第六話 真実の魔法
6番目の大久保 唯です。
ちなみに超展開です。覚悟しておいてください(主に後続の方)。
シュバルトは夜の中に佇んでいた。
実習後も、彼の脳裏からは彼ら――キラとアヤナの姿が離れることがなかった。現実に、不思議な存在を目の当たりにするのと、不思議な存在を思い描くのは訳が違う。疑問に駆り立てられながらも、確かに彼の中には言いようのない好奇心が溢れ出してくる。深緑が宙を覆う夜は、その好奇心を増大させていくような気さえした。
寮の寝室を抜け出した後、シュバルトは煌々と照らされた、中心街にいた。何せ、寮ではフリードが訳の分からない寝言を連呼し続けているせいで、寝られたものではない。元々この夜の街にも若干の興味を抱いていた彼からすれば、この夜はまさにうってつけだった。
国家としての役割も担うこの首都は、一日を通して眠ることがない。オレンジ色の街灯が街の夜を照らし、屋台にはMIDを応用したものが数多く出店されている。
(魔法)
街灯の中の揺らめく光をのぞいていると、その中からあの二人の顔が浮かび上がってきたかのような錯覚に襲われる。二人を想像する度、なぜだか彼の脳裏に、その二文字がふと浮かんできた。自分が今までどれだけ「本物の魔法」の存在を望んできたのか、自分のこれまでの言動を辿れば、わかりきったことだ。
そのとき、彼の中で一本の糸がほぐれた。描いていたキラとアヤナの表情が、一瞬だけ歪んだような、そんな気もした。
――もし二人が、「本物の魔法」とつながっているとするならば。
そんな思索を繰り返すにつれ、彼の中では言いようのない興奮が、こみ上げてきた。手のひらには吹き出してくる汗を握りしめると、シュバルトは下唇を舐めて、言いようのないインスピレーションに、髪を掻いた。鼓動が高鳴る。腿が微かに震えてきて、緊張感のようなものがこみ上げてくるのが分かった。
シュバルトは街道に伏せていた瞳を上げ、走り出した。
瞬間、だった。
「う、おぉ……ッ? な、何だ!?」
シュバルトは反射的に目を見開いた。
彼の横で、肉の串焼きを屋台販売していた、体のごつい店主がいきなり宙に浮いた。毛髪の薄い店主の体は忽ち重力感覚を失い、気づけば脚が頭より上になっている。店主の側に据えてあった客人用の座席や、テントも同様に宙に舞っていた。
「な、何!?」
「どうしたの?」
夜の街に、動揺があふれかえる。事態に錯綜するシュバルトは、戸惑って現状を理解しきれなかった。
そのとき、彼の足下から石段が小刻みに揺れ、足を除けると、煉瓦のタイルが宙に飛び出した。串焼きの店主が尻餅をついて素っ頓狂な表情をしていると、煉瓦は意志を持ったように、吹雪のごとく店主に襲いかかる。
「ひ、ひいッ、た、助けてくれッ!」
尻餅をついた店主が、腰を抜かしたまま後ずさると、煉瓦は丁度店主のいたところに集中放火し、煉瓦の残骸を残した。しかし、違う煉瓦がすぐさま援軍として宙に浮き上がり、再度店主目掛けて煉瓦が襲いかかった。
シュバルトは咄嗟にMIDをポケットから引き抜き、起動させる。靄のかかったような脳裏を振り切るように、彼は叫んだ。
「ファイア!」
出現した火炎は、弾丸のように集束していき、矢のごとく煉瓦に飛び交う。小石のように砕かれた煉瓦は、弱々しく散り散りになり、街道にこぼれた。店主の方に怪我は無いらしく、代わりに瞳孔を白黒させて現状をよく理解していない。
(何だ?)
