第二話 木立の陰で
次鋒のnuma、参ります。
その黒髪は春風に揺れる。つり上がり気味の目に、引き締まった口元、筋の通った鼻を見て、“整っている”と思わない人はいないだろう。だがしかし、今現在の表情は歪んで、まるで『バカがいる』とでも顔に書いてあるかのようだった。
「お前、そこで何してんだよ」
黒髪の青年――シュバルトは、木立の陰に隠れてグラウンドの様子を窺っている幼馴染の頭をはたく。飛び上がりそうなほど驚いた彼は、振り向くのに失敗して地面にしりもちをついてしまった。
「シュバルト! お前こそ、何でここにいるんだよ?」
「そりゃあ、幼馴染がこんな変てこなところでこそこそとしていたら話しかけたくもなるけど?」
シュバルトは、幼馴染――フリードの言葉に口元の引きつった愛想笑いを浮かべた。ボサボサの茶髪、童顔に低身長の姿は、まさに性格を表している。がさつ、子どもっぽく生意気、そのくせ少々気が小さいと、あまり褒められた人間ではない。全て憎めない程度なのが救いだが。そんなフリードは勢い良く立ち上がり、腕組みをして曰くありげな笑みを浮かべる。
「こそこそするだろ。もう勝負は始まってるんだぜ」
「何のさ」
「決まってんだろ! この学園の一番を取る勝負さ! そのためには敵情視察が一番だろ?」
シュバルトは溜め息をついた。入学式から一時間後に大風呂敷を広げるフリードに呆れたのも一つだが、そもそも魔法を使って力を競う、という事自体にシュバルトはあまり興味が持てなかった。にこりともしないで、彼はグラウンドを指差す。
「じゃあ、もっと近くまで行けばいいだろ。別に隠しちゃいないんだから」
「い、いや……」
途端にフリードは笑みをしぼませた。腕組みを解き、落ち着かなさそうに手揉みをしながらグラウンドを見つめる。ギオが跨る白竜が、地を駆けるライオン、トラ、チーターに洗礼を浴びせたところだった。フリードの手がきつく握り締められたのを見て、シュバルトはからからと笑い始めた。
「ははぁん。やっぱお前は臆病だな。怖いからこんなところにいるんだ」
フリードは真っ赤になった。真っ赤になって、鼻息荒くシュバルトに詰め寄る。
「なんだよ! 俺は怖くなんかないっつうの!」
怒った子どもの顔など大して怖くはなく、シュバルトはからかうような笑みを崩さない。
「本当か?」
「ああ、なら行ってやるさ! 誰よりも間近で上級生達の戦いを見物してやろうじゃんか!」
「あのぉ……。そんなところで何をしているんですか?」
シュバルト達は同時にグラウンドとは反対の側を向く。そこに立っていたのは、ひょろりとした長身で、整然と切り揃えられたシルバーブロンド、そして銀縁の眼鏡をかけた青年だった。上級生と思って、シュバルトはきちんと向き合い気を付けの姿勢を取る。
「あ、いえ。友人がここで何やら怪しげな行動をとっていたので、注意していたんです。すぐこいつはまともな場所へ連れていくのでご心配なく」
そう言って、すぐさまフリードを入学生達で賑わう通りへ連れ戻そうとしたシュバルトだが、眼鏡の青年は胸の前で両手を振った。
「いえいえ。そんなことしなくても構いませんよ。それに、僕もあなたたちと同じ新入生なので、敬語を使わなくても構いませんし」
そう言って、青年はブレザーに付いたワッペンを指差す。学園の中央にそびえる神々しい木の意匠が入った校章の下に、金糸の星が一つ入っている。学年を表しているのだ。シュバルトはきょとんとして目を瞬かせる。この青年とフリードには天と地ほどの差がある。同じ十五歳だということが到底信じられなかった。
「なんで俺のことをじっと見るんだよ?」
フリードがむっとした表情でシュバルトを睨む。シュバルトは肩をすくめてみせると、青年に向き直った。彼は穏やかな表情を一切崩すことなく、温かな眼差しでシュバルトと目を合わせる。
「名前、何だい?」
「僕ですか? 僕はリヒャルトと言います。以後お見知りおきを」
それだけ言うと、リヒャルトは恭しく頭を下げてみせる。どうやらフリードとは性格も対極、懇切丁寧、上品、物腰は穏やかとよく出来た人間だとシュバルトには映った。ただ一つ、気になったのは敬語だ。『使わなくてもいい』と言ったくせに、自分ではしっかりと使っている。
