第八話 平穏の幸せさ
こんにちは、ふぇにもーるです。早くもラスボス(笑)登場。最高の超展開をお約束いたします。物語は不可逆。
(良く考えろ。これはチャンスでもあるんだぞ、頑張れよ俺)
十五歳のシュバルトにとって、異性の住まう場所というのは禁断の花園のようなものだった。背徳的ながら、そこに侵入できるかもしれないチャンスを逃すのかと、自らに渇を入れる。あっけらかんと笑う目の前の女子に対して、今は邪な感情は無い。けれども、興味が無いわけもなかった。
恐れ多くも、イティアの機嫌を取るように面白そうな話題を振っていく。
「あいつさぁ、いっつも会う度に『疲れた疲れた』って言ってんだよ。疲れてない日は無いのかよってカンジだよな」
「わは」
小さく笑うイティア。
「ならご自由に、一生疲れた人生過ごせばいいんじゃない」
他人を軽くいじると、イティアは軽くブラックジョークで返してくる。まだ会って日は浅い。互いの事も良く分かっていないため、言うなればまだ腹の探り合い状態に近い。
「そういえば、あの生徒会長。留年何年目なのかしら」
「本人が聞いたら怒るぞ」
「わはははは」
声高らかに笑う。明るいといえば明るい。だが、皆と一緒に居る時にはここまで底抜けに笑う事は無かった。いつもは花の咲くような朗らかな笑顔。
二人きりになってから、本当の姿が出てきたのだろうか。社会の前で出す顔は彼女の本当の顔ではないのかもしれない。プライベートの顔を見た気がしたシュバルトは、何だか嬉しそうに顔をほころばせた。他の友達にはまだ見せていない、自分だけに見せてくれた笑顔。何か独占できているような気分になる。
夜も遅い。街灯も少なくなってきた。既に閉めている店も多い。深夜営業をしている酒場も、既に終わっている時間だ。明かりは少ない。周りを歩く人達も姿を消し、いつの間にか世界は二人きりになっていた。
イティアは小さく呟いた。
「学校最強程度で竜出して自慢だなんて小っちゃい男だなぁ。神と比べればクズなのに」
「ん、何か言った」
「わはははははははは」
シュバルトは隣を歩く彼女に対して瞬間的に異様な不気味さを感じ取った。
(何だ、気持ち悪いな)
その時、イティアの右手の細い指がシュバルトの左手に絡み付いてきた。指を交互に這わせ、固く結ばせる。気付いた時には、シュバルトの手は気味が悪いほどの温もりを持った手によって雁字搦めにされていた。しかも両手で握られている。
「はぁ、シュバルト君の手はあったかいなぁ。ごつごつしてて、大好き」
舐め回すように両手の指をシュバルトの左手に這わせる。平と甲、爪の間に至るまで触り通し、ゾクゾクするような感覚に襲われた。遂に耐え切れなくなり、シュバルトは左手を彼女の両手から引き離した。
「イ、イティア何なんだよ。お前さっきからおかしいって」
「なにが」
残念そうに欲しそうに、シュバルトの手を再び握ろうとする。
「やめろって」
「ねぇ女子寮、行こう。私と楽しいコトしよっ。シュバルト君だけはと・く・べ・つ・ダ・ヨ・っ」
底抜けに明るい表情には、笑顔が張り付いていた。だが、気持ち悪いほどにニヤついているそのイティアの顔は、今までの彼女とは何かが違っている。
「うわぁ」
今までイティアの手を握っていたシュバルトの左手。ふと目を向けると、手の平には夥しい量の血が付いていた。
「な、なんだこれ。誰の血だよ。俺は怪我なんかしてないし、イ、イティア……」
「わは……」
イティアを一瞥すると、彼女は笑みを浮かべていた。直後口元がにんまりと裂けたように広がる。
「わははははははははははははっ」
夜空を仰ぎ、吠え猛るように笑い散らした。楽しくて楽しくて仕方ないといったように。
「だって、あいつらが格好いいシュバルト君をいじめるのがいけないんだもん。あたしの未来の旦那さんを傷付けたあいつらがいけないんだもん」