シュバルトは道に転がった、煉瓦の破片を手に取った。ざらざらした感触が、指を伝わってくる。断面はまだ熱を帯びており、中にはまだ炎の赤みを帯びた破片もあった。
シュバルトは首を左右し、混乱した思考回路を整理しようとする。まだMIDの概要も十分に熟知していないとは言え、MIDを介した詠唱無しにここまでピンポイントの攻撃を仕掛ける魔法なんて聴いたこともない。
そのとき、彼の背後で何か、物音がした。風が裂けるような、一陣の風――。
けれど、シュバルトが振り向いたときには、全てが遅すぎた。背後、三十メートル先で、手のひらを向けていた二人の言葉に、彼は言葉をもみ消される。
「しまっ――」
「《Ernstbedienung》!」
透き通った声が発音した、聞き覚えの無い声は、一瞬でシュバルトを包み込んでしまった。彼と声の先の間に埋まっていた煉瓦が、先刻のように、重力を無視して浮遊し始めた。まばらだった煉瓦は、やがて角をシュバルトの方へ向け、一気に強襲してくる。
シュバルトはMIDを取り出し、無我夢中になって叫び続けた。機体から飛び出す炎の連弾が、まるで彼の体から吹き出してくるかのように、飛び交い、煉瓦へと直撃していく。
しかし、破損した欠片までもが、鏡の破片のごとく彼に降り注いだ。頬や首筋が細く裂かれ、赤い筋ができあがった。彼は零れてくる鮮血に指を据える。ひりひりとした痛みが、傷口を発端に前進にまで広がりそうな勢いだ。
「何だ、しぶとい奴だ」
苦笑混じりの声が、腰を着くシュバルトに降りかかる。彼は声の先を仰ぐと、白髪と、やけに肌の色が薄い少年の姿がある。
「一般学生なら、この程度で気絶ぐらいするかと思ったのにな。思ったよりしぶとかったな」
切れ長の瞳が、シュバルトの瞳を抉ってしまいそうだった。
――何だ、今のは。
MID端末無しの、詠唱のみによる「魔法」。この学園での魔法は、端末を通すことが絶対条件のはずだ。その「常識」の崩壊に、シュバルト自身、言葉を出し切ることが出来ない。
「……キラ、むやみに《Magisch》の乱発は良くない。一般人を巻き込むのは、以ての外」
シュバルトを見てにやりと笑みを見せる、キラの背後から姿を見せたアヤナは、抑揚のない口調で言った。苦笑いを表情から消したキラは、シュバルトに手を翳すと、彼の前髪を掴み、低い声で言う。
「お前、平穏ってどれだけ幸せか、知ってるか?」
頭の痛みをかき消すかのように、シュバルトは目を強く瞑り、口をふるわせる。
「知って……る」
「じゃあ、今俺がこうしたようなことを口外すれば、どうなるかなんてことは分かるよな?」
キラは髪を離して、彼を突き飛ばした。
シュバルトは屋台の前に転がった、椅子に背を強打してしまう。背の痛みが、重く響いた。
「俺の命はない、と?」
「会釈は自由だけどな」キラが乾いた笑みを見せた。「俺だって平穏な生活を送りたいんだ。最低限のやるべき事を、部外者に邪魔されれば、静かに事を終わらせられねえんだよ」
キラのスニーカーの靴底が、シュバルトの肩を掠める。
「……なんで、MIDを通さないで」
「口が裂けてえのか?」
猛禽のような視線が、シュバルトに突きつけられる。キラは小さく呟くと、自信の指に息を吹きかけた。
その瞬間、人差し指の爪が千枚通しのような、鋭さを持ったものへと変貌していた。キラはその爪を、傷とあざだらけになった、シュバルトの首筋に当てた。
「これは、魔法だ」
冷淡な声が、夜闇に溶ける。
「MIDを介さない、真実のものだ」
爪はそのまま、元の長さへと戻り、キラは唾を吐いた。
二人の影が、夜に消えていった頃、ようやく街にも喧騒が増え始めた。シュバルトは動くことも出来ず、痛みばかりが包む手のひらを、頬に当てた。
――これが、真実の魔法だ。
本来なら、ロマンにあふれたものを実感しているはずなのに――。今の彼には、それを実感することもままならなかった。
お次は♯ペンシルさんです。