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子守唄の音色(トーン)

 少女は、立っていた。白人としても異様な肌の白さ。そして、真っ白い肌と反比例するような黒い髪。その髪は見ようによっては虹色にも見え、普通の人と比べれば遥かに長かった。

 彼女の外見は、高校生になった程度の少女。しかし、それが彼女の種族の特徴であった。


「レイン……お腹がすいたんだから、仕方が無いよね。でも、あたしは何も悪くないのに、いつもいつも罪悪感に駆られるんだよ……」


 立ち尽くしたまま、哀しげに首を振る彼女は、腕の中のうす汚れたぬいぐるみに話し掛けた。

 しかし、ぬいぐるみは何も言わない。ただ、哀しげな瞳で主を見つめるだけ。少女の腕の圧力で、ぬいぐるみの顔が歪んでいく。

 ぬいぐるみのレインという名前は、彼女の母親が付けた名前だ。優しい雨が我が娘の哀しい運命を流してくれるように、と。


「とにかく、……血抜きはしなくちゃ」


 軽く頷いた少女はぬいぐるみの頭を愛おしそうに撫でて、優しくアスファルトの上に置く。暗闇の中で、少女の息遣いと水音。それだけが響く。

 しかし、しばらくするとドアが閉まる音がし、その瞬間から音という音全てが消滅した。



 ――そうしてまた、いつも通りの朝が来る。


「空は高く青く澄んでいる。なのにあたしは部屋の中……」


 これはこの地域の七不思議となっていた。澄んだソプラノの唄声が、廃墟となった屋敷から聴こえてくる。

 勇敢な少年少女たちが訪れたこともあった。しかし、帰ってきた子供たちはそのことを誰にも話せなかった。その部分だけ、全員記憶が無くなっていたのだ。


「いただきます」


 声の主は、羅江らえという。――何森羅江。

 羅江は手を合わせて優美に一礼する。そして、手掴みで物体を口に入れ、噛んで飲み込んだ。しかし、すぐに顔をしかめる。


「ああ……、やっぱり人肉ってまずい。人間って雑食だもんね」


 独り言を言う。もう、それは癖になっていた。ぬいぐるみ――レインに話し掛けるという名目の独り言。

 彼女は、自分が独りになったと心の底で気付いたときから、ずっと喋っているのだった。喋っている限りは独りにならない。だって、喋る相手がいるんだもの。そう自分を騙し続けているのだった。


「――どうしてあたしがこんな目に遭うの」


 歌声と一変した低い声で、羅江は窓の遠くの方の道を眺める。賑やかな学生、せかせかと歩く大学教授……全てが輝いて見えた。青空から降り注ぐ、眩しい光を浴びて生きられることが……羨ましくて、憎かった。

 ――あたしも、あんな風になりたかった。普通の人間として、平凡な人生を歩んで。……恋なんかも、しちゃって。どこからともなく風が吹く。割れた窓から入る風で、近くのカーテンが揺れる。


「……まま……」


 その、声にすらならないほどの微かな囁きが無意識だったのかは――本人にもわからない。


 息を吸って目を閉じる。そして頭を大きく振ると、目を開けた。その瞳に、先ほどまでの虚無感は無い。彼女の歌声のように綺麗で澄み渡った光。

 この瞬間から、羅江は無邪気な女の子に徹する。それが無自覚にしろ、彼女は道化になる道を選んだのだから。自分を騙して生きることを決めたのだから。


「――あれ?」


 羅江がカーテンに付いた埃を払おうとすると、窓の下にちらりと何かが映った。覗き込むと、黒っぽい物が落ちている。道に人はいない。ちょっとお洒落なタイル張りの道と黒い何かは、最初からそうであったように違和感が無かった。


「何だろう」


 階段を下りて重いドアを開けると、そこは外の世界。明るい太陽と透き通るような青い空が、真っ白い肌を突き刺す。彼女は、その明るさに思わず手をかざした。


「眩しい……」


 少し考えてから部屋に戻る。目的の物は、少し探すと見つかった。埃を払って帽子を被り、そしてまた下へ降りる。

 道路には、黒い細長い財布が落ちていた。振ってみると、チャリチャリと音がする。どうやら、中身は入っているようだ。中には、『壱万円』と書かれた紙が五枚と『千円』と書かれた紙が二枚。それと、小銭が数個。


「……お金、だよね」


 お金――つまり、これで物が買えるってこと。それは、ある希望を抱かせる。


「やった、これで人肉食べなくていいんだ……!」


 人肉はまずいし、やはり人間だから嫌だ。羅江としては豚や牛の方が食べることに抵抗が無いのだが、人間の方がそんなに騒がないし、不意打ちならすぐに殺せる。しかし、それはお金というものがあるだけで迷う必要が無くなる。


「最寄りのスーパーってどこだろう」


 羅江は小さく呟き、記憶の中のスーパーへ向かうことにした。



「ふんふふんふんふーん」


 こんな明るいときに外に出るなんて、何年ぶりだろうと羅江は考える。屋敷に住み着くようになってから、家を出たのは夜だけ、しかも人を殺すためだけだった気がする。


『先日、木葉大学が欠落種族という種族の存在を発表しました。欠落種族は最近異常に減少しており、今はほとんどいないそうです。発見したのは二十年ほど前で、木葉大学の教授が第一発見者だそうです』


 どこか――テレビから洩れてきた、ニュースキャスターらしい女性の声が耳に届いた。欠落種族という単語に、思わず記憶がフラッシュバックしそうになる。ふらっと軽い立ちくらみ。