シュバルトの脳裏に、先ほどのおぼろげな記憶が蘇ってきた。
「《Ernstbedienung》!」
キラとアヤナ。最低位と最高位の二人組みのカップル。理由は不明だが、先ほど肉の串焼きを販売していた店主に突如襲い掛かった。それを止めようと通りがかりのシュバルトはMIDを用いて魔法を発動させた。
二人は、そんなシュバルトにまで襲い掛かった。キラに倒され、シュバルトは力尽きた。首筋に爪を当てられて、その後記憶がすっぽり抜けている。
次に意識がしっかりしたのは、二人が姿を消して道端に一人倒れていた時だった。訳も分からず気持ちの悪いほどに一人笑みを浮かべていたのを自覚していた。倒れながら笑い始め、歩きながら笑い続け、何か思考が巡り始めたのを覚えている。
問題なのはその記憶の抜け落ちた間に何があったのか。
「決まってるじゃない。あたしが、シュバルト君を助けたの」
小さく耳元で語りかけるイティア。
「未来の旦那さまだよ。あんな能無し二人に目の前でコテンパンにやられてたら、悔しいでしょ。だから……ヤッちゃった。大丈夫、たぶん心臓くらいは何とか動いてると思うから。心臓以外は知らないけど。わははははははは」
シュバルトの手を握っていた自らの手。血で汚れた両手に、美味しそうに可愛らしい唇で吸い付く。汚いものを舐めて拭き取るかのように。
「嘘を付くな。あいつらはそんな並大抵の実力じゃないはずだ」
「ただの雑魚だったよ。MID適正AAA? 重複思考? だから何。真実の魔法とかくっだらない。あの男なんか、口が裂けるどころか色んなトコ裂けちゃったよ。あんなトコとかこんなトコとか。恥ずかしいトコとか。キャー」
イティアは自らの身体を使って、おどけた様子で様々な部位を指差している。二の腕、うなじ、脇腹、その指差す場所が一箇所増える度に、シュバルトは畏怖して大きく唾を飲み込んだ。
「『お前、平穏ってどれだけ幸せか、知ってるか』とか言ってたよね。あたしは知ってるよぉ。だから、シュバルト君の平穏を乱すあいつらむかついちゃった。どんだけ自分カッコイーんだと思ってたんだろうね。ただの雑魚なの自覚してほしいよね。黙ってトイレ掃除してればいいのに」
きらきらとした目で、あたしを見てと言わんばかりにシュバルトの瞳を覗き込んでいた。縫い付けられたかのように動けず、呼吸が激しくなりながら瞳を逸らせなかった。
「お前、狂ってるぞ……」
「え、何が。あたしは至って真面目だよ」
イティアの矢のような視線は、全てを見通すかのようにシュバルトの瞳に向けられていた。何もかも心の内を探られているのではないだろうか、そんな気にさせる深い眼差しだった。
「キラはさ、MIDを通さずに魔法を撃つ事を、真実の魔法とか言ってたじゃない。でも、魔法に嘘は無い。全て真実。MIDを通したって、真実には変わりない。だって、具現化しているんだもの。あたしだって出来るんだよ、MIDを通さない事くらい」
「で、でも、イティアの適正はCなんじゃ」
再び笑い出す。くすくすと。まだそんな事を言っているのと言わんばかりに。
「だから、あたしはMIDを通すと適正Cなのね。弱体化しちゃうの。でも、通さないで魔法を撃ったとしたらどのくらいだと思う? シュバルト君」
「さぁ……わからない」
知りたくもないと言った様子であった。
「んとね、計測不能なんだよね。あたしが魔法撃つと機械壊れちゃって計測できないの。たぶん、無理矢理に数値化するとしたらSSS++++くらい。そんなの無いけど」
なぜそんな人物が学園などに入学してきたのか。魔法のプロを超えている実力を持つ少女が、こんな所に居る理由がシュバルトには分からなかった。
「お前、一体何者だ……」
シュバルトは、本能的に後ずさっていた。だが逃げ場が無い。この目の前の少女の力がまともではない。彼女の言葉がハッタリでないのは、分かっていた。一歩二歩下がった所で、標的になったら間違いなく殺される。