「君はですます調で話すんだ?」
「小さい頃からなもので、もう今更どうにかしようとも思わないんです」
へえ、というシュバルトの言葉をかき消し、巨大な爆発音と歓声が三人のいる木立まで響き渡ってきた。反射的に三人がグラウンドの方を振り向くと、ギオがまたも挑戦者を打ち破ったとみえ、白竜の上からしきりに手を振ってみせていた。そんな様子に、リヒャルトは嘆息を洩らした。
「すごいですねぇ、生徒会長は。僕はMID適性がBランクだったので、あの人には一生かけても追いつけない」
その言葉にフリードが噛み付いた。彼もMID適正はBランクだったからだ。
「なんだよ、そんな事言うなって。俺も生徒会長に勝てないって言ってるようなもんだろーが」
「そ、そうなるんですか? これは失言でした」
フリードはリヒャルトの謝罪を話半分に流しつつ、やっかみを込めて今度はシュバルトに噛み付いた。
「それに、この学校で一番競争意識なさそうな奴がAA評定ってのも気に食わないんだよなあ」
シュバルトはバツが悪そうに苦笑いをする。こればかりはフリードと意見を同じとしていた。“一番”に“一番”なる気がない人間に図抜けた才能を与えるとは、神とやらも才能の無駄遣いをしてしまったものである。
ちなみにMID適性とは、脳内にある、いわば『情報処理能力』をAAA~E、そしてFalse(不合格)の八段階に分けたものである。この能力が伴わないままでMIDの無理な行使をすると、軽い場合は気絶程度で済むが、場合によっては発狂、植物状態、果てには脳死に至る場合まである。もちろん、訓練による能力の増進は可能だが、持って生まれた才能の差というものはある。
なお、ギオは規格外の数値を示したため、『AAA+』という特例的な評定がなされている。
「それにしても、シュバルトみたいに争う気がない人は珍しいみたいですね。他の人達の話を横聞きしたんですが、どうしたら生徒会に入れるほど強くなれるか、という事ばかりでした。特に、パーツショップなんか、MIDをどう改造するかという話ばかりでしたよ。まだ使ってもいないのに」
フリードは何度も頷く。彼もその内の一人なのだ。ギオが原型を留めないまでに改造したMIDを見せた時に思った事といえば、『自分も同じくらいに改造してやる』という、この一点だった。そんな姿を尻目に、シュバルトは生徒会長の動作を追い続ける。憧れるのは当たり前なのだろう。右も左も、前や後ろさえもわからない時に自信に満ち溢れた姿、そして神がかった光景を目に焼き付けられたのだから。
「争う気なんか持てないさ。俺はそんな、生徒会長なんていうロマンの無いものを追い求める気はないからね」
自分の夢にロマンが無いと一刀両断され、怒りを通り越してしょげているフリードをちらちらと窺いながらリヒャルトはシュバルトに尋ねる。
「じゃあ、何を求めるんですか? ……まあ、僕もこの学園で一番を目指すというよりは、研究してMIDをもっと発展させたいという思いの方が強いですが」
シュバルトはよくぞ聞いた、とでも言いたげな笑みを浮かべてリヒャルト達に向き合う。シュバルトは父に触発され、常にロマンがあるものを追い求めていたのだ。父から聞いたとある噂が無ければ、シュバルトは不自由さに辟易してこの学園自体入らなかっただろう。
「聞いたことがあるかい? 昔、本物の魔法使いがいたって」
「本物? これだって本物じゃないか」
フリードはポケットからMIDを取り出した。初めに配られるのは携帯電話型だ。ギオのMIDは腕に付ける完全な思考認識システムになっていたが、訓練を積まないうちは使える魔法を視覚的に確認できる要素があった方がいいからだ。扱い方も、(ただの電話として)使ったことがある新入生が多いため慣れやすいという利点もある。そんなように既視感の強いMIDの形状を見つめながら、シュバルトは首を振った。
「いや。MIDには出来ないことがたくさんある。そりゃあ、竜やら無限階段やら、仮想を現実にすることは出来るさ。でも、昔の魔法使いは杖を使ってもっとすごいことが出来たらしいんだ。作っていない存在の重量を変化させたり、動物と会話したり、人の内面を覗けたり……一番すごいことは、物体の時を巻き戻すことが出来たことだね。どうだい? 確固たる証拠があるわけじゃないけど、聞いただけでわくわくしないかい?」
