開かずの森・5
翌朝、光則が目覚めた時昭弘と啓介の姿はなかった。
(どこへ行った?)
胸騒ぎがしていた。
その時、啓介がドアを開けて小屋のなかに入ってきた。
「起きたのか?」
「ああ、昭弘は?」
光則の問いかけに啓介は一瞬表情を暗くした。
「……外だ」
「外?」
「来いよ」
言葉少なに啓介は外へ連れ出した。
「どうしたんだ? 木でも切ってるのか」
啓介は答えようとしなかった。
啓介に連れられ、光則は小屋の裏手までやってきた。
「おい、どうしたんだよ」
何も言おうとしない啓介に光則は強い口調で言った。
啓介もやっと足を止めたが、相変わらず黙ったまま森の奥を指さした。
「うん?」
まだ眠い目をこすりながら、光則は啓介の指さした方向をじっと見つめた。
「昭弘!」
昭弘の体が上半身を残してすっぽり地面に埋まっている。
光則は慌ててじめじめとした森のなかを走りよった。昭弘の体は、昨日の滋と同じように地面と接している部分から大量の血が溢れ出している。
「し……死んでるのか?」
後からゆっくりとやってきた啓介に尋ねると啓介はこっくりとうなずいた。
「それだけの血ぃ流してるんだ。生きてはいないだろう」
「なぜだ? なぜこんなことに?」
「さあな、俺が起きた時にはもう昭弘はこうなってたんだ。おそらく木を切ろうとして朝早く起きてこうなったんだろう」
「く……食われてる」
「そう見えるな」
「そう見える? 見えるどころじゃない。完全にこいつは食われてる! 昨日の滋だって同じだ!」
「木が人間を食う? 地面が人間を食う? 誰がそんな話し信じる?」
「信じる信じないの話しじゃない! 現に目の前にあるじゃないか! 俺はあの木を切り倒すぞ!」
光則は小屋へ向かって歩き出した。
「おい、待てよ!」
慌てて止めようと啓介が肩を掴んだが、それでも足を止めようとしなかった。だが、突然、光則が立ち止まって振り返った。
光則の目に昭弘が見えている。その手がぴくりと微かに動くのがわかった。
「昭弘!」
再び光則は昭弘のところへ戻った。
「み……みつぅ……の……」
残った力を振り絞るように昭弘は顔をあげて口を開いた。その顔は死人のように青い。
「大丈夫か? 昭弘! 大丈夫か?」
「気ぃつけ……ろ……」
「何?」
昭弘はなおも一言二言光則にささやいた。その言葉が光則の顔をも青くした。
啓介は少し離れて二人をじっと眺めている。
ゆっくりと光則は立ち上がった。相変わらず苦しそうに顔を歪め、昭弘はじっと二人を見上げている。おそらくもう助からないだろうということは光則も昭弘本人もわかっている。
「どういうことだ?」
光則は真っ直ぐに啓介を睨んだ。
「……」
「おまえは誰だ? 昭弘をこんなことにしたのはおまえか?」
「そいつは何て言った?」
表情を変えないまま啓介は口を開いた。
「おまえが……おまえが昭弘をこんなことにしたと。本当か?」
「そ……いつ……け……けいす……け……なんかじゃ……ない」
息も絶え絶えに昭弘がつぶやく。その目はしっかりと啓介を睨み放さない。
「黙れ!」
啓介の声とともに昭弘の胸のあたりから鮮血が飛び散る。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁ!」
「昭弘!」
光則は苦しむ昭弘と啓介を見比べた。「今、おまえ……何をした?」
「……」
「おまえが何かしたんだろう!」
「化け……もの!」
啓介に向けられたそれが昭弘の最後の言葉となった。啓介の瞳が緑色に輝き、昭弘の体はいっきに喉元まで吸いこまれ、完全に首が切断された。
ごろりと昭弘の首が転がる。
「啓介!」
光則ももう昭弘に視線を向けなかった。あまりにも無残な姿になった昭弘を見たくないという気持ちと、背後に得体の知れない相手を置きたくないという気持ちがあった。
「答えろ! おまえは誰だ? 啓介じゃないのか?」
啓介はやっと表情を崩し、にたにたと不敵な笑みを浮かべた。
「横地啓介それがこの体の名前だ」
「何? それじゃ――」
「おまえたちは俺のかっこうの獲物となってくれたんだ」
「獲物だと?」
「俺はかつて自由に動き回れる存在だった。自由に動き回り獲物を自分で捕ることの出来る存在だった。それなのにある日、一人のくそ坊主めが俺をこんなところに封じこめやがった。それ以来、俺はここへやってくる奴らを餌にするしかなくなったんだ。しかも月の力を借りて、一年に数回だけだ!」
「……」
「だが、人間たちめ、俺が獲物を捕れる時にはなかなか現われやしない。おまえたちのような餌がやってきたのは久しぶりだ」
「それじゃ……啓介は」
「この男はおまえたちが最初に現れた夜に取りついてやったんだ。別に一気におまえたちを食らっても構わなかったんだが、俺も久しぶりの獲物だ。楽しみたかったんでね」
啓介、いや、啓介だったものの目が爛々と赤く輝き出している。それはすでに人間のものではなくなっている。
「おまえはいったい……」
「この森が俺だ。貴様も今すぐにこの森の、この俺の餌にしてやる」
髪が草木のように震え、その手は根のように形を崩し広がり出す。
「化け物め!」
光則は啓介を裂けるようにして、小屋目掛けて走った。風もないのに木々がざわざわと騒いでいる。
(くそ!)