「だ、だめだめ。こんなんじゃ」


 羅江は自分の肩を抱いて、スーパーに足を踏み入れた。



「えっと、カレーとご飯と、あとは冷凍食品かな……」


 たくさんの商品を前にして目移りしていると、かごの中はあっという間にいっぱいになった。体に悪いとは思うが、料理のための設備も整っていない。今し方かごに放り込んだものなら、室温で溶かせば食べられる。


「お願いしますー」


 重いかごをレジに乗せて、一息吐く。羅江は財布の中身を確認しながら、表示されていく値段を眺めていた。入れすぎた気もするけど、お金が足りなければ返せばいい。

 しかし、そんな呑気なことを考えている場合では無いことに気付いた。テレビで欠落種族のことは話題になっているのだ、自分に気付いてもおかしくない。多分、帽子を目深に被って、髪を中に押し込んでいたから気付かれなかったのだろう。肌だけを見れば、病弱な少女に見えなくもない。

 羅江は顔を青くさせて、会計が終わるのを待った。買うだけ買ったら、すぐ家に戻ろう。そして、もう外には出ないようにしよう。値段を言おうと顔を上げたレジのお姉さんと目が合った。


「五千七百三十――、その髪って……あなた、欠落種族?」


 レジのお姉さんは目ざとかった。帽子から出ているほんの少しの髪を見逃がさず、それと欠落種族を結び付けた。瞬間的に、羅江はレジを飛び出した。


「欠落種族って、……あ、待て!」


 隣のレジにいた中年のおじさんが手を伸ばしたが、羅江は軽くすり抜け、そのまま店の外へと走り出て行った。おじさんはしばらく唖然としていたが、すぐにかごを放り投げて追いかけ始めた。



 羅江は、自分は小柄だと自認していた。二十五歳ほどだというのに、十歳は幼く見られる。だからそれを活かして、狭いところばかりを通った。フェンスの隙間、細い路地裏。しかし、撒けたと思ってもすぐにまた違う人と出くわす。


「向こうに逃げたぞ」

「捕まえろ!」


 羅江を追っている人間の声は、全然遠くならない。ふらふらと陽炎のように彷徨うのが周りの声なのか、それとも、自分の頭の中なのか、それすらわからなくなる。


「もう、疲れた……」


 そもそも、彼女は普段外に出ないのだから、長時間走り続けることなんてできない。立ち往生したまま喘いでいるとある一人見つかってしまい、そこからは芋蔓式で、人間の群れに囲まれてしまった。


「さて、どうする?」


 若い青年は彼女を睨み付けながら、張りのある声で言った。見たところ二十三歳ぐらいで、彼女は親近感を覚える。そんなことを考えるような状況じゃないというのに。


「警察に引き渡すのが無難じゃない?」


 太っちょのおばさんは額から汗を垂らしながら男に言った。羅江は、だったらなんで追いかけたのと詰め寄りたくなった。買い物を中断してまで追いかけたのは、井戸端会議の話題が欲しかったからに違いない。


「みんな、近寄るな。欠落種族は精神力が強く、人間も殺せるらしい」


 誰かが発したその声で、人垣が一回り広がる。ひそひそとした話し声は、波紋のように感じる孤独感。


「そんな忌まわしいもの、早く殺してしまいましょうよ!」

「そうだ、殺してしまえ!」


 羅江はここで殺されることを覚悟した。しかし、人を殺した自分に微笑んでくれる神様なんていないと思った。地獄は住み心地のよいところだといいな……。そんなことをつらつら考えていると、凛とした声が後ろから響いた。


「待て!」


 羅江は顔を明るくさせて振り返った。しかし、それはすぐに絶望へと変わる。期待した分、地獄の底に突き落とされたように感じた。


「欠落種族の少女を、我々に引き渡してください」


 男は白衣を着ていて、胸には『木葉大学』と刺繍してあった。威厳のある声で、その人が木葉大学の教授だとわかった。欠落種族の第一発見者。この男のせいで自分たちはこんな目に遭ったんだと、羅江は唇を噛み締めた。

 少しでも期待した自分を呪いたくなった。口の中に鉄の味が広がる。


「ど、どうするんですか」


 羅江を追いかけ始めた中年が、馬鹿丁寧に問う。教授は穏やかに笑い、その笑顔のまま恐ろしいことを口にした。


「実験です」


 その台詞に羅江は息を呑み、その恐ろしさに拳に力を込めた。笑顔の仮面を付けた男を人間とは思えなかった。


「実験のためなら仕方ないよな」

「私たちの町に欠落種族がいるなんて恐ろしいものね」


 責任逃れのようにぼそぼそと聞こえてくる声。羅江は込みあがる怒りを抑えるために、わざと聞こえない振りをした。


「大丈夫ですよ、暴れなかったら痛いようにはしません」


 教授は顔に作り物の笑みを浮かべて近づく。自分のほうに伸ばされた手を反射的に払い除けると、教授の態度が急変した。


下手したてに出ていたら付け上がりやがって……来い!」


 問答無用で腕を掴まれ、腕に爪が食い込んで痛い。その痛さで脳が感情的になり、じわりと涙が滲む。教授の手を必死に振りほどこうと試みても、全く歯が立たず、却って彼のガソリンに火を点けるだけだった。


「嫌っ! 助け、――」


 羅江は必死に叫んだが、突然頭に衝撃を感じ、そのまま意識を失った。

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