早口でまくし立てたシュバルトの目は、星でも入っているかのようにきらめいている。フリードは溜息をつくと、彼の頭を強く掴んで揺すぶった。
「確かにロマンはあるかもしれないけど、もうちょい現実的になれよ。そんな事出来たわけ無いじゃんか」
軽く呻いたシュバルトは、彼の腕を掴んで引き剥がし、リヒャルトの方へと押しやった。相変わらず光が宿った瞳で空を見上げ、シュバルトは夢見心地で二人に訴えた。
「つまんない人生なんていらない。男なら、少しのひらめきと明日へのロマンがあれば生きて行けるんだ! そんな魔法が見つかったら大発見じゃないか。考えてごらんよ。この学園全てがひっくり返るぞ。例えば……」
リヒャルトが言葉を失っている横で、フリードはやれやれと溜め息をつく。普段のシュバルトは『学校の良心』と言われたほど冷静で、MID適性がAAとなるだけあり思考力も高く機転が利く男だ。だが、夢を語りだすと止まらないという奇癖があった。当初は容姿で女子から人気があったシュバルトだったが、とうとう去年はラブレターが一つももらえなかった。もう一度、深々と溜め息をついたフリードは、思い切りよくシュバルトの頭を引っぱたいた。
「いい加減にしろよ! どうせ、その『本物の魔法』ってやつがこの学園に眠っているって言うんだろ?」
「へ? どうしてわかったんだ?」
「わかりやすすぎんだよ!」
「……わかってても結末を言うなよ。もう喋れないじゃないか」
結論を言われてしまったシュバルトは、さすがに黙るしか無かった。がっかりして顔が曇っている彼に、リヒャルトは素直に感心した。リヒャルトにとっては、ここまであけすけと夢を語ることの出来る人は珍しい。
「素晴らしいですね。そこまで言われると、なんだか信じられそうな気がします」
シュバルトは再び顔を輝かせた。満面の笑みで、彼はリヒャルトの手を握る。
「分かってくれる? いいなあ。フリードなんかとは大違いだ」
顔をしかめながら、フリードはリヒャルトに耳打ちする。
「おい。これからは気を付けろよ? 下手に刺激したら一時間でも二時間でも話し続けるぞ。どんどん脱線して、世界一周しそうな勢いでさ」
「そ、そうなんですか?」
「生まれた病院のベッドまで隣同士だった付き合いの俺が言うんだぜ? 間違いねえよ」
リヒャルトは、思わずシュバルトの手を離してしまった。
「確かにそれは面倒ですね」
リヒャルトの呟きを聞き逃さなかったシュバルトは、どこか毒を含んだ笑みを浮かべながら『何が面倒なんだい』と尋ねた。しかし、その声は甲高い鳥の鳴き声で掻き消された。再度グラウンドを見たリヒャルトは、思わず顔を青くしてしまった。一筋縄では数えられない巨大クワガタの大群が、鳴いて激しく飛び回っている不死鳥に向かって一斉に飛びかかっていくところだった。
「なんて気持ちの悪い……」
「絶対あんなの相手にしたくないね」
リヒャルトとシュバルトが決して美しいとは言えない光景に文句をつけている一方で、フリードは気合い十分だった。
「上等だぜ! 何だって倒して、絶対最強になるんだ! ロマンが無くてもな!」
精々頑張れ、と言いかけたシュバルトだが、彼はとあることに気がついた。胸ポケットから自分のMIDを取り出すと、交互に見比べてみる。
「あれ。俺のとフリードのとは形が違うんだな」
「あ、本当だ! スライドじゃねーか! いいなあ。俺達はワンタッチオープンがせいぜいなのに」
フリードはそう言いながら、蝶番についたボタンを押す。軽快な音と共に、何の変哲もなくMIDは展開した。そのままデータフォルダを開き、現在MID内にある『魔法』を調べながら彼は校舎を見つめる。明日になれば、あの場所でいよいよこの扱い方を学べるのだ。
「あーあ。早く明日が来てくんねえかなあ! 待ちきれないぜ!」
「ああ、それは俺も思うよ」
「どんな授業なんでしょうね」
「ファイア!」
シュバルト達三人が明るく笑っている所に、火の玉が飛んできた。それに気がついたフリードは、慌ててシュバルト達二人を突き飛ばして自分も伏せる。起き上がったフリードは、目を剥いて吠えた。