完全に木の妖怪と化した啓介は余裕なのか、ずるずると根を引きずるようにゆっくりと光則の後を追い小屋へ向かった。
(どうすれりゃいいんだ?)
小屋まで戻ったのはいいが、どうすればいいのか見当がつかない。地面が微かにうねっているように感じる。
ミシミシと小屋が軋んでいる。
(森が俺を食おうとしてる……ちくしょうぉぉぉ!)
恐怖よりも悔しさがあった。
「みぃつぅのぉりぃぃぃぃぃ!」
窓から啓介が覗いている。
「ひぃ!」
思わず拳銃を抜き、啓介に向けてぶっぱなした。弾丸は窓ガラスをつき破り、啓介の目を破壊した。
「ひぃひぃひぃひぃ! 無駄! 無駄! 無駄ぁ!」
目から緑色の血を流しながら、啓介はにたにたと笑った。小屋の隙間から木の根のようなものがあちこちから侵入してくる。
「な……」
「吸い取ってやるぅぅ。おまえは血を一滴残らず吸い取って、それから頭から食らってやるよぉ!」
(やられる!)
滋や昭弘の最後の姿が脳裏に浮かぶ。目の前にいる啓介もすでに彼自身ではなくなってしまっている。
――この森が俺だ。
(森……か……)
ふいに小屋の隅に置いてある灯油缶が目に入った。
(そうだ!)
光則は灯油缶に飛びつき、急いで灯油を小屋中に撒き散らした。それを見た啓介の目に焦りの色が浮かび、小屋から侵入した根は速度を早め光則に絡みついてくる。
「食ってやるぅぅぅ!」
「やかましい! この化物め! きさまなんかに食われてたまるかよぉ!」
根を引きちぎりながらなお、灯油を根にもかけ続ける。
「燃やすつもりぃかぁぁ! そんなことをして生きていられるぅとぉ?」
「ああ、この森全てを燃えて灰にしてやるよ。幸いここんとこずっと雨が降っていねえんだ。よく燃えるぜ!」
そう叫びながら光則は油まみれになった床に発砲した。炎が一瞬にして小屋を包む。
「ギャァァァァァァ!」
森全体を揺るがすように啓介の悲鳴が聞こえてくる。小屋に差しこまれていた根を伝い、炎が啓介を巻きこんだのだ。啓介だけではなかった。乾き切っていた森の木々に小屋の炎は簡単に飛び火した。
「ざまみやがれ!」
光則はそう叫ぶとドアを破り、小屋を飛び出した。自分が宣言した通り森が真っ赤に燃え出している。
(今なら逃げられる)
森が炎に襲われている今ならば、この森から逃げることが出来るということを本能的に悟っていた。
光則は炎に包まれている小屋を尻目に車に飛びこんだ。
「逃がさんぞぉぉぉぉ! きさまは決して逃がさんぞぉぉぉぉぉぉぉ!」
激しく炎をあげている小屋から声が聞こえた。
そんな声を振り切るように、光則は車を発進させた。盗んだ金が灰になるのは惜しかったが、それでも命にはかえられなかった。
バックミラーに森が炎に包まれていくのが見えた。
(終わったんだ……)
光則は森に別れを告げた。
持っていた拳銃により光則が警察に捕らえられたのは、それからわずか二日後のことだった。
警察の事情聴取に光則はあの森でのことを話したが、当然のように警察は信じようとはしなかった。ただ、警察の調べにより火事の跡から3人ほどの白骨死体が発見された。
仲間割れによる殺人。それが警察の見方のようだった。
だが、光則にとってそれは些細なことに過ぎなかった。3人を殺したこと、森に火をつけたこと、どんな罪であろうと恐怖を感じることはなかった。
もっと大きな恐怖が光則を襲っていた。
右の腕に蜂に刺されたような小さな跡がある。そして、その跡から小さな木の芽が出ている。
牢のなか、光則はぼんやりとあの声を思い出す。
――逃がさんぞぉぉぉぉ! きさまは決して逃がさんぞぉぉぉぉぉぉぉ!
あの時の啓介の姿。
それが自分自身に重なって思えた。