「実はね、あたし」
だがイティアは、粘っこい瞳でシュバルトの事を見つめている。シュバルトに対しては敵意を持つどころか、男として見ているようであった。
「この学園を潰してくるように言われて雇われたんだ。ある人にね」
目がきらきらしている。
「でもさ、実際に入学してみたら仲良くなれそうな友達が出来ちゃったし、そういう子達まで巻き添えにしたくないんだ。だから」
途端に鋭くなった目付き。月明かりをバックに、八重歯が剥き出しになって笑っていた。
「あたしと仲良くしてくれた人達だけは、助けてあげる。もちろんシュバルト君は無条件」
「そんな、学園を潰すなんて何が目的なんだ」
今や、この学園なしに世界は成り立たないといっても良い。経済やら治安やら、全てのものに絡んでくる。潰せば大国家の一つ二つ、当たり前のように崩壊するだろう。むしろそれが狙いなのか。
「目的はねぇ」
シュバルトの手を勝手に握り出した。満面の笑顔で自分よりも背の高い男の顔を見詰め上げる。
「あなたには理解できないコトだから、聞いても無駄だよ。ね。今は大人しく、あたしと遊ぼっ。女子寮、行こう」
何も考える気が起きないまま、成すがままにシュバルトは手を引かれて歩き出した。何かとんでもないものを知ってしまった、そんな事実だけを頭にこびりつかせて。
「貴様、待て……」
背後から何かがにじり寄ってきた。二人は足を止めて振り返ると、そこには頭から大量に血を流したキラが立っていた。両腕には、口の端から血を垂らしたアヤナが横たわる形で抱きかかえられている。
キラも、限界を超えた体力で立っているようであった。口からはくぐもった声を漏らし、肩で大きく息をしている。一つ咳をすると、アヤナの生気の感じられない顔に血痰が掛かった。
「許せん、アヤナをよくも」
キラは大きく吼えると、一陣の風を巻き起こらせた。MIDを通さずに発動する魔法。重複思考により、様々な事象が引き起こされる。
「生きていたのか、キラ。良かった」
「シュバルト、退け。そいつにアヤナの仇を討つ」
咄嗟に命の危険を感じ、シュバルトはイティアの手を振り払い、走り出した。物陰へと身を隠す。キラは死に物狂いでやってきている。一緒に居れば巻き込まれるのは分かっていた。
「大丈夫だよシュバルト君。あたしが守ってあげるっ」
「死に晒せっ」
キラは大声を上げた。所構わず。風と一緒に瓦礫が吹き飛び、イティアを襲った。目も開けていられないほどのハリケーンに、周りの建物も軋みを上げる。
だがそんな中で、イティアは平気な顔をして立っていた。右手を突き出し、体の周りに薄い膜のようなものを張っている。それはとてつもなく強固な壁で、キラの死に物狂いの全力を出しても破れはしなかった。
イティアは呟いた。
「ざーこ」
吼え続けている。風は勢いを増し、建物の煙突をも崩し、倒壊させる。いつの間にか雷雲を呼び寄せ、激しいスコールまでもが降ってきた。
「ざーこざーこざーこ!」
イティアの目は輝き、哂った。
「わはははははは」
小さく何かを呟くと、イティアを覆っていた魔法の膜が強力に輝き出した。鏡のように照り出し、仕舞いにはイティアの姿すらも見えなくなる。膜には周りの景色が映りだした。
「な、何!」
イティアに向けて風に乗って飛んだはずの物が、反射して等速で全て戻ってきた。キラは自らが吹き飛ばした瓦礫の大群に全身を連続で激しく打ちつけた。
「大人しくしてれば見逃してあげたのに。そろそろ消し炭にしちゃおうかな」
風が止んだ瞬間、イティアは膜を全て解除して姿を晒した。左手を添え、何かを放つような姿勢になる。
「サンダーソード!」
二人の身体は、人間の体を一瞬で焼き尽くす雷の刃に切り刻まれた。
次は聖騎士さんです。がんばって!