「誰だ! 危ねえだろ!」
目の前に立っていたのは、たった今配られたばかりのMIDを持った新入生三人だった。一人はその画面をこちらに向けている。既に制服はだらしなくなっており、いかにも小悪党という雰囲気だ。だが、三人を驚かせたのは『MIDを使えた』という事実だった。
「そんな! 練習も無しにMIDを使えるなんてこと、あるはずが……」
「練習してたんだよ! 親父がMIDの開発に関わってて、試作品を貸してもらってたからな!」
リヒャルトの呟きを耳にし、目の前の一人が自慢気にMIDを振ってみせる。フリードは先を越された悔しさに歯を食いしばる。シュバルトは地面に伏せたまま舌打ちをした。
「すげえよバウ! 他に何が出来るんだ!?」
「そうだなぁ。お? 犬が呼び出せるらしいぞ。よし。こいつらにけしかけてみるかな」
腰巾着のおべっかに気を良くしたバウは、そのままMIDから犬を呼びだそうとする。フリードは落としてしまったMIDを拾い上げて叫んだ。
「このままやられてたまるかよ! トップに立つ男がこんなところで!」
「バカか! まだ使い方も知らないだろ?」
シュバルトは立ち上がり、頭に血が上っているフリードを何とか制そうとしたがまるで聞く耳を持たない。焦って首を振っていると、リヒャルトが冷静に立ち上がりながらMIDを取り出した。
「知っていますよ、マニュアルを読んだので。一応、ですが」
フリードは顔を輝かせた。
「本当か? どうすればいいんだよ!」
「使用したい魔法を選択して、通話ボタンに当たる部分を押しながらキーワードを通話口に向かって叫ぶんです!」
「よし! 見てろよお前ら!」
フリードは既にデータフォルダを開いていた。目には目を、歯には歯を。フリードは『ファイア』を選択すると、大声で叫んだ。
「ファイア!」
しかし何も起こらない。
「あれ?」
フリードは首を傾げた。当然といえば当然である。本来ぶっつけ本番で使用できる代物ではないのだから。間抜けな様子を見て、バウ達は爆笑した。
「ハッハッハ! バッカじゃねえの!? 練習もなしに使えるわけがねえんだって! せいぜい噛まれんなよ! 『ドッグ』!」
遠くの大樹のうろが光ったかと思えば、その中から大型犬が飛び出してきた。召喚主の性格を反映しているのか、近くを通っただけで吠えそうな外見をしている。フリード達に気がつくと、一直線に駆け出してきた。フリードは慌ててリヒャルトの後ろに隠れる。
「うわぁ! 俺ああいう犬が苦手なんだよ!」
「何で僕の後ろに隠れるんですか! シュバルトまで!」
盾にされたリヒャルトは悲痛な声を上げる。しかし、シュバルトはフリードのように怖いから隠れていたのではなかった。あくまで、MIDをいじって盲目になっている間に襲われると危険なので隠れていただけだ。シュバルトは画面を見ながら頷くと、犬の前に飛び出した。
「よし。サンプルを使ってみるか!」
『サンプル1』と書かれたアイコンを選択すると、途端に携帯電話から無機質な電子音が響き渡った。
「サンダー! ソード!」
シュバルトは、バウがしていたようにMIDの画面を目の前の景色に向ける。まばゆい光が放たれ、犬は一瞬足を止めた。その間に、シュバルトの目の前では光が寄り集まって形が作られていく。やがて、それは一本のフルーレへと姿を変えた。宙でそれをキャッチすると、シュバルトは軽く振ってみる。彼の意思を反映しているようで、部活動などで今まで使ってきた中では最も手に馴染んだ。
「おっ。なかなか便利だね。MIDって」
光を受けたせいで殺気立った犬が、シュバルトに飛びかかる。しかし、軽く横に避けたシュバルトは、そのままフルーレの先端についた電極を押し当てる。魔法によって生み出されたその電気剣は、スタンガンよろしく犬を気絶させてしまった。情報が途絶えたのか、犬はそのまま光に混じって消えてしまう。バウ達が呆気に取られている間に、シュバルトはゆっくりとフルーレの切っ先を向けた。
「おい。バウって言うんだな?」
「そ、それがどうしたんだ!」
そこはかとない恐怖を感じて後退りを始めているバウ達に、シュバルトは口元に勝気な笑みを浮かべながら尋ねた。
「お前らに、ロマンはあるのかな?」
次の作者は柚乃 詩音さんです。