我慢することにした。
風邪ひいたらどうすんだよ、と俺は叫びたかった。
十一月となり、さらに寒くなるが、冬用の着物が着られるようになったので、なんとか耐えられる。
でも、夜は間違いなく、氷点下をきってるぞ。
温度計なんてもちろんないから、正確な温度はわからないが。
囲炉裏や暖炉にがんがん、木炭をぶちこんで暖をとる。
……といいたいところだが、木炭は一日の使用量が決まっていた。
俺は室温を体感で二十℃以上にしたかったのに、夜になると推定で十℃前半くらいしかない。
寒すぎるぞ。
たまらん。
冷暖房完備の部屋に慣れていた俺にとっては、過酷過ぎる環境だ。
っていうか、十一月でこれなら、十二月や一月はどうなるんだよ。
死ねるんじゃないのか。
まぁ、俺は五歳だし、普通に老人も見かけるから、死なないんだろうが。
とにかく、俺は父ちゃんに対して、木炭使用量増加を求めて交渉する。
これは絶対に正統な要求だ。
俺はそう確信している。
「父上、木炭の使用量を増やせないでしょうか」
「俺もそうしたいんだが、父上がな……」
また、じいちゃんが壁となってたちはだかってきた。
予想はしていたが。
「そこを父上のお力で」
前も似たような事を言ったような気がする。
なら、答えも……
「どうにかなると思うか?」
やっぱりな。
そうだと思ったよ、畜生。
「……しかし、この寒さで風邪をひけば、その方が損失が大きいかと思います」
だが、俺はあがき続ける。
「そうだな。では、太郎から父上にそう申し上げてくれ」
丸投げかよ、ふざけんな!
「……私よりも父上の方が」
「いや、お前にはまだ甘いからな。俺も本当はもう少し木炭を使いたいんだ。お前の交渉に期待しているぞ」
「私には甘いのですか……?」
「ああ、俺はもっと厳しく育てられたぞ。今はまだ丸くなったほうだな。そういうわけでがんばってくれ」
……本当かよ。
あれで丸くなっただって?
眼光なんて、何人殺したかわからないくらいだぞ。
って、武士なんだから、それが当たり前か。
武連火家は南の土肥家に臣従している。
土肥家は約二万石くらいの大名で、時折、他の大名と戦っていた。
その際は、武連火家も動員を求められるってわけだ。
よくよく考えると、俺も戦場に行くことになるのか。
そんなの嫌だな。
土肥って奴も、ちんけな所領争いで戦いなんてやるなよ。
平和主義万歳だ。
やむなく、俺は書斎にいるじいちゃんと交渉することになった。
ダメでもともとだ。
寒さを何とかしたいという心が、俺を後押しした。
「おじい様、木炭の使用量をもう少し増やせないでしょうか」
「寒いのか、鍛錬が足りぬ」
じいちゃんのオーラが俺に襲いかかって来る。
俺は小動物のように怯えすくむ。
ここは戦場かよ。
「……風邪をひいてしまうと、より大きな損失が」
俺の声は細く小さい。
自分でも情けないな。
「風邪をひくのは鍛錬が足りぬからだ」
精神論の時代はもう終わったんだよ。
俺はそう主張したかったが、もちろん口に出してはいない。
やばい事になるのが目に見えていた。
「剣術の稽古を増やさねばならんな。それと翌年から弓術の稽古も始めるぞ」
やぶへびだった。
このくそ寒い中、外にでる時間がさらに増えるのかよ。
「文の方は問題ないようだが、武も磨かねばならぬぞ」
「……懸命につとめます」
「うむ」
俺はほうほうの体で退室する。
これ以上話し続けたら、もっとひどい事になりそうだ。
そして、ついに十二月となった。
外に出ると、日中ですら氷点下っぽい日がある。
寒い。
とにかく寒い。
ぶるぶるぶるっちょだ。
俺は家にひきこもりたいが、剣術の稽古では絶対に外へ出る必要がある。
室内練習場の完備を提案したかった。
絶対に通らない要求だろうが。
一月、二月はまだ寒くなるという。
ここはシベリアかよ。
俺はシベリア送りにされた方々の気持ちが、少しは理解できるようになったと思う。
スターリンは恐ろしい独裁者だな。
まだチートの兆候はない。
チートで何とかできないかと、俺はダメ人間のような事を考え続けていた。